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大川隆法メランコリック本音トークVol.12

大川隆法メランコリック本音トークVol.11に続き、1994年3月に当時の幸福の科学総合本部で収録された大川隆法の談話記録を順次掲載していきます。

本文に表された宗教を隠れ蓑に信者を煽動した社会に対する狂気の自己顕示の企てが、大川隆法とカルト宗教「幸福の科学」の内幕をさらけ出します。

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.26
本心22

【版権】
へんにごねられるとコスモテンになりかねない。全部弁護士にまかせる。●●●さんはよく出来るから、うちとしても上手に使ったらいい。筋がいい。弁護士もいろいろ実力があるから。

【弁護士】
フライデー事件のときも、この人のアドバイスに従って収拾したから。「電話、ファックス、もうやめなさい」、こっちの告訴が成立したら、あっちが駄目になる。こちらの告訴を受理させて、向こうの仮処分は却下されるだろうから。営業妨害になったら、捜査されるから。一週間が抗議の限度だ、というので、五日目にやめさせた。

●●●は、刑事部長と同期だったから、すぐに受理させた。安田さんもキャリア半年、佐藤さんも2、 3年。●●●は東京本場で20年。●●弁護士事務所はいいのをとっている。一人除いて、すべて東大在学中に司法試験合格した人。この人もコロンビア大学にまで、弁護士事務所で留学させている。ここはレベルが高い。高いけど上手に使ったらいい。

名誉毀損のとき、着手科200万と言ってきたら、うちの弁護士が高いと言ったが、政治力がある。 格上の弁護士が来たら、検事も違う。ドライで、負け筋は受けない。K杜も値段の高い弁護士を使っている。うちは信仰心はあるが、修行が浅い。フライデー事件のとき、電話、ファックスも会員の自発的意志でやるといったら問題ないが、白木さんがスケジュールたっててやった。

●●●は
①指示書は一切破棄せよ、
②会員には自発的にやったと言わせよ、
とアドバイスしてきた。

普通は分からないようにするが、うちは正直だから危なかった。五日後に修正したが、あそこで失点出したから、受理したが、起訴まで行ってなかった。あれは、商学部出身でなしに、法学部出身が指揮をとってなかったから、知らなかったからだ。だから、どこまで責任取れるか見て、●●●さんに相談したら、僕の考えと一致していた。

そのとき、安田の意見は、判例でいけば、白紙のファックスでなければ大丈夫ですと言っていた。●●●は、業務妨害が成立したら、告訴が受理されなくなると言って、やめれば仮処分が却下されると言っていた。●●●さんが適切にアドバイスしてくれなかったら、 2、 3人放り込まれていたと思う。

本心23

法律の枠の中ではぎりぎりのところで戦っていた。この辺が具体化するときの難しさ。僕は、「法律の枠以内でやりなさい」と言ったが、法律の枠以内がわからない。ファックスのとこは計画の段階で、もう少し詰めたらよかった。あそこのとこをもう少し詰めておいたら、あそこまで逆風にならなかった。手紙、デモは問題ではなかった。ファックスは参謀部分が甘かったから。

あのときは、●●●に結構助けてもらっていた。日刊現代は危なかった。向こうは小さかったから、おびえてしまった。小さいからとりあえず、業務を続けたかったから。大新聞だったら壮絶な戦いになった。

【Algorab注】
1991年9月の「講談社フライデー事件」から来年で30年を迎えます。これだけ時間が経つと世間の記憶も薄れ、教団内でさえ二世や三世の層では知らない人もいるようです。

しかしこの事件は、幸福の科学がそれまでは比較的大きなボロを出さずに済んでいて、今日では信じがたいことながら、一部には好意的な空気感さえ醸成しつつあったのに、そうした状況を唐突にかなぐり捨て豹変し、反社会的な本性をむき出しにして世間を驚愕させた初めての出来事であり、立宗の時点から今日までを貫くこの教団に内在するカルト性を象徴する事実として、正確に記録し語り継ぐ必要があると考えます。

