「植福」の黒歴史~教団幹部の言質を添えて~ ①
「植福」とは、幸福の科学におけるお布施のことです。教団の諸活動を支えるための献金等は「財施(物施)」、またイベントへの動員含め教えを広める信者勧誘の伝道は「法施」とされ、天の蔵に富を積む行為として、幸福の科学が宗教法人化した辺りから執拗に説かれるようになりました。
信者の精神的苦痛に止まらず、実際に経済的な打撃まで与える苛烈な布施収奪の実態は、宗教二世とはまた別の側面の、カルト宗教特有の重大な問題です。
幸福の科学でも、立宗から今日までの間で、伝道に献本に献金にイベントチケット買取などなど、教勢拡大のために様々な活動目標が下知され、それが「信仰」の名のもとに実質的な必達ノルマとして課されてきた歴史があります。今日では、そうした幸福の科学の収奪の実態が、多くの脱会者の証言によって明らかにされるようになりました。
脱会者にはひとつの傾向があって、ほとんどが会員時代は熱心な活動信者であったという側面があります。単なるぶら下がり信者でなく、活動に打ち込んだ経験があったからこそ、教団の暗部に触れるきっかけを得て、激しい認知的不協和に晒され、やがて良心の呵責に目覚めて脱会に至るというプロセスがあり、従って証言はいずれも具体的な体験に基づいたものばかりです。
しかし、いかに具体的で正確でも、脱会者という概念に背負わされる被害者証言の客観性や自己責任論などのハードルが横たわり、時には中庸を欠いた個々人の信仰態度の問題などという矮小化も見られます。
従って、脱会者の証言を裏付ける客観的な証拠の提示を積み重ねて、教団の組織性と心理操作というカルト宗教特有の構造的問題に原因があることの立証を怠りなく続けていく必要があります。
こうした観点から、これまで色々な媒体で取り組みを行い、また折に触れて当ブログでも扱ってきました。
【過去記事リンク】
愛の押し売り。神理の安売り。
植福が誘う大川隆法のディストピア
ここからもその一環ですが、今度は少し趣向を変えて、客観的な証拠と言っても教団幹部職員たち自身の言質を根拠として展開してみたいと思います。
全部で③から④回の連載になる予定ですが、今回はその第1回として、立宗して間もない90年代の大伝道期から既に始まっていた収奪が、信者をいかに失望させ混乱に巻き込んでいたかという事実を明らかにしていきます。
では早速こちらの文書をご覧ください。

「実証するは弟子にあり」 1991年11月27日
今、幸福の科学は、危機に直面しています。この危機というのは、単なる経済的な逼迫状態だけのことではありません。危機とは魂の危機であります。霊的観点からみた危機であります。何故に危機なのか。それは今という時期に、仏弟子が どのような思いの選択肢を得るかを神が見ておられるからなのです。何を大切なものとして選ぶかを問われているのです。しかし、そこで掴もうとしている選択肢が必ずしも素晴らしい選択ではないからです。それは現在、選択肢として言わば組織の外形―すなわち、人体で たとえて言えば肉体の存続の方を重視して、肝心の魂を生かすという選択をしない人が増えつつあるという現実があるからです。
組織の外形を存続させるために活動を行なうということは、一見 当然のように見えますが、もしそこに肝心の中身がなかったのならすべては無意味となってしまいます。「愛なくば発展は死である」という教えの通りです。また、仏教でも古来から「仏つくって魂入れず」という言葉もありますが、いくら器を充実しても霊的生命がなかに満たされないなら、幸福の科学の活動とはいえないと思うのです。神は静かに仏弟子の選択を見守っておられるのです。
今こそ、勇気ある選択をする時です。現状が難しいからといって、安易な方向に流れることなかれ。我等は本質を決して見失ってはなりません。真なる光によって、他の人々を幸福に導くことを貫き通すことです。幸福の科学に縁を持つ人が増えることは最も尊いことですが、大切な本質を失い、良心を傷めてでも縁ある人を増やすということは本末転倒です。
我等は三次元で決められたる目標数のために伝道を行なっているのではない。愛を広げんとして伝道を行なっているのである。そうした聖なる思いを根底に持ち、内なる光を発しながら他を導いているのです。この思いを失いて活動するならば、それは外なる価値基準に動かされている活動であり、そこに喜びはない。まず外なる教会を修繕する前に、心の中に教会を建てなさい。心あっての活動であり、心あっての伝道であるのです。

三次元の執着が行動原理となっている活動であるならば、思いにおいてそれを一切裁断せよ。イエス様は十字架にかけられ肉体を失っても、愛の妥協はなかった。決して妥協はなかった。しかし、そこに奇蹟は起こった。常に光を発し続けているならば、必ずや成果は自ずと後からついてくるのです。これを建前と片づけることなかれ。三次元の汚れたる思いで判定することなかれ。思いにおいて純粋でないものがある時に結果もまたそれに応じて現れてくることは法則通りのことです。しかし、思いにおいて光満ちたものであれば結果もまた素晴らしいものであるはずです。たとえどのような状況に置かれようとも、光を弱めることなく前進し続けて欲しい。そうしてこそ、はじめて天上界と一体となった行動ができるのです。
人々のなかには、三次元の物質なくば活動ができないと思っている方もいるようです。たとえば、事務所の存続などの点で、これらの建物にこだわっているとしたら愚かなことです。物質がたとえなくなったとしてもそこに精神が残ることの方がより重要ではないでしょうか。イエス様の時代にいつ教会があったのか。バプテスマのヨハネ様は川が教会であった。イエス様は山の上や広場が教会であった。内村鑑三先生は無教会主義でも神の心を広められたのではなかったか。聖フランシスコ様やルター様はそうした精神を取り戻さんがために立ち上がったのではなかったか。私たちもまたそのような物質や外なる価値観に揺らいで、根本の精神を見失っていないかをもう一度確認するべきです。
しかし、さらに言うとすれば、純粋なる思いを持ち伝道に活躍する人が増えて欲しい。真なる光は、多くの光を呼びます。この光を広げて欲しい。そして、危機をチャンスに変えて欲しい。幸福の科学の精神を確立すべき時は今なのです。是非、このチャンスを実績として実証するところまで頑張って欲しい。さすれば、そうした光満ちた所ほど実績が出るという事実が、多くの人々にどのように行動すべきかという指標を示すこととなるのです。多くの迷える人に勇気と希望を与えるために、「光あるところ必ず繁栄する」ということを実証して頂きたい。それは言い換えれば、仏陀様の法が真実であるということを実証することに他ならないのです。実証するは弟子にあり。エル・カンターレ祭においては、真の仏弟子の姿と成果をもって仏陀様に捧げようではありませんか。(斎藤博也)
先ずは、この文書の記載者と背景から解説を進めます。
記載者は最後に記名がある通り斎藤博也氏です。初期からの有名職員の一人で、若手のホープのひとりとして期待されて本部の青年部長なども務め、私が秘書部警護課に配属されていた時は秘書部秘書課の同僚でした。
良い先輩でしたが、根本的に教祖マンセーな人格なので、残念ながら現在も教団に留まり、当時に期待されたものとは別のものに変質したかたちで、すっかり立派な幹部になりさらばえておられます。
91年10月当時、大伝道とフライデー事件の失敗による教団の財務危機から発足した実質的なリストラ部門である会員サービス部が生じた際に、「須呂・斎藤といえども例外はない」として、斎藤氏も会員サービス部員として、しばらくぶりに現場に出ることになりました。
この頃はちょうど、年末の東京ドーム講演(聖エル・カンターレ祭)に向けた伝道と動員が繰り広げられていた時期で、現場に出て直面した末端の悲惨な活動現状に、堪らず発した檄文のようです。
この文書は都内各支部のFAXに一斉送信されるかたちで拡散されました。地方本部にはどの程度配信されたのかまでは確認していません。
当時ある支部の掲示板に貼ってあったのを保全したもので、支部主任の“あくまで非公式なもの”という説明と、内容に対する支部長の微妙な様子から、斎藤氏自身で送信処理まで行ったものとは断定できないものの、文責は明らかであり、いずれにしても同氏のスタンドプレーであったことは直ぐに理解できました。
同氏については、普段から激情的でやや演技かかったパフォーマンスに賛否両論があったのも事実で、この文書についても「さすがは博也さんだ」と評価する者がいる一方で、不快さを隠さない意見もありました。
特に各支部長はこの文書の扱いに困惑したようです。斎藤氏は、90年の最初の大伝道で大川から直々に沖縄を任された際、それなりに成果を挙げたものの、当初に宣言した目標を達成できなかったと自ら丸坊主にして見せるような逸話もあいまって、信仰篤きものとして当時の活動信者から一定の支持を集めており、現場の職員よりも発言には影響力があったためです。
ちなみに余談ですが、関谷晧元氏著「虚業教団」の154ページ記されている「目ン玉をくりぬいてやろうか」というパワーワードでも有名です。
このエピソードは、私は「虚業教団」以前に、練馬区関町の秘書詰所に勤務していた折、直接ご本人から聞いて知っていました。
目玉のフレーズについては、「もし、右の目があなたを躓かせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部を失っても、体の全体がゲヘナ(地獄)に投げ込まれるよりは良いからです」というマタイ福音書の一節を念頭に置いた発言だったのだろうと思われます(たぶん)。
しかし、教祖からの神託結婚の指示を拒否し、自ずと脱会に追い込まれた職員の送別会の席上で、本人の目の前にフォークを握りしめながら罵ったのでは、常識的に考えてシャレにならないのは当然でした。
【過去記事リンク】
「神託結婚」-異常性の発現
話が逸れましたが、当時の斎藤氏の背景を含めて考えたとき、この文書に込められた思いは、職員信者として率直なものであったろうと思います。
しばらくの間、末端の泥臭い活動現場から離れて竜宮城のような総合本部に居たから、さぞや現実にショックを受けたことでしょう。直接的な言及こそ避けていますが、幸福の科学が表向き掲げている本分とは裏腹の伝道や勧誘が横行している惨状を問題視しているのはご覧の通りです。
ただし、一見正論と見える主張にも既にピンボケが生じていて、本部から降りてきた職員信者としての限界も如実に表れているとも言えます。
この当時の会内の事実と、このピンボケの正体を炙り出すために、もうひとつ別の文書を示します。
全体の文書量の都合のため一部の抜粋に留めますが、1991年12月3日付「ミラクル92新伝道方法についての提案」という会議文書です。


4月以降の大伝道期の状況については既にご報告した通りですが、その結果、7月15日東京ドームの御生誕祭で150万人達成の勝利宣言が出来たことは対外的には成果があったが、対内的には会員実数との乖離を生じその結果財政的な問題と会員の精神的な苦痛を残すこととなった。
下期の推移については、7月25日~28日の支部長法研修会において主宰先生から支部長の能力不足が指摘された。また上期の無承諾伝道による多量のクレーム、脱会希望発生の反省から、学習の大切さ、正会員、実働会員数の必要性、支部長の能力を高めることの重要性を認識した。
そこで、下期の基本戦略としては「天使の学校」を開設して会員、未会員をここに誘い十分に神理学習をして頂き正会員、実働会員を増やし、これを中核として大伝道を展開することとした。

11月から再開された伝道においては、上期の会費状況の悪かった反省から会費の入金ベースで管理すること及び入会後最初の6ヶ月経過した会員の脱落を防ぐために、これらの会員に対するフォローを重点的に行うことなど改善された。
会員サービス部の努力にかかわらず継続率は多少向上した程度にとどまった。継続を希望しない理由の大半は、
①紹介者から頼まれて義理で半年間の約束で入会した
②紹介者が初回会費を支払ってくれた(プレゼント伝道)が、本人は継続を希望しないことなどであることが判明した。

現在盛んに行われている「立て替え伝道」では、当面入金数は上がるが恒久的な会員獲得策とは言えない。また、「立て替え伝道」は結果的には無承諾伝道となり、社会的批判を浴びる恐れがあり、多くの会員の心を痛め会の崩壊につながる恐れがある。

ミラクル91伝道は目標数字を掲げて各支部に競わせるやりかたであり、保険会社や証券会社が採用している年間シナリオに従い膨大な数字のみを追いかけるシナリオ伝道と言える。
宗教本来の伝道は信者を獲得することであり、神理を伝えることである。また、それが本人の魂の磨きでもあり、その意味ではプロセス重視であり結果主義に陥ってはならない。入金ベースでの管理とか、継続率の向上のためのフォローとか企業的発想ではなく、仏教の伝統的な手順である、「示・教・利・喜」に従い宗教本来の入信伝道を目標とした活動とすべきである。
文責は個人名ではなく総合情報室となっています。総合情報室は本部の事務局に併設されていた部署で、当時は元航空自衛隊・空幕副長出身の勝屋氏が室長に任じられていたので、同氏を中心にまとめられたものと考えて良いと思います。
内容は91年末までの諸活動の総括で、抜粋にある通り大伝道の失敗について反省が示されています。
主要点は、上半期の150万人達成の勝利宣言が実態の伴わない虚構で、実際は無承諾伝道による多量のクレームや脱会者を生じさせ財政危機の要因になったこと。
また、それは下半期にも影響を及ぼし、根本的に目標数字を掲げて各支部に競わせる組織的手法が、信者に多大な精神的及び経済的な負担を強いる結果になったという2点で、先に示した斎藤文書とも整合する内容と言えるでしょう。
しかし、そうした総括も、結局のところ現場の支部長の指導不足などに帰責していること。さらに、現場の信者の学習強化を対策に挙げている部分で、全くピントが外れた形ばかりの反省と言わざるを得ません。
斎藤文書にも言えることですが、これではまるで現場の支部長や信者が、安易で不純な妥協によって活動しているような見下した物言いです。
お偉いさんに言われなくても、支部長も一般会員も同じ信者です。誰だって活動のあるべき姿の理想を持っていて、そもそも熱意がなければ活動の場に居ません。
私は、一般会員だった頃も、職員になってからも、自身の伝道が上手く行かないとき、信者としての良心の呵責から己の信仰心の未熟さを責め、教祖に対して申し訳ないと、人目を憚らずに涙する会員さんの姿を何度も見てきました。
皆が言っている事とやっている事が違うという違和感を抱きながらも、繰り返される決起集会によって同調圧力に巻き込まれ、昼夜もなく活動に駆り立てられるうちに次第に考えることに疲れ果てて、最後は「自分の弱い人間心が間違っている、主宰先生には深いお考えがあるに違いない」となって、盲目的に必勝必達に追い詰められていったのです。
そもそも活動目標は「聖なる数字」と言って課されていました。そしてそれは霊的には既に実現しているものとして下知されます。あとは信者がこの世的にただ具現化するだけだと。
信者がプレゼントや立て替えなどの無承諾伝道に走らされたのも、とりあえずきっかけ(法縁)を結んでおけば、あとはいずれ芽が出るという雑な理念によるものです。一般信者には何の責任もありません。
根本はあくまでも、キチガイじみた目標を掲げて信仰の名のもとに課す教祖が元凶なのです。
だいたい、大川隆法も教団も、当時少なくともこうした現状把握には至っていたにも拘わらず、舌の根も乾かぬうちに献金や伝道の号令を発していて、何ら省みた様子が窺えません。そしてそれは以降も連綿として繰り返され、いずれの文書も今日の教団に対してブーメランのように突き刺さっていきます。
幸福の科学は植福について、「宗教の行う伝道活動には、会社のような対価性がありません。幸福の科学が会員信者のみなさまから植福を受けるときも、それは商品の対価、何かの労働の対価ではありません。対価性があれば、そこにすでに穢(けが)れがあり、それは植福ではありません」と言った白々しい御託を並べています。
しかし、事あるごとに「○○植福」「○○祈願」などと、次々とあの手この手で常に対価性をチラつかせて煽り続けている教団が、信者に対して偉そうに穢れを説く資格はありません。
第2回に続く
信者の精神的苦痛に止まらず、実際に経済的な打撃まで与える苛烈な布施収奪の実態は、宗教二世とはまた別の側面の、カルト宗教特有の重大な問題です。
幸福の科学でも、立宗から今日までの間で、伝道に献本に献金にイベントチケット買取などなど、教勢拡大のために様々な活動目標が下知され、それが「信仰」の名のもとに実質的な必達ノルマとして課されてきた歴史があります。今日では、そうした幸福の科学の収奪の実態が、多くの脱会者の証言によって明らかにされるようになりました。
脱会者にはひとつの傾向があって、ほとんどが会員時代は熱心な活動信者であったという側面があります。単なるぶら下がり信者でなく、活動に打ち込んだ経験があったからこそ、教団の暗部に触れるきっかけを得て、激しい認知的不協和に晒され、やがて良心の呵責に目覚めて脱会に至るというプロセスがあり、従って証言はいずれも具体的な体験に基づいたものばかりです。
しかし、いかに具体的で正確でも、脱会者という概念に背負わされる被害者証言の客観性や自己責任論などのハードルが横たわり、時には中庸を欠いた個々人の信仰態度の問題などという矮小化も見られます。
従って、脱会者の証言を裏付ける客観的な証拠の提示を積み重ねて、教団の組織性と心理操作というカルト宗教特有の構造的問題に原因があることの立証を怠りなく続けていく必要があります。
こうした観点から、これまで色々な媒体で取り組みを行い、また折に触れて当ブログでも扱ってきました。
【過去記事リンク】
愛の押し売り。神理の安売り。
植福が誘う大川隆法のディストピア
ここからもその一環ですが、今度は少し趣向を変えて、客観的な証拠と言っても教団幹部職員たち自身の言質を根拠として展開してみたいと思います。
全部で③から④回の連載になる予定ですが、今回はその第1回として、立宗して間もない90年代の大伝道期から既に始まっていた収奪が、信者をいかに失望させ混乱に巻き込んでいたかという事実を明らかにしていきます。
では早速こちらの文書をご覧ください。

「実証するは弟子にあり」 1991年11月27日
今、幸福の科学は、危機に直面しています。この危機というのは、単なる経済的な逼迫状態だけのことではありません。危機とは魂の危機であります。霊的観点からみた危機であります。何故に危機なのか。それは今という時期に、仏弟子が どのような思いの選択肢を得るかを神が見ておられるからなのです。何を大切なものとして選ぶかを問われているのです。しかし、そこで掴もうとしている選択肢が必ずしも素晴らしい選択ではないからです。それは現在、選択肢として言わば組織の外形―すなわち、人体で たとえて言えば肉体の存続の方を重視して、肝心の魂を生かすという選択をしない人が増えつつあるという現実があるからです。
組織の外形を存続させるために活動を行なうということは、一見 当然のように見えますが、もしそこに肝心の中身がなかったのならすべては無意味となってしまいます。「愛なくば発展は死である」という教えの通りです。また、仏教でも古来から「仏つくって魂入れず」という言葉もありますが、いくら器を充実しても霊的生命がなかに満たされないなら、幸福の科学の活動とはいえないと思うのです。神は静かに仏弟子の選択を見守っておられるのです。
今こそ、勇気ある選択をする時です。現状が難しいからといって、安易な方向に流れることなかれ。我等は本質を決して見失ってはなりません。真なる光によって、他の人々を幸福に導くことを貫き通すことです。幸福の科学に縁を持つ人が増えることは最も尊いことですが、大切な本質を失い、良心を傷めてでも縁ある人を増やすということは本末転倒です。
我等は三次元で決められたる目標数のために伝道を行なっているのではない。愛を広げんとして伝道を行なっているのである。そうした聖なる思いを根底に持ち、内なる光を発しながら他を導いているのです。この思いを失いて活動するならば、それは外なる価値基準に動かされている活動であり、そこに喜びはない。まず外なる教会を修繕する前に、心の中に教会を建てなさい。心あっての活動であり、心あっての伝道であるのです。

