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大川隆法メランコリック本音トークVol.4

大川隆法メランコリック本音トークVol.3に続き、1994年3月に当時の幸福の科学総合本部で収録された大川隆法の談話記録を順次掲載していきます。

文中では大川隆法が脱会者に対して極めて醜い罵詈雑言を並べ立てていますが、言うまでもなくこれらはあくまで大川の自己都合から発した根拠なき誹謗中傷であって、決して各人の真実ではないことをあらかじめ明記しておきます。

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.7

本心5 -2

【高橋守】
彼は、前田、高橋が一番よく知っている。出版が素人だから、なめられたんだと思う。こんな連中なら騙して入れると。ずっと入れると思ったのに、意外に厳しい目で自分を見ていたんだなと分かったのが87年の12月。前田さんが悪い目で見ていた。僕も宗教的幹部になる人ではないと思っていた。

(前田:高橋守がもっと悪くなったのが、土田の影響)。

【土田】
土田は何の力があって、うちを破壊したのだろう。87年夏、 「筆を折る」ということをやたら言っていたが、それを聞かず、高橋を事務局長に入れたのを恨みに思っていたのかな。

(前田:会の組織に反発したのも、合議制で決まると思っていたから)

あれも原の紹介。

(前田:いや、手紙を出したんです)

癖が悪いのは、第一回の講演会の挨拶を頼んだら、個展の案内状を配ったこと。五月研修のときも配った。その手ロがわかったのは、あとで、小金井のハバさんのところに行って、そこの月刊誌に自分の個展の予定を出していたから。実力では食っていけないので、宗教にくっついていた。 87年6月、松庵の事務所で、個展をやらせてくれと言ってきた。

(前田:原が、絵を一つ入れたらと言ったのを、自分の絵を全部飾られるものと思っていた)

たとえ絵を掛けていいと先生から言われても辞退するのが筋だ」と、あなた(前田)が言ったんじゃないか?絵を拒否されたので腹をたてた。 87年夏ごろ、 「筆を折る」と言ってきたが、事務局長をしたくて言って来た。僕は画家さんでは無理だと思って、断った。そのあと、 87年8月高橋さんが入った。前田さんが「高橋さんの方が癖がなくていいんじゃないですか」と言っていた。そのあたりで、土田は外れた。絵を売らしていただくんなら、一緒にやっていく、ということだった。

二回ぐらい挨拶してもらったが、あとは、さげた。最後は88年の2月、ルが入った。会議のとき、高橋守と暴れようとしていたが、高橋守は暴れなかった。その前に高橋守には、分断の手紙を僕が出しておいたから。あのとき、悪霊波動で、景色が見えないほど空間が歪んで見え、こんなにすごいのは僕も始めて経験した。あそこまで入られたのは、当会では第一号だった。うちに来て利権をかませて、その範囲内でやらせてもらえると思ったのが、うちが独立して、とられたから暴れている。

これはGLA系統の欠点だと思ったので、職員化を進めて、法の独立を守った。ほんの一年、世間的には許されるぐらいの誤差。言えるほどのことはしていない。いまだったら即刻首。外車に乗っていたから儲かったことは儲かった。

(前田:いやクラウンでした)

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.8

本心6

そのころから紙の話が出てきた。工場を持っていないから外注。 「じゃ、納品書を出せ」と言ったら、 「そんなものはない」。部数が嘘で、いい値だから。増刷も半年も出ないというので、これはおかしいと思った。部数は今でも嘘だと思っている。

すでにあのころで、潮文社で、初版で一万部刷っていた。それまでの最高が潮文社でも八千部で、通常は三千部だった。土屋も結構出ていた。うちの出版知識が十分でないので、ろうだんされていた。外すのは外したが、出版としては一年中断した。土屋があったので、本は出せたが、本を全部取られたら、教団は潰れていた。

潮文社も、卑弥呼の霊言から、 「幸福の科学という名前は認められん。科学という名前なんかだめだ。 ハイビジョン・センターという名前でないと」と。潮文社も流れ的には、いずれ分かれる運命にあったが、会の名前に文句をつけてきた。シルバー・バーチを出していて、 「霊媒は名前を出さない」と言っていた。出版は難しい。

いつのまにか、うちの出版が出るようになった。 (89年初めから)そのころの時期と、信仰心をたてないとやれないという時期とが同じだった。コスモも「紙を仕入れたのに」とか、 「株をもらえないか」とか言ってきたが、素質としては駄目だった。うちの、大幹部みたいに言って、言いがかりを言うのは糞飯もの。

「発展の原理」の講演会のとき、 「神の手足として動かなければいけない」と言ったら、そのあと、本人が出てきて、 「あれは私のことを言って下さって、私は神の手足としてやっています」と言っていた。彼の手足は、講演会のとき、花輪を入れることで、そんなんでは、大黒天の名には値しない。そういう入りかただった。法的には弟子になれるものではなかった。研修会も参加試験があるから入れなかった。

【Algorab注】
アイドリングが済んで、しゃべくりが次第に躁状態に移行してくるにつれて、いい加減な記憶を思い込みで書き換える大川の習性が表れてきたところです。幹部の前田がツッコミを入れていますが、こうした時に大川は、「へっ?」とほんの一瞬の間があるものの、表情を変えずに誤魔化し、お構いなく話を進めます。そして結局、日頃からこういうことが多すぎるので、やがて誰もが聞き流すようになるのです。

出版部門にまつわる欠席裁判を繰り広げる中で、大川は離反者たちが元々「利権」で接近してきた者たちと断罪します。しかし、当事者らが関係し始めた頃は、まだ立宗して軌道に乗る以前の、そもそも「利権」など成立しえない未開の時期であって、個々のパーソナリティによって、多少の自意識過剰や勘違いがあったとしても、基本的には人類幸福化運動を掲げる幸福の科学というコミュニティの中で、それぞれが独自の自己実現を通じて参画しようと考えていたに過ぎなかったと思います。

そもそも初期は会員に対してそうした姿勢を推奨し、そのため様々な分科会が存在していました。それが急に変わったのは90年5月研修からで、個を捨てて教祖への滅私奉公を要求する個人崇拝の全体主義に転換したのです。ここにはそうした都合の良い宗旨替えと共に、「利権」と言う疑いで人を切り捨てておきながら、実は己自身こそが人を値踏みしている大川の矛盾もよく表れているでしょう。

また余談として、初期霊言本の出版元である潮文社は、2017年6月末をもって廃業していますが、以前に関係者を通じて、幸福の科学とのエピソードについて聞いたことがあります。

霊言本を巡って一方的な要求をしてくる教団との間でトラブルになった際、数人の幸福の科学職員が事務所に怒鳴り込んできて、その様子はまるでヤクザのカチコミのようだったとのことで、狼藉者の名前を聞いた時には、その意外さに私も驚きましたが、現場に居合わせた潮文社の若い社員には、それがトラウマになって出社できなくなってしまった者までいたと話していました。
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土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)

Author:土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)
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