「アンチ」の仕事

大川隆法の次男で現在教団トップの大川真輝は、昨年に行われた講演の中で、信者を前にして「この20年、活動信者が増えていない」と述べています。

大川真輝2017年の談話

教団幹部がうっかりと幸福の科学の公称がいかに当てにならないものか暴露したかたちとなりましたが、立宗後20数年、様々な紆余曲折を経ながら、結局のところ90年代の水準を越えられず、そればかりか、現在はそれが高齢化した古参信者と、その二世・三世によって構成されていることによって、もはや教勢が傾斜のスパイラルから逃れられない状況にあることが露呈しました。

そうした事情に耐えかねてか、2017年末には、いよいよ教団内において大規模な拠点の整理縮小と職員の大リストラが始まっています。このことについては、91年に行われたリストラの状況と比較しながら、次回以降に改めてまとめたいと思いますが、教祖の大川は、職員組織の粛清のほか、さらに信者に対しても、これまで以上の布施の勧進を押し進める指示を行っていることから、今年は2009年以来の職員や信者の脱会が相次ぐものと見込まれ、その波を前に、脱会するということについて、今一度まとめておきたいと思います。

ただし、今回扱うのは脱会の手続き的なことではなく、心の問題です。それも脱会してからのことではなく、疑問を抱いてから日常に復帰するまでの心理プロセスについてです。

信者と職員の違い。その信者の中でも、ほとんど教学のみで活動歴のない人とリーダー会員としてあらゆる活動に没頭した人。また職員でも支部の現場にいた人と本部にいた人。さらに自ら入会した者と、二世・三世の違いなど境遇は様々ですが、何らかのきっかけで教祖や教団に疑問を抱き、やがて脱会に至るプロセスには、誰もがおおよそ同じ道筋を歩みます。

それは極端な話、幸福の科学に限ったことでもありません。幸福の科学信者が辿る脱会過程の思考プロセスから幸福の科学的要素を除いてみれば、他宗の脱会者の歩んだ道ともそう大差がないものです。

「生病老死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦」に、「火難・水難・羅刹難・王難・鬼難・枷鎖難・怨賊難」と、まこと人生とはままならぬもので、愛情や依存の対象、そして日頃から慣れ親しんだ環境や所有物、また生き甲斐とした目標や自己イメージなど、様々な事柄の喪失体験から、人には逃れる術はありません。

こうしたことを「対象喪失」と言い、この状況下で起こる怒り、恐れ、不安、絶望感などの感情の過度の高ぶりによって自己の統制を失うことや、場合によっては潰瘍、高血圧、心疾患などの身体症状まで含めて「対象喪失反応」と呼ばれています。

カルトからの脱会といえども、一度は人生をかけて信じたかけがえのないものを手放すということは、当事者にとっては「対象喪失」の体験に他なりません。死別の悲しみへの対処が人間にとって永遠の課題で、そこに信仰の意義があるのであれば、その喪失も同様に軽視しがたいものなのです。

そうしてこれら「対象喪失」した際に直面する精神的危機を克服するためには、嘆きや悲しみを十分に表現できる機会が必要で、それが時間と共に自然と心が整理されていく営みを「喪の作業」とか「悲哀の仕事」といいます。

疑念を抱き、脱会し、その過去を総括する過程では、時として、教祖と教団に裏切られたという怒りや憎しみ、また反対に選択を誤ったという深い後悔と自己嫌悪の間で激しい感情の起伏を経験し、教団との関わり方の度合いに応じて個人差はあるものの、そうした自分を持て余す心穏やかでない辛い時期を踏破せねばなりません。

けれども、それはあくまで正常な悲哀の心理プロセスであり、主体性を取り戻し再び自立するための必須の過程なのです。この心理過程に身も心も焼き尽くし、「悲哀の仕事」耐えかねて中断してしまったりすると、「対象喪失反応」が起こる要因となりえます。

カルトの中にいるうちに、悲しむことを精神生活から排除してしまっていたため、無自覚に染みついてしまった様々な習慣をデトックスするのには、自分で考えているよりも多くの相応の時間が必要ですから、くれぐれも早々に結論を出そうとするような焦りは禁物です。

この「悲哀の仕事」にマニュアルはありません。ただ、現実を真摯に受け止め、きちんと断念を積み重ねて、心静かに悲しむ能力を獲得していく以外にありません。ただし「悲哀の仕事」を妨げるものを知っていれば、いたずらに困惑したり、絶望感にうちひしがれることなく前向きに進んでいくことができるでしょう。

