大川隆法メランコリック本音トークVol.3
大川隆法メランコリック本音トークVol.2に続き、1994年3月に当時の幸福の科学総合本部で収録された大川隆法の談話記録を順次掲載していきます。
文中では大川隆法が脱会者に対して極めて醜い罵詈雑言を並べ立てていますが、言うまでもなくこれらはあくまで大川の自己都合から発した根拠なき誹謗中傷であって、決して各人の真実ではないことをあらかじめ明記しておきます。
『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.5

(昼食会:局長六人と三本部長)
これ以上、組織を大きくするんだったら、戦うことをしないと。 91年は外患と戦ったが、こんどは内患と戦っていく。
(前田:Lフォーラムも潰さないといけない。関谷-石毛一伊澤一中村とつながっている。伊澤が一番画策している。 K社との接点があるのは伊澤)
K社の校正を一件いくら、でやっていたのが、うちの編集局長までもらって、それを取られて暴れている。自意識の高い人ほどそうなる。彼がおかしくなって、菊池さんを呼んだ。人事的に見ると、総合職と専門職と一般職を明確にしなかったのが問題だった。いま、西荻のカルマの刈り取りをさせられている。うちの人のいいとこと、こちらから何も言わなくて、悪いことばっかり言うとことだったらどうなるかだ。けじめの問題だった。

細川、前田、坂下は88年から知っているので、切り返さんと。知らない者は言うことができない。92年高橋守がTVに出ても、白木、山本が「この人誰ですか」の世界だった。そういうことにガン細胞がある以上、そのところと戦わないと。生き残っている人は責任がある。細川さんなんか、責任の塊。虫歯を治さずに、上からかぶせて、ときどき下が痛むといった状況だ。
あのとき発展の方ばかりに目が行っていて、ネガティブなことはまあまあというとこがあった。 88、 89年にガタガタが集中していた。88年12月から89年12月は細川事務局長。88年に集まった人たちが問題で、根は87年にあった。幸福の科学が団体として自立していこうとするときに起きている問題。K社が追い込まれている。捏造がこたえているので、ニュースソースを出さざるをえなくなった。
(前田:当初から反抗しようとしていたのは高橋守、伊澤)
細川は、机を割られたとき、警察に行ったらよかったな。急に金回りがよくなって。出版もたちあがりのどさくさで、やられたが、こちらは善意でスタートしたが、入り方は利権だった。
小冊子を見て、 「こんな素晴らしいもの、うちで出させてください」と言ってきたので信用したら、原価で350円、高いので550円もとられた。百年持つ紙だと称して、正心法話600円もとった。その前に、西荻でやってもらっていたのは原価数十円。
次は、月刊誌を担保にとられた。次は出版のところで入られて、これは明確に狙っていたと思う。すでに本は売れていたから。「紙は一年間おさえましたから」とか、コスモ印刷KK社長で来たのに、登記にないことがわかった。僕は間接的に聞かされたことだが、工場を持っていて、 12月には社員をスキーに連れていくと言っていた。内実はブローカーで、奥さんと二人しかいなかった。
『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.6
あと、もう一つ騙されたのは、細川さんで、口座開くのに、 「一千万円以上ないと、口座は開きません」と言っていた。それを東販で直接聞いたら、 「お金なんか一銭もなくても開けますよ」と言われたので、それを高橋守に言ったら、 「いや、太陽出版の社長がそう言っていた」と言い逃れた。それでドローになった。あれは情報戦争で敗れていた。うちとしてできないから、小田木さんを入れて、あれはすべてこちらが正しい。
あと、 「原稿くれんかったら、印税を払わない」と脅して来た。 「幸福の科学に本を売らん」、こういうことをした。元が原がらみ。あの人がカモられて、裏口から入ってこられたのにやられた。 「こんないいもの、うちで出させて下さい。こんないいものは、いい活字といい紙で出させて下さい」と。こんなものに騙された。見積が高かったので、一旦は断ったが、月刊誌を原価でやりたいというので入られたのかも知れない。それが87年の5月。あそこで入って、そのあと小冊子にきた。
彼は会員になったとき、うちの本は一冊しか読んでいなかった。幹部でもないのに。出版社を出したとき、株は出さなかった。それを外したので暴れられた。出版営業部長の肩書きも、本人が「書店回りするとき困るので」ということで、勝手につくったもの。営業部長の方が偉いんだということだった。

