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ペテン師、還らず。② 教団が隠蔽する死の事情

週刊実話2023年3月23日号「創始者・大川隆法総裁が逝去の「幸福の科学」後継者決まらず存亡の危機…」の記事中で、ジャーナリストの山田直樹氏は、知己の公安関係者の証言として、大川隆法は令和5年2月28日、自宅としていた幸福の科学大悟館(東京都港区白金4-6-2)で脳梗塞を発症し、救急搬送されたが蘇生できずに死亡したという状況を明らかにした。
2023.3.23週刊実話誌面

「蘇生できずに死亡」ということは、28日の大悟館(宗務本部第一聖務局)搬出時、大川は既に死亡していたものと考えられる。

結果的に正式な発表が3月2日まで遅れたのは、この頓死が、病院外かつ主治医(かかりつけ医)による診察を24時間以内に受けていない状況による、いわゆる「検死」の必要性のある変死扱いとなったためだろう。

教団の職員にも医師免許を所持している者はいるが、そのような者では医療従事者と見做されないのは当然だ。

大悟館での死から初めての月命日となる節目に、一カ月前に実際に起こっていたこと、さらにその経過までに起こっていたであろうことを改めて整理しておきたい。

さて、一般的に言う「検死」には、「検視」と「検案」、そして「解剖」の3つプロセスがある。

まず、ご遺体や周囲の状況を調べて、身元確認や犯罪性の嫌疑の有無を判断する刑事手続で、検察官や認定された警察官(司法警察員)が行う「検視」。

また、検視に関与してご遺体の外表面を検査し、既往歴や死亡時の状況などから、監察医や法医学者が死因や死亡時刻を医学的に判定する「検案」。

ここまでの段階で、ご遺体の表面的な調査及び撮影や指紋採取に加えて、発見者や家族、その他関係者からの事情聴取などが行われる。

検視を経ないで変死体を葬ると「変死者密葬罪」に問われる可能性があるから、大川隆法の遺体調査は無論のこと、大悟館に居た親族・職員らは全てこれに応じているはずだ。

そして、検視・検案で死因や犯罪性を判定できないとき、さらに「解剖」(法医解剖)が行われることになる。

ここでも自殺や事故も含め犯罪性・事件性が疑われる場合に死因などを究明する「司法解剖」のほか、それらが認められなくても死因究明の必要性から行われる「行政解剖」や「新法解剖」等がある。

この司法解剖の実施は、裁判所の許可が出れば遺族であっても拒否することができず、その他の場合でも、監察医制度非施行地域を除き、警察署長等の判断により遺族の同意がなくても実施できるとされている。

現時点で大川隆法の死因究明が遺体解剖にまで至ったのかは不明だが、警察発表まで要した時間を考慮すると、こうした手続きに費やされたものと想定される。

いかに教団がひた隠しにしたところで、これが2月28日から3月2日までの間に後妻の紫央や宗務職員らが直面していた『現実』であり、そこには寝言の介在する余地などない。

検視の結果は「死体検案書」として、いかに幸福の科学内での地位を失い排斥されていようともお構いなく、配偶者もしくは三親等以内の親族であれば個々に交付請求することも可能(配偶者もしくは三親等以外の請求の場合は委任状が必要)なので、教団の公式発表を待つまでもなく、いずれ明らかにされることだろう。

そもそもカルト宗教であるし、予言を外してばかりで仕方のないことだが、教団は初手から大川がJesus Christの如き復活を遂げるなどと大風呂敷を拡げてしまったため、自ら八方塞がりの状況を生じさせてしまった。

幸福の科学としては、『大川総裁は「応身」から「法身」にご転生された』とでも言うのが正解だったろう。大川隆法が火葬されていようがいまいが、いくら信者を煽って“復活の祈り”を捧げさせたところで、大川隆法の変死体が息を吹き返すことなど絶対にないから、じきに宗旨替えせずにいられなくなる。

こうした混乱は理事長の石川悦男を筆頭に宗務の完全な失着と言えるが、その不手際はそもそも教祖の死後に始まったことではない。おそらく大川の遺作となるであろう「格はいく集4」の最期の数日に、その状況が克明に記録されている。

大川の異変は、まず2月5日に表れている。
連日に渡り天狗と妖怪の研究に明け暮れて、日を跨いで床に就くような生活をしていた大川は、5日の日中は朝風呂に入ったり、ロシア語のラジオ講座を聞くなどして過ごしていたものの、その後に39.1度の高熱で寝込むことになる。そして以後も38.2度から37.6度の熱にうなされ、2月8日になってようやく解熱した。

このあと一旦平熱に戻って、しゃがれ声で2曲の歌作りを行い、さらに長女の咲也加の排斥につながる「妖怪お多福」がらみの執筆と説法の収録に臨んでいるが、2月21日には既に一日に何度も呼吸困難に襲われるほど再び状況が悪化する。

そして2月24日、己の体調不良が生霊の所以か心臓不調が原因か区別がつかなくなったという句を最後に絶筆、これが辞世となって4日後に脳梗塞で死に至ることになる。

こうして経過を整理したとき、この状況が果たして突然死だったと言えるだろうか。

辞世に添えられた大川の人生最後の悟りが、「ポッコリお腹は「O2」(酸素)の取り過ぎのせい」というのは、バカっぽくていかにも大川隆法らしいのだが、個人的には、この句から意識の混濁が進んでいるように見受けられる。

