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ペテン師、還らず。① 大川隆法 最期の晩餐

「幸福の科学」教祖の大川隆法の頓死が報じられてから、既に一週間以上過ぎた。しかし、教団は信者に対して、「総裁先生は肉体的には死亡した」としながらも、「必ず復活する」「先生が復活しなければ人類は滅亡する」と煽って、例によって数万円の木戸銭を稼ぎながら復活祈願への勧進を展開し、事実関係を明らかにするつもりは微塵もないらしい。

とりあえず確かなことは、2月28日(火)に実質的に自宅としていた東京都港区の大悟館で倒れて病院に搬送され、3月2日(木)午前に警察が死亡を確認したということだ。

警察の確認ということは、検死が行われたということであって、28日時点で一部のメディア関係者に大川死亡説が流れていた状況も考えると、搬送時には既に死亡していた疑いもある。

教団にとっては、大川自身が予言していた己の天寿を全うせずに頓死したことも、自宅で倒れて2日も後になって検死されたことも、いずれも不都合な事実であるばかりで、八方塞がりの土壇場で、信者の認知的不協和を煙に巻くウルトラCの屁理屈を考案中なのだろうが、どのみち社会一般に通じる合理的な説明にはなりえないだろうから、現段階では数少ない手がかりをもとに、その死の真相についてできる限りの検証を進めるしかない。

ただし、大川は結果的に手がかりを遺している。おそらく大川最後の書として、その辞世を納めた「短詩型・格はいく集4〈不惜身命の姿・特別編〉」だ。

格はいく集シリーズの4冊目は、いみじくも「死」へのカウントダウンを描写することとなった。

いかに薄っぺらな本とはいえ、ネタばれしてしまっては読者の楽しみを奪ってしまうから、大川の俳句気取りの散文を直接披露することは控えつつ、記載内容から事実を抽出して、今回はまず死の約1カ月の大川の動きを推理してみたい。

警察の検死扱いとなるような不可解な最期を迎えたのは大悟館だが、大川の辞世までの流れを遡っていくと、死の床に就く以前に大悟館以外で一定期間を過ごしていたことが分かる。

それは神楽坂だ。理由は判然としないものの、この頃は昨年末の体調不良から引きずっていた若干の疲労感をかかえながらも、散歩を楽しむなど比較的穏やかな日々を過ごしていたようだ。後妻で補佐役の紫央と一緒のカジュアルな食べ歩きの描写が多い。

よほど調子が良かったのか、死の約1カ月前となった1月30日(月)には、散歩中に数句を詠んでいる。「格はいく集4」の言語的事実から、このとき大川らが立ち寄ったところ、またその可能性があるところを抽出してみよう。

(俳句No.4) うぐいす餅関係
「五十鈴」
東京都新宿区神楽坂5-34

「梅花亭」
神楽坂本店
東京都新宿区神楽坂6-15神楽坂梅花亭ビル
ポルタ神楽坂店
東京都新宿区神楽坂2-6PORTA神楽坂1階

(俳句No.5) ジョン・レノン御用達の中華関係
「五十番 神楽坂本店」
東京都新宿区神楽坂6-4 葉月田中ビル1F

(俳句No.6) お濠ばたのカフェ関係
「CANAL CAFÉ」
東京都新宿区神楽坂1-9

(俳句No.7 )阿波踊り出発点の日蓮宗関係
「日蓮宗・善國寺(毘沙門天)」
東京都新宿区神楽坂5-36

俳句の順番が、おそらくその日の大川の足取りそのものと想定すると、R433(大久保通り)「神楽坂上交差点」付近から、R25(早稲田通り)を下って、R405(外堀通り)の「神楽坂下交差点」付近に出るルートを散歩道にしていたようだ。

俳句の内容の変化から、少なくとも2月2日(木)までは神楽坂に逗留し、2月16日(木)に迫った長女・咲也加の誕生日祝いを買ってから、2月3日(金)辺りで「格はいく集3」に関する対談収録のため大悟館に帰ったのではないかと考えられる。

