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大川隆法メランコリック本音トークVol.6

大川隆法メランコリック本音トークVol.5に続き、1994年3月に当時の幸福の科学総合本部で収録された大川隆法の談話記録を順次掲載していきます。

文中では大川隆法が脱会者に対して極めて醜い罵詈雑言を並べ立てていますが、言うまでもなくこれらはあくまで大川の自己都合から発した根拠なき誹謗中傷であって、決して各人の真実ではないことをあらかじめ明記しておきます。

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.11
本心8
【GLA】
うちは弟子筋宗教ではなく、 GLAの親分とぶつけても、うちの方が大きい。
GLA筋の一派をつくるというより、高橋信次のGLAはうちから見たら、小乗教団までいっていない。 祇園精舎に入る前の遊行している段階までしかいっていない団体。だからヨガ仙人が来れる段階だった。

小乗は戒律もあるし、教学もしっかりしている。うちはすでに大乗。僕も大乗の仏陀の意識でやっている。びるしゃな、阿弥陀、大日如来の性格であって、人間釈迦の性格ではない。これがキリスト教的に言うと救世主と同じ。うちは救世主・大乗運動。だからGLAとはあわない。

GLAは伝道ができない、信仰心がたたない、知識学習を厭う(霊能教団だから) 、献本ができない、まさしく宗教のアンチテーゼとして隙間産業的に入った。長くやっていれば、ここをクリアしなければいけない。うちはGLAにないものを88、89、90年と入れてきたから、違ったものに見える。 GLAも現在邪教。うちとしては、ここが違っていると言わないといけない。

あと、宗教は悪、ということを言っていた。宗教でお金集めをしたらいかんと言っていた。だから布施が成り立たない。信仰がないことと布施が成り立たないのは一緒のこと。おかげで高電工業は儲かって、 48ヶ月分のボーナスを出した。うちはこのやり方とは決別した。

89年の阿部事件は信仰心がたつか、たたないかの問題だった。教祖も疑いなさいというんだったら、宗教は成り立たない。事業家だから、そう言うのは宗教として責任を持てないと言っていたことと同じ。これを逆手にとっていた。だから死後あんなに分裂した。みんなで疑って。これは宗教とは言わない。

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.12

【幸福の科学の流れ】
幸福の科学の流れは、
第一段階:顧問と霊言票を出した段階。これはスピリチュアリズム的な段階だった。

第二段階:86年、 87年の西荻時代。GLAの系統で、 GLAの復興運動に見えていた。

第三段階:88年、 89年。組織宗教に切り替わっている。事務所、職員と、過渡期で、 GLA遺伝子が落ちてきている。88、 89年と拡張期(90年は伝道開始期)。

第四段階:91年の宗教法人。フライデー事件。外に対しても戦う。

第五段階: 92、 93年は仏教路線を引いた。仏教教学を固め、仏教教団としてものを言えるようにした。

この段階で、 GLAの教義は通用しなくなった。GLAも最後に仏陀でなくエル・ ランティだと言ったが、それで混乱。エル・ランティがわからなかった。それで、弟子が高橋先生は混乱していたので、魔が入ったのだとまで言い出す者があった。

高橋先生は露払い役。うちの教義で、はっきりした。GLAで仏教系統に強かったが、僕の魂の一人が七年手伝っていたから。高橋信次の個人のキャラクターがあるから、出方が違っている。「悟りの挑戦」や「沈黙の仏陀」はやっている人が違うから出方が違う。それで僕が、かってGLAの本を見たら、あれ、これ知っているなと思った。

高橋先生は勉強してなかったので、勉強なんか何になりますかと言っていた。露払いの役はそれでよかった。うちとしては、やり直し。キリスト教的にはパブテスマのヨハネの役。仏教的にはア-ラーラ・カーラーマかウッダカ・ラーマブッタに近い役割。ア-ラーラー・カーラーマやウッダカ・ラーマブッダは禅定をしていた。


