同期のカルト~「オウム」と「幸福」①
去る11月11日、オウム真理教の後継団体である「Aleph(アレフ)」、「ひかりの輪」に対する抗議デモと学習会が世田谷区の烏山地域にて行われました。この取り組みの歴史は長く、今回で35回を数えます。

回数もさることながら、多数の参加者の中にはご高齢の方も見受けられ、オウム事件からの年月の経過を感じさせます。しかし、不可解な「ひかりの輪」観察処分取消判決なども受けて、人々の危機意識は依然として強く、運動を継続し続ける意志には脱帽するばかりです。
【関連リンク】
烏山地域オウム真理教(現アレフ)対策住民協議会
公安調査庁「オウム真理教について」
江川紹子氏「なぜ「ひかりの輪」は観察処分取り消しになったのか」

ACジャパン2017年度支援キャンペーン
「事件は解決しても、被害は解決していない」
事件の報道は終わり、世間は日常に戻った。
被害者を、置き去りにしたまま。
オウムによる一連の事件の被害も、未だに癒えていません。そのためのこうした活動が長期化する一方で、上祐が評論家気取りで表舞台に出てくるような昨今の状況は、事件の記憶が風化し始めている象徴に他なりません。
そして、そうした風化に付け込んで、根も葉もない与太話を吹聴する不埒な輩も湧いてきます。

【幸福の科学のデマリンク】
【意外と知らない】オウム事件解決に"幸福の科学"が貢献していた!
幸福の科学とオウムの違いが分からない日本人の目は曇っている
【意外と知らない】とありますが、そもそもそんな社会的評価に値するような貢献の実績がないのですから、意外もなにも、無いものは知られることがないのは当たり前で、唯一の客観的事実以外は、野次馬が事件に対する自己の私的活動を主観的に評価して自画自賛しているに過ぎません。そして、その唯一の事実すら恣意的に捻じ曲げています。
事実として貢献したと言えるのは、当時の教団職員F氏が、95年2月28日に発生した目黒公証人役場事務長であった仮谷清志さん拉致事件の目撃者のひとりで、後に警察から感謝状を受けたということです。
ただし、このF氏はその後、高額の布施に絡む上司からのパワハラ等を原因として教団を脱会しています。そして教団に対して布施返還訴訟を起こし、その際には、教団側がF氏への感謝状をグリップしたまま、なかなか返却しなかった様子も明らかにされています。
感謝状はようやくF氏に戻されたものの、このときの布施返還訴訟は、残念ながら原告側の訴えは退けられました。このことについては、これが現在であれば、もう少しマシな判決になっていたのではと考えられますが、これで教団は窮地を脱したにも関わらず、F氏の弁護人に対して高額の損害賠償請求訴訟を仕掛け、結果的にそれがスラップ(威圧恫喝訴訟)と認定されて、日本の法制史に汚名を刻むこととなります。
こうした経緯だけでも、幸福の科学のゲスさは充分に伝わると思いますが、真のゲスさはここから先で、石持って追ったF氏の感謝状を、教団は己が手柄とするために改竄し、今日まで利用し続けていることです。
【関連記事リンク】
「感謝状」改竄事件のおさらい


表彰を受けたのは、あくまでもF氏個人であって
断じて幸福の科学ではありません。
景山民夫氏も、大川などと絡まなければ文化人としてもっと栄達していたことでしょう。幸福の科学の悪質な宣伝の片棒を担がされるはめになったこの故人も、ある意味で被害者のひとりです。
自分たちの自己顕示のためには、手段を選ばず事実を公然と捻じ曲げる、厚顔無恥な大川隆法と幸福の科学職員の心は、この通り腐りきっています。
カルト対策の活動の中で、オウム対策の方々ともお話することがありますが、関係者で幸福の科学に感謝する人など誰もいません。逆に「そちらも大変ですね」と労われます。幸福の科学の与太話の入り込む隙などなく、これが全てを物語っているのです。
さて、教団には何ら貢献の実績がないのは明らかですが、では一体何をしていたのかということについては、次回に続けることとします。

回数もさることながら、多数の参加者の中にはご高齢の方も見受けられ、オウム事件からの年月の経過を感じさせます。しかし、不可解な「ひかりの輪」観察処分取消判決なども受けて、人々の危機意識は依然として強く、運動を継続し続ける意志には脱帽するばかりです。
【関連リンク】
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公安調査庁「オウム真理教について」
江川紹子氏「なぜ「ひかりの輪」は観察処分取り消しになったのか」

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「事件は解決しても、被害は解決していない」
事件の報道は終わり、世間は日常に戻った。
被害者を、置き去りにしたまま。
オウムによる一連の事件の被害も、未だに癒えていません。そのためのこうした活動が長期化する一方で、上祐が評論家気取りで表舞台に出てくるような昨今の状況は、事件の記憶が風化し始めている象徴に他なりません。
そして、そうした風化に付け込んで、根も葉もない与太話を吹聴する不埒な輩も湧いてきます。

【幸福の科学のデマリンク】
【意外と知らない】オウム事件解決に"幸福の科学"が貢献していた!
幸福の科学とオウムの違いが分からない日本人の目は曇っている
【意外と知らない】とありますが、そもそもそんな社会的評価に値するような貢献の実績がないのですから、意外もなにも、無いものは知られることがないのは当たり前で、唯一の客観的事実以外は、野次馬が事件に対する自己の私的活動を主観的に評価して自画自賛しているに過ぎません。そして、その唯一の事実すら恣意的に捻じ曲げています。
事実として貢献したと言えるのは、当時の教団職員F氏が、95年2月28日に発生した目黒公証人役場事務長であった仮谷清志さん拉致事件の目撃者のひとりで、後に警察から感謝状を受けたということです。
ただし、このF氏はその後、高額の布施に絡む上司からのパワハラ等を原因として教団を脱会しています。そして教団に対して布施返還訴訟を起こし、その際には、教団側がF氏への感謝状をグリップしたまま、なかなか返却しなかった様子も明らかにされています。
感謝状はようやくF氏に戻されたものの、このときの布施返還訴訟は、残念ながら原告側の訴えは退けられました。このことについては、これが現在であれば、もう少しマシな判決になっていたのではと考えられますが、これで教団は窮地を脱したにも関わらず、F氏の弁護人に対して高額の損害賠償請求訴訟を仕掛け、結果的にそれがスラップ(威圧恫喝訴訟)と認定されて、日本の法制史に汚名を刻むこととなります。
こうした経緯だけでも、幸福の科学のゲスさは充分に伝わると思いますが、真のゲスさはここから先で、石持って追ったF氏の感謝状を、教団は己が手柄とするために改竄し、今日まで利用し続けていることです。
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表彰を受けたのは、あくまでもF氏個人であって
断じて幸福の科学ではありません。
景山民夫氏も、大川などと絡まなければ文化人としてもっと栄達していたことでしょう。幸福の科学の悪質な宣伝の片棒を担がされるはめになったこの故人も、ある意味で被害者のひとりです。
自分たちの自己顕示のためには、手段を選ばず事実を公然と捻じ曲げる、厚顔無恥な大川隆法と幸福の科学職員の心は、この通り腐りきっています。
カルト対策の活動の中で、オウム対策の方々ともお話することがありますが、関係者で幸福の科学に感謝する人など誰もいません。逆に「そちらも大変ですね」と労われます。幸福の科学の与太話の入り込む隙などなく、これが全てを物語っているのです。
さて、教団には何ら貢献の実績がないのは明らかですが、では一体何をしていたのかということについては、次回に続けることとします。
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