植福が誘う大川隆法のディストピア
もともと幸福の科学は、真理の探究と自己研鑽の動機付けとして、家庭ユートピアから世界の恒久ユートピア化へというスローガンを掲げていました。初期に入会した者の多くは、大川を信仰するというよりも、このことに共鳴して参集したと言った方が、当時の空気感としては適切であろうかと思います。
しかし、頭でっかちの社会不適合坊やの、堪え性のない素性はすぐに表れて、幸福の科学はたちまちカルトの一派へ転落していきます。「チャネリング」の流行に乗り、宗教各派の美味しいところ取りのパッチワーク教義で美辞麗句を並べながらも、実際は、言っていることとやっていることが真逆のディストピア(暗黒郷)が生まれたのです。

「布施の種類」1991年6月29日 活動推進局 資金推進部
“布施と反省は天国へのパスポート”というキャッチを掲げるこちらの書類は、当時収益構造の再建に向けて、信者に対して新たに布施という概念を教化すべく、教団が布施の種類の定義した資料です。一口1,000円からの布施や、行事の際の布施、さらに大口の布施と、事あるごとの布施の分類から、集金方法についても細かく定められています。


宗教法人格を取得する以前は、会費や書籍、また講習や講演会等の行事収入等で運営していたのが、宗教化してからは、会費を廃止した代わりに「植福」と名付けた布施を推進するモデルに急激にシフトしていき、大伝道や売名失策に対する穴埋めの必要も合わさって、その収奪は当初から熾烈なものとなりました。

「ミラクル献金実績表」1991年7月2日 活動推進局 資金推進部
教団は、植福(布施)の金額に定めはないと吹聴します。千眼美子もそう嘯きました。しかし、それぞれに奉納目安という定価は確実に存在し、各地方本部ごとに「必達目標」というノルマが配分されているのが偽らざる事実です。

植福の勧進には、「天の蔵に富を積む」というフレーズも刷り込まれました。高額の植福者になると、会内で「大黒天」とか「植福菩薩」などと認定され、講演会等では一般信者と隔てられた特別席になったり、特別の企画に招待されるなどステータスが上がり、それは植福によって宗教的ステージが上がるというアピールでもありました。
大伝道の時期は、献本用にと自腹で大量購入する人などを、伝道のままならない人、場合によっては伝道から逃げ腰の人と見る風潮すらあり、常軌を逸した目標達成に向けたなりふり構わぬキャンペーンの渦中で、逆に短期間に一人で100人以上も伝道する人を「獅子奮迅菩薩」などといって教団あげて持てはやしておきながら、伝道報告数と入金カウントに著しい差異が表面化すると、その責任を全て獅子奮迅菩薩だけに押し付けて、その方たちを置き去りにしたまま、今度はお金だけ出してくれる人で大歓迎と宗旨替えしたわけです。
まさに、幸福の科学の沙汰もカネ次第。
今日の教団の破廉恥ぶりを見ていれば、幼児的万能感で薄っぺらい自我を支えるだけの現実検討力のない教祖や、その劣化コピーである信者にも、反省など無理な相談ですが、カネがあればキチガイも教祖でいられるのですから必死でしょう。
ミラクル献金(ミラクル資金推進)は、92年初めまでにあらかた目標を達成しましたが、収奪はこれで終わることなく、むしろこれを機に次々と、手を変え品を変え今なお繰り返されていきます。
貧乏出の成金が好むような品のない幸福の科学の金ピカ趣味は、叡智の光でなくカネの光を求めるマモン信仰の象徴です。富の収奪に飽くなき教団への植福など、今の人生を破綻させ、貴方を大川隆法のディストピアへと誘う片道旅券なのです。
しかし、頭でっかちの社会不適合坊やの、堪え性のない素性はすぐに表れて、幸福の科学はたちまちカルトの一派へ転落していきます。「チャネリング」の流行に乗り、宗教各派の美味しいところ取りのパッチワーク教義で美辞麗句を並べながらも、実際は、言っていることとやっていることが真逆のディストピア(暗黒郷)が生まれたのです。

「布施の種類」1991年6月29日 活動推進局 資金推進部
“布施と反省は天国へのパスポート”というキャッチを掲げるこちらの書類は、当時収益構造の再建に向けて、信者に対して新たに布施という概念を教化すべく、教団が布施の種類の定義した資料です。一口1,000円からの布施や、行事の際の布施、さらに大口の布施と、事あるごとの布施の分類から、集金方法についても細かく定められています。


宗教法人格を取得する以前は、会費や書籍、また講習や講演会等の行事収入等で運営していたのが、宗教化してからは、会費を廃止した代わりに「植福」と名付けた布施を推進するモデルに急激にシフトしていき、大伝道や売名失策に対する穴埋めの必要も合わさって、その収奪は当初から熾烈なものとなりました。

「ミラクル献金実績表」1991年7月2日 活動推進局 資金推進部
教団は、植福(布施)の金額に定めはないと吹聴します。千眼美子もそう嘯きました。しかし、それぞれに奉納目安という定価は確実に存在し、各地方本部ごとに「必達目標」というノルマが配分されているのが偽らざる事実です。

植福の勧進には、「天の蔵に富を積む」というフレーズも刷り込まれました。高額の植福者になると、会内で「大黒天」とか「植福菩薩」などと認定され、講演会等では一般信者と隔てられた特別席になったり、特別の企画に招待されるなどステータスが上がり、それは植福によって宗教的ステージが上がるというアピールでもありました。
大伝道の時期は、献本用にと自腹で大量購入する人などを、伝道のままならない人、場合によっては伝道から逃げ腰の人と見る風潮すらあり、常軌を逸した目標達成に向けたなりふり構わぬキャンペーンの渦中で、逆に短期間に一人で100人以上も伝道する人を「獅子奮迅菩薩」などといって教団あげて持てはやしておきながら、伝道報告数と入金カウントに著しい差異が表面化すると、その責任を全て獅子奮迅菩薩だけに押し付けて、その方たちを置き去りにしたまま、今度はお金だけ出してくれる人で大歓迎と宗旨替えしたわけです。
まさに、幸福の科学の沙汰もカネ次第。
今日の教団の破廉恥ぶりを見ていれば、幼児的万能感で薄っぺらい自我を支えるだけの現実検討力のない教祖や、その劣化コピーである信者にも、反省など無理な相談ですが、カネがあればキチガイも教祖でいられるのですから必死でしょう。
ミラクル献金(ミラクル資金推進)は、92年初めまでにあらかた目標を達成しましたが、収奪はこれで終わることなく、むしろこれを機に次々と、手を変え品を変え今なお繰り返されていきます。
貧乏出の成金が好むような品のない幸福の科学の金ピカ趣味は、叡智の光でなくカネの光を求めるマモン信仰の象徴です。富の収奪に飽くなき教団への植福など、今の人生を破綻させ、貴方を大川隆法のディストピアへと誘う片道旅券なのです。
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