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カルトの尻笑い~「オウム」と「幸福」②

オウム事件への幸福の科学の関わりを考えるとき、伏線となる両者の因縁について触れておく必要があります。

オウム真理教と幸福の科学は、1990年前後に席巻していた精神世界ブームの中で台頭してきた新宗教として、当初から比較されることが多かった因縁の仲でありました。双方とも信者構成が比較的若い世代で成り立っていたこともその一因です。

オウム側は、原始仏教経典を一から翻訳し直す取り組みなどから、大川の霊言ひとつに依拠する幸福の科学の教義体系を軽薄と見做し、幸福側は、世界宗教の根源は啓示から始まったものだとして、オウムが古典にこだわり、また教祖や信者の奇異な言動に対して、自らは現代的で洗練されたものとして相手を見下していました。

但し、この頃おそらくオウム側は、たいして幸福側を意識していなかったであろうと思います。一方で幸福側は、比較や同一視されることに激しい嫌悪感を抱いていたのです。

そもそも幸福には、宗教宗派の統合という目標がありましたから、基本的に他宗に批判的で、根本的には相手を認めることはしません。評価するとしても、根拠なき上から目線で語っているだけです。

そうした両者が、一度だけガチで向き合ったことがありました。テレビ朝日「朝まで生テレビ」の「宗教と若者」という企画で、幸福にとっては相手をやり込め、自分たちの正当性を世間にアピールする千載一遇のチャンスと、当時の総合本部から地方本部までの、中堅どころの若手論客を結集して番組に臨んだのです。

朝まで生テレビ「宗教と若者」1991.9.28
1991.9.28朝まで生テレビ「宗教と若者」

当時の指導局長の真杉氏(中央)
幸福陣営の中心は当時の指導局長の真杉氏

出演した幸福の科学陣営
当時の若手ホープだった(右から)須呂、斉藤、饗場

ただし、オウム側は教祖の麻原も登壇したのに対して、幸福側は体裁を気にした教祖の大川の登壇はありませんでした。表向きには、見下している相手と同じ土俵に立たないという居直りでしたが、実際はこうした状況を恐れて忌避したのであろうことは、その後に田原総一朗氏の番組に出演した際の落ち着きのない態度からして疑いないところでしょう。

そして、その臆病な姿勢が、この時は大川を延命させることになりました。幸福陣営の怪気炎とは裏腹に議論は空回りし、番組を見ていたビートたけし氏や、オウムの問題を追い続けていたジャーナリストの江川紹子氏にさえ、直接対決はオウム側が優勢だったといったコメントをさせてしまうほどの散々な結果となり、教祖の大川が居たところで状況が好転することは見込めず、むしろ大川が居たら、さらに香ばしい展開となって、教団はもっと早くに没落していたであろうと思われます。

この当時は、自ら起こしたフライデー事件後の余波で、大川らは自宅に帰れず転々と仮住まいを続けていたため、警護課の私はこの番組を急ごしらえの秘書詰所で観戦していましたが、テレビ局から戻った須呂さんなどが「全く良いところがなかった」と、肩を落として打ちひしがれていたのを記憶しています。

自分は登壇をキャンセルしたくせに、パネラーばかりでなく、見下していたオウム側にさえ圧倒され、すっかり面子を潰された大川でしたが、教団誌で悔し紛れの反論を掲載させ溜飲を下げるしかありませんでした。

「廃刊に追い込む」と指揮した講談社フライデー攻撃が失速し、逆に威力業務妨害への疑いが指摘されはじめるなど世間の風当たりが厳しさを増し、さらに、無承諾伝道などによる架空の信者数のバブルが弾けて見込んだ会費収入が回収できず、100万人大伝道用の戦略書籍としたアラー・ノストラダムスの両予言書の大量売れ残りに、TV・新聞等に投じた巨額の宣伝費が仇となって、教団財政が資金ショートの危機に陥っており、他宗のことに構っていられない状況となっていたためです。

91.10 サタンよ退け!p36
91.10 サタンよ退け!p37
91.11 続・サタンよ退け!P49
幸福の科学出版「サタンよ退け!」より

オウム事件への手柄を喧伝する教団のフェイクニュースでは、この直接対決以降、一貫してオウム批判の先頭を切ってきたような物言いをしていますが、実のところサリン事件後に発行したムックに至るまでには、その後は他教団や宗教学者といった何らかの対象とセットで批判するといったかたちの、散発的な取り上げ方しかしておらず、内容もリサイクル的で目立ったものはありません。

95.6これが池田創価学会の実態だ!!p3
幸福の科学出版「これが池田創価学会の実態だ!!」より

95年当時の大川隆法は、信者に高額の布施を習慣づけることで財政危機からV字回復を果たした後で、喉元過ぎれば何とやらと、相変わらず職員から報告のある架空の信者数を信じ込んで、自分らがすっかり巨大教団になったと勘違いし、そのことから、満を持して仕掛けた創価学会に対する宗教戦争に血道を上げており、オウム真理教に対しては、内心では過去の遺恨を腐らせながらも、たかが山奥の小教団だとすっかり見下して、殆ど関心を寄せてはいませんでした。

実際これらのことについては、創価学会批判の単行本を矢継ぎ早に多数出版していたのに対して、オウム批判に特化したものは一冊もないことからしても明らかでしょう。

95創価学会を折伏する!広告
幸福の科学出版「創価学会を折伏する!」内の広告


今回記録を紐解いてみて見つけた幸福の科学によるオウム批判のひとつに下記のようなものがありました。

95.6これが池田創価学会の実態だ!!P5

なるほど、この説に全く異論はありませんが、だったら幸福の科学そのものでもありませんか。

だいたい幸福の科学は、「正教による破邪顕正」、「止悪」などと、今も昔も他宗排斥や社会的アピールに余念がないわけですが、哀しいかな、それらが一向に実を結ばないのは、彼らの動機がそのお題目のような立派なものではなく、自らを棚に上げた幼児的万能感に根差す、陳腐な自己正当化の企て以外の何物でもないことを見抜かれているからで、さらに世間の笑いものと化しているのは、言行不一致が身上の幸福の科学が発する、自分の瘤が見えていないブーメランパフォーマンスによるところでしょう。

オウム側の優勢を印象づけたとされた91年の直接対決も、その後の大川の捨て台詞を含めて、世間にとっては「目糞が鼻糞を笑う」といった程度の、所詮はカルト同士の勝者なき背比べとしか映らなかったのは、現場に掲示されていた視聴者コメントに象徴されています。

朝生視聴者コメント

結局、91年当時から今日まで、世間の評価こそ一貫して狂いはなく、教団がオウムを踏み台にした自己顕示をすればするほど、その主張は空々しく響くものとなるわけです。


さて、教団のフェイクには、こうした「一貫した正当な批判」という主張のほか、「命がけの捜査協力」などといった主張もありますが、次回はその辺りを資料と共に検証します。
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同期のカルト~「オウム」と「幸福」①

去る11月11日、オウム真理教の後継団体である「Aleph(アレフ)」、「ひかりの輪」に対する抗議デモと学習会が世田谷区の烏山地域にて行われました。この取り組みの歴史は長く、今回で35回を数えます。

オウム対策住民協議会ニュース

回数もさることながら、多数の参加者の中にはご高齢の方も見受けられ、オウム事件からの年月の経過を感じさせます。しかし、不可解な「ひかりの輪」観察処分取消判決なども受けて、人々の危機意識は依然として強く、運動を継続し続ける意志には脱帽するばかりです。

【関連リンク】
烏山地域オウム真理教(現アレフ)対策住民協議会
公安調査庁「オウム真理教について」
江川紹子氏「なぜ「ひかりの輪」は観察処分取り消しになったのか」

事件は解決しても被害は解決していない
ACジャパン2017年度支援キャンペーン
「事件は解決しても、被害は解決していない」

事件の報道は終わり、世間は日常に戻った。
被害者を、置き去りにしたまま。

オウムによる一連の事件の被害も、未だに癒えていません。そのためのこうした活動が長期化する一方で、上祐が評論家気取りで表舞台に出てくるような昨今の状況は、事件の記憶が風化し始めている象徴に他なりません。

そして、そうした風化に付け込んで、根も葉もない与太話を吹聴する不埒な輩も湧いてきます。

幸福の科学のデマ

【幸福の科学のデマリンク】
【意外と知らない】オウム事件解決に"幸福の科学"が貢献していた!
幸福の科学とオウムの違いが分からない日本人の目は曇っている

【意外と知らない】とありますが、そもそもそんな社会的評価に値するような貢献の実績がないのですから、意外もなにも、無いものは知られることがないのは当たり前で、唯一の客観的事実以外は、野次馬が事件に対する自己の私的活動を主観的に評価して自画自賛しているに過ぎません。そして、その唯一の事実すら恣意的に捻じ曲げています。

事実として貢献したと言えるのは、当時の教団職員F氏が、95年2月28日に発生した目黒公証人役場事務長であった仮谷清志さん拉致事件の目撃者のひとりで、後に警察から感謝状を受けたということです。

ただし、このF氏はその後、高額の布施に絡む上司からのパワハラ等を原因として教団を脱会しています。そして教団に対して布施返還訴訟を起こし、その際には、教団側がF氏への感謝状をグリップしたまま、なかなか返却しなかった様子も明らかにされています。

感謝状はようやくF氏に戻されたものの、このときの布施返還訴訟は、残念ながら原告側の訴えは退けられました。このことについては、これが現在であれば、もう少しマシな判決になっていたのではと考えられますが、これで教団は窮地を脱したにも関わらず、F氏の弁護人に対して高額の損害賠償請求訴訟を仕掛け、結果的にそれがスラップ(威圧恫喝訴訟)と認定されて、日本の法制史に汚名を刻むこととなります。

こうした経緯だけでも、幸福の科学のゲスさは充分に伝わると思いますが、真のゲスさはここから先で、石持って追ったF氏の感謝状を、教団は己が手柄とするために改竄し、今日まで利用し続けていることです。

【関連記事リンク】
「感謝状」改竄事件のおさらい

教団が改竄した感謝状(F氏の名前が消されている)

悪質なデマの片棒を担がされた景山氏

表彰を受けたのは、あくまでもF氏個人であって
断じて幸福の科学ではありません。


景山民夫氏も、大川などと絡まなければ文化人としてもっと栄達していたことでしょう。幸福の科学の悪質な宣伝の片棒を担がされるはめになったこの故人も、ある意味で被害者のひとりです。

自分たちの自己顕示のためには、手段を選ばず事実を公然と捻じ曲げる、厚顔無恥な大川隆法と幸福の科学職員の心は、この通り腐りきっています。

カルト対策の活動の中で、オウム対策の方々ともお話することがありますが、関係者で幸福の科学に感謝する人など誰もいません。逆に「そちらも大変ですね」と労われます。幸福の科学の与太話の入り込む隙などなく、これが全てを物語っているのです。

さて、教団には何ら貢献の実績がないのは明らかですが、では一体何をしていたのかということについては、次回に続けることとします。

人はなぜエセ科学に騙されるのか

「科学にくらべると、似非科学はなんといってもお手軽である。なぜなら、できることなら避けたいような現実との対決は、あっさり回避されているからだ。現実と対決すれば、否応なく比較結果を突きつけられる。議論のレベルも低いし、「証拠」を採用するときの基準をずっと甘い。だからこそ科学よりずっと、一般大衆にアピールしやすいのだろう。」

「だが、こうした手軽さだけでは、似非科学の人気の高さは説明できない。人はさまざまな信念体系を試してみて、それが自分に役に立つかどうかを知ろうとするものである。そして状況が苦しくなれば、懐疑精神などというお荷物はさっさと放り出してしまうのだ。似非科学は、科学が満たしてくれないような、感情面に強い欲求に訴えかけ、人間にはないがゆえに求めてやまない力の幻想を与えてくれる。」

カール・セーガン著「カール・セーガン 科学と悪霊を語る」(新潮社)

カール・セーガン 科学と悪霊を語る

これは、アメリカの天文学者で1996年12月20日 に62歳で逝去されたカール・セーガン博士の生前最後の著作からの抜粋で、単行本であった本書は、その後「人はなぜエセ科学に騙されるのか」(新潮文庫)、「悪霊にさいなまれる世界」(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)と、タイトルを変え文庫版として再販され続けています。

平易な語り口で、含蓄を含んだ言葉が散りばめられおり、理系でなくとも、取りつきにくさは感じないと思います。科学者の視点から、似非科学やニューエイジ思想、宗教などへの徹底した批判が展開されていますが、決して人間的な温かさを失ってはいません。

機会があったら是非ご一読をお奨めしたい、ちょっと贔屓すぎかも知れませんが、きっと座右の書のひとつに仲間入りする名著だと思います。

「驚嘆する感性を大切にして、理由もなく捨て去ったりせず、あらゆる考えに心を開く一方で、証拠には厳しい水準を求めることが人々の第二の本性となったなら―どんなにすばらしいことだろう。そして証拠に求める水準は、大切に思うことだからといって甘くするのではなく、できれば拒否したいことに対するのと同じだけ厳しくしてほしいものである。」
カール・セーガン


事実にこだわり根拠を求める態度は、カルト宗教や似非科学の信奉者ばかりに要求すべきものでなく、そうしたカルトや似非科学を批判する側の、我々のような人間にも同様に(それ以上に)不可欠なものです。

