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大川霊言は原始的防衛機制の賜物

最近、幸福の科学の、殊に大川隆法に関する事柄の歴史修正主義に拍車がかかり、度重なる設定変更によって、もはや初期の原型を留めないほどに変質しています。

初期の「太陽の法」や「平凡からの出発」での自伝では、自らのコンプレックスや卑屈ささえ素直に著していて、そのカリスマ性のなさが却って安心感を抱かせ、共感を広げて会員を増やした部分があったかと思われますが、その頃と現在を比べると180度違う全く別人の描写です。

その変わりっぷりが激しすぎて、ネタとして傍から見ている分には愉快ではありましょうが、こんなことが平然とまかり通っている幸福の科学という内集団の資質に注目したとき、信者の人生をひっくるめて「迷走」から「暴走」へとなだれ込んでいくカルト宗教の実態に慄然とせずにいられません。

誰にでも、できることなら消してしまいたい黒歴史の一つや二つはあるものです。失敗のない人生などありませんから。でも、健全な人間なら、時には目を背けながらも、それらをひっそりと心の中にしまって日々を生きていくうちに、写真が焼けて白けていくように、苦い思い出もやがてセピア色になって、静かに記憶の列に納まっていくものだと思います。

けれども、世の中には人格的な問題から、そういうことに耐えられない人間がいます。自己愛的な変質者の場合、自分に不都合であればあるほど、その事実は無視され、記憶は書き換えられます。人格が幼児的で未熟ゆえに、心(精神)で認識“できない”、または“したくない”ことは、認知の時点にさかのぼって改竄まで行うのです。

こうして、そのありのままの事実を認めることによって、自我が受け止めきれない不安や不快に苛まれそうな現実を無意識に無視しようとする心の働きを、精神医学や心理学領域の用語で「否認」と言います。

大川隆法の自伝の変質は、この自己愛的な変質者独特の「否認」の働きというカラクリが分かれば、逆にこの惨めな男を苛み続ける悪夢の対象が手に取るように理解できるようになるでしょう。

この「否認」は、対象の「良い面」と「悪い面」の分裂から、その統合に耐えられない幼児的な心の状態で、良い対象の価値を極端に引き上げたかと思えば、一転してそれを途端に扱き下ろすという、「理想化」と「脱価値化」を正当化します。大川隆法の霊言は原始的防衛機制の賜物なのです。


聖地・四国正心館では、信者限定で【「天才児・受験秀才・そして実人生の挫折」-人生の成功と失敗の分岐点―(救世主の実兄・富山誠の初霊言)】と題するプログラムがあります。以前から情報を得て、内容に関心がありましたが、有志の方のご厚意で、近頃その記録を拝見させて頂くことができました。

法話は2つのパートに分かれていて、それぞれ内容を要約すると、まず「富山誠先生から見た主のお姿」というパートでは、

「主(弟)は小学校四年の頃には、四歳上の自分と同じ勉強をしていて、目覚まし時計などなくても、朝6時半には起きる男で、中学の時には、既に先生の代わりに教えられるぐらい勉強ができて、模擬試験の解答と弟の解答が違っていたら、先生が弟の解答に合わせて採点を全部直していたほど。勉強では全国でトップを取っていて、東大に入っても桁外れに勉強ができた」とか。

また、「弟は実業家的な才能があり、覇気とバイタリティに溢れ、清濁を併せ吞み、人の才能や長所を生かす男。それでも威張ったりすることなく、東大に入ってから、いっそう謙虚になった」とか。

さらに「弟は親を立てて、その言うことをよく聞き、親を小馬鹿にすることは全くなかった。自責の念には潔く身を処し、他人に責任転嫁することはなかった」などなど、噴飯ものの賛辞を並べたてています。

そして「富山誠先生のご教訓」というパートでは、

「世の中、要領だけで生きていけるほど甘くない。「自分は天才だ」と思った人(私)は天才になれなくて、「天才じゃないから努力しなければいけない」と思った人(弟)は天才になる。結局、一躍天才になる道などなく、やはり(弟のように)平凡に努力していかなければいけなかった。世の中で成功するということは大事なこと。(私のように)この世的に通用しない人間は駄目なんだ」と、兄の霊に自己批判の総括をさせてみせるのです。

四国正心館だけでの実兄の霊言という秘儀的な希少性で信者の関心を引いてはいるものの、実際のところぼやけた感じで、大した内容ではありません。ただし、「否認」の観点で見たとき、大川を苛む悪夢がありありと浮かび上がってきます。

要するに、実兄による霊言という形で、兄に自らの人生の後悔と反省の弁を述べさせるようにして辱める一方、弟である自らへの礼賛を語らせて悦に浸るという、実際のところは大川自身がイタコ芸で独り言を言っているだけなので単なる滑稽な自画自賛に過ぎないのですが、そうまでしても、病気で早世した兄に対してマウンティングせずにいられないほどに、今なお解消しきれない深いコンプレックスを腐らせたままでいるということです。

富山誠こと中川力氏
大川隆法の実兄である富山誠こと中川力氏(故人)

「くだらない論考だ。現実と関係ない」

私が徳島勤務当時のある日、田岡病院の一室にて、父親の善川三朗(中川忠義)から幸福の科学の月刊誌を見せられた中川力氏は、弟が書いた巻頭文を一読したあと、手元のメモにこう筆談し、皮肉っぽく笑っていました。

同氏にも溺愛児的な傾向が垣間見えて、お世辞にも人格者とは言えませんでしたが、京都大学院を卒業後も、僧侶を目指して種智院大学に進みながら、病を得たことも含めてその道は断念し、さらに中川家の霊言稼業から自ら身を引いたのには、少なくとも宗教に対しては、父や弟よりも最後は誠実であろうとしたからではないかと思います。

人間は、様々な人生経験を経て人格が陶冶され成長します。けれども、人生経験をマトモに受け止めきれず、いつまでたっても責任を担えないままでいると、人格は自他未分化の幼児的な段階に留まったまま退行していきます。

そもそも、モラハラの加害者たる自己愛的な変質者というのは、相手から自己承認を得るために最初は不幸な人間として現れるというセオリーに思い至ると、「太陽の法」や「平凡からの出発」にあった赤裸々な描写の意味も納得がいきます。

これらに安易な共感を示して取り込まれてしまったことが、初期の会員の過ちであったと言えますが、そこから現在に至るまでに大川の自分史がどんなに激しく変遷しようとも、そうした変節そのものが、逆に中身の人間の幼稚な人格構造が1ミリたりとも変わっておらず(進歩しておらず)、始まりから終わりまで徹頭徹尾、こんな程度の宗教妄想に取り憑かれた人格障害者に振り回されていただけに過ぎなかったという、ごく単純な真実を証明しているのです。
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プロフィール

土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)

Author:土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)
セクトの犠牲者である家族と個人を支えるネットワーク
「RSFI MAIKA」代表

日本脱カルト協会
「JSCPR」会員

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