(俳句No.13) ひつまぶし(うなぎ)関係
「玄品 神楽坂」
東京都新宿区神楽坂5-35 第二野本ハイツ 1F~3F 

「神楽坂 富貴貫」
東京都新宿区西五軒町1-14

「神楽坂 たつみや」
東京都新宿区神楽坂4-3

上記の各ポイントのうち、No.5とNo.7は確実。No.6も概ね妥当と思われる。

No.4の「うぐいす餅」については、どれもアクセス可能なので、不定休の「梅花亭」さんがもし30日(月)もご営業されていたら、机上ではこれ以上絞れない。

No.13の「ひつまぶし(うなぎ)」についても同様で、散歩ルートを踏襲すれば「玄品」さん。通常のルートからはやや外れるが、高級店の佇まいの「富貴貫」さんの可能性も高い。また、メニューを見たところ「ひつまぶし」がないが、こちらもジョン・レノン御用達であった老舗の「たつみや」さんも候補として残しておきたい。

(3月11日の幸福の科学総合本部前での騒動中、教団側が「イマジン」を流していたのは、YouTube対策のほか、ひょっとして生前最後の大川のマイブームだったからとか?)

さて、俳句から読み解く状況から、どんな理由で、どこに居たのかを考えると、少なくとも大川が神楽坂周辺の医療機関に入院していた可能性は低いように思われる。

近隣に大きな病院はあるものの、本人の入院がないとすると、次に考えられるのはホテルへの宿泊で、少し範囲を広げると、かつて「西洋銀座」を都心の根城にしていた大川が、いかにも宿泊したそうな高級ホテルがあるにはある。ただし、ホテルだと足がつき、お忍びの逗留には不向きだ。また、俳句集に夜景の描写がないことなど少しひっかかる部分が残る。

では、その他の可能性はというと、あまり人の目に留まらない教団施設を密かに利用しているケースがありうる。実際、昔はマスコミの眼を逃れるため杉並区天沼の教団施設に2週間ほど隠れ住んだり、急遽教団が借り上げた早稲田の高級マンションで仮住まいをしていた時期もある。

果たしてこの地域でそのような物件があるものだろうかと探したところ、一軒マイナーな教団施設がヒットした。

「宗教法人幸福の科学牛込拠点」
東京都新宿区若松町5-2

幸福の科学牛込拠点1

幸福の科学牛込拠点2
Googleマップより

こちらの物件、見たところ礼拝堂のような外観だが、教団のサイト「支部・精舎へのアクセス」には掲載されていない。(2023.3.12時点)

航空写真で見ると袋小路の奥の立地で、人通りが少ない分、幹線道路まで車で移動すれば隠れ家としてなかなか良い条件と思われ、内部の環境によっては利用の可能性もありえなくはないだろう。

ホテルか、上記のようなマイナー施設かの他に、この時期になぜ大悟館から離れていたのかの仮説としては、始めに病気により入院または自主隔離が考えられるところだが、大川らが比較的良好な健康状態にあって入院等でなかったとすると、逆にそれ以外が悪い状態にあって、そのため大悟館から一時避難していたという見方も成り立つ。

いずれにしても、神楽坂での逗留から帰宅したところが、2月5日(日)を境に、死に向かって急激に転がり落ちていくことになるわけだ。

さて、日差しが暖かくなってきて、ついぞ大川が眺めることができなかった桜も間近となってきた。コロナ禍はまだ完全に過ぎ去ったわけではないが、医療従事者の方々の不断の努力とワクチン接種率の上昇に伴って罹患率、重症化率は軽減し、社会は少しずつ日常を取り戻しつつある。

この春は大川隆法の辞世となった「格はいく集」を片手に、在りし日の大川を偲びつつ、その痕跡をトレースしてみるのも一興かも知れない。

【お出かけの際のご注意】

※地元の住民さんや店舗の方々のご迷惑にならないよう配慮しつつ、必ずマナーを守って散策しましょう。

※メディアの方等で周辺の聞き取りを検討される場合は、教団広報局が既に口止めに回っている想定で臨んでください。



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大川隆法のモラハラ無間地獄

『モラル・ハラスメント』とは、倫理観や道徳意識(モラル)といった体裁を整えながら行われる嫌がらせ(ハラスメント)のことで、一般に「モラハラ」と略され、遅まきながら近年には日本でもこれに類する法整備が進むなど、悪質な人権侵害としてその概念が社会に浸透しつつあるところです。