焦りは悲哀の苦痛の働きとして、さまざまな心の術策を用いて「悲哀の仕事」の妨げとなります。たとえば幸福の科学的要素として、まず脱会に至るまでの間には、現状の「否認」や、自己処罰感情も絡めたかたちの、教祖の祟りや教団からの害悪への「恐怖」が足枷となることがあるでしょう。

そして脱会後には、対象への過度の「理想化」や反対に「悪玉化」、またそれに対する強度の「復讐心」、あるいは分派や他のカルトに乗り換える対象の「置き換え」などが、自然な心の歩みを押しとどめ「悲哀の仕事」の達成の妨げとなっているようです。

自分にとって都合の良くない対象のもつ暗黒面を否認し、ひたすら良い面だけを分離させて喪失の苦痛を回避しようとする態度を「ポリアンナイズム」と呼び、教祖無罪論や初期肯定論がそれに当たるものと思いますが、大川を悪魔や大悪党として激しく憎悪することも、一見まったく正反対の態度のようでいて、それらは共に対象喪失から日常に復帰していく心理プロセスの上にある両極端の要素ということになります。

こうした一時的なプロセスの段階に拘り、いつまでも留まったままでいることで、浦島太郎のように全く時間が止まったままの人がたまにおられます。客観的事実を前にしても、失った対象への思慕の情から心の向きを変えられないのは、「悲哀の仕事」には知性以上に人格の成熟度が鍵であることを示していると思います。

こうしたことから私は、単に脱会に至りさえすればそれで良いとは思っていません。脱会そのものが至上の目的なのではなく、心理的過程を踏んでこの「悲哀の仕事」をやり遂げて頂くことを願っています。そうでなければ、多大な犠牲を払いながら、結果的に教訓を学び尽くしたことにならないと考えるからです。これを達成したときこそ、カルトの呪縛から解放されて心は自由を取り戻し、いよいよ真の脱会として「アンチ」卒業となるのだと思います。

心の整理のためのブログやTwitterなどを活用した表現や、共感の繋がりが広がることは大変良いことで、かつ有難いことです。ただし「アンチ」の仕事は、あくまで「悲哀の仕事」の達成であることを、心の片隅に置いておいて頂ければと思います。

ところで、よく「アンチは一枚岩ではない」と、内外から批判があります。けれども、上記の通り、いわゆるアンチ化した状況には、このようにさまざまな心理の段階の方がいるわけですから、一枚岩でないのは当然のことです。ゆえにアンチを組織化することなど不可能ですし、その必要もなく、すべきでもないと思っています。

まずは自分と折り合いをつけて「アンチ」を卒業した後に、なおカルトによる社会規範の冒涜や個人の尊厳への侵害等に対して抵抗する意志が湧き出すようなら、その時こそ「アンチ」から「レジスタンス」へと生まれるのに、まったく遅くはないのですから。

カルト宗教のアイヒマンたち~「オウム」と「幸福」④

連続してきた同テーマの締めくくりに、今回は果たして彼らの社会貢献は本物か。教祖と信者という観点も含めて資料を検証していきます。

当ブログにて、既に「スラップ指示書」として何度か紹介してきた文書ですが、本来これは仮谷さん拉致事件後に、大川が創価学会に仕掛けた宗教戦争をいったん中断してオウム事件に注力し始めた際の文書としての意味があります。

95.3.9 文書(スラップ指示書)
95年3月9日文書

この文書から読み取れるのは、大川が初手からオウム側のキーマンを青山吉伸弁護士(当時)としてロックオンし、その際オウムからの反撃はせいぜい裁判に訴えてくる程度と考えていたことです。そして、「相手の10倍、100倍で訴え返す」「相手もブラフ(おどし)なので、当方もブラフ(おどし)」と基本方針を指示しました。

95.3.13文書(上)

95.3.13文書(中)

95.3.13文書2
95年3月13日文書

さらに、こちらの文書では、より具体的な内容が言及されています。こちらは当時の広報局長の小川空城(女優の小川知子の実兄)との間で交わされた通話記録になりますが、目撃者の職員が個人で行う警察への捜査協力は別として、教団としては、①マスコミへの働きかけ、②ビラ配りや街宣活動、③青山への懲戒請求や教団への告発の三本柱に据え、これら手段を「包囲殲滅戦」と称して、短期間でオウムを追い落とすつもりでいたことが分かります。