構造的には原のヨガ道場と同じ。相入れでなかったらやれないということ。うちからヨガ道場に会員が行った。しかし、ヨガと一緒には出来ない。これも利権から入ってきた。
一つは、 GLA系統の信仰心がないのと宗教の裏口を言うのとが原因。高橋信次先生も「私のことも疑いなさい」というのはアマチュア。宗教嫌いも学会へのカウンター。あと、 「宗教で金儲けしてはいかん」というのが、他の人を利用するようになって、その人をよいしょしなければいかなくなるので、宗教の純粋性がなくなる。だから事務所と職員を入れて専門家集団にしないといけないということで、やった。
【Algorab注】
幸福の科学の特徴は、矢継ぎ早に出版される大川の書籍を軸にした運営形態で、ここではその出版関係における初期の人事や権力闘争について、当時の大川の認識が披露されおり、各個人の人となりを知る者にとっては、大川の認識がいかに卑屈で歪んだものであるのかが分かると思われますが、内部の具体的な事すぎて、登場人物の顔が思い浮かばない方々にとっては掴みづらい状況の、いささか伝わりにくい話題だとは思います。
けれども、教団の小冊子や根本経典である「正心法語」の原価に言及している部分は大きな見どころで、大川自身の中に理法(経典)というものに対する実質的なリスペクトの姿勢が全く感じられない、本音が露骨に表れた貴重な暴露と言えるでしょう。
組織はトップの人格が反映するものです。幸福の科学には、教本のほか本尊や偶像など数十万から数千万円に至るまでの様々なアイテムがあり、信者を勧進するのにあの手この手で功徳を盛に盛りますが、それは口先ばかりのことで、製造原価をケチったパチモノを、信者の信仰心を踏み絵にして不適正な高額で拝受させる守銭奴ぶりは、やはり大川隆法を始原としたものでした。
大川隆法の価値判断の本質は損得勘定で、幸福の科学主宰者の人生を貫く根源的な不幸は、その貪欲さゆえに「感謝」ができないことです。
文中では大川隆法が脱会者に対して極めて醜い罵詈雑言を並べ立てていますが、言うまでもなくこれらはあくまで大川の自己都合から発した根拠なき誹謗中傷であって、決して各人の真実ではないことをあらかじめ明記しておきます。
『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.5

(昼食会:局長六人と三本部長)
これ以上、組織を大きくするんだったら、戦うことをしないと。 91年は外患と戦ったが、こんどは内患と戦っていく。
(前田:Lフォーラムも潰さないといけない。関谷-石毛一伊澤一中村とつながっている。伊澤が一番画策している。 K社との接点があるのは伊澤)
K社の校正を一件いくら、でやっていたのが、うちの編集局長までもらって、それを取られて暴れている。自意識の高い人ほどそうなる。彼がおかしくなって、菊池さんを呼んだ。人事的に見ると、総合職と専門職と一般職を明確にしなかったのが問題だった。いま、西荻のカルマの刈り取りをさせられている。うちの人のいいとこと、こちらから何も言わなくて、悪いことばっかり言うとことだったらどうなるかだ。けじめの問題だった。