この「モラハラ」の概念を最初に定義したのは、フランスの精神科医マリー=フランス・イルゴイエンヌ氏で、言葉や態度によって行われる精神的暴力は、外傷を残す肉体的な暴力と違って見えづらいため、社会的に長く潜在したまま後手にされがちであったものの、精神的な暴力も肉体的な暴力と同様に、或いは時としてそれ以上に人を傷つける犯罪であると厳しく指摘してます。

モラルハラスメント表紙

「モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない」
マリー=フランス イルゴイエンヌ氏著

さて、幸福の科学の大川隆法の長女で後継指名されていた大川咲也加について、大川は例によって“霊言”というかたちをとりながら、これまで天照大御神と定めていた咲也加の霊的出自を“妖怪おたふく”に改めました。この異変にともなって咲也加の情報が早々に教団ホームページから抹消されるなど、実質的にメインストリームから放逐された様子です。

大川隆法は前妻の恭子との間に、宏洋、咲也加、真輝、裕太、愛理沙(生年順)の5人の子を儲けていますが、まず2010年に、それまで美の女神アフロディーテであり文殊菩薩としていた妻の恭子の霊的出自を“裏切り者のユダ”と改めて追放(離婚)したのち、近年になって子らの霊的出自を次々と改めて(主に妖怪化)、放逐や閑職に追いやるなど粛清を続けてきました。そして、このたびの咲也加への措置により、とうとう誰もいなくなった次第です。

実子を “妖怪おたふく”と映す大川隆法の異次元な認知、小生のような常人の思いつくところではなく、いつものことながらそのセンスには感嘆するばかりです。ただし、個人的にはこの事態について驚くことはありませんでした。

“妖怪おたふく”騒動、血を分けた家族への無慈悲ぶりというお家騒動的な観点にスポットがあたりがちですが、幸福の科学では、実父の善川三朗(中川忠義)や実兄の富山誠(中川力)、また草創期から立宗に関わった多くの職員らが、大川によって次々と石もて追われてきた歴史があります。そうした経緯からして、今回の事態も幸福の科学的には通常営業であって、大川隆法こと中川隆の人生を貫く相変わらずのメンタリティの発露でしかないからです。

大川隆法の中に生じている心理のメカニズムについては、いわゆる「防衛機制」と解釈することで理解はできると思います。

防衛機制とは、現実的なものから潜在的なものに至るまで、心理的に受け入れがたい不安や危険(否認したい欲求や不快な欲求)に直面させられ、欲求不満を起こして適応できない状態に陥った時に発動される自我の再適応メカニズムとされ、程度によっては心の詐術として自他ともに不健全な状況に陥らせ、人を傷つけ苦しめる場合もあるものです。

そして、この防衛機制には様々な分類が研究されていますおり、今回の騒動にも象徴されている大川のワンパターンというのが、防衛機制のうちの極端な「理想化」と「脱価値化」と考えて良いでしょう。

決して防衛機制が直ちにモラハラにつながるということではありませんが、モラハラの加害者というのが、自我の欲求を達成するために外形的には道徳家のような体裁を保った妄想性の強い自己愛的な変質者というパーソナリティの者が多く、被害者との関係において加害者自身が心の安寧を得るために、こうした防衛機制が現に働いているということです。

モラハラの加害者たる自己愛的な変質者にとって、被害者(人間)は自分の自尊心(自己評価)や理想自我を高揚させ満たすため思い通りに使い倒す「道具」に過ぎず、自分の期待や欲求を満たしてくれる間は自分自身のために対象への過剰な理想化を行います。

しかし、いったんその理想像が崩れて、自分が望むものを与えられない孤独感や不安感を感じて耐えられなくなると、極端な二分法的思考パターンによって、今度は自分の自尊心や自己愛を傷つける不良品、危険物として激しい脱価値化(こき下ろし)に転ずるのです。

大川咲也加の霊的出自異動から排除に至る脱価値化の引き金になった事由は今のところ不明です。けれども、もしも仮に咲也加が大川に対して何らかの進言を行ったのがきっかけだとすれば、理想化し過ぎた対象から批判や嫌悪されそうになる(そうされていると思い込む)と、事前に価値下げしておけば自我の傷つきを予防できるという防衛機制が働いたということでしょう。

そのほか脱価値化にもいくつかパターンがあります。甚だ雑駁ではありますが、大川家を破壊していった状況に当てはめてみると、以下のような推察も成り立ちます。

恭子のケース:いくら蓋をしていても、理想化していた対象の嫌な側面からずっと目を背けていることはできない苦痛からの脱価値化。

宏洋のケース:己のコントロールが効かないという受け入れがたい切迫した現実からの脱価値化。

真輝のケース:理想化していた対象の若さや周囲からの人望の高さへの嫉妬を意識する苦痛からの脱価値化。

裕太のケース:素行の悪さから自分の評価が下がる恐怖からの脱価値化。

愛理沙のケース:思い通りに自分の欲求を満たしてくれない対象からの撤収としての脱価値化。


大宇宙の根本仏ともあろうものが、己の心理が生じさせる脱価値化の無限ループの中で、常に不安や恐れに苛まれたまま孤独や空虚感が癒されることがないなど、実に不幸なことです。

また、モラハラの加害者は、自分の方が真の被害者だと心底考えていて、罪悪感から自我を守るために被害者の考えや行動を巧みに支配して、被害者側に罪悪感を与えて「自分が至らないせいだ」「自分が悪かった」と思わせようとしますから、被害者が主体性を取り戻して自立し、それまでのコミュニケーションパターンがモラハラであったと気づくまでは、どんよりとした不幸の感覚の中で苦痛が延々と連鎖していくことになります。

かつて地上天国の実現を標榜した幸福の科学が生み出したのは、モラル・ハラスメントによる不幸のスパイラルという地獄絵図でした。

私はかねてから、極端な個人崇拝を求めるカルトの場合、教祖のパーソナリティは自己愛的な変質者であると想定され、モラハラの加害者と被害者の関係性が、教祖と信者の関係性に置き換えられていくものと考えてきました。

前述の精神科医イルゴイエンヌ氏は、自己愛的な変質者は人を惹きつけ支配下に置き価値観の基準をひっくり返すことができると語っています。カルト宗教とモラハラは親和性が強く、カルト宗教の内的世界で倫理観が破壊されやすい所以も、こうした点にあると言えるかも知れません。

大川隆法の実子最後の生き残りであった咲也加の粛清について、これが大川隆法のメンタリティであり、幸福の科学のカルト気質という観点から述べてきましたが、当然の帰結とするのには、そもそも根本的な理由があります。

なぜならそれは、理想化と脱価値化は常にセットであり、理想化の後には必ず脱価値化が訪れるものだからです。

したがって、たとえこの先に誰が大川の傍に立とうと、遅かれ早かれ必ず同じ道を辿ることになります。

それを回避する道はただひとつ。自分が脱価値化されるより前に大川に死んで居なくなってもらうしかありません。これから教団No.2に抜擢される方は、せいぜいそれを家族一丸となって毎日必死に祈りながら暮らすと良いでしょう。

最後に、咲也加も人の親になったのなら、お腹を痛めて生んだ我が子らに同じ思いを絶対にさせてはいけない。長年そこしか知らない暮らしを離れることは決して容易な道ではないだろうけれども、これを本当の意味で好機と自覚して、夫婦力を合わせて娑婆で静かに生き直して欲しいと願っています。
プロフィール

土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)

Author:土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)
セクトの犠牲者である家族と個人を支えるネットワーク
「RSFI MAIKA」代表

日本脱カルト協会
「JSCPR」会員

当ブログへようこそ。
「幸福の科学」の問題を中心に、セクトについて考えていきます。

ご相談等の場合は、リンク先頭の「RSFI MAIKA公式ホームページ」のコンタクトよりご連絡ください。

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