fc2ブログ

大川隆法メランコリック本音トークVol.2

大川隆法メランコリック本音トークVol.1に始まる、1994年3月に当時の幸福の科学総合本部で収録された大川隆法の談話記録を順次掲載していきます。

文中では大川隆法が脱会者に対して極めて醜い罵詈雑言を並べ立てていますが、言うまでもなくこれらはあくまで大川の自己都合から発した根拠なき誹謗中傷であって、決して各人の真実ではないことをあらかじめ明記しておきます。

本心2 -2

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.3

【内患との戦い方のソフトを】
内憂外患だった。今回は内患との戦い方のソフトを確立しようとしている。91年は外患との戦いだった。今だったら即刻首になる。まどかが、原の言うことを信じるか、主宰の言うことを信じるかなんて、失礼な話。幼稚園のようなものだった。

うちも組織を強化して、戦う方法を確立しないといけない。以前は2年かかったのを、今は2~3ヶ月で確立しようとしている。そのうちスクランブルを。ルも編集の根本に入ったので、原稿おこしを分散しないといけなくなった。あそこのとこは危ない。

【戦う武器】
あと、話としては別だが、本を出して遊撃隊にするなら、編集の強化を。西部支部の中川を入れて、課長4人にしてもいいと思う。月刊誌以外にも、武器を考えないといけない。外に対するパトリオットがいる。虚業教団と逆のものをマーケットに出す必要がある。内部の人で分担執筆する方法と、あるいはダイヤモンド社から出そうとして、先生にインタビューした人も書き手として使って、うちとしても大本営的に出す。幸福の科学出版で出してもいい。

「幸福の科学発展の秘密」 、 「悪人退治に成功したとこは発展する」とか・・。うちもマスコミとしての戦い方をボンボンやらないといけない。逆の情報を流して。学会もやっている。

池田と小沢の対談をルポ風にやって、池田の方が上だと。活字で戦わないと大人にならない。 1万部でも2万部でもいい。「宗教の反撃」でも効いているはず。マーケットに出すだけでいい。 500人、 1000人、読んでもらったらいい。中和するのに。だから、編集強化、一般本も混ぜて、大本営と敵攻撃の本をつくってパトリオットしないと。大人の戦い方がいる。

本心3

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.4

【原】
あと、被害者の会もあるが、杉並支部も被害者の会のダミーで戦わせた方がいい。原の家の回りに100枚でもビラをまいたらこたえる。

①虚言、②夫に飯もつくらなかった、③悪霊つきでヨガをやっている。何か悪さをしたら、パトリオットで入れる。そうしたら、恥ずかしくて近所も歩けない。原もただの仙人。

【コスモメイト】
コスモメイトも反撃するかも知れないが、みすず学園は、今学生募集をしている。学園長だから。この一ケ月がかきいれどき。駅前で夕方からまく。杉並支部で。うちの戦い方は、ゲリラ的にやる。

【関谷】
あと、関谷は世田谷支部。公団アパート。近所の人にお知らせ。この人は虚言癖があるから気をつけよ。こういうゲリラをしないと宗教としては少し弱い。裁判所以外戦えないのではいけない。日蓮聖人に相談したら、 「そうですね。私だったら、5人くらいで行って、折伏しますわ」と言っていた。被害者の会も別動隊をつくらんといかん。ゲリラも宗教的な活動です。

【映画の件】
とりあえずセミナーが終わったら、映画の会議を。難解だが、傑作になる可能性がある。「空と阿羅漢」でも5万人も聞いてくれるんだから、難解で部外者が言えなくてもいい。5W1Hを考えられるところは入れるが、最後は妥協せずに押し切るのも手。あとで、会員が説明する。ノストラセミナーなんかをして。あんまり妥協しない方がいいかも。

【細川、前田、坂下】
今日、呼んだ三人は87年あたりを知っている人ですから。責任とって「言え」ということです。「戦え」ということです。いやだったら、瞑想教室で雇ってもらえと。坂下の情報が正確だと思う。細川は自分のことだから、正確ではないと思う。坂下は「あの不信仰者が」と思っていたことと思う。

【Algorab注】
幸福の科学の文化のひとつ「外部ダミー団体」は、もともと教祖の大川隆法直々の発案で、頭隠して尻隠さずのいかにもセンスのない名称のため、直ぐに幸福の科学関係とバレてしまうのも、ドジな大川のパーソナリティゆえと言えそうです。

また同様にビラまきも大川の趣向からで、脱会者や批判者を「恥ずかしくて近所も歩けない」ようにしてやるために、誹謗中傷の怪文書をばら撒くというのが、自称「宇宙の根本仏」大川隆法自慢のパトリオット戦略と言うわけです。

「ゲリラも宗教的な活動です」は、大川語録でもなかなかの部類に入るものでしょう。
スポンサーサイト



大川隆法メランコリック本音トークVol.1

「1994年3月1日、先生突然のご来社」という一文から始まるA4版29ページにわたる大川隆法の談話文書があります。

これは94年3月1日から3日にかけて、当時の紀尾井町総合本部で少数の職員を前に立て続けに行われたもので、大川が本部に来たときの会話は、日頃から秘書が聞き逃さないようにしていましたが、このような突然の来社というのは何かあるということで、より細密に一言一句まで拾われて記録されています。

この当時は、関谷晧元著「虚業教団」(現代書林)が出版されてしばらく経過しているものの、教団として組織的な反論ができていない段階で、大川自身がいてもたってもいられなくなって出てきた状況のベラベラトークになっています。

大川の特徴として、何度も同じ話がループする傾向があります。特に意識が固着して気になって仕方ない件で顕著に表れおり、大川のメンタリティーが良く分かる部分だと思います。

この文書は、『幸福の科学』撲滅対策本部★したらば営業所・資料集に、2011年10月1日に「大川隆法の本心」(No.1~No.33)というタイトルで掲載したもので、全体のボリュームがあるので、内容を再確認しつつ少しずつ転載していきます。

なお、文中では大川隆法が脱会者に対して極めて醜い罵詈雑言を並べ立てていますが、言うまでもなくこれらはあくまで大川の自己都合から発した根拠なき誹謗中傷であって、決して各人の真実ではないことをあらかじめ明記しておきます。

本心1

『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.1

【セミナーの前座】
日曜の行事のとき、 10分間、開会の挨拶と前座をかねて、事務局長に話してもらおう。会としてやっている雰囲気にした方がいい。言って欲しいことは2点ある。

①あとの話のとっかかりになること。
結婚して六年、その結果会が非常に堅固になって発展した。総合本部としての見解を述べる。自分で言うと反発される恐れがあるので。

②主宰補佐が何をしているか、会員も知らないし、虚業教団でも奥さんだけやっていて給料貰っていると言っているから、これも自分で「私は仕事をしています」と言うのは不本意。だから事務局長から、主宰補佐は何をされているかを話す。

あと、主宰先生が結婚されたおかげで、ご利益で結婚できた方が多い。他にも幸福な現象が出て、結婚しやすくなった。あとの話ができるだけ被害を被らないように。

原は虚言癖があると言ってよい。初期、僕らの結婚を邪魔しようと画策した不信心者だった。
③仕事ができなかった。
④嫉妬が大きかった。

当時、自分のヨガ教室のゴシップばかりだった。当会の見解で悪人と断定する。宗教的に切り落とさないと納得しない。この世的に言っても納得しない。ルシファーが入った人が撹乱したというのが事実。


『 大 川 隆 法 の 本 心 』No.2

【悪魔の入り方】
ルシファーの入りかたは、 88年2月に土田に。 高橋守と組んでやろうとしたときに、危ないと思って僕が二人の分断に入った。会議に出て、対決して潰した。高橋守も常時入られていたが、とりあえず土田を潰した。次はルシファーが原に行って、関谷は89年からずっと入っていた。

89年末から90年3月まで、ルシファーは細川さんに入った。ルシファーに狙われて残ったのは細川一人。とりあえず四国へ行ってもらって、今は抜けている。

次ルシファーが編集に来て、伊澤と根本に入った。それで、編集に著作権があると言い出した。それで、 90年5月菊池さんを入れて、伊澤を出した。

9 0年の後半の拡張期の失敗は天狗指導による失敗。戦いをすることで意志統一をしていた。91年1 1月、竹内に覚が入った。日本海に出して、抜けるのに半年ぐらいかかった。今回も国際局長とって、覚に入られた。仏弟子は狙われる。高橋大亀も92年の1 2月から93年4月までは、覚がしょっ中入っていた。今は抜けている。覚筋は仕事のとこがやられた。ルはいま、 K社に事務所を移してやっている。