では、これらの活動の実際がどうであったのかと言うと、まず第一のポイントであるマスコミへの働きかけとしては、上九一色村に職員工作員を派遣し探偵の真似事をさせ、仮谷さん拉致に使用されたと思われる車両が埋められている写真を撮ったとして、産経新聞と朝日新聞に売り込んでいる様子が報告されています。

この文書が貴重であるのは、当時の裏側の状況がよく分かると言うことの他に、教祖と職員のコミュニケーションパターンの典型がよく表れている点にもあります。

会話中では、自分たちが掴んだネタが大スクープで、両紙の記者が大変なインパクトを受けて帰ったようなニュアンスで伝えられているのですが、ここには大川のご機嫌取りにネガティブな報告は控えめにして、逆にポジティブなことを針小棒大に盛って伝えるという職員の日頃の習慣がよく表れており、大川にしても、バブルの伝道数を真に受けて大失敗した過去を、三歩歩いてすっかり忘れている様子が読み取れます。

しかし、教団がスクープと思って売り込んだ写真がニュースを飾ることはありませんでした。なぜなら、事件とは何の関係もない車両であったからです。

他の目撃者証言で、犯行に使われた車が「わ」ナンバー(レンタカー)であったことから、ナンバーを入れ替えていた可能性は当初から指摘されてはいました。但し犯行車両はあくまで三菱デリカスターワゴンに絞られていたのです。

しかし、幸福な頭脳では、どういうわけかナンバーの入れ替えが、車両そのものの違いという検討違いの方向へ暴走したようです。最低限の基本的な事実関係の整理ができていなかったのは、おそらくちゃんと新聞を読んでいなかったのでしょう。結局のところ教団が自慢のスクープは、載せたら大誤報となってしまう人騒がせなガセネタに過ぎなかったのです。

95.3.5朝日新聞
3月5日時点で割り出されていた車両(朝日新聞)

無関係な車
事件に何の関係もなかった車両(幸福の科学工作員撮影)
フロントが埋まっていて見えないが、サイドのフォルムからでも新聞発表のあった車両でないことは明らか。

また次のポイントとして、信者を動員したビラ配りや街宣活動についてですが、この3月13日時点では、「オウムの拉致を考える会」という幸福の科学を隠してダミー団体名で行うよう入念な指示が出されています。

幸福の科学発のフェイクニュースでは、教団は終始オウムに対して正々堂々、真正面から敢然と立ち向かったような主張を展開していますが、実際のところ「宗教法人幸福の科学 全国会員有志一同」で出されたビラは、社会的にオウムへの強制捜査の秒読みの空気感が充満していた頃合いを見計らって、満を持して行われた3月18日のデモ行進の時だけです。

それ以外は、サリン事件前は「オウムの拉致を考える会」を使い、事件後も「オウム真理教から国民の生命を守る会」とか「悪徳弁護士を告発する市民の集い」といったダミー団体名を騙って、徹頭徹尾コソコソとした動きに終始していたのが事実です。

3月18日ビラ
3月18日デモで撒かれたビラ。
幸福の科学名でなされたのはこの時が最初で最後この1枚のみ。
大川の指示書どおり、「百倍返し」の記述がある。

そして、最後のポイントであるオウムの青山弁護士への懲戒請求や教団への告発については、青山側からの訴えを警戒しつつ、反対にオウムへの告発を最後の手段と考えながらも、あくまで青山個人をターゲットに絞って、弁護士資格の懲戒請求の準備を進めている様子が記録されています。

大川自身、「これ(青山)を潰さないとね。これ一人。これを取ったらあとは子供みたいな団体。」と、あくまで教祖の麻原よりも青山を重要視していることが、ここでもはっきりと確認できます。

そしてこの数日後、3月18日のデモ行進等をきっかけに、まずオウム側が幸福側を訴え、それに応じるかたちで幸福側がオウム側を訴えるという訴訟合戦が勃発しました。しかも、幸福側の訴えは1995年3月20日、まさに地下鉄サリン事件の当日です。

つまり、カルト宗教団体による化学兵器を使用した前代未聞の無差別テロを目前にして、その危機を全く想定することなく、大川隆法と幸福の科学のマヌケな仲間たちは、オウム側の訴えに応戦するべくスラップ訴訟の準備にせっせと勤しんでいたということです。
95.3.19 朝日新聞
3月19日 朝日新聞
幸福の科学のビラに対しオウム側が提訴したことを報じた記事

95.3.21朝日新聞
3月21日朝日新聞
オウム側の夕刊紙コメントに対し幸福側が提訴したことを報じた記事

教団のフェイクニュースでも、この文書の中でも、警察活動への高飛車な批判が散見され、オウムへの強制捜査の後押しをしたのが幸福のような口ぶりです。

でも、捜査の真似事の末つかんだ情報はガセネタで、これでは令状が下りるはずがありませんし、都心だけでなく上九一色村で行おうとしていたデモ行進は不許可となっているのですから、教団は社会貢献をしたどころか、むしろ出しゃばりからマスコミを惑わせ仕事を増やし、警察活動に支障をきたしかねない邪魔さえしていたと言った方が妥当です。

教団は、3月18日のデモ後の3月20日に「地下鉄サリン事件」が起こり、警視庁が重い腰を上げて強制捜査を行ったのだと、自分らの活動が強制捜査を促したと強弁していますが、そもそも強制捜査の容疑は「仮谷さん拉致事件」であって、「地下鉄サリン事件」ではなく、オウムは周囲に強制捜査が迫ったことを察知して、その阻止に地下鉄サリン事件を起こしたのに、なんで幸福の活動が強制捜査を速めたことになるのか。

だいたい因果関係の筋道が滅茶苦茶です。こんな程度の論理の展開がまかり通るなら、時系列からして、強制捜査の準備が着々と進行する最中、幸福の科学のデモ活動等がオウムを過剰に刺激し、内部の圧力を高めさせて凶行に走らせる引き金となったと言うことさえできてしまいます。

もっとも、教団の活動はA4判の上質紙を大量にゴミにし、外堀通りの空気をちょっと揺らして、お茶の間の奇妙な話題になった程度で、良くも悪くも実質なんの役にも立たなかったというのが実情でしょう。

幸福の科学は、機関誌「The Liberty」で、「宗教を語るときに、印象レベルではなく、事実をもって語ってもらいたいものだ」と述べています。

このことについて異論はありませんので、お望み通り事実をもって検証してきましたが、結果は御覧のとおり、教団の手前味噌なプロパガンダは僅かな事実と多くのウソで成り立つ質の悪いデマカセで、その言説に信頼できる要素はなく、逆に教団の厚顔無恥な下衆ぶりを示すブーメランになって教祖の大川に突き刺さっていきます。

だいたいこれらの出典、信者が拠り所としている話というのは、事件後の「新生日本の指針」という講演会での、オウムの崩壊にホルホルした大川の与太話を唯一の根拠としているのですから当然です。

95.3.10文書
3月10日文書
「捜査進展に合わせて警察・マスコミ支援。もし上九一色村等に大規模捜査が入るようなら、ヘリを飛ばして上空から撮影、ハンドマイクで「警察の皆さん頑張って下さい!」「住民の皆さん頑張って下さい!」等の支援も検討。麻原逮捕までドラマチックに進むようなら、写真誌『オウム真理教撲滅作戦―現代の大江戸捜査網―(仮称)』などの書籍を緊急発刊も考える。」

ごく短期間オウム事件に注力した大川隆法の動機は、宗教家の高尚な道義心などではなく、「朝まで生テレビ」で打ちのめされた意趣返しと、他宗を批判して自らの正教化をはかる火事場泥棒的な売名の企て、そして結局のところ単なる野次馬根性でしかありませんでした。

その結果展開されたのは、それぞれが宗教を冠していながら、甚だ相応しくない態度によって、カルト宗教同士がこの社会の片隅で実に迷惑千万なみっともない場外乱闘を繰り広げていたという構図です。


この当時の流れを、あらためて現在に照らして考えてみた時、昨年に公選法違反で教団と党本部に家宅捜索を受けた際に、当時のオウムと同じ「違法捜査」とか「宗教弾圧」と言った主張で、さらに政府批判の霊言本まで出した往生際の悪い教祖がいたことを感慨深く思います。

また先頃、白金の教祖殿へのジャーナリストの取材に対して常軌を逸した過剰な反応を示し、弁護士名で脅迫状まで送り付けたりした行為についても、カルト宗教信者の危険性を露骨に示したものと思います。

95.2.12文書
2月12日文書
「支部・本部等に嫌がらせにきた場合は、すぐ複数の職員で写真撮影及び8ミリビデオ等で撮影のこと」

今回の記事のために検索した文書の一節に、上記のような箇所がありました。白金教祖殿での一件での教団職員の態度は、この大川の指示書にある通りの、そのままの対応です。

95年当時のオウムへの活動の時も、信者は教祖の指示通りにビラを撒き、デモ行進し、訴訟を起こしています。そのことの是非について、信者、特に職員は自分で評価しません。つねに「お伺い」をたてるよう躾を受けた彼らが独断専行することはなく、またその能力もありません。