三次元の執着が行動原理となっている活動であるならば、思いにおいてそれを一切裁断せよ。イエス様は十字架にかけられ肉体を失っても、愛の妥協はなかった。決して妥協はなかった。しかし、そこに奇蹟は起こった。常に光を発し続けているならば、必ずや成果は自ずと後からついてくるのです。これを建前と片づけることなかれ。三次元の汚れたる思いで判定することなかれ。思いにおいて純粋でないものがある時に結果もまたそれに応じて現れてくることは法則通りのことです。しかし、思いにおいて光満ちたものであれば結果もまた素晴らしいものであるはずです。たとえどのような状況に置かれようとも、光を弱めることなく前進し続けて欲しい。そうしてこそ、はじめて天上界と一体となった行動ができるのです。
人々のなかには、三次元の物質なくば活動ができないと思っている方もいるようです。たとえば、事務所の存続などの点で、これらの建物にこだわっているとしたら愚かなことです。物質がたとえなくなったとしてもそこに精神が残ることの方がより重要ではないでしょうか。イエス様の時代にいつ教会があったのか。バプテスマのヨハネ様は川が教会であった。イエス様は山の上や広場が教会であった。内村鑑三先生は無教会主義でも神の心を広められたのではなかったか。聖フランシスコ様やルター様はそうした精神を取り戻さんがために立ち上がったのではなかったか。私たちもまたそのような物質や外なる価値観に揺らいで、根本の精神を見失っていないかをもう一度確認するべきです。
しかし、さらに言うとすれば、純粋なる思いを持ち伝道に活躍する人が増えて欲しい。真なる光は、多くの光を呼びます。この光を広げて欲しい。そして、危機をチャンスに変えて欲しい。幸福の科学の精神を確立すべき時は今なのです。是非、このチャンスを実績として実証するところまで頑張って欲しい。さすれば、そうした光満ちた所ほど実績が出るという事実が、多くの人々にどのように行動すべきかという指標を示すこととなるのです。多くの迷える人に勇気と希望を与えるために、「光あるところ必ず繁栄する」ということを実証して頂きたい。それは言い換えれば、仏陀様の法が真実であるということを実証することに他ならないのです。実証するは弟子にあり。エル・カンターレ祭においては、真の仏弟子の姿と成果をもって仏陀様に捧げようではありませんか。(斎藤博也)
先ずは、この文書の記載者と背景から解説を進めます。
記載者は最後に記名がある通り斎藤博也氏です。初期からの有名職員の一人で、若手のホープのひとりとして期待されて本部の青年部長なども務め、私が秘書部警護課に配属されていた時は秘書部秘書課の同僚でした。
良い先輩でしたが、根本的に教祖マンセーな人格なので、残念ながら現在も教団に留まり、当時に期待されたものとは別のものに変質したかたちで、すっかり立派な幹部になりさらばえておられます。
91年10月当時、大伝道とフライデー事件の失敗による教団の財務危機から発足した実質的なリストラ部門である会員サービス部が生じた際に、「須呂・斎藤といえども例外はない」として、斎藤氏も会員サービス部員として、しばらくぶりに現場に出ることになりました。
この頃はちょうど、年末の東京ドーム講演(聖エル・カンターレ祭)に向けた伝道と動員が繰り広げられていた時期で、現場に出て直面した末端の悲惨な活動現状に、堪らず発した檄文のようです。
この文書は都内各支部のFAXに一斉送信されるかたちで拡散されました。地方本部にはどの程度配信されたのかまでは確認していません。
当時ある支部の掲示板に貼ってあったのを保全したもので、支部主任の“あくまで非公式なもの”という説明と、内容に対する支部長の微妙な様子から、斎藤氏自身で送信処理まで行ったものとは断定できないものの、文責は明らかであり、いずれにしても同氏のスタンドプレーであったことは直ぐに理解できました。
同氏については、普段から激情的でやや演技かかったパフォーマンスに賛否両論があったのも事実で、この文書についても「さすがは博也さんだ」と評価する者がいる一方で、不快さを隠さない意見もありました。
特に各支部長はこの文書の扱いに困惑したようです。斎藤氏は、90年の最初の大伝道で大川から直々に沖縄を任された際、それなりに成果を挙げたものの、当初に宣言した目標を達成できなかったと自ら丸坊主にして見せるような逸話もあいまって、信仰篤きものとして当時の活動信者から一定の支持を集めており、現場の職員よりも発言には影響力があったためです。
ちなみに余談ですが、関谷晧元氏著「虚業教団」の154ページ記されている「目ン玉をくりぬいてやろうか」というパワーワードでも有名です。
このエピソードは、私は「虚業教団」以前に、練馬区関町の秘書詰所に勤務していた折、直接ご本人から聞いて知っていました。
目玉のフレーズについては、「もし、右の目があなたを躓かせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部を失っても、体の全体がゲヘナ(地獄)に投げ込まれるよりは良いからです」というマタイ福音書の一節を念頭に置いた発言だったのだろうと思われます(たぶん)。
しかし、教祖からの神託結婚の指示を拒否し、自ずと脱会に追い込まれた職員の送別会の席上で、本人の目の前にフォークを握りしめながら罵ったのでは、常識的に考えてシャレにならないのは当然でした。
【過去記事リンク】
「神託結婚」-異常性の発現
話が逸れましたが、当時の斎藤氏の背景を含めて考えたとき、この文書に込められた思いは、職員信者として率直なものであったろうと思います。
しばらくの間、末端の泥臭い活動現場から離れて竜宮城のような総合本部に居たから、さぞや現実にショックを受けたことでしょう。直接的な言及こそ避けていますが、幸福の科学が表向き掲げている本分とは裏腹の伝道や勧誘が横行している惨状を問題視しているのはご覧の通りです。
ただし、一見正論と見える主張にも既にピンボケが生じていて、本部から降りてきた職員信者としての限界も如実に表れているとも言えます。
この当時の会内の事実と、このピンボケの正体を炙り出すために、もうひとつ別の文書を示します。
全体の文書量の都合のため一部の抜粋に留めますが、1991年12月3日付「ミラクル92新伝道方法についての提案」という会議文書です。


4月以降の大伝道期の状況については既にご報告した通りですが、その結果、7月15日東京ドームの御生誕祭で150万人達成の勝利宣言が出来たことは対外的には成果があったが、対内的には会員実数との乖離を生じその結果財政的な問題と会員の精神的な苦痛を残すこととなった。
下期の推移については、7月25日~28日の支部長法研修会において主宰先生から支部長の能力不足が指摘された。また上期の無承諾伝道による多量のクレーム、脱会希望発生の反省から、学習の大切さ、正会員、実働会員数の必要性、支部長の能力を高めることの重要性を認識した。
そこで、下期の基本戦略としては「天使の学校」を開設して会員、未会員をここに誘い十分に神理学習をして頂き正会員、実働会員を増やし、これを中核として大伝道を展開することとした。

11月から再開された伝道においては、上期の会費状況の悪かった反省から会費の入金ベースで管理すること及び入会後最初の6ヶ月経過した会員の脱落を防ぐために、これらの会員に対するフォローを重点的に行うことなど改善された。
会員サービス部の努力にかかわらず継続率は多少向上した程度にとどまった。継続を希望しない理由の大半は、
①紹介者から頼まれて義理で半年間の約束で入会した
②紹介者が初回会費を支払ってくれた(プレゼント伝道)が、本人は継続を希望しないことなどであることが判明した。

現在盛んに行われている「立て替え伝道」では、当面入金数は上がるが恒久的な会員獲得策とは言えない。また、「立て替え伝道」は結果的には無承諾伝道となり、社会的批判を浴びる恐れがあり、多くの会員の心を痛め会の崩壊につながる恐れがある。

ミラクル91伝道は目標数字を掲げて各支部に競わせるやりかたであり、保険会社や証券会社が採用している年間シナリオに従い膨大な数字のみを追いかけるシナリオ伝道と言える。
宗教本来の伝道は信者を獲得することであり、神理を伝えることである。また、それが本人の魂の磨きでもあり、その意味ではプロセス重視であり結果主義に陥ってはならない。入金ベースでの管理とか、継続率の向上のためのフォローとか企業的発想ではなく、仏教の伝統的な手順である、「示・教・利・喜」に従い宗教本来の入信伝道を目標とした活動とすべきである。
文責は個人名ではなく総合情報室となっています。総合情報室は本部の事務局に併設されていた部署で、当時は元航空自衛隊・空幕副長出身の勝屋氏が室長に任じられていたので、同氏を中心にまとめられたものと考えて良いと思います。
内容は91年末までの諸活動の総括で、抜粋にある通り大伝道の失敗について反省が示されています。
主要点は、上半期の150万人達成の勝利宣言が実態の伴わない虚構で、実際は無承諾伝道による多量のクレームや脱会者を生じさせ財政危機の要因になったこと。
また、それは下半期にも影響を及ぼし、根本的に目標数字を掲げて各支部に競わせる組織的手法が、信者に多大な精神的及び経済的な負担を強いる結果になったという2点で、先に示した斎藤文書とも整合する内容と言えるでしょう。
しかし、そうした総括も、結局のところ現場の支部長の指導不足などに帰責していること。さらに、現場の信者の学習強化を対策に挙げている部分で、全くピントが外れた形ばかりの反省と言わざるを得ません。
斎藤文書にも言えることですが、これではまるで現場の支部長や信者が、安易で不純な妥協によって活動しているような見下した物言いです。
お偉いさんに言われなくても、支部長も一般会員も同じ信者です。誰だって活動のあるべき姿の理想を持っていて、そもそも熱意がなければ活動の場に居ません。
私は、一般会員だった頃も、職員になってからも、自身の伝道が上手く行かないとき、信者としての良心の呵責から己の信仰心の未熟さを責め、教祖に対して申し訳ないと、人目を憚らずに涙する会員さんの姿を何度も見てきました。
皆が言っている事とやっている事が違うという違和感を抱きながらも、繰り返される決起集会によって同調圧力に巻き込まれ、昼夜もなく活動に駆り立てられるうちに次第に考えることに疲れ果てて、最後は「自分の弱い人間心が間違っている、主宰先生には深いお考えがあるに違いない」となって、盲目的に必勝必達に追い詰められていったのです。
そもそも活動目標は「聖なる数字」と言って課されていました。そしてそれは霊的には既に実現しているものとして下知されます。あとは信者がこの世的にただ具現化するだけだと。
信者がプレゼントや立て替えなどの無承諾伝道に走らされたのも、とりあえずきっかけ(法縁)を結んでおけば、あとはいずれ芽が出るという雑な理念によるものです。一般信者には何の責任もありません。
根本はあくまでも、キチガイじみた目標を掲げて信仰の名のもとに課す教祖が元凶なのです。
だいたい、大川隆法も教団も、当時少なくともこうした現状把握には至っていたにも拘わらず、舌の根も乾かぬうちに献金や伝道の号令を発していて、何ら省みた様子が窺えません。そしてそれは以降も連綿として繰り返され、いずれの文書も今日の教団に対してブーメランのように突き刺さっていきます。
幸福の科学は植福について、「宗教の行う伝道活動には、会社のような対価性がありません。幸福の科学が会員信者のみなさまから植福を受けるときも、それは商品の対価、何かの労働の対価ではありません。対価性があれば、そこにすでに穢(けが)れがあり、それは植福ではありません」と言った白々しい御託を並べています。
しかし、事あるごとに「○○植福」「○○祈願」などと、次々とあの手この手で常に対価性をチラつかせて煽り続けている教団が、信者に対して偉そうに穢れを説く資格はありません。
第2回に続く
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