私自身としては、一般会員から総合本部事務局秘書部警護課の職員の一人として採用されて1カ月目に直面した事態でしたので、当時この状況の真っ只中に置かれていた身として、あの日の教団内の狂乱が脳裏から消えることはありません。この期間、東京と秋田を往来し、教団の表と裏に触れて、何よりも大川隆法という人間の虚と実を間近で観察し続けられたことが、若き日の苦い教訓として今日の自分を形成しています。

この事件については、これまでにも当ブログで折にふれ扱ってきました。
発狂するカルト①「講談社フライデー事件」

幸福の科学の奴隷契約

今のところ、第三者でこの事件を専門に扱った書籍等の資料は存在していませんが、概要はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「講談社フライデー事件」にまとまっています。(※編集履歴も確認しながらご参照ください)

また、YouTubeに当時の状況を伝える映像資料がいくつか残っていましたので、合わせてご紹介しておきます。
幸福の科学vs講談社全面戦争!

小川知子 VS 市川森一・山本晋也(上)

小川知子 VS 市川森一 ・山本晋也(下)

小川知子・景山民夫・南原宏治

小川知子・景山民夫 東大駒場祭

さて、このパートの意義は、正しくこれが講談社フライデー事件の首謀者である大川隆法の「自白」であるという点に尽きます。

過去のある裁判において、教団自体が「社会一般の人々は(大川隆法の)“霊言”を信じていないどころか嘲笑の対象」と自虐の抗弁をしたことがありました。私が大川の言うことなど戯言と、これまで一貫して主張してきたことと基本的に変わりはありません。

このことについては、奇妙なことに私と教団の共通認識となっているわけですが、しかし本文は霊言ではないからそうした逃げは打たせません。そして、ここは大川が自己弁護のために他者を貶めなければならない状況でもなく、他になんら強要されない環境下で、調子に乗って半ば得意げに回想する様子から、このパートの真実性は十分伝わることでしょう。

先に記した通り、何より私は職員としてこの状況をつぶさに見聞していましたし、また当時この状況の中にあった多くの脱会者の証言があります。ゆえに、これがまさしく「自白」であると憚りなく言うことができます。

ただし、そのような脱会者の方々でも、当時の目まぐるしく混乱した状況の背後に、このような真相があったことは、この自白によって初めて知るところであろうかと思います。

特に、教団の職員弁護士と外部弁護士の働きぶりを比較した内容が生々しいところで、この大川が相談を持ち掛けた外部弁護士の“助言”がなければ、実質的に嫌がらせに過ぎないダラダラとした抗議行動が続けられていたということでしょう。

あくまでタラレバの話になりますが、もしもこうした要素がなかった場合、講談社内の混乱は継続していたであろう反面、幸福の科学側に逮捕者が生じていた可能性がありえます。そうすると、ある意味では講談社も幸福の科学の双方ともが、結果的にこの“助言”によって第1ラウンドのダウンから救われたという側面があるのかも知れません。

しかし、これは決して仲裁ではなく、いかに相談者(依頼者)のためと云えども弁護士に託された倫理や義務に悖る行為ではないかと思います。古来より「健全な精神は健全な肉体に宿れかし」と囁かれてきた通り、優れた知性を持っていても所詮は人間であるから、こうした人がいるのが世の常であるのかも知れませんが、少なくとも私が信頼する霊感商法対策や脱カルトに取り組む法曹の中には、こうした事について御座なりな態度の方はいません。

このことについては、内心では少々義憤もこみ上げますが、本文はあくまで大川隆法と幸福の科学というカルトの問題を提起するもので、実のところ当文書は90年代中頃にある裁判の取り組みの過程で弁護団の眼にとまっており、その際にこのことについて認識されながらも、当時の主たる目的と直接関りがないことから、何のアクションも取られずにきた経緯もあるので、私も教団職員でもない外部者の行状を今さらここでこれ以上深く掘り下げることはしません。弁護士の所業は弁護士業界の中で淘汰して頂きたいと思いますし、この人に対しては、己の行為が人として真なるものであったかどうか、あとは天に裁かれれば良いと思っています。

さて、この自白を含めて講談社フライデー事件を簡単に総括すれば、大川隆法の短絡的で陰険な思い付きに発し、教団職員のお馬鹿で杜撰な手配りによって焦げ付いたのを、教団外の弁護士の采配によって辛くも回復したようでいて、結局自分たちが仕出かした事は、最後まで逃げ切ることはできなかったといったところでしょう。

「法律の枠以内でやりなさい」などとは、いかにも大川らしい白々しさで、公には後から取ってつけたように報道の倫理を糾すとか大義名分を掲げても、実際のところ、元々は会員個々に自発的な抗議意思などなく、初めからFAXや電話、さらに徒党を組んで社屋へ押しかけるなどによって、次号のフライデーの発刊を物理的な圧力によって阻止せよと上意下達で煽動された集団行動でしかなかったのは、大量の白紙あるいは無意味なFAX、また、夜間の電話に動員され「フクロウ部隊」と名付けられた信者の活動が単なるイタ電の類でしかなかったことなどからも明白であり、講談社と幸福の科学の間の裁判における判決文の中でも完全に看破されています。

インターネット判例集「大判例」
東京地方裁判所 平成3年(ワ)11866号 判決

しかし幸福の科学は、当時から今日に至ってもなお、自ら起こしたこの一連の行動を「希望の革命」だの「宗教の反撃」と位置付けて、独善を貫き一向に反省謝罪の姿勢が見られません。近年でも、当時の講談社社長の野間佐和子氏を得意の“霊言”にしおらしく登場させて、相変わらずマウントを取って悦に浸るようなことまでしています。

私は、大川が結局こんなことをせずにいられないのは、心の奥底では疚しいことをしているという自覚があるからだと見ています。けれども、それは良心が残っているという意味ではなくて、自分の内に何も真実がない空虚な虚言者の、自己保存のための哀れな虚業という見方です。

91年当時の映像の中にも、司会者から事件について問われた際に、のらりくらりと追及をはぐらかす落ち着きのない教祖の姿が記録されています。事件後に警察の任意の聴取に応じた時も、きっとこうした態度でウソをつき通したか或いは黙秘したのでしょう。

幸福の科学 大川隆法vs田原総一朗 初対談!

私とて、フライデー側の報道姿勢や内容を無批判に擁護するものではありません。認知を歪めるカルトの手法を憎むからこそ、正しい理解を求めるのであって、たとえ反カルトのスタンスをとっていても事実に反するものは否定しますし、客観性に欠ける部分も遠慮なく批判します。

教団から各号それぞれに乱発された訴えの中でも、現に講談社側の責任を問われたものもあり、各号の記事の内容については、いずれ別の機会に私なりに細かく検証をしてみたいとも考えていますが、しかしそれがどうであろうと、幸福の科学の一連の行動が正当化されることはありません。

世論を味方にしようなどという甘い目算は初手から外れて、幸福の科学の薄気味悪さを自ら世間の隅々まで十二分に披露してしまいました。事件の詳細は忘れられても、社会に浸透した認識を払拭することはもう叶わぬことでしょう。

けれども、「もしもこの事件がなかったら」と考えたところで無駄なことです。どのみち大川はこうした問題を起こさずにいられないカルト教祖だからです。立宗時点からウソに塗り固められたものは、形を変えてもどこかで時限発火して崩壊せざるを得なかったはずです。

結果を考えず強気に過激な言動に出て、恐れおののき逃げ回る幼稚さ。ウソにウソを重ねて自らを苦しめるだけに飽き足らず、その道ずれに周囲を巻き込む罪深さ。「証拠は破棄せよ」て言われたよって、証拠を残す底なしのお莫迦さ。

ご覧の通り、これが大川隆法クオリティ。
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土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)

Author:土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)
セクトの犠牲者である家族と個人を支えるネットワーク
「RSFI MAIKA」代表

日本脱カルト協会
「JSCPR」会員

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「幸福の科学」の問題を中心に、セクトについて考えていきます。

ご相談等の場合は、リンク先頭の「RSFI MAIKA公式ホームページ」のコンタクトよりご連絡ください。

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