大川の宗旨替えや朝令暮改は、大川の優柔不断さを示すものではありますが、信者への一種のマウンティングという側面もあります。

オウムにも幸福の科学にも、カルトに共通する実態として、個人の判断は「人間心」として否定され、「先生には深いお考えがある」と、教祖のために信者は幾度も認知的不協和に晒され、常態化した不安定さへの防衛機制が妄想性を強化して、前後の連続性を失わせて現実検討能力を奪っていくのです。

その都度、教祖からの細々とした指示に従い、慣れれば「主の心を我が心として」などと忖度して、粛々と忠実に教祖の自己実現に奉仕する彼らは、「イェルサレムのアイヒマン」のような凡庸な悪そのものです。そしてそれを壊れたロボットのごとく馬鹿の一つ覚えで繰り返すのです。

ひとたび信者が疑問を持ち、自己の認識を改める過程では、職員が悪い、組織が悪いというプロセスを誰もが一様に踏むもので、それは人情としては理解できますが、教団の表出する様態は全て教祖の幼稚で醜悪な人間性を反映したものに他ならず、教祖無罪論の限界がここにありますし、事実この通りなのです。

信者にとっては、大川がこう言ったという「事実」は、それはそれで信ずるに足る理由ではあるのでしょうが、しかし実際にどうだったのかという「事実」は次元の違う問題なのです。こうした思考的な傾向は、脱会後もこのことを努めて意識しようとしなければ、なかなかその癖が抜けないかも知れません。

映画「マトリックス」で、目覚めようとする仲間を裏切る人間のセリフに「無知は幸福」というものがありました。「オウム」と「幸福」と題して四回に渡って、オウム事件の絡みから幸福の科学のフェイクニュースについて詳しく追ってきましたが、いかに客観的事実を摘示したところで、是が非でも教団に留まりたい熱烈信者の曇った目を覚まさせるには至らないでしょう。

けれども、家庭環境のため成り行きで信者になって、無批判に教団の言説を受け入れているだけの二世・三世や、オウム事件から年数が経ち、当時を知らなかったり、事件の記憶が風化しはじめている一般の方などにとっては、それなりに有効と思われますので、この幸福の科学というカルト教団を計る判断材料のひとつとして、これらの記事をご活用頂ければ幸いです。

胡乱な正義~「オウム」と「幸福」③

「地下鉄サリン事件」に極まるオウム真理教が起こした一連の事件に関連して、幸福の科学が自己顕示から繰り返してきた数々の主張が、単なるフェイクニュースに過ぎないことは、既出の資料の検証だけでも十分明らかなわけですが、ここでは当時の内部資料数点を通じて、さらに見ていくこととします。

幸福の科学のフェイクニュースでは、大川が生命の危険を顧みずオウム批判を続けていたとしていますが、95年2月28日に発生した目黒公証人役場事務長の仮谷さんの拉致事件の目撃者のひとりに教団職員がなるまでは、自らが仕掛けた創価学会への宗教戦争に血道をあげていて、実際のところオウムに対して殆ど関心を持っていなかったことは既に指摘しました。

そもそも、幸福の科学がこの「命がけ」というフェイクを強調し始めたのは、事件後オウム真理教関連の裁判が進む過程で、オウム元幹部の井上義浩死刑囚が、95年1月に教祖であった麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚から、95年2月の横浜アリーナでの講演会中に、大川隆法らを生物化学兵器で殺害するよう指示を受けていた等の供述をしていたことが明らかとなってからで、要するに後で取って付けたものです。

この時期に、大川自身はオウムに対してノーマークであったことは以下の資料から見ることができます。
95.2.21文書
95年2月21日文書 
S対策として創価学会からの反撃を警戒しているが、オウムのオの字もない。

95.3.1広報局指示
95年3月1日文書 
「広報局の業務について」として、S対策に新聞投稿や怪文書ビラのタイトルなど具体的な指示が並ぶ。

上記の文書内では、創価からの嫌がらせがあった場合には、「仏罰があたるぞ」とか「火炎地獄に落ちるぞ」とか、得意の「エル・カンターレ・ファイト」などと言って強い調子で叱ることといった指示がなされていますが、教団施設周辺に出没していた不審者は、殺害機会を狙っていたオウムの殺人部隊であったのに、大川はそれを幸福の科学のネガキャンに怒った創価信者と完全に見誤って指示を出していたのです。サリンやVXガス、細菌兵器を用いて暗殺を繰り返していたオウムに対して、こんな有様では命がけで警戒していたと言えないでしょう。

