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「植福」の黒歴史~教団幹部の言質を添えて~ ③-3

※「植福」の黒歴史~教団幹部の言質を添えて~ ③-2からの続き

この集会は、信者の自発的な集いというより、教団が植福促進を目的として信者を動員して行ったものです。総合本部から招かれた職員が、大きな身振り手振り、時には笑いも交えながら、表向きはあくまでも和やかに進められています。

しかし内容はご覧の通りで、端的に言って、およそ一般の社会通念としては受け入れ難い実に呆れた内容である上に、巧妙な心理操作が込められた問題性をご理解頂けるものと思います。

様々な事業が多額の寄付によって達成されることは、必ずしも不健全なことではなく否定するものではありません。

しかし、こうした教団の集金活動が、いかに信仰の名を以てしても、果たして公序良俗に照らして社会的に許容されるものであるのかどうか、教団の行為の世俗的帰結は厳しく問われ続ける必要があるでしょう。

また、議論を待つまでもなく、少なくとも幸福の科学というのは、思考停止を求められ、命を賭けさせられ、預貯金も保険の解約も当たり前、退職金も何もかも私財一切つぎ込む精一杯の滅私奉公を要求され、入会間もない信者にも容赦のないカルト宗教団体であるというのは客観的な事実という事です。

このことを十分理解した上でなお入信するというなら、もうご随意にと言うまでです。そういう資質の方は救いようがありません。

しかしながら、いかに熱烈信者といえども入信時から奇特な考えであった訳ではなくて、実際は入信後の心理操作と同調圧力の繰り返しによって、徐々に悪い夢に引き込まれていったのが実情であるがゆえに、簡単に放り捨てるわけにはいかないのです。

ここまでは本部職員の凄まじい勧進煽りという観点からこの記録を見てきましたが、視点を変えると、ここで「迷いや苦しみ」として表現されていたのは、ひとりの信者の変容の軌跡そのものでもあると気付きます。

そうした意味でこの記録は、カルト教団の収奪現場の狂気を生々しく物語るものであると同時に、典型的な1人の信者の姿を通じて、加害者性と被害者性という2つの属性が入り混じるカルト問題に根差す構造的な複雑さが表れたものと言えます。

以下は、配偶者に内緒で植福を重ねていることに加えて、両親から孫のためと預かっていた預貯金を、双方に無断で植福した件に関する発言の抜粋です。

「植福菩薩輩出の集い」より抜粋
「私は2回目の植福菩薩をさせて頂きました。間もなくでした、親であっても息子名義の通帳は解約できないと決まりました。今は解約できないですね。あ~、良かった(笑)ああ良かった、息子の守護霊も本当に喜んでいるだろうと思いました」

「息子にも言ってないんです。ある時こんな感じで、支部で集いがあって、私がどうやって植福をしてるかというのを、このようにね、赤裸々に皆さんにお話したんですよ。お話した方が、皆さんもああいうアホな奴もいるんやなんて思って下さると思って、こういうのに息子のお金を勧進、あの解約したとか話したんです」

「息子いるなっ~って思って、息子に言っていないから、きっとビックリするだろうなと思って、思いながらこう話したんです。そしたらニヤニヤしながら聞いてるんですね、で、終わってから、「ボク分かってたょ」って、言ってないんですよ、「そうだろうって思ってた」って、「お母さんがそうだろうていうの分かってた」って。「でも、それ良いことだと思うょ」って、「そういう風に信仰に生きてくれるの嬉しいと思う」って。そんな信仰心じゃないんです。「これからもどんどんその道行ったら良いと思うょ」って。バレて、知ってるんだって、これ「霊的」なものなんですけれどもね、知ってるんだと思いました」

「だから、信仰の道を行く時に、迷う事なかれなんですよ。家族でしてるんです。たとえこの世的に打ち明けることが、たとえできなかったとしても、家族で信仰の道を守ってるんです。家族でやってるんです」
「植福菩薩輩出の集い」より抜粋(終)

最初にこのくだりに触れた時、一瞬何を言っているのか理解できず戸惑いました。言語的にも状況的にも不可解で、「言っていない」「この世的に打ち明けることができなかった」のに、この息子の出木杉君な神対応は一体何なのかと。

前後の文脈と「霊的」という言葉にある通り、これは本人の超主観的な見解として述べられたものと解されます。そしてそれが、現実をスルーして自己正当化の根拠となってしまっているということなのです。

両親からの信託を裏切り、本来は子供の財産であった預貯金を親の分際で身勝手に全額解約してしまったという、教団への植福によって生じた良心の呵責を、こんな心の詐術を用いて自己洗脳している。これほどまでに追い込まれる信者のメンタルは痛々しく異常です。

当事者は、出家以前は公立校の教壇に立ち、理系の教員として研究職にも就くなど優秀な実績を備えていて、既卒生の話を辿ってみても思い出の先生として語り継がれるような社会性を担った人物であったようです。

けれども、科学者としての批判的精神に基づく合理性の追求も、教育者としての倫理感も、「ただ信じたい」というマインドの前に沈黙してしまう。

もとより現役信者には、自らの加害性も被害性も自覚はなく、余計なお世話と言ったところでしょうが、本来優れた理性や社会性を備えていたはずの人間でも、感情がそれを凌駕し、冷静な判断を鈍らせて人格を愚鈍化させるシステムが現にカルトにはあるということの証左と言えましょう。

これほどまでに思い詰めてつぎ込んだ時間や財産が全て無駄だった、間違っていたと腑に落とすことは想像を絶する苦痛であるだけに、それが悔い改めの妨げになる部分があります。

しかしそんな中で、自らの良心を取り戻して生き直す決断ができたとしたら・・・脱会者というのは真の道義心と勇気を蘇らせることができた人間たちということです。

入信したのものなら、後は自業自得で済ませて果たして良いものなのでしょうか。宗教法人という社会的証明を与え、法の手厚い保護によって隠れ蓑まで用意し野放しにしているのは国の政策です。

脱会者は大きな後悔の中で過剰なまでに自罰的になっており、軽率であったことは自分が一番よく分かっているものです。それに追い打ちをかけるだけの安易な自己責任論による切り捨ては、結局カルト宗教への利敵行為にしかなりません。

他人の信仰のことだからと見て見ぬふりするのでもなく、少しでもカルトの実態を理解し、その問題の根絶を志向するのなら、一世二世の別なく被害者のリスタートを、そっとで良いから応援できる真の意味で寛容な世の中であって欲しいと思います。

戻れない道はない。

「植福」の黒歴史~教団幹部の言質を添えて~③-1

「植福」の黒歴史~教団幹部の言質を添えて~③-2



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土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)

Author:土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)
セクトの犠牲者である家族と個人を支えるネットワーク
「RSFI MAIKA」代表

日本脱カルト協会
「JSCPR」会員

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「幸福の科学」の問題を中心に、セクトについて考えていきます。

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