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映画 「ゆきゆきて、地球神軍」公開へ

これまで幸福の科学を扱った映像資料としては、1991年6月頃にTBSの「報道特集」で取り上げられた以外は、教団がフライデー事件を起こして報道が過熱した時期や、昨年の清水富美加の出家騒動のような話題があった時くらいで、その他は教団協賛店であるフジサンケイグループの提灯ニュースで扱われる程度でしたが、このたび新進気鋭の若きクリエイター成田天音監督によって、幸福の科学のリアルに迫る画期的なドキュメンタリー映画「ゆきゆきて、地球神軍」が完成上映される運びとなったようです。

今回は関西地域での上映ですが、今後あらたに東京ほか別会場での公開に向けて、私も全面的に支援をさせて頂く所存です。

「ゆきゆきて、地球神軍」

映画「ゆきゆきて、地球神軍」広報
映画 「ゆきゆきて、地球神軍」


DFA2018実行委員会広報
DFA 2018 実行委員会‏


「ゆきゆきて、地球神軍」識者評
「ゆきゆきて、地球神軍」識者推薦コメント

ゆきゆきて地球神軍1

ゆきゆきて地球神軍3

ゆきゆきて地球神軍4

ゆきゆきて地球神軍2

【2018大阪芸術大学映像学科卒業制作展「DFA」アクセス】

学内展 2018年2月11日(日)、12 日(月・祝)11:00〜
「大阪芸術大学キャンパス」
Google マップ


学外展 2018年3月3日 (土)19:50〜
「あべのアポロシネマ」
Google マップ
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BANされた元本部~ELBISの歩き方①

布教所というのは、地域密着の身近な伝道拠点として、信者が自宅一室等を提供するかたちで運営されるもので、教団から布教所の認定を受けた証の看板なり、布教所型エルカン像を設置するなどして初めて銘打てる幸福の科学の拠点形態のひとつで、精舎(正心館)、支部精舎の下位に分類されるものです。

教団初期の拠点表示と比べれば、各地方本部を精舎(正心館)と呼ぶようになり、各支部統括事務所が支部精舎となって、地元の信者(チーム)の溜まり場が布教所にあたるということでしょう。

Google mapを入念に見ていくと、たまに「幸福の科学〇〇布教所」という表示を見かけることがあると思います。上記の通り、これらは基本的には個人宅であるので、現状ELBISプロジェクトの追跡対象外の物件になりますが、東京都杉並区本天沼3丁目1−1にある「幸福の科学天沼布教所」については事情が異なり、幸福の科学の黒歴史の1ページを飾る“いわくつき物件”として、施設一覧に掲載して頂くことにしました。

天沼布教所(元聖務統括本部)
天沼布教所/東京都杉並区本天沼3丁目1−1

ELBISプロジェクト施設一覧「非公開施設等」


この外観を見る限り、1階のフロアーだけが布教所と思われるかも知れませんが、実はこの4階建てアパート全てが幸福の科学の物件です。

このアパートが教団の拠点のひとつになったのは1991年のことで、かつてここは「聖務統括本部」という建物にそぐわない仰々しい名前が冠されていました。1階こそ店舗事務所型のフロアーですが、2階以上は各階1DK(UB付)が2部屋ごとのただのアパートです。

聖務統括本部
91年当時の光の総本山が今や見向きもされない布教所に

91年の後半に大伝道バブル崩壊やフライデー事件で教団財政が破綻しかけるまでは、職員の福利厚生は比較的堅実に施されていて、本部総務部の拠点開発の職員によって、いくつかの独身寮なども準備されていましたが、但しこの物件はそうした寮として準備されたものではありません。

この物件は、幸福の科学が宗教法人格を取得しようとした際に、その体裁を整えるためだけに用意されたものなのです。

幸福の科学が宗教法人格の登記を備えるにあたって、その主たる所在地としたものであるにも関わらず、実際のところ宗教法人の審査が行われていた時期に約2週間ほどの間だけ、当時の紀尾井町の総合本部から事務机と事務機器を持ち込んで、ここで仕事をしているフリをしただけで、それ以外に実質的にここが教団の拠点として公式に重要な機能を果たしたことは一度もなく、今や精舎や支部精舎よりも下位の布教所扱いという寂しい顛末です。

当時、紀尾井町の総合本部も、もともと「幸福の科学出版」で契約していたのに、勝手に宗教団体本部として運用していたことで、ビル管理会社から契約違反で立ち退き要請されるなど揉め事を抱えていて、そのような状況下で急ピッチに進められていた幸福の科学の宗教法人格取得の取り組みが、いかに付け焼刃的でイイカゲンなものであったかということを象徴する物件と言えるでしょう。

(※フライデー事件の際、当時中野富士見町にあった関東本部(オリンピックビル)が中心とされたのは、信者を集められるフロアーがあったことの他に、上記の都合から紀尾井町を騒動の中心にしてしまうと、決定的にヤバいという事情があったためです)

元「聖務統括本部」、現「天沼布教所」は、現存してはいるものの教団の正史からBANされた拠点と言えますが、非公式には少し活用されたことがあります。

91年秋のフライデー事件の最中、信者に対して講談社攻撃を扇動しておきながら、自らは練馬区関町の邸宅に戻らずに「ホテル西洋銀座」にずらかっていた大川でしたが、数日でマスコミに嗅ぎつけられてしまったため、その後ほんの一週間ほどの間ですが、このアパートの4階の部屋に潜伏していたのです。

ホテルと違って食事は出ませんので、給仕は当時のこのアパートの管理人をしていた教団情報局の佐竹の細君と、階下に泊まり込みの秘書部の職員で手分けして行い、私も山田(愛染)美星氏と「カレイの生姜煮」を拵えて運んだ記憶があります。

天沼布教所側面入口

川島の生家近くでは「主が落ちたドブ川」が信者の参拝スポットになっているようですが、そうした意味では、こちらも「主のフライデー事件時の潜伏先」として聖地になっても良さそうです。

ちなみに、このアパートの入り口の階段は段差が若干急で、大川は短足のくせに急いで歩くものだから、この階段を踏み外して転んで手を付き、あわや顔面を強打しそうになったこともあります。信者にとっては「主が転んで手を付いた階段」ということになりますね。

ELBISプロジェクト始動

ELBISプロジェクト
幸福の科学施設の統廃合を捕捉する「ELBISプロジェクト」

ELBISプロジェクト は、幸福の科学による施設のBAN(統廃合)状況を把握するための我々独自の情報データベース「ELBIS」(El Cantare BAN Information System) を作成、運用するプロジェクトです。幸福の科学の現役信者、信者家族、脱会者、ジャーナリストなど幸福の科学に批判的なメンバーによって、やや日刊カルト新聞社の協力のもと運営されています。

当サイトは、皆様からの情報を元にELBISをより精度の高いものにしていくため、暫定情報を掲載しつつ情報提供を呼びかけるために開設しました。

幸福の科学は日本国内の信者数1100万人を謳っていますが、実働信者数は最盛期でも3万人程度。現在では1万人を切るのではないかと語る脱会者もいます。教団職員の減給やリストラ等の噂もある中、外部からでも教団の動向を客観的に把握しやすい重要な指標が、教団施設の数や稼働状況です。教団に対する批判はさておいて、まずは教団施設についてより正確な情報を整理していくことが、本プロジェクトの目的です。

当サイトは、ELBISプロジェクトの一環として、暫定情報を一般に向けて発信するとともに皆様からの情報提供を受け付けるために開設しました。蓄積した情報は随時、当サイトで報告するとともに、やや日刊カルト新聞社が発行する雑誌「バンズウィーク日本版」の別冊としてまとめ、8月のコミケで発売する予定です。

全国に散らばる施設の現状確認のため、ぜひ皆様のご協力をお願い致します。詳しくは「情報提供のお願い」のページを御覧ください。

Contact Us:やや日刊カルト新聞社内ELBIS係
daily.cult@gmail.com



【関連記事】やや日刊カルト新聞
「幸福の科学施設が統廃合で1割減! 衰退をウォッチする写真祭りスタート」

地元の支部が閉められても、「精舎に光を結集する」程度の説明にコロッと騙され、全国的に急速な統廃合の波が押し寄せていることに気付くことなく、大川宏洋の放逐さえ知らないままの信者が大勢います。教団発の大本営発表のみを信じ、自ら情報を求めようとしない現役信者は完全な情報弱者です。

また、幸福の科学がいかにハリボテのインチキ教団であるかを理解せずに、過去のフライデー事件の亡霊に怯えるマスコミ人も、僅かですが未だにいて呆れることがあります。ある意味で現役信者に匹敵する情報弱者ぶりには、職業センスを疑います。

これから「ELBISプロジェクト」が詳らかにすることは、教団が信者に対してひた隠しにしてきた都合の悪い事実です。それは単に、現在の大リストラの実況というばかりでなく、信者の浄財がいかに無駄にされ、教団の一部の者を肥やすことに浪費されてきたのかを、客観的指標によって白日の下に晒すものとなるでしょう。

全世界各地において、カルトへの注力は有志によって絶え間なく常に続けられているものですが、崩壊過程にあるカルトへのこうしたアプローチは前代未聞だと思います。箱ものに拘る日本のカルトの特徴ゆえに成立した企画とも考えられますが、「ELBISプロジェクト」運営スタッフは、教団内の状況に精通した方々、また優秀なエンジニアの方々など本格的な布陣によって支えられています。

そして当プロジェクトを、さらに有意義なものに完成させていくためには、御覧の皆様からの情報提供が欠かせません。
どうぞ奮ってご参加をお待ちしております。

※「ELBISプロジェクト」を当ブログのリンクの先頭に設定しました。

「アンチ」の仕事

大川隆法の次男で現在教団トップの大川真輝は、昨年に行われた講演の中で、信者を前にして「この20年、活動信者が増えていない」と述べています。

大川真輝2017年の談話

教団幹部がうっかりと幸福の科学の公称がいかに当てにならないものか暴露したかたちとなりましたが、立宗後20数年、様々な紆余曲折を経ながら、結局のところ90年代の水準を越えられず、そればかりか、現在はそれが高齢化した古参信者と、その二世・三世によって構成されていることによって、もはや教勢が傾斜のスパイラルから逃れられない状況にあることが露呈しました。

そうした事情に耐えかねてか、2017年末には、いよいよ教団内において大規模な拠点の整理縮小と職員の大リストラが始まっています。このことについては、91年に行われたリストラの状況と比較しながら、次回以降に改めてまとめたいと思いますが、教祖の大川は、職員組織の粛清のほか、さらに信者に対しても、これまで以上の布施の勧進を押し進める指示を行っていることから、今年は2009年以来の職員や信者の脱会が相次ぐものと見込まれ、その波を前に、脱会するということについて、今一度まとめておきたいと思います。

ただし、今回扱うのは脱会の手続き的なことではなく、心の問題です。それも脱会してからのことではなく、疑問を抱いてから日常に復帰するまでの心理プロセスについてです。

信者と職員の違い。その信者の中でも、ほとんど教学のみで活動歴のない人とリーダー会員としてあらゆる活動に没頭した人。また職員でも支部の現場にいた人と本部にいた人。さらに自ら入会した者と、二世・三世の違いなど境遇は様々ですが、何らかのきっかけで教祖や教団に疑問を抱き、やがて脱会に至るプロセスには、誰もがおおよそ同じ道筋を歩みます。

それは極端な話、幸福の科学に限ったことでもありません。幸福の科学信者が辿る脱会過程の思考プロセスから幸福の科学的要素を除いてみれば、他宗の脱会者の歩んだ道ともそう大差がないものです。

「生病老死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦」に、「火難・水難・羅刹難・王難・鬼難・枷鎖難・怨賊難」と、まこと人生とはままならぬもので、愛情や依存の対象、そして日頃から慣れ親しんだ環境や所有物、また生き甲斐とした目標や自己イメージなど、様々な事柄の喪失体験から、人には逃れる術はありません。

こうしたことを「対象喪失」と言い、この状況下で起こる怒り、恐れ、不安、絶望感などの感情の過度の高ぶりによって自己の統制を失うことや、場合によっては潰瘍、高血圧、心疾患などの身体症状まで含めて「対象喪失反応」と呼ばれています。

カルトからの脱会といえども、一度は人生をかけて信じたかけがえのないものを手放すということは、当事者にとっては「対象喪失」の体験に他なりません。死別の悲しみへの対処が人間にとって永遠の課題で、そこに信仰の意義があるのであれば、その喪失も同様に軽視しがたいものなのです。

そうしてこれら「対象喪失」した際に直面する精神的危機を克服するためには、嘆きや悲しみを十分に表現できる機会が必要で、それが時間と共に自然と心が整理されていく営みを「喪の作業」とか「悲哀の仕事」といいます。

疑念を抱き、脱会し、その過去を総括する過程では、時として、教祖と教団に裏切られたという怒りや憎しみ、また反対に選択を誤ったという深い後悔と自己嫌悪の間で激しい感情の起伏を経験し、教団との関わり方の度合いに応じて個人差はあるものの、そうした自分を持て余す心穏やかでない辛い時期を踏破せねばなりません。

けれども、それはあくまで正常な悲哀の心理プロセスであり、主体性を取り戻し再び自立するための必須の過程なのです。この心理過程に身も心も焼き尽くし、「悲哀の仕事」耐えかねて中断してしまったりすると、「対象喪失反応」が起こる要因となりえます。

カルトの中にいるうちに、悲しむことを精神生活から排除してしまっていたため、無自覚に染みついてしまった様々な習慣をデトックスするのには、自分で考えているよりも多くの相応の時間が必要ですから、くれぐれも早々に結論を出そうとするような焦りは禁物です。

この「悲哀の仕事」にマニュアルはありません。ただ、現実を真摯に受け止め、きちんと断念を積み重ねて、心静かに悲しむ能力を獲得していく以外にありません。ただし「悲哀の仕事」を妨げるものを知っていれば、いたずらに困惑したり、絶望感にうちひしがれることなく前向きに進んでいくことができるでしょう。

焦りは悲哀の苦痛の働きとして、さまざまな心の術策を用いて「悲哀の仕事」の妨げとなります。たとえば幸福の科学的要素として、まず脱会に至るまでの間には、現状の「否認」や、自己処罰感情も絡めたかたちの、教祖の祟りや教団からの害悪への「恐怖」が足枷となることがあるでしょう。

そして脱会後には、対象への過度の「理想化」や反対に「悪玉化」、またそれに対する強度の「復讐心」、あるいは分派や他のカルトに乗り換える対象の「置き換え」などが、自然な心の歩みを押しとどめ「悲哀の仕事」の達成の妨げとなっているようです。

自分にとって都合の良くない対象のもつ暗黒面を否認し、ひたすら良い面だけを分離させて喪失の苦痛を回避しようとする態度を「ポリアンナイズム」と呼び、教祖無罪論や初期肯定論がそれに当たるものと思いますが、大川を悪魔や大悪党として激しく憎悪することも、一見まったく正反対の態度のようでいて、それらは共に対象喪失から日常に復帰していく心理プロセスの上にある両極端の要素ということになります。

こうした一時的なプロセスの段階に拘り、いつまでも留まったままでいることで、浦島太郎のように全く時間が止まったままの人がたまにおられます。客観的事実を前にしても、失った対象への思慕の情から心の向きを変えられないのは、「悲哀の仕事」には知性以上に人格の成熟度が鍵であることを示していると思います。

こうしたことから私は、単に脱会に至りさえすればそれで良いとは思っていません。脱会そのものが至上の目的なのではなく、心理的過程を踏んでこの「悲哀の仕事」をやり遂げて頂くことを願っています。そうでなければ、多大な犠牲を払いながら、結果的に教訓を学び尽くしたことにならないと考えるからです。これを達成したときこそ、カルトの呪縛から解放されて心は自由を取り戻し、いよいよ真の脱会として「アンチ」卒業となるのだと思います。

心の整理のためのブログやTwitterなどを活用した表現や、共感の繋がりが広がることは大変良いことで、かつ有難いことです。ただし「アンチ」の仕事は、あくまで「悲哀の仕事」の達成であることを、心の片隅に置いておいて頂ければと思います。

ところで、よく「アンチは一枚岩ではない」と、内外から批判があります。けれども、上記の通り、いわゆるアンチ化した状況には、このようにさまざまな心理の段階の方がいるわけですから、一枚岩でないのは当然のことです。ゆえにアンチを組織化することなど不可能ですし、その必要もなく、すべきでもないと思っています。

まずは自分と折り合いをつけて「アンチ」を卒業した後に、なおカルトによる社会規範の冒涜や個人の尊厳への侵害等に対して抵抗する意志が湧き出すようなら、その時こそ「アンチ」から「レジスタンス」へと生まれるのに、まったく遅くはないのですから。
プロフィール

土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)

Author:土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)
セクトの犠牲者である家族と個人を支えるネットワーク
「RSFI MAIKA」代表

日本脱カルト協会
「JSCPR」会員

当ブログへようこそ。
「幸福の科学」の問題を中心に、セクトについて考えていきます。

ご相談等の場合は、リンク先頭の「RSFI MAIKA公式ホームページ」のコンタクトよりご連絡ください。

また、当ブログのコメント欄は非公開設定を選択することができます。悪質な荒らし行為等でない限りは決して公開されませんのでご安心ください。

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