オウムの大川への殺害計画は、講演会の前日に主宰用車両への工作というかたちで実行されたものの、井上死刑囚の供述通りであれば、信者を巻き込むことに迷いがあり、また生物化学兵器の取り扱いや工作に不慣れだったことで結果的に失敗に終わっています。しかし、これが兵器の取り扱いに精通し工作に慣れた他の者であったら、大川や職員たちの愚かなほどの脳天気なオキラクゴクラクぶりからして、間違いなく犠牲者が出てしまっていたことと思います。

普段は人一倍に臆病者のチキンであるくせに、当時の大川のこうした危機意識の欠如していた実態は、オウムが大川を狙っていたのは事実でも、大川に覚悟があったわけではないということの証です。

井上死刑囚の供述がなければ、オウムに殺害されかかっていた事実にすら気付いていなかかったほどの愚かなオメデタさにも関わらず、サリン攻撃含めオウム事件の全容を初めから見抜いていたなどという寝言は通じません。

それは以下の文書によっても明らかです。
95.3.13文書
95年3月13日文書 
当時は主宰の大川を「7方」、補佐の恭子を「8方」と呼んでいた。

3月13日の時点で「たぶん」という認識です。
何より宇宙の根本仏の大霊能者のはずが、目撃者の職員やオウム退会歴のある信者の証言頼みの当て推量ときたもので、テレビや新聞、雑誌の報道を追う一般人とまるで大差ない状況であったものを、信者にはあたかも全てお見通しであったかのように吹聴するのですから、大川隆法と幸福の科学というのは根からのフェイカーで、教団にとって信者というのは、つくづくチョロい存在と看做されているのだと思います。


次回は、一連の投稿の締めくくりに、果たしてオウム事件に社会的貢献があったのかどうか、教祖と信者の関係という観点を絡めて見ていくこととします。

カルトの尻笑い~「オウム」と「幸福」②

オウム事件への幸福の科学の関わりを考えるとき、伏線となる両者の因縁について触れておく必要があります。

オウム真理教と幸福の科学は、1990年前後に席巻していた精神世界ブームの中で台頭してきた新宗教として、当初から比較されることが多かった因縁の仲でありました。双方とも信者構成が比較的若い世代で成り立っていたこともその一因です。

オウム側は、原始仏教経典を一から翻訳し直す取り組みなどから、大川の霊言ひとつに依拠する幸福の科学の教義体系を軽薄と見做し、幸福側は、世界宗教の根源は啓示から始まったものだとして、オウムが古典にこだわり、また教祖や信者の奇異な言動に対して、自らは現代的で洗練されたものとして相手を見下していました。

但し、この頃おそらくオウム側は、たいして幸福側を意識していなかったであろうと思います。一方で幸福側は、比較や同一視されることに激しい嫌悪感を抱いていたのです。

そもそも幸福には、宗教宗派の統合という目標がありましたから、基本的に他宗に批判的で、根本的には相手を認めることはしません。評価するとしても、根拠なき上から目線で語っているだけです。

そうした両者が、一度だけガチで向き合ったことがありました。テレビ朝日「朝まで生テレビ」の「宗教と若者」という企画で、幸福にとっては相手をやり込め、自分たちの正当性を世間にアピールする千載一遇のチャンスと、当時の総合本部から地方本部までの、中堅どころの若手論客を結集して番組に臨んだのです。

朝まで生テレビ「宗教と若者」1991.9.28
1991.9.28朝まで生テレビ「宗教と若者」

当時の指導局長の真杉氏(中央)
幸福陣営の中心は当時の指導局長の真杉氏

出演した幸福の科学陣営
当時の若手ホープだった(右から)須呂、斉藤、饗場

ただし、オウム側は教祖の麻原も登壇したのに対して、幸福側は体裁を気にした教祖の大川の登壇はありませんでした。表向きには、見下している相手と同じ土俵に立たないという居直りでしたが、実際はこうした状況を恐れて忌避したのであろうことは、その後に田原総一朗氏の番組に出演した際の落ち着きのない態度からして疑いないところでしょう。

そして、その臆病な姿勢が、この時は大川を延命させることになりました。幸福陣営の怪気炎とは裏腹に議論は空回りし、番組を見ていたビートたけし氏や、オウムの問題を追い続けていたジャーナリストの江川紹子氏にさえ、直接対決はオウム側が優勢だったといったコメントをさせてしまうほどの散々な結果となり、教祖の大川が居たところで状況が好転することは見込めず、むしろ大川が居たら、さらに香ばしい展開となって、教団はもっと早くに没落していたであろうと思われます。

