大川隆法メランコリック本音トークVol.6
大川隆法メランコリック本音トークVol.5に続き、1994年3月に当時の幸福の科学総合本部で収録された大川隆法の談話記録を順次掲載していきます。
文中では大川隆法が脱会者に対して極めて醜い罵詈雑言を並べ立てていますが、言うまでもなくこれらはあくまで大川の自己都合から発した根拠なき誹謗中傷であって、決して各人の真実ではないことをあらかじめ明記しておきます。
『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.11

【GLA】
うちは弟子筋宗教ではなく、 GLAの親分とぶつけても、うちの方が大きい。
GLA筋の一派をつくるというより、高橋信次のGLAはうちから見たら、小乗教団までいっていない。 祇園精舎に入る前の遊行している段階までしかいっていない団体。だからヨガ仙人が来れる段階だった。
小乗は戒律もあるし、教学もしっかりしている。うちはすでに大乗。僕も大乗の仏陀の意識でやっている。びるしゃな、阿弥陀、大日如来の性格であって、人間釈迦の性格ではない。これがキリスト教的に言うと救世主と同じ。うちは救世主・大乗運動。だからGLAとはあわない。
GLAは伝道ができない、信仰心がたたない、知識学習を厭う(霊能教団だから) 、献本ができない、まさしく宗教のアンチテーゼとして隙間産業的に入った。長くやっていれば、ここをクリアしなければいけない。うちはGLAにないものを88、89、90年と入れてきたから、違ったものに見える。 GLAも現在邪教。うちとしては、ここが違っていると言わないといけない。
あと、宗教は悪、ということを言っていた。宗教でお金集めをしたらいかんと言っていた。だから布施が成り立たない。信仰がないことと布施が成り立たないのは一緒のこと。おかげで高電工業は儲かって、 48ヶ月分のボーナスを出した。うちはこのやり方とは決別した。
89年の阿部事件は信仰心がたつか、たたないかの問題だった。教祖も疑いなさいというんだったら、宗教は成り立たない。事業家だから、そう言うのは宗教として責任を持てないと言っていたことと同じ。これを逆手にとっていた。だから死後あんなに分裂した。みんなで疑って。これは宗教とは言わない。
『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.12
【幸福の科学の流れ】
幸福の科学の流れは、
第一段階:顧問と霊言票を出した段階。これはスピリチュアリズム的な段階だった。
第二段階:86年、 87年の西荻時代。GLAの系統で、 GLAの復興運動に見えていた。
第三段階:88年、 89年。組織宗教に切り替わっている。事務所、職員と、過渡期で、 GLA遺伝子が落ちてきている。88、 89年と拡張期(90年は伝道開始期)。
第四段階:91年の宗教法人。フライデー事件。外に対しても戦う。
第五段階: 92、 93年は仏教路線を引いた。仏教教学を固め、仏教教団としてものを言えるようにした。
この段階で、 GLAの教義は通用しなくなった。GLAも最後に仏陀でなくエル・ ランティだと言ったが、それで混乱。エル・ランティがわからなかった。それで、弟子が高橋先生は混乱していたので、魔が入ったのだとまで言い出す者があった。
高橋先生は露払い役。うちの教義で、はっきりした。GLAで仏教系統に強かったが、僕の魂の一人が七年手伝っていたから。高橋信次の個人のキャラクターがあるから、出方が違っている。「悟りの挑戦」や「沈黙の仏陀」はやっている人が違うから出方が違う。それで僕が、かってGLAの本を見たら、あれ、これ知っているなと思った。
高橋先生は勉強してなかったので、勉強なんか何になりますかと言っていた。露払いの役はそれでよかった。うちとしては、やり直し。キリスト教的にはパブテスマのヨハネの役。仏教的にはア-ラーラ・カーラーマかウッダカ・ラーマブッタに近い役割。ア-ラーラー・カーラーマやウッダカ・ラーマブッダは禅定をしていた。
『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.13

【仏教】
仏教は修行と伝道。仏教も祇園精舎や竹林精舎で組織、資金力ができて変わっている。最初貧しくて、乞食坊主でやっていたが、教団が大きくなって、建物の中で寝るようになり、在家も接待するようになった。教団が豊かになった段階で分派ができたのがタイバダッタ。木の下でしか寝てはいけない、接待は受けてはならない、物は持たないということで、発展を拒否した。これが88年の変わったことにしている。
当時の仏陀の考えは、 「教団が大きくなったのだから、考え方を変えないといけない」と言っていた。それを「堕落」と称して反旗を翻した。「生活方式は規模相応に考えればいい」と言っていたが、ダイバダッタは秀才だったが、 「それは許さない」と言って反抗した。幸福の科学で言えば、 「西荻から出たらいかん」ということと同じ。
裏切りのユダが銀貸30枚で情報を売っているのと一緒。ユダも総務系統の人で、お金と宿泊手配の役だった。ユダの裏切りの理由はいくつかあって、
①階級の低い人とイエス様が交わっていた。取税人や娼婦。
②マグダラのマリアがイエス様の恋人役だったが、ユダもマリアが好きだった。それで、嫉妬した。色情系統。
③メシアだったら、奇跡を起こすはずだ。 「自分はもう少ししたら、十字架にかかって殺される」といっているが、それだったらメシアではないと、試す気持ちがあった。 「メシアなら、ユダヤの王にならんといかん、おかしい」と言う。それで試しの気持ちが起きてきた。 「自分で自分を救ってみろ」と。イエス様の考えがわかっていない。自分の考えでメシアはかくあるべしと考えていた。イエス様の王国は霊の王国と言ってもわからなかった。そのあと、鶏と畑を買って、残りの銀貨はエルサレムの賽銭籍に放り込んで、柿の木で首をつった。魔が入ったのは間違いない。
一定の法則があるから、必ず枝葉と幹がひっくり返るとこに疑いが入る。宗穀的にはそんなとこだった。原問題もヨガ教団とは一緒にやれない、信仰心のない人が不幸になるのはその通り。帰依していたら、そうならなかった。それを不幸になったのは、あの教えがおかしいからだと言っている。ヤーヴェの神のときだったら、ああいう人は殺されている。高橋先生がヤーヴェかどうかは罰を与えないからわからんが、他の神様を信じたというだけで、ヤーヴェは民族ごと許さない人だから。
『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.14
【キリスト教の信仰】
ヨブは信仰深い人だったが、悪魔が試しに入って、神を悪く言うようになった。そうしたら、神が、 「お前に何がわかるか、お前は宇宙の始まりを知っているか、お前は人間の始まりを知っているか」と言った。指導局はヨブ記を読むこと。信じていても試しが来る。 アブラハムもイサクを生け贄に出さなくてはいけなくなったが、その通りイサクを生け賢にしようとしたら、神が「わかった」と言って、そのとき生け贄の山羊がやってきた。
キリスト教の信仰は神への従順と服従。現時点では、この世の常識に反していることが多い。神の声が臨むときは、世直しのとき。三次元的価値観と宗教的価値観の戦い。これが宗教をやる人はいつも試されている。
【Algorab注】
関谷氏の「虚業教団」による混乱に始まったことではなく、初期の教団内部で散発的に発生した問題の背景には常にGLAと高橋信次の存在がありました。それもGLA側からの対抗というより、全ては大川自身が初めの段階から自らが高橋信次の霊的後継者と吹聴したことによる身から出た錆です。
幸福の科学は、当時ちょうど高橋信次の死によって求心力に翳りの見えたGLAからの宗教難民の受け皿になり、そのスタイルをそっくりトレースすることで急成長しています。
しかし、反面でそうした設定によって自らが様々な部分で高橋信次と比べられる葛藤を生じさせることにもなり、高橋信次の娘の佳子との結婚を一方的に夢想しながら、それが叶わないと悟ると、今度は新聞の死亡記事欄に佳子の名前が載らないか職員に毎日チェックさせるほどの変態ストーカーぶりを発揮した頃から、どのみちGLAや高橋信次の存在というのは、大川の中でいずれ清算はせずにいられない憂鬱な対象であったことでしょう。
それが関谷氏の件で一気に噴き出し、「方便の時代は終わった」という大きな教義変更を伴った教団の変質のトリガーになりました。このことについては、当ブログの「“主の深いお考え・・・” とやら ①」および「“主の深いお考え・・・”とやら ②」で詳細を取り上げましたが、ここで掲載した文書は、ちょうどそうした脱価値化の過渡期に当たっており、大川の心が千々に乱れた状態で高橋信次への評価が定めきれない様子が表れています。
また、GLAの批判から仏教とキリスト教に言及している辺りでは大川の宗教観が垣間見えています。特徴的なのは外形的な組織論に終始していることで、心の教えという本来は宗教の本質が、大川にとっては単なる手段でしかない性根を示している部分のひとつかと思います。
修行中の弟子は別として、釈迦やイエスが清貧であったのは、あるべき姿としてヤセ我慢していたわけではなく、富も名声も自分が得た真理(悟り)が開いた光に比べようもないからではないでしょうかね。似合いもしない高価なスーツや腕時計を自慢する、いかにも成金趣味で貧乏根性むき出しの姿は、己の悟りとやらが口先だけという証明でしかありません。ごく単純な話です。
文中では大川隆法が脱会者に対して極めて醜い罵詈雑言を並べ立てていますが、言うまでもなくこれらはあくまで大川の自己都合から発した根拠なき誹謗中傷であって、決して各人の真実ではないことをあらかじめ明記しておきます。
『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.11

【GLA】
うちは弟子筋宗教ではなく、 GLAの親分とぶつけても、うちの方が大きい。
GLA筋の一派をつくるというより、高橋信次のGLAはうちから見たら、小乗教団までいっていない。 祇園精舎に入る前の遊行している段階までしかいっていない団体。だからヨガ仙人が来れる段階だった。
小乗は戒律もあるし、教学もしっかりしている。うちはすでに大乗。僕も大乗の仏陀の意識でやっている。びるしゃな、阿弥陀、大日如来の性格であって、人間釈迦の性格ではない。これがキリスト教的に言うと救世主と同じ。うちは救世主・大乗運動。だからGLAとはあわない。
GLAは伝道ができない、信仰心がたたない、知識学習を厭う(霊能教団だから) 、献本ができない、まさしく宗教のアンチテーゼとして隙間産業的に入った。長くやっていれば、ここをクリアしなければいけない。うちはGLAにないものを88、89、90年と入れてきたから、違ったものに見える。 GLAも現在邪教。うちとしては、ここが違っていると言わないといけない。
あと、宗教は悪、ということを言っていた。宗教でお金集めをしたらいかんと言っていた。だから布施が成り立たない。信仰がないことと布施が成り立たないのは一緒のこと。おかげで高電工業は儲かって、 48ヶ月分のボーナスを出した。うちはこのやり方とは決別した。
89年の阿部事件は信仰心がたつか、たたないかの問題だった。教祖も疑いなさいというんだったら、宗教は成り立たない。事業家だから、そう言うのは宗教として責任を持てないと言っていたことと同じ。これを逆手にとっていた。だから死後あんなに分裂した。みんなで疑って。これは宗教とは言わない。
『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.12
【幸福の科学の流れ】
幸福の科学の流れは、
第一段階:顧問と霊言票を出した段階。これはスピリチュアリズム的な段階だった。
第二段階:86年、 87年の西荻時代。GLAの系統で、 GLAの復興運動に見えていた。
第三段階:88年、 89年。組織宗教に切り替わっている。事務所、職員と、過渡期で、 GLA遺伝子が落ちてきている。88、 89年と拡張期(90年は伝道開始期)。
第四段階:91年の宗教法人。フライデー事件。外に対しても戦う。
第五段階: 92、 93年は仏教路線を引いた。仏教教学を固め、仏教教団としてものを言えるようにした。
この段階で、 GLAの教義は通用しなくなった。GLAも最後に仏陀でなくエル・ ランティだと言ったが、それで混乱。エル・ランティがわからなかった。それで、弟子が高橋先生は混乱していたので、魔が入ったのだとまで言い出す者があった。
高橋先生は露払い役。うちの教義で、はっきりした。GLAで仏教系統に強かったが、僕の魂の一人が七年手伝っていたから。高橋信次の個人のキャラクターがあるから、出方が違っている。「悟りの挑戦」や「沈黙の仏陀」はやっている人が違うから出方が違う。それで僕が、かってGLAの本を見たら、あれ、これ知っているなと思った。
高橋先生は勉強してなかったので、勉強なんか何になりますかと言っていた。露払いの役はそれでよかった。うちとしては、やり直し。キリスト教的にはパブテスマのヨハネの役。仏教的にはア-ラーラ・カーラーマかウッダカ・ラーマブッタに近い役割。ア-ラーラー・カーラーマやウッダカ・ラーマブッダは禅定をしていた。
『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.13

【仏教】
仏教は修行と伝道。仏教も祇園精舎や竹林精舎で組織、資金力ができて変わっている。最初貧しくて、乞食坊主でやっていたが、教団が大きくなって、建物の中で寝るようになり、在家も接待するようになった。教団が豊かになった段階で分派ができたのがタイバダッタ。木の下でしか寝てはいけない、接待は受けてはならない、物は持たないということで、発展を拒否した。これが88年の変わったことにしている。
当時の仏陀の考えは、 「教団が大きくなったのだから、考え方を変えないといけない」と言っていた。それを「堕落」と称して反旗を翻した。「生活方式は規模相応に考えればいい」と言っていたが、ダイバダッタは秀才だったが、 「それは許さない」と言って反抗した。幸福の科学で言えば、 「西荻から出たらいかん」ということと同じ。
