教団の失策は大川隆法案件
ELBISプロジェクトによる幸福の科学の観測が始まって約5か月が経過しました。当初は僅か半月で劇的な減少が確認されましたが、その後は表向き大きな変化は見られません。

ELBISプロジェクトより
この賃貸物件を中心にした支部の統廃合の動きは、単なる組織の再編成ということではなく、各方面から収集した情報を整理した結果、肩たたきを含めた職員の大規模な配置転換と、一般職から役職者まで全職員の本俸と賞与の削減、さらに交通費などの実費弁償的な手当の抑制や、現場での経費支出の決裁単価の下方修正までに至るという、教団財務の苦しい台所事情を背景にしたものでした。これほどの激しいリストラは、91年の大伝道失敗とフライデー事件という2つの失策によって生じた財務危機以来のことです。
当初は急激に推進されたリストラも、この事実をELBISプロジェクト等によってすっぱ抜かれたところで失速してしまったようですが、支部の統廃合については、教団所有の精舎と同じ住所に支部の登録を移して表示上の支部数の減少を印象付けないように工夫しながら、裏でコソコソと賃貸物件の処理を進めるといった動きが確認されています。
こうした朝令暮改の右往左往した様子は、教団の切羽詰まった状況と、なにより教祖の落ち着きのないパーソナリティそのものを感じさせます。実際、教団拠点に関わる決裁について定めた文書には、こうした統廃合が教祖案件である旨を指示したものがあります。

94.8.25文書
御覧の通り、もともとの新規拠点開設、統括支部の設置、支出を伴う移転のほか、この時から閉鎖、統廃合すべてが教祖案件となることが明確に指示されています。したがって現在の統廃合の動きも、当然に教祖の指示のもと始められたものであり、外見を取り繕うみっともない方針も、教祖の意思決定を得たものと考えて差し支えないでしょう。
かつての大伝道期に、信者が自腹を切ったり、時には支部で資金を捻出して、自宅の住所に“様方”をつけるかたちで他者の名前を登録し、伝道実績として申告するという無承諾伝道が横行したことがありましたが、こうしたいかにも幸福の科学的で姑息な手法は、上から下まで同じく、今も昔も変わりがありません。
そもそも、統廃合に迫られるほど支部を異常に増殖させた張本人は、教祖の大川隆法自身で、遡ると2002年頃より始まった支部精舎建立の流れの中で、2005年に掲げられた200支部精舎の建立計画(フューチャー・エクスプレス型計画)に端を発し、さらに幸福の科学的な発展繁栄の理念による布施集金のスキームに原因があるようです。
この辺の事情に通じた方に教えて頂いたところ、それは「分光」というもので、支部精舎建立というニンジンをぶら下げて地域や個人どうしを競わせ布施の勧進を促進し、支部精舎を建立できたら、次は「分光」として新たに信者を分けて、もうひとつ拠点確保させるまで搾り切るという悪辣な収奪が行われてきたことが分かってきました。
教団理事で大川家次男の真輝が「この20年、活動信者が増えていない」と言ったように、教団は実質信者数が公称に遥かに及んでいないことを分かっていながら、架空の信者数を根拠として「分光」し、無意味な拠点展開を繰り返したのは、結局のところ、「分光」が信者の財布の紐を緩ませる資金調達に都合の良い理念であっただけとしか考えられません。
幸福の科学のへの風当たりが厳しさを増す中で、布施回収という目的を終えて膨れ上がっただけの拠点を、教団延命のために、ただただ処分しに走っているのが今日のリストラの実相ということなのでしょう。その根本的な問題は、教祖の大川隆法の奇行や反社会的言動などに原因があることは疑いようのないことです。
先の文書にもその要素が見えます。当時杉並支部近くにあった西荻研修ホールについて、大川は「対コスモ戦略」という認識でいたわけですが、ここに記されているコスモメイト(現ワールドメイト)対策の実態とは、以下の文書に示されている通りの、初期脱会者である原、関谷両氏への嫌がらせ怪文書撒き同様のゲリラ活動を意味しています。

1994.3.1大川緊急講話文書(紀尾井町総合本部)


怪文書をバラ撒くゲリラ活動の拠点と指示されていた杉並支部
また、同文書の中には91年に教団への社会的評価を著しく落とさせたフライデー事件の舞台裏についての大川自身による語りもあります。


1994.3.1大川緊急講話文書(紀尾井町総合本部)
当時会員で、また中野富士見町でのフライデー攻撃決起集会に動員された方々などには、これが大川発令の教団挙げての行動であったことは分かっていますし、電話・FAX攻撃の開始と中止等の指示が、確かにこのような経過を辿っていたことは記憶にあることと思います。しかし事件後の警察での任意聴取の際には、大川は「会員が自発的にやったこと(私は指示していない)」と、この弁護士のアドバイス通りに責任回避の逃げをうっていました。これが大川隆法、幸福の科学というカルトです。
幸福の科学に限らず、カルトの事件の検証の過程では、信者の暴走として教祖無罪論の可能性が語られることがあります。正確な事実の把握のために、そうした姿勢は否定しませんが、信者を統制できなければ、そもそもカルト的グルイズムが成立していないのであって、教祖が示す教団の方向性に異論や苦言を呈する者から自ずと粛清されていくわけですから、残るのは、主体性を喪失して自己保身のみに小ずるく長けた教祖マンセーの人材のみとなり、教祖の独裁体制が強化される一方となるのがカルトにおける自然の流れとして、教祖無罪論というのは現実的には無理筋の弱論だと考えます。
私腹を肥やす一部の幹部職員らを免罪する気は毛頭ありませんが、少なくとも幸福の科学においては、基本的に全ての事象が教祖の大川隆法に振り回されてきた歴史であり、幸福の科学の最大の失策というのは、大川隆法の存在そのものに尽きるといって良いでしょう。

ELBISプロジェクトより
この賃貸物件を中心にした支部の統廃合の動きは、単なる組織の再編成ということではなく、各方面から収集した情報を整理した結果、肩たたきを含めた職員の大規模な配置転換と、一般職から役職者まで全職員の本俸と賞与の削減、さらに交通費などの実費弁償的な手当の抑制や、現場での経費支出の決裁単価の下方修正までに至るという、教団財務の苦しい台所事情を背景にしたものでした。これほどの激しいリストラは、91年の大伝道失敗とフライデー事件という2つの失策によって生じた財務危機以来のことです。
当初は急激に推進されたリストラも、この事実をELBISプロジェクト等によってすっぱ抜かれたところで失速してしまったようですが、支部の統廃合については、教団所有の精舎と同じ住所に支部の登録を移して表示上の支部数の減少を印象付けないように工夫しながら、裏でコソコソと賃貸物件の処理を進めるといった動きが確認されています。
こうした朝令暮改の右往左往した様子は、教団の切羽詰まった状況と、なにより教祖の落ち着きのないパーソナリティそのものを感じさせます。実際、教団拠点に関わる決裁について定めた文書には、こうした統廃合が教祖案件である旨を指示したものがあります。

94.8.25文書
御覧の通り、もともとの新規拠点開設、統括支部の設置、支出を伴う移転のほか、この時から閉鎖、統廃合すべてが教祖案件となることが明確に指示されています。したがって現在の統廃合の動きも、当然に教祖の指示のもと始められたものであり、外見を取り繕うみっともない方針も、教祖の意思決定を得たものと考えて差し支えないでしょう。
かつての大伝道期に、信者が自腹を切ったり、時には支部で資金を捻出して、自宅の住所に“様方”をつけるかたちで他者の名前を登録し、伝道実績として申告するという無承諾伝道が横行したことがありましたが、こうしたいかにも幸福の科学的で姑息な手法は、上から下まで同じく、今も昔も変わりがありません。
そもそも、統廃合に迫られるほど支部を異常に増殖させた張本人は、教祖の大川隆法自身で、遡ると2002年頃より始まった支部精舎建立の流れの中で、2005年に掲げられた200支部精舎の建立計画(フューチャー・エクスプレス型計画)に端を発し、さらに幸福の科学的な発展繁栄の理念による布施集金のスキームに原因があるようです。
この辺の事情に通じた方に教えて頂いたところ、それは「分光」というもので、支部精舎建立というニンジンをぶら下げて地域や個人どうしを競わせ布施の勧進を促進し、支部精舎を建立できたら、次は「分光」として新たに信者を分けて、もうひとつ拠点確保させるまで搾り切るという悪辣な収奪が行われてきたことが分かってきました。
教団理事で大川家次男の真輝が「この20年、活動信者が増えていない」と言ったように、教団は実質信者数が公称に遥かに及んでいないことを分かっていながら、架空の信者数を根拠として「分光」し、無意味な拠点展開を繰り返したのは、結局のところ、「分光」が信者の財布の紐を緩ませる資金調達に都合の良い理念であっただけとしか考えられません。
幸福の科学のへの風当たりが厳しさを増す中で、布施回収という目的を終えて膨れ上がっただけの拠点を、教団延命のために、ただただ処分しに走っているのが今日のリストラの実相ということなのでしょう。その根本的な問題は、教祖の大川隆法の奇行や反社会的言動などに原因があることは疑いようのないことです。
先の文書にもその要素が見えます。当時杉並支部近くにあった西荻研修ホールについて、大川は「対コスモ戦略」という認識でいたわけですが、ここに記されているコスモメイト(現ワールドメイト)対策の実態とは、以下の文書に示されている通りの、初期脱会者である原、関谷両氏への嫌がらせ怪文書撒き同様のゲリラ活動を意味しています。

1994.3.1大川緊急講話文書(紀尾井町総合本部)


怪文書をバラ撒くゲリラ活動の拠点と指示されていた杉並支部
また、同文書の中には91年に教団への社会的評価を著しく落とさせたフライデー事件の舞台裏についての大川自身による語りもあります。


1994.3.1大川緊急講話文書(紀尾井町総合本部)
当時会員で、また中野富士見町でのフライデー攻撃決起集会に動員された方々などには、これが大川発令の教団挙げての行動であったことは分かっていますし、電話・FAX攻撃の開始と中止等の指示が、確かにこのような経過を辿っていたことは記憶にあることと思います。しかし事件後の警察での任意聴取の際には、大川は「会員が自発的にやったこと(私は指示していない)」と、この弁護士のアドバイス通りに責任回避の逃げをうっていました。これが大川隆法、幸福の科学というカルトです。
幸福の科学に限らず、カルトの事件の検証の過程では、信者の暴走として教祖無罪論の可能性が語られることがあります。正確な事実の把握のために、そうした姿勢は否定しませんが、信者を統制できなければ、そもそもカルト的グルイズムが成立していないのであって、教祖が示す教団の方向性に異論や苦言を呈する者から自ずと粛清されていくわけですから、残るのは、主体性を喪失して自己保身のみに小ずるく長けた教祖マンセーの人材のみとなり、教祖の独裁体制が強化される一方となるのがカルトにおける自然の流れとして、教祖無罪論というのは現実的には無理筋の弱論だと考えます。
私腹を肥やす一部の幹部職員らを免罪する気は毛頭ありませんが、少なくとも幸福の科学においては、基本的に全ての事象が教祖の大川隆法に振り回されてきた歴史であり、幸福の科学の最大の失策というのは、大川隆法の存在そのものに尽きるといって良いでしょう。
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