この当時は、自ら起こしたフライデー事件後の余波で、大川らは自宅に帰れず転々と仮住まいを続けていたため、警護課の私はこの番組を急ごしらえの秘書詰所で観戦していましたが、テレビ局から戻った須呂さんなどが「全く良いところがなかった」と、肩を落として打ちひしがれていたのを記憶しています。

自分は登壇をキャンセルしたくせに、パネラーばかりでなく、見下していたオウム側にさえ圧倒され、すっかり面子を潰された大川でしたが、教団誌で悔し紛れの反論を掲載させ溜飲を下げるしかありませんでした。

「廃刊に追い込む」と指揮した講談社フライデー攻撃が失速し、逆に威力業務妨害への疑いが指摘されはじめるなど世間の風当たりが厳しさを増し、さらに、無承諾伝道などによる架空の信者数のバブルが弾けて見込んだ会費収入が回収できず、100万人大伝道用の戦略書籍としたアラー・ノストラダムスの両予言書の大量売れ残りに、TV・新聞等に投じた巨額の宣伝費が仇となって、教団財政が資金ショートの危機に陥っており、他宗のことに構っていられない状況となっていたためです。

91.10 サタンよ退け!p36
91.10 サタンよ退け!p37
91.11 続・サタンよ退け!P49
幸福の科学出版「サタンよ退け!」より

オウム事件への手柄を喧伝する教団のフェイクニュースでは、この直接対決以降、一貫してオウム批判の先頭を切ってきたような物言いをしていますが、実のところサリン事件後に発行したムックに至るまでには、その後は他教団や宗教学者といった何らかの対象とセットで批判するといったかたちの、散発的な取り上げ方しかしておらず、内容もリサイクル的で目立ったものはありません。

95.6これが池田創価学会の実態だ!!p3
幸福の科学出版「これが池田創価学会の実態だ!!」より

95年当時の大川隆法は、信者に高額の布施を習慣づけることで財政危機からV字回復を果たした後で、喉元過ぎれば何とやらと、相変わらず職員から報告のある架空の信者数を信じ込んで、自分らがすっかり巨大教団になったと勘違いし、そのことから、満を持して仕掛けた創価学会に対する宗教戦争に血道を上げており、オウム真理教に対しては、内心では過去の遺恨を腐らせながらも、たかが山奥の小教団だとすっかり見下して、殆ど関心を寄せてはいませんでした。

実際これらのことについては、創価学会批判の単行本を矢継ぎ早に多数出版していたのに対して、オウム批判に特化したものは一冊もないことからしても明らかでしょう。

95創価学会を折伏する!広告
幸福の科学出版「創価学会を折伏する!」内の広告


今回記録を紐解いてみて見つけた幸福の科学によるオウム批判のひとつに下記のようなものがありました。

95.6これが池田創価学会の実態だ!!P5

なるほど、この説に全く異論はありませんが、だったら幸福の科学そのものでもありませんか。

だいたい幸福の科学は、「正教による破邪顕正」、「止悪」などと、今も昔も他宗排斥や社会的アピールに余念がないわけですが、哀しいかな、それらが一向に実を結ばないのは、彼らの動機がそのお題目のような立派なものではなく、自らを棚に上げた幼児的万能感に根差す、陳腐な自己正当化の企て以外の何物でもないことを見抜かれているからで、さらに世間の笑いものと化しているのは、言行不一致が身上の幸福の科学が発する、自分の瘤が見えていないブーメランパフォーマンスによるところでしょう。

オウム側の優勢を印象づけたとされた91年の直接対決も、その後の大川の捨て台詞を含めて、世間にとっては「目糞が鼻糞を笑う」といった程度の、所詮はカルト同士の勝者なき背比べとしか映らなかったのは、現場に掲示されていた視聴者コメントに象徴されています。

朝生視聴者コメント

結局、91年当時から今日まで、世間の評価こそ一貫して狂いはなく、教団がオウムを踏み台にした自己顕示をすればするほど、その主張は空々しく響くものとなるわけです。


さて、教団のフェイクには、こうした「一貫した正当な批判」という主張のほか、「命がけの捜査協力」などといった主張もありますが、次回はその辺りを資料と共に検証します。

同期のカルト~「オウム」と「幸福」①

去る11月11日、オウム真理教の後継団体である「Aleph(アレフ)」、「ひかりの輪」に対する抗議デモと学習会が世田谷区の烏山地域にて行われました。この取り組みの歴史は長く、今回で35回を数えます。

