幸福の科学恒例の「ブーメラン現象」

「愛しているから、黙ってられない」は、幸福実現党の“い”抜き言葉スローガンでしたが、別に愛されているかどうかは関係なく、もう黙っていてもらえないようです。

先の参院選で、現時点で陣営内から4人の公選法違反による逮捕者が続出している幸福実現党ですが、母体の宗教団体である幸福の科学が1995年に出版した書籍が、今日の教団自身にブーメランとなって戻ってきたかたちとなっています。

撃退マニュアル表紙
『あなたもできる!選挙違反撃退完全マニュアル』
「邪教から国政を守る会」編(1995幸福の科学出版)


本書は大川自身の描き下ろしではないものの、このブログで以前に取り上げた大川隆法主導で教団あげて創価学会に対してなされた宗教戦争の過程で出された書籍のひとつであり、この「邪教から国政を守る会」も当時の紀尾井町の総合本部を事務局とし、総務(法務)部の職員弁護士等を中心に編成した、実質名ばかりの会でした。

守る会
注意:この会は現存していません。
幸福実現党の選挙違反情報はお近くの警察捜査二課へ。


撃退しようとした選挙違反を自らが実践したということもさることながら、居丈高な物言いが壮大な自爆となっており、いくつか例をご紹介しておきたいと思います。

下記の引用箇所において、○○○には1995年当時、大川が宗教戦争を仕掛けていた相手の「創価学会」という名称が、また○○には、「池田」「池田大作」という名前が入っていますが、あえて○○表示としたのは、これを「幸福の科学」や「大川隆法」と変えて読んでいくと、そのブーメランぶりが滑稽を通り越して、痛々しく突き刺さっていくことをご覧頂くためです。


『○○○が民主主義と共存できるという議論にはならない。○○にまったく徳が感じられないのはもとよりのこと、邪教・○○○の異常な行動は、仏神の心に反したものであり、人間の尊厳をおとしめる恥ずかしい行為である。ましてや、○○を本仏とする○○○会員は、真の仏神に帰依できるはずがない。お題目を唱えれば御利益も自由自在、何でも許されるという考え方も、人間の欲望を助長するだけで、そこから反省や自己責任の姿勢は生まれてこない。
○○○が政治に関与したときに生まれる社会は、目的のためなら手段を選ばないという欲望と闘争の社会であり、そこに、真の主権者も真の民主主義も現れるはずがない。民主主義の根幹をなす選挙を不正行為で踏みにじる○○○は、明らかに民主主義の敵なのである。』

P153


『○○○は選挙違反、言論弾圧、暴力事件、○○自身の不倫問題など、同じ過ちを相も変わらずくり返している。悪を犯さないように自分を戒めるという、宗教特有のストイックな姿勢がないから、欲望の虜となって暴走してしまう。そして、それを批判されると、反省するどころか権力によって隠蔽し、ごまかそうとする。
釈尊の時代は、在家信者であっても「人の悪口は言わない」「妻以外の女性と不倫をしない」などの戒律を守っていた。○○は、自分の気に入らないことがあると激昂し、幹部であろうが、皆の面前で平気で罵倒する。その口汚いことは有名である。
また、「××××」でも○○の女性問題が暴露されたように、不倫の噂はあとを絶たない。○○お手つきの女性を、幹部や自分の息子の嫁にして、忠誠心を試したともいわれている。それが事実としたら、畜生にも劣る、人倫に外れた行為である。それは、宗教者にあるまじき行為であり、まさに邪教のなせるわざである。』

P158


『みずからが悪を犯しておきながら、社会の批判を浴びると、法難と称してそれを正当化する。この理論からすれば「○○○を広めようとする者は迫害を受ける。選挙違反、言論弾圧、暴力事件などによって世間から厳しい批判を受けても、それは○○○者が受ける迫害であって、自分たちには何一つ悪いところがない」となる。大変なすり替えが行われているのだ。
この独善的な考え方が、○○○という狂信的な閉鎖集団をつくりあげた。「みずからのみが正しく、他はすべて間違っている。○○の言うこと以外は信じてはいけない。○○○の新聞や書籍以外は読んではならない」。こうしたなかで、○○崇拝の呪縛的信仰がつくりあげられていった。』

P163


『「○○は、××の生まれ変わりであり、生き仏である。生き仏である○○に間違いはありえない」こんなデマゴギーがまかり通ってしまうのだ。「ウソも百遍くり返せば真実になる」という○○の口癖を、まさに地でいったのである。
ここまでいけば、あとは何でも入る。「御利益が欲しかったら○○に向かってお題目を唱えろ」「選挙に協力しなければ地獄に堕ちる」「カネを出さなければ罰が当たる」。語っている話のどこにも、なぜそうなるのかという科学性、論理的根拠は存在しない。ウソに騙され、○○に奴隷のように奉仕させられている○○○会員も気の毒であるといわざるをえない。』

P164

カルト信仰のスパイラルに埋没して愚鈍化し、認知に前後の連続性が失われた結果、こうした甚だしい言行不一致が生じるのです。
幸福の科学は、かつて教祖や教団自らが定義していた通りの「邪教」となりました。

そして書籍の結びには、こんな記述もあります。

『寛容の精神と正しい批判は、矛盾しない。悪を犯している人間に対し、その間違いを指摘するのは、厳しき愛である。間違った宗教団体が、その邪教性ゆえに多くの人びとを不幸にし、国の進路を危うくしようとしているときに、それを黙認し、悪を増長させることは、本当の愛でも本当の寛容の精神でもない。本当の寛容の精神とは、邪教を信じる人びとに対してどこが間違っているかを教え、その誤りに気づかせ、反省させることである。』
P172

この先、世間から教祖や教団への風当たりはもっと厳しくなるでしょう。
黙っていてもらえないのは、必ずしも愛されているからではありませんが、しかし、この一般社会の「寛容の精神」に、少しは謙虚にありがたく耳を傾け、単なる口先ばかりのお題目と成り果てた「反省」を実践してみることですね。
でないと破滅は近いと思います。
・・・いや、もう手遅れですかね。
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Author:アルゴラブ
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私もペンとネットの力を信じ、「幸福の科学」を手掛かりに、カルトの問題について考えていきます。
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