“酸素の取り過ぎ”とあるから、当初これは入院して院内配管で液酸の供給でも受けている状態かと考えていたが、大川は大悟館で死亡した。

だいたい医療下であったら、酸素の流量も医師の処方のうえで管理されるから、個人が取り過ぎるということにはならない。また、大悟館には核シェルターがあるそうだから、酸素カプセルも備えている可能性はあるが、それはそもそも医療機器ではない。では、自宅に酸素濃縮機でも設置していたのかと言えば、それもまた違うだろう。

実は私が脱会してから就いた業種のひとつに在宅医療の仕事がある。呼吸器や循環器に疾患を抱える患者さんが自宅療養で使用する医療機器の管理業務に従事した。

その際に酸素の機械関係一式も扱っていたから、酸素濃縮機の設置が処方されるには相応の要件が必要で、たとえ21日に呼吸困難を訴えていても、これでは設置の要件に該当しないと分かる。コロナ禍では酸素ステーション等で特例的に運用されたことはあったが、そもそもこんな状況であれば、ピーク時でない限り設置より入院を求められるはずだ。

仮に酸素濃縮機を使っていたとしても、それは医療用の出力には遠く及ばない、せいぜい小動物対象で人間相手には気休め程度の製品を使っていたか、おそらくはスポーツ用の酸素カートリッジを大量に買い込んで吸引していたものと推察される。

呼吸器症状に酸素投与すれば、確かに楽になって回復したように感じるものだ。しかし、長く寝込んで体力も筋力も低下している状況では、総合的なケアを行わなければ却って危険が増す。

ひょっとしたらパルスオキシメーターで酸素飽和度くらいは診ていたかも知れない。だが、連続して呼吸器症状を繰り返すような状況なら、血中の二酸化炭素濃度も検査して経過観察をする必要がある。

たとえ酸素飽和度が90%以上で低酸素状態でなくても、肺内でのガス交換が悪化すれば意識が朦朧としてくる。血液ガス分析は採血して検査するしかなく、仮に信者医師が立ち会っていたとしても、血ガスの検査機が大悟館にあるわけがない。

大川の2月5日の高熱が新型コロナウイルス感染症によるものかどうか、反ワク陰謀論者の大川らがPCRや抗原検査を行っているはずもないから、今となっては定かではない。

ただし「格はいく集3」には、大悟館内の大川周辺でも罹患者が出ていて、自らはウイルスを体内に取り込んで痰で出しているという認識を示しているから、いつオミクロン株に感染してもおかしくない環境にあったことは間違いない。

それがコロナであったかどうかなのではなく、本来であれば、そうした事を考慮して真っ当な対応をすべき状況にあったということだ。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は血栓症を高頻度に合併する事が報告されており、呼吸器症状、そして脳卒中へのリスクは、コロナ関連死として既に指摘されている通りだ。

そして、呼吸器症状出現から脳卒中発症までの期間は平均8.8日で、多くが21日以内。うち病型は脳梗塞が87.4%を占めるとされている。

これは大川の経過や病型と一致している。高熱から一時は回復するも呼吸器症状を発症し、その一方で血栓症も進行、呼吸器機能が低下すると初期段階では血圧が上昇するから、ここで血栓が飛ぶ危険は想定の範囲内だった。

【参考文献】血栓止血誌
「新型コロナウイルス感染症と脳卒中」

最期の一カ月間の推移を見るに、明らかに兆候は出ている。外形的には突然死だが、状況からすれば死に追いやられたと言っても過言ではないだろう。

大川隆法が自らは根本仏であり病に無敵という根拠なき幼児的万能感に満たされていたとしても、周囲の者たちが成すべきことをせず、ほとんど見殺しに近いような惨めな最期を迎えさせたということだ。

大川は「格はいく集2」の35番で、後妻の紫央はクシャミなど些細な異変でも直ぐに飛んでくると記していた。普段ならクシャミ程度でも駆けつけるのに、大川が呼吸困難を続発し努力呼吸となって正に生命の危機を迎えんとしている重大局面にありながら、一体なぜ何ら必要な措置を講じず放置したのか?

その一方で、死後すぐに「格はいく集4」を発表する手際の良さには薄気味悪さしかない。緊急出版が意味するのは、教団に仇なす正体が妖怪の頭目である咲也加だと信者に印象付けることによって、自分たちが必要な処置を怠って大川をむざむざと死に至らしめた責任から逃れようとする企み以外になかろう。

大川自身も咲也加を物理的に追い出せば体調不良が改善すると刷り込まれていたフシがある。しかしむしろ、大川隆法の命運が尽きたのは、咲也加を追い出してしまった時が分水嶺であったと考える。

「格はいく集」をつぶさに読んでいくと、近頃では時に大川が前妻の恭子の影を重ねるほどに、大川も咲也加に言い負かされることがあったようで、紫央にはそうした咲也加の態度がさぞ尊大に映っていたのだろうが、そのような咲也加だからこそ、息も絶え絶えの父親を目の前にしたなら、肉親として無理矢理にでも説き伏せて、もっと早く医療に繋げることができたのではないだろうか。

もしも、せめて呼吸器症状が出始めた時点で入院させてさえいれば、多少の後遺症は残ったとしても、みすみす死なせずに済んだかも知れない。

以上はあくまでも私の仮説である。しかし、「大川隆法は妖怪お多福の呪いで死んだ」という教団の主張よりは、はるかに合理的で真実性があるだろう。

大川隆法自身が始めに説いていた通りだ。

『 原 因 あ れ ば 結 果 あ り 』 と。


【関連記事】
ペテン師、還らず。① 大川隆法 最期の晩餐



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