こうした本を読みながら、私は以前より、いずれ宗教家ではなく科学者からこそ、より垢抜けした「神の概念」が説かれる日が来るのではないかと感じることがあります。

そうなると、努力しない宗教家の仕事はほとんどなくなります。
いわんやイタコ教祖などには、地上のどこにも居場所はありません。

Twitterの限界と可能性

先月は、教団にとって目障りなTwitterアカウントがロックに追い込まれる事態が続発しました。

ロック1

ロック2

教団の圧力という点については、そう断定することに慎重な態度も見受けられますが、ロックに際して、Twitter社が当事者に断りなく勝手に削除したのが教団に関するものであったり、ロックされたアカウントの発信内容が、日頃から幸福の科学の反社会的体質への問題提起を主とし、多くのフォロワーを得ていた状況から、それらの影響力を恐れた教団側からの排除要請の圧力に、Twitter社が屈したものと判断することに躊躇はいらないでしょう。

そもそもTwitter社は、当事者からの再三の異議申し立てに対して、何ら具体的に応えることをしないのですから、反社会的カルト宗教団体の圧力に屈したと思われても仕方がありません。

上記の内、ひとつのアカウントはなぜか復活したようですが、もう一方は、再三の異議申し立てにも係わらず、マトモな回答がないまま依然としてロックがされたままです。

【関連記事】HARBOR BUSINESS Online

相次ぐ凍結&ロック! Twitter「凍結問題」と表現の自由【「やや日刊カルト新聞」藤倉善郎氏緊急寄稿】

公正さも透明性もないサービスならば、「インフラ」ヅラするのはおかしい【「やや日刊カルト新聞」藤倉善郎氏緊急寄稿】

聞くところによると、Twitter社は長いこと赤字体質から離脱できないでいるそうですね。僅かな広告収入で経営を支えている状況で、広告主の幸福の科学の要求には逆らえぬといったところでしょうか。

実際、教団の広告宣伝が飛び込んでくることが多いようで、そのことについては、多くのユーザーから不快感が表明されています。

教団広告苦情1
教団広告苦情2
教団広告苦情3
教団広告苦情4
教団広告苦情5

まがりなりにも情報インフラとして定着したTwitterの、利用者の迷惑お構いなしの、こうした社会的責任の自覚なき態度は、フジ産経グループと同じようです。このような場合は単にブロックするばかりでなく、Twitter社にビシバシクレームを入れてやったらとも思いましたが、筋道たてた異議申し立てに対してさえ、マトモな回答ひとつ出せないようなカスタマーですので、無駄なことかも知れません。

Twitter革命などと、飛ぶ鳥を落とす勢いは過去のことで、こんな対応を繰り返しているようでは、他のツールにその座を奪われるなり、飲み込まれたりするのも遠くないじゃないかと思いますが、ともあれ今回の件で、教団がこうした情報発信に追い詰められ、想像以上に恐れ嫌がっているということは判然としました。

ですので、アクションの方向性は間違っていないということだと思います。Twitterは所詮この程度の代物ということを十分に認識したうえで、これを機に個々の手法の練度を高めてより巧妙に、工夫を凝らして進んで行けば良いということですね。

私自身は、これまで何度か検討したことはあったものの、自分のスタイルがTwitterに向かないので、利用に前向きではありませんでしたが、今回のTwitter社の一連の対応で、このツールにはすっかり失望しています。

ただ、逆にこんな程度のツールということも十分に分かったので、せいぜいそんな程度の使い倒しにしようという考えに改め、これを機に私もTwitterを開設することにしました。

これからもあくまでブログを中心としつつ、若干アクションのレンジを拡げる形で、ブログ等の補足とするもよし、現段階では公にしにくいものを、鍵付きにして限られた範囲の情報共有に活用するもよし、それなりにまだ使い方はありそうです。

色々と運用を模索中ですが、とりあえず窓口を作ってボチボチ進めます。ゴロマキ教団の圧力に屈するTwitter社に、アカウントがロックまたは凍結されないうちは、こちらの方もどうぞ宜しく。

【Twitterリンク】
Twitter版 Algorab archives
プロフィール

土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)

Author:土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)
セクトの犠牲者である家族と個人を支えるネットワーク
「RSFI MAIKA」代表

日本脱カルト協会
「JSCPR」会員

当ブログへようこそ。
「幸福の科学」の問題を中心に、セクトについて考えていきます。

ご相談等の場合は、リンク先頭の「RSFI MAIKA公式ホームページ」のコンタクトよりご連絡ください。

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