平成28年4月14日21時26分頃発生した熊本地震に被災され、今なお度重なる余震に耐える皆様へ、衷心より御見舞いを申し上げます。
【災害記録】
H28.4.14. PM9:26 前震(M6.5 最大震度7)
H28.4.16. AM1:25 本震(M7.3 最大震度7)【災害支援リンク】
日本赤十字社「平成28年熊本地震災害義援金」さて、そんな中で大川隆法が、また例によって恒例の不謹慎な霊言をし、調子に乗って号外を配っているようです。
『熊本の地震から一夜明けた15日、大川隆法総裁は、地震に深く関係した霊を呼び出した 』 とのこと。
(教団広報誌の号外。緊急出版の書籍の宣伝も兼ねている)大きな自然災害、社会的事件が起きるたびに大川が繰り返し行うこの手の霊言は、一般に「恐怖アピール」(恐怖喚起コミュニケーション)と呼ばれるマインドコントロールの手法で、危機に関する恐怖情報と、その回避または克服に関する勧告情報によって構成され、受け手の恐怖感情や危険認識を高めて、その判断や行動を説得あるいは支配しようとするもので、こうした恐怖による支配は、理性による統制に比べて、条件さえ整えば一定の層に対して効果はあります。
しかし、恐怖アピール(恐怖説得)の成立要件として、第一に恐怖情報発信者への信憑性や、恐怖情報の具体性と勧告情報の有効性などが必要で、受け手に恐怖を与えるためには、何よりも相手より立場が上位であることが不可欠であることから、大川がいくら恐怖アピールを繰り返したところで、それに社会的な効果がないのは当然のことです。
それは世間一般からして、大川に社会的信用がなく、その唱導に期待できる要素がなく、何より自分たちより卑しい者と見下されているからです。
そればかりか、恐怖アピールの連発が、当事者そのものへの反感や危機意識を高める逆効果となって、墓穴を掘るかたちとなっています。
【関連記事リンク】幸福の科学、熊本地震を“天罰”扱い=ネット上で“人間のクズ”の声しかし、それでも繰り返さずにはいられないのには二つの理由が考えられます。
ひとつは教祖自身の事情。
「「大宇宙の根本神仏である仏陀様」とは、私たちが信じ仰ぎ見る、主エル・カンターレ様のことです。
主エル・カンターレ様は大宇宙の根本神仏が顕現された存在であり、大川隆法主宰先生とは、主エル・カンターレ様の魂の御本体の意識(法身)が地上に肉体を持たれたお姿(応身)です。」
(94年3月 月刊「幸福の科学」第85号より)『幸福の科学の信仰の対象は、主エル・カンターレ 大川隆法総裁です。
主エル・カンターレは、地球の神々の主(至高神)であり、創造主としての始原の存在、大宇宙の根本仏です。
根本仏である主エル・カンターレの御本体が現代の日本に大川隆法総裁として下生され、全人類を救済し、地上にユートピアを築くため、数々の法を説き続けています。』
(教団HPより)上記は幸福の科学における大川隆法の概念です。
大川の自叙伝に見る青年期を貫く強烈な劣等感は、反動として脆弱な精神構造の断片化を克服しようと躁的防衛(自己愛的防衛)を働かせ、誇大自己を膨らませた挙句の病的な自己顕示の行きついた先が、この「大宇宙の根本仏」宣言と言えます。
数々の挫折経験のたびに、その対象喪失がもたらす抑うつ不安に耐えられず、やがて公正な競争・努力を要する現実社会からドロップアウトし、最後には人間をやめて神になったというわけです。
しかし、躁的防衛によって惨めな自分をいくら万能感で満たそうとも、所詮それは内的世界での話にすぎず、外的現実にぶつかれば、いとも簡単に崩壊します。
現実によって万能感を傷つけられ、肥大化した自己愛を支えることができない事態は、被害妄想を強めさせ、自らを傷つける対象への攻撃性と同時に破滅願望を暴走させるのです。
必死の宣伝虚しく、自分を救世主とも国師とも認めない社会への苛立ちから発狂せずにいられないというのが、教祖の恐怖アピール連発の実情と考えられます。
そして、もうひとつは教団(信者)の事情。
世間には何ら無意味な大川の恐怖アピールですが、一方で現存信者には一定の効果があることも確かです。
けれども、恐怖アピールには一時的な瞬発力はあっても持続力がありません。解けやすい効果の持続性を高めるには、自ずと繰り返せざるをえなくなる側面があります。
こうまで露骨に劣化した教祖になお追随するなど、常識的には理解に苦しむことと思われますが、今日に至るまで既に数々の不条理を飲み込んでまで、大川や教団を拠り所として自己保存をはかってきた信者にとっては、いまさら疑念を差し挟むことは、耐えがたい残酷な現実が一気に迫ってくる感覚に襲われて、自己存在の全否定にも等しいことであり、この教団を離れては自分が自分でなくなると思い込んでいるため、だらだらと盲信しつづけるしかないスパイラルに陥ってしまっています。
とうの昔に信者を理知的に教育する言葉を失った教団としては、躾けた信者を目覚めさせないようにして離反を防ぐために。
信者にとってはある意味で自分自身を騙し続けて、自分を動機づけるために、恐怖アピールを繰り返し発する(求める)必要があるのです。
派手な社会現象でも起こさなければ満たされないほど、空虚で強烈な自己愛を抱えた教祖や信者の、なりふり構わぬ常軌を逸した行動はエスカレートしており、社会にとって有害で危険な領域に入っていると言えます。
また、恐怖アピールは本質的には「脅迫」であり「暴力」の類です。
自律心や内的コントロールの形成を阻害するばかりか、恐怖心や不安感から抑うつ傾向を強め、反社会性や攻撃性の目立つ歪な人格を形成させます。
恐怖アピールに晒される環境では、ストレスホルモンの大量分泌によって、脳の前頭葉の健全な発達が抑制されてしまうという研究もあるようです。
大川隆法の恐怖アピールは、社会にとって単に不謹慎極まりないということに止まらず、二世、三世などの若年者はじめ信者にとっても非常に有害なものという観点からしても、その愚かしさを滑稽とただ呆れてばかりもいられない問題を含んでいます。