『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.13
本心9
【仏教】
仏教は修行と伝道。仏教も祇園精舎や竹林精舎で組織、資金力ができて変わっている。最初貧しくて、乞食坊主でやっていたが、教団が大きくなって、建物の中で寝るようになり、在家も接待するようになった。教団が豊かになった段階で分派ができたのがタイバダッタ。木の下でしか寝てはいけない、接待は受けてはならない、物は持たないということで、発展を拒否した。これが88年の変わったことにしている。

当時の仏陀の考えは、 「教団が大きくなったのだから、考え方を変えないといけない」と言っていた。それを「堕落」と称して反旗を翻した。「生活方式は規模相応に考えればいい」と言っていたが、ダイバダッタは秀才だったが、 「それは許さない」と言って反抗した。幸福の科学で言えば、 「西荻から出たらいかん」ということと同じ。

裏切りのユダが銀貸30枚で情報を売っているのと一緒。ユダも総務系統の人で、お金と宿泊手配の役だった。ユダの裏切りの理由はいくつかあって、
①階級の低い人とイエス様が交わっていた。取税人や娼婦。

②マグダラのマリアがイエス様の恋人役だったが、ユダもマリアが好きだった。それで、嫉妬した。色情系統。

③メシアだったら、奇跡を起こすはずだ。 「自分はもう少ししたら、十字架にかかって殺される」といっているが、それだったらメシアではないと、試す気持ちがあった。 「メシアなら、ユダヤの王にならんといかん、おかしい」と言う。それで試しの気持ちが起きてきた。 「自分で自分を救ってみろ」と。イエス様の考えがわかっていない。自分の考えでメシアはかくあるべしと考えていた。イエス様の王国は霊の王国と言ってもわからなかった。そのあと、鶏と畑を買って、残りの銀貨はエルサレムの賽銭籍に放り込んで、柿の木で首をつった。魔が入ったのは間違いない。

一定の法則があるから、必ず枝葉と幹がひっくり返るとこに疑いが入る。宗穀的にはそんなとこだった。原問題もヨガ教団とは一緒にやれない、信仰心のない人が不幸になるのはその通り。帰依していたら、そうならなかった。それを不幸になったのは、あの教えがおかしいからだと言っている。ヤーヴェの神のときだったら、ああいう人は殺されている。高橋先生がヤーヴェかどうかは罰を与えないからわからんが、他の神様を信じたというだけで、ヤーヴェは民族ごと許さない人だから。

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.14

【キリスト教の信仰】
ヨブは信仰深い人だったが、悪魔が試しに入って、神を悪く言うようになった。そうしたら、神が、 「お前に何がわかるか、お前は宇宙の始まりを知っているか、お前は人間の始まりを知っているか」と言った。指導局はヨブ記を読むこと。信じていても試しが来る。 アブラハムもイサクを生け贄に出さなくてはいけなくなったが、その通りイサクを生け賢にしようとしたら、神が「わかった」と言って、そのとき生け贄の山羊がやってきた。

キリスト教の信仰は神への従順と服従。現時点では、この世の常識に反していることが多い。神の声が臨むときは、世直しのとき。三次元的価値観と宗教的価値観の戦い。これが宗教をやる人はいつも試されている。

【Algorab注】
関谷氏の「虚業教団」による混乱に始まったことではなく、初期の教団内部で散発的に発生した問題の背景には常にGLAと高橋信次の存在がありました。それもGLA側からの対抗というより、全ては大川自身が初めの段階から自らが高橋信次の霊的後継者と吹聴したことによる身から出た錆です。

幸福の科学は、当時ちょうど高橋信次の死によって求心力に翳りの見えたGLAからの宗教難民の受け皿になり、そのスタイルをそっくりトレースすることで急成長しています。

しかし、反面でそうした設定によって自らが様々な部分で高橋信次と比べられる葛藤を生じさせることにもなり、高橋信次の娘の佳子との結婚を一方的に夢想しながら、それが叶わないと悟ると、今度は新聞の死亡記事欄に佳子の名前が載らないか職員に毎日チェックさせるほどの変態ストーカーぶりを発揮した頃から、どのみちGLAや高橋信次の存在というのは、大川の中でいずれ清算はせずにいられない憂鬱な対象であったことでしょう。