オウム対策住民協議会ニュース

回数もさることながら、多数の参加者の中にはご高齢の方も見受けられ、オウム事件からの年月の経過を感じさせます。しかし、不可解な「ひかりの輪」観察処分取消判決なども受けて、人々の危機意識は依然として強く、運動を継続し続ける意志には脱帽するばかりです。

【関連リンク】
烏山地域オウム真理教(現アレフ)対策住民協議会
公安調査庁「オウム真理教について」
江川紹子氏「なぜ「ひかりの輪」は観察処分取り消しになったのか」

事件は解決しても被害は解決していない
ACジャパン2017年度支援キャンペーン
「事件は解決しても、被害は解決していない」

事件の報道は終わり、世間は日常に戻った。
被害者を、置き去りにしたまま。

オウムによる一連の事件の被害も、未だに癒えていません。そのためのこうした活動が長期化する一方で、上祐が評論家気取りで表舞台に出てくるような昨今の状況は、事件の記憶が風化し始めている象徴に他なりません。

そして、そうした風化に付け込んで、根も葉もない与太話を吹聴する不埒な輩も湧いてきます。

幸福の科学のデマ

【幸福の科学のデマリンク】
【意外と知らない】オウム事件解決に"幸福の科学"が貢献していた!
幸福の科学とオウムの違いが分からない日本人の目は曇っている

【意外と知らない】とありますが、そもそもそんな社会的評価に値するような貢献の実績がないのですから、意外もなにも、無いものは知られることがないのは当たり前で、唯一の客観的事実以外は、野次馬が事件に対する自己の私的活動を主観的に評価して自画自賛しているに過ぎません。そして、その唯一の事実すら恣意的に捻じ曲げています。

事実として貢献したと言えるのは、当時の教団職員F氏が、95年2月28日に発生した目黒公証人役場事務長であった仮谷清志さん拉致事件の目撃者のひとりで、後に警察から感謝状を受けたということです。

ただし、このF氏はその後、高額の布施に絡む上司からのパワハラ等を原因として教団を脱会しています。そして教団に対して布施返還訴訟を起こし、その際には、教団側がF氏への感謝状をグリップしたまま、なかなか返却しなかった様子も明らかにされています。

感謝状はようやくF氏に戻されたものの、このときの布施返還訴訟は、残念ながら原告側の訴えは退けられました。このことについては、これが現在であれば、もう少しマシな判決になっていたのではと考えられますが、これで教団は窮地を脱したにも関わらず、F氏の弁護人に対して高額の損害賠償請求訴訟を仕掛け、結果的にそれがスラップ(威圧恫喝訴訟)と認定されて、日本の法制史に汚名を刻むこととなります。

こうした経緯だけでも、幸福の科学のゲスさは充分に伝わると思いますが、真のゲスさはここから先で、石持って追ったF氏の感謝状を、教団は己が手柄とするために改竄し、今日まで利用し続けていることです。

【関連記事リンク】
「感謝状」改竄事件のおさらい

教団が改竄した感謝状(F氏の名前が消されている)

悪質なデマの片棒を担がされた景山氏

表彰を受けたのは、あくまでもF氏個人であって
断じて幸福の科学ではありません。


景山民夫氏も、大川などと絡まなければ文化人としてもっと栄達していたことでしょう。幸福の科学の悪質な宣伝の片棒を担がされるはめになったこの故人も、ある意味で被害者のひとりです。

自分たちの自己顕示のためには、手段を選ばず事実を公然と捻じ曲げる、厚顔無恥な大川隆法と幸福の科学職員の心は、この通り腐りきっています。

カルト対策の活動の中で、オウム対策の方々ともお話することがありますが、関係者で幸福の科学に感謝する人など誰もいません。逆に「そちらも大変ですね」と労われます。幸福の科学の与太話の入り込む隙などなく、これが全てを物語っているのです。

さて、教団には何ら貢献の実績がないのは明らかですが、では一体何をしていたのかということについては、次回に続けることとします。
プロフィール

アルゴラブ

Author:アルゴラブ
日本脱カルト協会
「JSCPR」会員

当ブログへようこそ。
私もペンとネットの力を信じ、「幸福の科学」を手掛かりに、カルトの問題について考えていきます。
脱会を迷われる方は、下記の記事カテゴリSuggestion の「脱会に必要なもの」をご覧ください。

コメント欄は非公開設定を選択することができます。悪質な荒らし行為等でない限りは決して公開されませんのでご安心ください。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR