“宏洋とえらてん”波長同通の法則
言行不一致で、一貫性や前後の連続性がなく、自分大好きなくせに自己破滅型であるのは、父親の隆法の気質とどこが違うのだろうか?

軽薄な打算を達成しても事実は残ります。異常な“はしゃぎぶり”には違和感しかなく、百歩譲って、他の動画の最後に見せた反撃的な自己を活性化させた様子とあわせ、統制がとれない不安定なメンタルの痛々しい裏返しと受け取れなくもありませんが、どのみちこの選択がプラスに働くことはないでしょう。

見たままで判断すれば良いと思います。こうして出す以上は、それだけに全責任を負うことになるのですから。
かつて、内心では何かおかしいと感じながら、その思いにあれこれ解釈を加えて蓋をし、教祖に対する査定を躊躇ったがために状況を悪くした轍を踏まないように。
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宏洋は、教団を原資にするだけして、その他は自分の思い描く芸能活動にだけ没頭できる環境で享楽的な毎日が送れていたなら、それでも教団を割って出ようというほどの覚悟は生じなかったのではないでしょうか。
願いが叶わず、窮屈な感じが募ったことが、そこを踏み出す第一歩になったとしても、自己実現の支障から脱会すること自体は何ら問題ないことです。そもそも脱会に大義名分などなくても構いません。ただし、そこから生き直すには筋道を定める必要はあります。
けれども、自分の内面の整理に真摯に向き合うことなく準備が整わないうちに、目先にとらわれて焦って露出し、教祖の長男という生い立ちの特殊性のみに依拠するばかりで、ろくなエビデンスもないうえに、いいかげんな現状把握で態度も不真面目というのでは、後付けの動機による行動の正当性を担保することもできなくなって、最後はその性根を簡単に見抜かれるまでです。
“えらてん”とつるんで、こんな程度の界隈のお山の大将に担がれて満足なら、所詮それまでのこと。
もともとクズ親子の泥仕合という構図でとらえれば、双方が醜く潰しあう消耗戦を傍から高みの見物を決め込んでいれば済むことなので、その意味ではどのような展開をしようと、こんな連中を宗家一族と崇める幸福の科学というインチキ教団のハリボテぶりを端的に示す材料として、今後もその存在価値を失うことはありません。
ただ、そうしてボロ雑巾のように消費されて終わるというのでは、あまりにも残酷で救いがなさ過ぎだと思っていました。むしろ、境遇に負けずに経験を昇華して、少しでもより良い形で自己存在の意義を見出し静かに発揮して欲しいと。
毒親とそれが敷いたレールを否定したいなら、目を背けずに現実を受け入れて、いったん落ち着いて別の道を志向し、徐々に違う姿を示していく以外にはなくて、それは時間を要する甚だ辛い道ですが、丁寧な禊を通じて自分の中にあるトラウマを終わらせていくことは可能なことで、災い転じて福となすという、彼にとっては通過儀礼としても尚のこと必須であると思っていました。
でも、今のようなパターンを繰り返しても、場当たり的で一時的な高揚感を得るだけで全く意味がなく、有害ですらあると思えます。
でも、どうしても安直な選択をし、崖の方に突っ走って行くのですね。
これでもし性根まで腐っているのだとしたら、もうどうにもなりません。
自覚なく自己決定権を奪われて来た二世の内の、さらに教祖の家庭という異常な環境に置かれたことを斟酌すれば、できるだけ寛容でありたいところでしたが、それらの要素が無限に批判をかわせる免罪符とはならないことを知るべきです。
93年に脱会して以降、成り行きからこのテーマに留まってきた自分は、かなり諦めの悪い方だと思っています。ただし、その期間に様々なパターンを見聞してきました。そうした観点から私は、この辺で彼に対するお節介な老婆心は辞めにします。

軽薄な打算を達成しても事実は残ります。異常な“はしゃぎぶり”には違和感しかなく、百歩譲って、他の動画の最後に見せた反撃的な自己を活性化させた様子とあわせ、統制がとれない不安定なメンタルの痛々しい裏返しと受け取れなくもありませんが、どのみちこの選択がプラスに働くことはないでしょう。

見たままで判断すれば良いと思います。こうして出す以上は、それだけに全責任を負うことになるのですから。
かつて、内心では何かおかしいと感じながら、その思いにあれこれ解釈を加えて蓋をし、教祖に対する査定を躊躇ったがために状況を悪くした轍を踏まないように。
【削除確定】幸福の科学総裁・大川隆法氏の長男の宏洋登場!教祖や幹部は霊言を信じてるの?年間の総収入は○○億円!?暴露連発
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宏洋は、教団を原資にするだけして、その他は自分の思い描く芸能活動にだけ没頭できる環境で享楽的な毎日が送れていたなら、それでも教団を割って出ようというほどの覚悟は生じなかったのではないでしょうか。
願いが叶わず、窮屈な感じが募ったことが、そこを踏み出す第一歩になったとしても、自己実現の支障から脱会すること自体は何ら問題ないことです。そもそも脱会に大義名分などなくても構いません。ただし、そこから生き直すには筋道を定める必要はあります。
けれども、自分の内面の整理に真摯に向き合うことなく準備が整わないうちに、目先にとらわれて焦って露出し、教祖の長男という生い立ちの特殊性のみに依拠するばかりで、ろくなエビデンスもないうえに、いいかげんな現状把握で態度も不真面目というのでは、後付けの動機による行動の正当性を担保することもできなくなって、最後はその性根を簡単に見抜かれるまでです。
“えらてん”とつるんで、こんな程度の界隈のお山の大将に担がれて満足なら、所詮それまでのこと。
もともとクズ親子の泥仕合という構図でとらえれば、双方が醜く潰しあう消耗戦を傍から高みの見物を決め込んでいれば済むことなので、その意味ではどのような展開をしようと、こんな連中を宗家一族と崇める幸福の科学というインチキ教団のハリボテぶりを端的に示す材料として、今後もその存在価値を失うことはありません。
ただ、そうしてボロ雑巾のように消費されて終わるというのでは、あまりにも残酷で救いがなさ過ぎだと思っていました。むしろ、境遇に負けずに経験を昇華して、少しでもより良い形で自己存在の意義を見出し静かに発揮して欲しいと。
毒親とそれが敷いたレールを否定したいなら、目を背けずに現実を受け入れて、いったん落ち着いて別の道を志向し、徐々に違う姿を示していく以外にはなくて、それは時間を要する甚だ辛い道ですが、丁寧な禊を通じて自分の中にあるトラウマを終わらせていくことは可能なことで、災い転じて福となすという、彼にとっては通過儀礼としても尚のこと必須であると思っていました。
でも、今のようなパターンを繰り返しても、場当たり的で一時的な高揚感を得るだけで全く意味がなく、有害ですらあると思えます。
でも、どうしても安直な選択をし、崖の方に突っ走って行くのですね。
これでもし性根まで腐っているのだとしたら、もうどうにもなりません。
自覚なく自己決定権を奪われて来た二世の内の、さらに教祖の家庭という異常な環境に置かれたことを斟酌すれば、できるだけ寛容でありたいところでしたが、それらの要素が無限に批判をかわせる免罪符とはならないことを知るべきです。
93年に脱会して以降、成り行きからこのテーマに留まってきた自分は、かなり諦めの悪い方だと思っています。ただし、その期間に様々なパターンを見聞してきました。そうした観点から私は、この辺で彼に対するお節介な老婆心は辞めにします。
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