それが関谷氏の件で一気に噴き出し、「方便の時代は終わった」という大きな教義変更を伴った教団の変質のトリガーになりました。このことについては、当ブログの「“主の深いお考え・・・” とやら ①」および「“主の深いお考え・・・”とやら ②」で詳細を取り上げましたが、ここで掲載した文書は、ちょうどそうした脱価値化の過渡期に当たっており、大川の心が千々に乱れた状態で高橋信次への評価が定めきれない様子が表れています。

また、GLAの批判から仏教とキリスト教に言及している辺りでは大川の宗教観が垣間見えています。特徴的なのは外形的な組織論に終始していることで、心の教えという本来は宗教の本質が、大川にとっては単なる手段でしかない性根を示している部分のひとつかと思います。

修行中の弟子は別として、釈迦やイエスが清貧であったのは、あるべき姿としてヤセ我慢していたわけではなく、富も名声も自分が得た真理(悟り)が開いた光に比べようもないからではないでしょうかね。似合いもしない高価なスーツや腕時計を自慢する、いかにも成金趣味で貧乏根性むき出しの姿は、己の悟りとやらが口先だけという証明でしかありません。ごく単純な話です。
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大川隆法メランコリック本音トークVol.5

大川隆法メランコリック本音トークVol.4に続き、1994年3月に当時の幸福の科学総合本部で収録された大川隆法の談話記録を順次掲載していきます。

文中では大川隆法が脱会者に対して極めて醜い罵詈雑言を並べ立てていますが、言うまでもなくこれらはあくまで大川の自己都合から発した根拠なき誹謗中傷であって、決して各人の真実ではないことをあらかじめ明記しておきます。

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.9
本心6 -2
【関谷】
関谷に言っているのは原。一緒に一年間住んでいたのは事実。その間に、ああいうことを言った。亭主への不満を言わんといかんとこを。四月に原から泣きの電話が入ってきた。 「関谷に、旅行しようと言ったら、断られた」と。関谷は離婚話で疲れたので、湯治場に一人で行って疲れを癒したいと言った。原は「前の奥さんのこと、そんなに忘れられないのか」と思ったが、関谷はそういうことを、原がどう感じるかということは全く感じない人だった。

もう一つは、 88年6月に原の方から、事務所でがっかりしたことがあった。それは、関谷が直接原に、結婚の少し前、 「実は前の奥さんが喜んでくれると思ってパイプカットをしているが、これを元に戻した方がいいか」と聞いてきた。それで、原はカクッと来てしまった。「44でも、私は初婚ですよ」と。6月に結婚式をあげたが、新婚旅行と称して、病院に入院してパイプカットを治していた。普通は成田離婚になるタイプだ。

(前田:関谷は煩悩の強い人でした)

その前は奥さんがいたにもかかわらず、会の中では独身と称していた。若い女の子を誘って飯につれていった。原も独身だと思っていた。奥さんのいるのがわかったら、 「独身ではあるが、籍だけは抜いていない」と言っていた。 88年2月、別居を5年もしているので、一日で籍を抜けますからと言っていたが、実際に籍を抜く段になって、財産のことで奥さんに暴れられた。関谷の情けないとこは、自分名義の家土地なのに、自分が出て行って別居し、とられたこと。その疲れでか、四月には一人で温泉に行った。 6月はまた、病院へ入った。そんなことを棚に上げて、「予言が外れた」と言っているのではかなわん。自力で破壊する人にはかなわん。

それ以外でも、原は「関谷は、はったりを言って、あとで駄目になるケースが多い」と言っていた。あんなの予言のせいにされるのは、かたはら痛い。こちらは紳士で、悪口言わないのをいいことにしている。仕事面では、書類仕事ができなかった。会議も腰が痛いと称して出なかった。理解ができなかった。人事異動ということが、理解できなかった。仕事で言っている話が、見えない。

(前田:関谷は外に出てお茶を呑んでいるだけで、事務所にはほとんどいなかった)

大黒天といったって、何かしたのかね。 500万出して(松庵の事務所の補償金のために)、一年ぐらいで返してもらったと書いてあるが、いまだったら「大黒天なら、なぜ献金しない」と言われる。ガソリン代や飲食費の一部を出してもらったことにはなるが。うちの情の部分が悪用された。


『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.10
本心7
【原】
原は、表の世界では通用しない論理の人。87年後半から邪魔をしていた。 87年6月に事務所が出来た段階で、切るべきという論点があった。できる仕事がなくなって、ブローカーみたいになった。そのブローカーがまともに機能しなかった。ブローカーをとったら、辞めてもらわないといけない状態だった。潮文社の社長に『大川隆法は宗教好きな人には天皇みたいなもんだから、あなたが人に会わさないように防波堤にならんといかん』と言われたのを金科玉条みたいにしていた。それに虚言癖と妄想癖があった。

女性にも権力欲があるんだね。40代の女性だから、僕は中性と見ていた。若い女性を秘書に使ったら、変なことを言われる恐れがあったから、おばさんを秘書にした。あのへんも高橋さん、苦労した。栗原も常時霊障だった。初年度、安くあげたつけだったかな。

原に、 「幸福の科学についてきたいのなら、結婚してヨガをやめて、弟子としてついてきなさい」と言ったのは、 50にもなったら、ヨガも出来なくなるとあわれに思ったから。ヨガ教室に20人しか来ないのと、 ドームで5万人来るのとを一緒にはできない。原はミニ教祖第一号で、ヨガ教団を幸福の科学から外すとき、 一緒に会員を連れていかれた。宗教は他の悪口を言うと、そこの宗教にはいることができる。この手法で入るパターンが多い。

GLAの人と見るんじゃなくて、ヨガだったから。GLA本流ではなくて、仙人だったから。天狗は持っているが、仙人の方がこぼれるのは早い。原は幸福の科学に不満、関谷は仕事で椅子に座れなかったんだから。最初、手伝った人は、何とかして幸福の科学に残してやりたいと思ったのが仇となった。今だったら、職員をするのは無理。関谷も「どうぞ、在家の財務部長で」と言うところ。原だったら、婦人部でも弾かれると思う。

もう一つ、ここは宗教的に大事だが、原はGLAの別派をいっぱい回ってきて、ここは本物だと思って、自分がやめてきたところを、うちがGLAの再興として、見返したかった。高橋佳子を見返してやりたいと思っていた。

【Algorab注】
『いまだったら「大黒天なら、なぜ献金しない」と言われる。』という部分。これは主として、91年の大伝道の失敗とフライデー事件を要因とする教団の財務危機を乗り切るために創設した「ミラクル資金推進」や「ビックバン貸付」といった融資制度を、やがて「仏陀から利子を取るのか?」と迫って、信仰を踏み絵に布施に切り替えさせて踏み倒したケースを指しており、このことについて大川は確信犯だったことが窺える発言です。

さて、身内のイエスマンだらけの席上で、いよいよ大川隆法がそのドス黒い正体を現し始めました。2011年にこの文書を投稿した際は、一部を伏字にして掲載しましたが、今回はそのまま掲載します。

関谷氏や原氏と大川との出来事は、関谷氏の「虚業教団」に詳しく記されており、神託結婚等に関する部分は、以前に『「神託結婚」- 異常性の発現』として当ブログでも扱いました。

関谷氏の著書に対しては、教団(大川)側が訴えを起こしましたが、結果的に教団(大川)側の完敗に終わっています。そうした「虚業教団」と合わせてこの文書を読むと、大川の倒錯ぶりがより分かって味わい深いことでしょう。

関谷氏に生前、大川に対して抱いた疑念が確信に変化した頃のことを伺った際、形ばかりの結婚式を挙げたあとも、実際のところは入籍を行っていなかったのに、そのことを大川が気付いていなかった(勘違いしていた)ことを回想されていました。少しばかりの負い目を感じながら抱く秘密を、神通力のあるはずの教祖が一切見抜けていないという事実が、大川への認識を改めるきっかけになったようです。

大川は脇が甘いから、こうした程度のきっかけであれば誰にでも多少はあるもので、例えば、フライデー事件の最中、都内のホテルを転々とする大川に付いて警護課もその都度近くの安いビジネスホテルに宿泊して警護体制をひいていたのに、ある日、大川が警護課長に対して「ホテル住まいが続くと疲れが取れなくて困るよ。山本さんはいいね。自宅の風呂に浸かって休めて」と言い放ったことがありました。

それを聞いた警護課長は、「先生は俺たちが近くに泊っていることを知らないんだな・・・」と言って怪訝な表情をしていましたが、同氏の場合はその後も色々と悩ましい状況に直面させられながらも、「そこから先を考えることは恐ろしいことだ」といって突き詰めて考えることをせず思考停止してしまっています。

関谷氏の場合は、神託結婚の強要という異常事態の渦中に置かれていたからこそとも言えなくありませんが、同じようなきっかけでも、そこから先に進めるかどうかの個人差には、プライドに邪魔されない素直さ、主体性の強さ、理性的な道義心などがあって、それはたぶん薄皮一枚ほどの、ほんの少しの違いに過ぎないのではないかと思っています。

前妻のきょう子との離婚騒動や長男との確執、その他さまざまな場面で発せられた言行録によって、大川隆法というセクト教祖の外道ぶりが十分に示されている今日では、最早この記録のような酷い内容でも今さら驚くほどではないかと思われます。しかし、重要な点は途中から曲がったり退化したのではなく、大川隆法というのは初めからこうだったという事実にあります。

この幸福の科学というセクトとの関わりや費やした時間は人それぞれで、ダメージの質や深さも自ずと違いがあり、その影響からなかなか抜け出せない苦しさの中で、心が行ったり来たりしている方も少なくないことでしょう。けれども、全ては目の前の現実をありのままに受け止めることから始まります。

大川隆法メランコリック本音トークVol.4

大川隆法メランコリック本音トークVol.3に続き、1994年3月に当時の幸福の科学総合本部で収録された大川隆法の談話記録を順次掲載していきます。

文中では大川隆法が脱会者に対して極めて醜い罵詈雑言を並べ立てていますが、言うまでもなくこれらはあくまで大川の自己都合から発した根拠なき誹謗中傷であって、決して各人の真実ではないことをあらかじめ明記しておきます。

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.7

本心5 -2

【高橋守】
彼は、前田、高橋が一番よく知っている。出版が素人だから、なめられたんだと思う。こんな連中なら騙して入れると。ずっと入れると思ったのに、意外に厳しい目で自分を見ていたんだなと分かったのが87年の12月。前田さんが悪い目で見ていた。僕も宗教的幹部になる人ではないと思っていた。

(前田:高橋守がもっと悪くなったのが、土田の影響)。

【土田】
土田は何の力があって、うちを破壊したのだろう。87年夏、 「筆を折る」ということをやたら言っていたが、それを聞かず、高橋を事務局長に入れたのを恨みに思っていたのかな。

(前田:会の組織に反発したのも、合議制で決まると思っていたから)

あれも原の紹介。

(前田:いや、手紙を出したんです)

癖が悪いのは、第一回の講演会の挨拶を頼んだら、個展の案内状を配ったこと。五月研修のときも配った。その手ロがわかったのは、あとで、小金井のハバさんのところに行って、そこの月刊誌に自分の個展の予定を出していたから。実力では食っていけないので、宗教にくっついていた。 87年6月、松庵の事務所で、個展をやらせてくれと言ってきた。

(前田:原が、絵を一つ入れたらと言ったのを、自分の絵を全部飾られるものと思っていた)

たとえ絵を掛けていいと先生から言われても辞退するのが筋だ」と、あなた(前田)が言ったんじゃないか?絵を拒否されたので腹をたてた。 87年夏ごろ、 「筆を折る」と言ってきたが、事務局長をしたくて言って来た。僕は画家さんでは無理だと思って、断った。そのあと、 87年8月高橋さんが入った。前田さんが「高橋さんの方が癖がなくていいんじゃないですか」と言っていた。そのあたりで、土田は外れた。絵を売らしていただくんなら、一緒にやっていく、ということだった。

二回ぐらい挨拶してもらったが、あとは、さげた。最後は88年の2月、ルが入った。会議のとき、高橋守と暴れようとしていたが、高橋守は暴れなかった。その前に高橋守には、分断の手紙を僕が出しておいたから。あのとき、悪霊波動で、景色が見えないほど空間が歪んで見え、こんなにすごいのは僕も始めて経験した。あそこまで入られたのは、当会では第一号だった。うちに来て利権をかませて、その範囲内でやらせてもらえると思ったのが、うちが独立して、とられたから暴れている。

これはGLA系統の欠点だと思ったので、職員化を進めて、法の独立を守った。ほんの一年、世間的には許されるぐらいの誤差。言えるほどのことはしていない。いまだったら即刻首。外車に乗っていたから儲かったことは儲かった。

(前田:いやクラウンでした)

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.8

本心6

そのころから紙の話が出てきた。工場を持っていないから外注。 「じゃ、納品書を出せ」と言ったら、 「そんなものはない」。部数が嘘で、いい値だから。増刷も半年も出ないというので、これはおかしいと思った。部数は今でも嘘だと思っている。

すでにあのころで、潮文社で、初版で一万部刷っていた。それまでの最高が潮文社でも八千部で、通常は三千部だった。土屋も結構出ていた。うちの出版知識が十分でないので、ろうだんされていた。外すのは外したが、出版としては一年中断した。土屋があったので、本は出せたが、本を全部取られたら、教団は潰れていた。

潮文社も、卑弥呼の霊言から、 「幸福の科学という名前は認められん。科学という名前なんかだめだ。 ハイビジョン・センターという名前でないと」と。潮文社も流れ的には、いずれ分かれる運命にあったが、会の名前に文句をつけてきた。シルバー・バーチを出していて、 「霊媒は名前を出さない」と言っていた。出版は難しい。

いつのまにか、うちの出版が出るようになった。 (89年初めから)そのころの時期と、信仰心をたてないとやれないという時期とが同じだった。コスモも「紙を仕入れたのに」とか、 「株をもらえないか」とか言ってきたが、素質としては駄目だった。うちの、大幹部みたいに言って、言いがかりを言うのは糞飯もの。

「発展の原理」の講演会のとき、 「神の手足として動かなければいけない」と言ったら、そのあと、本人が出てきて、 「あれは私のことを言って下さって、私は神の手足としてやっています」と言っていた。彼の手足は、講演会のとき、花輪を入れることで、そんなんでは、大黒天の名には値しない。そういう入りかただった。法的には弟子になれるものではなかった。研修会も参加試験があるから入れなかった。

【Algorab注】
アイドリングが済んで、しゃべくりが次第に躁状態に移行してくるにつれて、いい加減な記憶を思い込みで書き換える大川の習性が表れてきたところです。幹部の前田がツッコミを入れていますが、こうした時に大川は、「へっ?」とほんの一瞬の間があるものの、表情を変えずに誤魔化し、お構いなく話を進めます。そして結局、日頃からこういうことが多すぎるので、やがて誰もが聞き流すようになるのです。

出版部門にまつわる欠席裁判を繰り広げる中で、大川は離反者たちが元々「利権」で接近してきた者たちと断罪します。しかし、当事者らが関係し始めた頃は、まだ立宗して軌道に乗る以前の、そもそも「利権」など成立しえない未開の時期であって、個々のパーソナリティによって、多少の自意識過剰や勘違いがあったとしても、基本的には人類幸福化運動を掲げる幸福の科学というコミュニティの中で、それぞれが独自の自己実現を通じて参画しようと考えていたに過ぎなかったと思います。

そもそも初期は会員に対してそうした姿勢を推奨し、そのため様々な分科会が存在していました。それが急に変わったのは90年5月研修からで、個を捨てて教祖への滅私奉公を要求する個人崇拝の全体主義に転換したのです。ここにはそうした都合の良い宗旨替えと共に、「利権」と言う疑いで人を切り捨てておきながら、実は己自身こそが人を値踏みしている大川の矛盾もよく表れているでしょう。

また余談として、初期霊言本の出版元である潮文社は、2017年6月末をもって廃業していますが、以前に関係者を通じて、幸福の科学とのエピソードについて聞いたことがあります。

霊言本を巡って一方的な要求をしてくる教団との間でトラブルになった際、数人の幸福の科学職員が事務所に怒鳴り込んできて、その様子はまるでヤクザのカチコミのようだったとのことで、狼藉者の名前を聞いた時には、その意外さに私も驚きましたが、現場に居合わせた潮文社の若い社員には、それがトラウマになって出社できなくなってしまった者までいたと話していました。

大川隆法メランコリック本音トークVol.3

大川隆法メランコリック本音トークVol.2に続き、1994年3月に当時の幸福の科学総合本部で収録された大川隆法の談話記録を順次掲載していきます。

文中では大川隆法が脱会者に対して極めて醜い罵詈雑言を並べ立てていますが、言うまでもなくこれらはあくまで大川の自己都合から発した根拠なき誹謗中傷であって、決して各人の真実ではないことをあらかじめ明記しておきます。

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.5

本心3 -2

(昼食会:局長六人と三本部長)
これ以上、組織を大きくするんだったら、戦うことをしないと。 91年は外患と戦ったが、こんどは内患と戦っていく。

(前田:Lフォーラムも潰さないといけない。関谷-石毛一伊澤一中村とつながっている。伊澤が一番画策している。 K社との接点があるのは伊澤)

K社の校正を一件いくら、でやっていたのが、うちの編集局長までもらって、それを取られて暴れている。自意識の高い人ほどそうなる。彼がおかしくなって、菊池さんを呼んだ。人事的に見ると、総合職と専門職と一般職を明確にしなかったのが問題だった。いま、西荻のカルマの刈り取りをさせられている。うちの人のいいとこと、こちらから何も言わなくて、悪いことばっかり言うとことだったらどうなるかだ。けじめの問題だった。

本心4

細川、前田、坂下は88年から知っているので、切り返さんと。知らない者は言うことができない。92年高橋守がTVに出ても、白木、山本が「この人誰ですか」の世界だった。そういうことにガン細胞がある以上、そのところと戦わないと。生き残っている人は責任がある。細川さんなんか、責任の塊。虫歯を治さずに、上からかぶせて、ときどき下が痛むといった状況だ。

あのとき発展の方ばかりに目が行っていて、ネガティブなことはまあまあというとこがあった。 88、 89年にガタガタが集中していた。88年12月から89年12月は細川事務局長。88年に集まった人たちが問題で、根は87年にあった。幸福の科学が団体として自立していこうとするときに起きている問題。K社が追い込まれている。捏造がこたえているので、ニュースソースを出さざるをえなくなった。

(前田:当初から反抗しようとしていたのは高橋守、伊澤)

細川は、机を割られたとき、警察に行ったらよかったな。急に金回りがよくなって。出版もたちあがりのどさくさで、やられたが、こちらは善意でスタートしたが、入り方は利権だった。

小冊子を見て、 「こんな素晴らしいもの、うちで出させてください」と言ってきたので信用したら、原価で350円、高いので550円もとられた。百年持つ紙だと称して、正心法話600円もとった。その前に、西荻でやってもらっていたのは原価数十円。