細川、前田、坂下は88年から知っているので、切り返さんと。知らない者は言うことができない。92年高橋守がTVに出ても、白木、山本が「この人誰ですか」の世界だった。そういうことにガン細胞がある以上、そのところと戦わないと。生き残っている人は責任がある。細川さんなんか、責任の塊。虫歯を治さずに、上からかぶせて、ときどき下が痛むといった状況だ。
あのとき発展の方ばかりに目が行っていて、ネガティブなことはまあまあというとこがあった。 88、 89年にガタガタが集中していた。88年12月から89年12月は細川事務局長。88年に集まった人たちが問題で、根は87年にあった。幸福の科学が団体として自立していこうとするときに起きている問題。K社が追い込まれている。捏造がこたえているので、ニュースソースを出さざるをえなくなった。
(前田:当初から反抗しようとしていたのは高橋守、伊澤)
細川は、机を割られたとき、警察に行ったらよかったな。急に金回りがよくなって。出版もたちあがりのどさくさで、やられたが、こちらは善意でスタートしたが、入り方は利権だった。
小冊子を見て、 「こんな素晴らしいもの、うちで出させてください」と言ってきたので信用したら、原価で350円、高いので550円もとられた。百年持つ紙だと称して、正心法話600円もとった。その前に、西荻でやってもらっていたのは原価数十円。
次は、月刊誌を担保にとられた。次は出版のところで入られて、これは明確に狙っていたと思う。すでに本は売れていたから。「紙は一年間おさえましたから」とか、コスモ印刷KK社長で来たのに、登記にないことがわかった。僕は間接的に聞かされたことだが、工場を持っていて、 12月には社員をスキーに連れていくと言っていた。内実はブローカーで、奥さんと二人しかいなかった。
『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.6
あと、もう一つ騙されたのは、細川さんで、口座開くのに、 「一千万円以上ないと、口座は開きません」と言っていた。それを東販で直接聞いたら、 「お金なんか一銭もなくても開けますよ」と言われたので、それを高橋守に言ったら、 「いや、太陽出版の社長がそう言っていた」と言い逃れた。それでドローになった。あれは情報戦争で敗れていた。うちとしてできないから、小田木さんを入れて、あれはすべてこちらが正しい。
あと、 「原稿くれんかったら、印税を払わない」と脅して来た。 「幸福の科学に本を売らん」、こういうことをした。元が原がらみ。あの人がカモられて、裏口から入ってこられたのにやられた。 「こんないいもの、うちで出させて下さい。こんないいものは、いい活字といい紙で出させて下さい」と。こんなものに騙された。見積が高かったので、一旦は断ったが、月刊誌を原価でやりたいというので入られたのかも知れない。それが87年の5月。あそこで入って、そのあと小冊子にきた。
彼は会員になったとき、うちの本は一冊しか読んでいなかった。幹部でもないのに。出版社を出したとき、株は出さなかった。それを外したので暴れられた。出版営業部長の肩書きも、本人が「書店回りするとき困るので」ということで、勝手につくったもの。営業部長の方が偉いんだということだった。

構造的には原のヨガ道場と同じ。相入れでなかったらやれないということ。うちからヨガ道場に会員が行った。しかし、ヨガと一緒には出来ない。これも利権から入ってきた。
一つは、 GLA系統の信仰心がないのと宗教の裏口を言うのとが原因。高橋信次先生も「私のことも疑いなさい」というのはアマチュア。宗教嫌いも学会へのカウンター。あと、 「宗教で金儲けしてはいかん」というのが、他の人を利用するようになって、その人をよいしょしなければいかなくなるので、宗教の純粋性がなくなる。だから事務所と職員を入れて専門家集団にしないといけないということで、やった。
【Algorab注】
幸福の科学の特徴は、矢継ぎ早に出版される大川の書籍を軸にした運営形態で、ここではその出版関係における初期の人事や権力闘争について、当時の大川の認識が披露されおり、各個人の人となりを知る者にとっては、大川の認識がいかに卑屈で歪んだものであるのかが分かると思われますが、内部の具体的な事すぎて、登場人物の顔が思い浮かばない方々にとっては掴みづらい状況の、いささか伝わりにくい話題だとは思います。
けれども、教団の小冊子や根本経典である「正心法語」の原価に言及している部分は大きな見どころで、大川自身の中に理法(経典)というものに対する実質的なリスペクトの姿勢が全く感じられない、本音が露骨に表れた貴重な暴露と言えるでしょう。
組織はトップの人格が反映するものです。幸福の科学には、教本のほか本尊や偶像など数十万から数千万円に至るまでの様々なアイテムがあり、信者を勧進するのにあの手この手で功徳を盛に盛りますが、それは口先ばかりのことで、製造原価をケチったパチモノを、信者の信仰心を踏み絵にして不適正な高額で拝受させる守銭奴ぶりは、やはり大川隆法を始原としたものでした。
大川隆法の価値判断の本質は損得勘定で、幸福の科学主宰者の人生を貫く根源的な不幸は、その貪欲さゆえに「感謝」ができないことです。
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