裏切りのユダが銀貸30枚で情報を売っているのと一緒。ユダも総務系統の人で、お金と宿泊手配の役だった。ユダの裏切りの理由はいくつかあって、
①階級の低い人とイエス様が交わっていた。取税人や娼婦。
②マグダラのマリアがイエス様の恋人役だったが、ユダもマリアが好きだった。それで、嫉妬した。色情系統。
③メシアだったら、奇跡を起こすはずだ。 「自分はもう少ししたら、十字架にかかって殺される」といっているが、それだったらメシアではないと、試す気持ちがあった。 「メシアなら、ユダヤの王にならんといかん、おかしい」と言う。それで試しの気持ちが起きてきた。 「自分で自分を救ってみろ」と。イエス様の考えがわかっていない。自分の考えでメシアはかくあるべしと考えていた。イエス様の王国は霊の王国と言ってもわからなかった。そのあと、鶏と畑を買って、残りの銀貨はエルサレムの賽銭籍に放り込んで、柿の木で首をつった。魔が入ったのは間違いない。
一定の法則があるから、必ず枝葉と幹がひっくり返るとこに疑いが入る。宗穀的にはそんなとこだった。原問題もヨガ教団とは一緒にやれない、信仰心のない人が不幸になるのはその通り。帰依していたら、そうならなかった。それを不幸になったのは、あの教えがおかしいからだと言っている。ヤーヴェの神のときだったら、ああいう人は殺されている。高橋先生がヤーヴェかどうかは罰を与えないからわからんが、他の神様を信じたというだけで、ヤーヴェは民族ごと許さない人だから。
『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.14
【キリスト教の信仰】
ヨブは信仰深い人だったが、悪魔が試しに入って、神を悪く言うようになった。そうしたら、神が、 「お前に何がわかるか、お前は宇宙の始まりを知っているか、お前は人間の始まりを知っているか」と言った。指導局はヨブ記を読むこと。信じていても試しが来る。 アブラハムもイサクを生け贄に出さなくてはいけなくなったが、その通りイサクを生け賢にしようとしたら、神が「わかった」と言って、そのとき生け贄の山羊がやってきた。
キリスト教の信仰は神への従順と服従。現時点では、この世の常識に反していることが多い。神の声が臨むときは、世直しのとき。三次元的価値観と宗教的価値観の戦い。これが宗教をやる人はいつも試されている。
【Algorab注】
関谷氏の「虚業教団」による混乱に始まったことではなく、初期の教団内部で散発的に発生した問題の背景には常にGLAと高橋信次の存在がありました。それもGLA側からの対抗というより、全ては大川自身が初めの段階から自らが高橋信次の霊的後継者と吹聴したことによる身から出た錆です。
幸福の科学は、当時ちょうど高橋信次の死によって求心力に翳りの見えたGLAからの宗教難民の受け皿になり、そのスタイルをそっくりトレースすることで急成長しています。
しかし、反面でそうした設定によって自らが様々な部分で高橋信次と比べられる葛藤を生じさせることにもなり、高橋信次の娘の佳子との結婚を一方的に夢想しながら、それが叶わないと悟ると、今度は新聞の死亡記事欄に佳子の名前が載らないか職員に毎日チェックさせるほどの変態ストーカーぶりを発揮した頃から、どのみちGLAや高橋信次の存在というのは、大川の中でいずれ清算はせずにいられない憂鬱な対象であったことでしょう。
それが関谷氏の件で一気に噴き出し、「方便の時代は終わった」という大きな教義変更を伴った教団の変質のトリガーになりました。このことについては、当ブログの「“主の深いお考え・・・” とやら ①」および「“主の深いお考え・・・”とやら ②」で詳細を取り上げましたが、ここで掲載した文書は、ちょうどそうした脱価値化の過渡期に当たっており、大川の心が千々に乱れた状態で高橋信次への評価が定めきれない様子が表れています。
また、GLAの批判から仏教とキリスト教に言及している辺りでは大川の宗教観が垣間見えています。特徴的なのは外形的な組織論に終始していることで、心の教えという本来は宗教の本質が、大川にとっては単なる手段でしかない性根を示している部分のひとつかと思います。
修行中の弟子は別として、釈迦やイエスが清貧であったのは、あるべき姿としてヤセ我慢していたわけではなく、富も名声も自分が得た真理(悟り)が開いた光に比べようもないからではないでしょうかね。似合いもしない高価なスーツや腕時計を自慢する、いかにも成金趣味で貧乏根性むき出しの姿は、己の悟りとやらが口先だけという証明でしかありません。ごく単純な話です。
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