次は、月刊誌を担保にとられた。次は出版のところで入られて、これは明確に狙っていたと思う。すでに本は売れていたから。「紙は一年間おさえましたから」とか、コスモ印刷KK社長で来たのに、登記にないことがわかった。僕は間接的に聞かされたことだが、工場を持っていて、 12月には社員をスキーに連れていくと言っていた。内実はブローカーで、奥さんと二人しかいなかった。

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.6

あと、もう一つ騙されたのは、細川さんで、口座開くのに、 「一千万円以上ないと、口座は開きません」と言っていた。それを東販で直接聞いたら、 「お金なんか一銭もなくても開けますよ」と言われたので、それを高橋守に言ったら、 「いや、太陽出版の社長がそう言っていた」と言い逃れた。それでドローになった。あれは情報戦争で敗れていた。うちとしてできないから、小田木さんを入れて、あれはすべてこちらが正しい。

あと、 「原稿くれんかったら、印税を払わない」と脅して来た。 「幸福の科学に本を売らん」、こういうことをした。元が原がらみ。あの人がカモられて、裏口から入ってこられたのにやられた。 「こんないいもの、うちで出させて下さい。こんないいものは、いい活字といい紙で出させて下さい」と。こんなものに騙された。見積が高かったので、一旦は断ったが、月刊誌を原価でやりたいというので入られたのかも知れない。それが87年の5月。あそこで入って、そのあと小冊子にきた。

彼は会員になったとき、うちの本は一冊しか読んでいなかった。幹部でもないのに。出版社を出したとき、株は出さなかった。それを外したので暴れられた。出版営業部長の肩書きも、本人が「書店回りするとき困るので」ということで、勝手につくったもの。営業部長の方が偉いんだということだった。

本心5

構造的には原のヨガ道場と同じ。相入れでなかったらやれないということ。うちからヨガ道場に会員が行った。しかし、ヨガと一緒には出来ない。これも利権から入ってきた。

一つは、 GLA系統の信仰心がないのと宗教の裏口を言うのとが原因。高橋信次先生も「私のことも疑いなさい」というのはアマチュア。宗教嫌いも学会へのカウンター。あと、 「宗教で金儲けしてはいかん」というのが、他の人を利用するようになって、その人をよいしょしなければいかなくなるので、宗教の純粋性がなくなる。だから事務所と職員を入れて専門家集団にしないといけないということで、やった。

【Algorab注】
幸福の科学の特徴は、矢継ぎ早に出版される大川の書籍を軸にした運営形態で、ここではその出版関係における初期の人事や権力闘争について、当時の大川の認識が披露されおり、各個人の人となりを知る者にとっては、大川の認識がいかに卑屈で歪んだものであるのかが分かると思われますが、内部の具体的な事すぎて、登場人物の顔が思い浮かばない方々にとっては掴みづらい状況の、いささか伝わりにくい話題だとは思います。

けれども、教団の小冊子や根本経典である「正心法語」の原価に言及している部分は大きな見どころで、大川自身の中に理法(経典)というものに対する実質的なリスペクトの姿勢が全く感じられない、本音が露骨に表れた貴重な暴露と言えるでしょう。

組織はトップの人格が反映するものです。幸福の科学には、教本のほか本尊や偶像など数十万から数千万円に至るまでの様々なアイテムがあり、信者を勧進するのにあの手この手で功徳を盛に盛りますが、それは口先ばかりのことで、製造原価をケチったパチモノを、信者の信仰心を踏み絵にして不適正な高額で拝受させる守銭奴ぶりは、やはり大川隆法を始原としたものでした。

大川隆法の価値判断の本質は損得勘定で、幸福の科学主宰者の人生を貫く根源的な不幸は、その貪欲さゆえに「感謝」ができないことです。
プロフィール

土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)

Author:土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)
セクトの犠牲者である家族と個人を支えるネットワーク
「RSFI MAIKA」代表

日本脱カルト協会
「JSCPR」会員

当ブログへようこそ。
「幸福の科学」の問題を中心に、セクトについて考えていきます。

ご相談等の場合は、リンク先頭の「RSFI MAIKA公式ホームページ」のコンタクトよりご連絡ください。

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