あと、 93年1 0月から覚にやられた。組織として管理部門を削っていたのでやられた。秘書も若い人で回していたが、 93年10月為久の結婚が時限爆弾になった。93年1 1月は秘書部門がガタガタになった。

本心2

とにかく女子の説得は難しい。
それで、管理部門を増強しないといけないということで、山本さんは削り専門だから出した。山本、壱岐に悪魔が入ったのではない。守護霊があばれていただけ。93年の1 1月一杯は覚が暴れていた。次はドームをつぶすのが主眼だった。だから大阪を捨てた。 K社も虚業教団をドームの前に出して、内は覚が来て、外はルが仕切っていた。先生の回りを薄くするのは極めて危険。運転手一人でもやられると(悪魔)来る。

その手薄なとき、あと、須呂を狂わせたら潰れる。須呂にやられたらいかんと思って、指導局に避難させた。おかげで、秘書は11、 12月さらに被害が大きくなった。弱くなったところ、心労しているところをやられる。

92年は4月ごろから、小澤さんがおかしくなった。小澤さんは仕事をしていなかったから、せめて先生の行事についていって、挨拶をさせようとしたが、 92年の4月から6月までは山本さんとの戦いになった。僕は結局、仕事の方をとった。

92年6月には小澤さんに悪霊が入っていた。理事長、理事制度はまつりあげに近かった。外に敵がいたので、成功したように見せないといけなかったから。だから半年して元に戻した。 92年春から財政的に均衡。だから正当に処遇できるようになった。そのあとは、財政一本で来た。財政に貢献するものをプラス、しないものをマイナスとして93年秋まで来た。固定費、管理無物を削ってがたがたになってきた。

高橋、細川、小澤まで、僕は叱らなかった。叱ると悪い情報を入れなくなるので。山本から叱りはじめた。関谷は89年ちょっと怒った。採用、資金、事務所開きが総務としてずさん。細川も悪かった。関谷は持たないと見ていたから。細川を残してやろうと思ったから、関谷を叱った。彼が事務局長になって、人がポロポロ落ちこぼれていった。やり方に調整能力が足りなかった。人間の感情のところが外れる。内、外ともにやられていた。

【Algorab注】
91年のフライデー事件も、このような「突然の来社」から始まりました。91年の大伝道の失敗とフライデー事件によるダメージから、92年~93年にかけてなんとか復調してきて、少しいい気になってきた矢先に、立宗の功労者で神託結婚までさせた元幹部職員の告発本によって実態を明かされたことで、いかに動揺していたかが窺えると思います。

「虚業教団」の中では、大川が会員の女性に目を付けて結婚したことが、大川の変質の要因のひとつという論調でしたが、それに対して大川自身が教団あげて補佐役の細君を擁護させようと指示していた事実は、前妻のきょう子を「裏切りのユダ」と価値下げし、あらん限りの罵りを浴びせて離婚のうえ追放した今日、大川隆法という小者の軽薄さ阿保臭さを端的に示すものでしょう。

この文書では、関谷氏と同じく立宗の立役者で脱会した原氏に対しても誹謗中傷が続いていきますが、大川がこの時「僕らの結婚を邪魔しようと画策した」と評している部分、仮に原氏が大川と恭子の結婚に批判的であったこと自体は事実であったとしても、それはむしろ当時から既に大川自身の認知が歪んでいて、周囲の意見を謙虚に聞き入れられなかったことが現在の失敗の原因ということとなり、因果応報どこまで行っても大川が俗っぽく愚かであることに変わりはありません。

このほか草創期の功労者で去っていった者に対しても、基本的に悪魔にやられたという形で自己批判の欠片もないのは、現在の様子と全く違いはありません。私はこうした方々数人と直接お話をして来ましたが、皆さん同様に、大川が言っている事とやっている事の違い、拡張路線とそのための排他性の増長、また拝金主義に苦言を呈して対立し、石もて追われた方ばかりでした。
プロフィール

土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)

Author:土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)
セクトの犠牲者である家族と個人を支えるネットワーク
「RSFI MAIKA」代表

日本脱カルト協会
「JSCPR」会員

当ブログへようこそ。
「幸福の科学」の問題を中心に、セクトについて考えていきます。

ご相談等の場合は、リンク先頭の「RSFI MAIKA公式ホームページ」のコンタクトよりご連絡ください。

また、当ブログのコメント欄は非公開設定を選択することができます。悪質な荒らし行為等でない限りは決して公開されませんのでご安心ください。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR