幸 福 の 科 学 学 園 完 全 敗 訴 確 定

現在、栃木県と滋賀県にて中高一貫校を運営する幸福の科学学園が、同校の教育事業の実態の違法性について記事を掲載した新潮社と執筆したジャーナリストに対して起こしていた裁判について、幸福の科学学園側の訴えは退けられ、新潮社とジャーナリスト側の完全勝訴が確定した模様です。

以下、勝利したジャーナリストの弁(Twitter)です。

藤倉創始者兼総裁
(やや日刊カルト新聞 創始者兼総裁 藤倉善郎氏)

やや日刊カルト新聞社 ‏@daily_cult

私藤倉が週刊新潮で書いた記事について幸福の科学学園が提訴していた件、1/22付で最高裁判所が学園の上告不受理を決定しました。下記記事で報告した2審判決が確定しました。新潮社と藤倉の完全勝訴です。

弁護士の皆様、週刊新潮の関係者の皆様、応援してくださった皆様、関心を持ってくださった皆様、野次馬の皆様、本当にありがとうございます。何よりも、我々を勝訴に導いてくださった主エル・カンターレに深く深く感謝いたします。

さて。幸福の科学学園が違法な学校であることを指摘した記事について、週刊新潮と藤倉が完全勝訴したわけですが、幸福の科学学園を認可し私学助成をたんまり出している栃木県と滋賀県はそんなんでいいのかという話になるわけで。どうするんでしょうね。

幸福の科学学園に対する私学助成の金額。栃木県は平成24年度に約1億2000万円、25年度に9300万円。滋賀県は25年度が約6600万円、26年度が約1億1000万円だそうです。違法な学園に、これだけの税金が投入されています。

真面目な話すると、幸福の科学学園については、文科省「認可したのは県知事なんだから県が対処すべき」、栃木県「県には強制する法的権限がないから文科省にやってもらわんと」みたいななすり合い。そもそも行政が「人権侵害に対処する」という発想で考えてない。


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実父への絶縁状

幸福の科学は、中川親子の自家製霊言を編纂した潮文社シリーズの読者を集め、同シリーズのペンネーム善川三朗こと父の忠義を顧問とし、大川隆法こと次男の隆が主宰という役割分担でスタートしました。

初期には宗教団体色は薄く、講演会や研修会等の個人研鑽を中心にした活動で、内部的には既に神託結婚の問題など起こっていたものの、外部的には体裁を保って、会員数もこの業界としては比較的順調に推移していたと言えましょう。

この当時の父子関係は、父は息子を主宰としてあくまで立てて、また霊的な面では相談するなどしつつ、現実的な実際の運営面では、父として顧問として息子に指示を行い、息子もそれに従うというかたちでした。
以前にこのブログで扱った善川から大川への手紙をご覧頂けば、その関係を感じ取って頂けるかと思います。

研修会食事風景
(教団初期の研修会でのひとコマ。写真中央が善川三朗)

しかし、この父子関係に様々な理由から徐々に亀裂が生じていき、やがて決定的な出来事でそれが修復不可能なものとなります。
それは91年の講談社フライデーへの威力業務妨害事件でした。

善川は、このことについて事前に一切知らされていなかったのです。
このとき父の善川は「お前たちは幸福の科学を潰す気か!」と、東京に連絡を入れたものの、息子は夫婦そろって都内のホテルを逃げ回っており、秘書には顧問の電話は繋ぐなと指示もされていたことから、両者の間で直接の話がされることはありませんでした。

そもそも、このしばらく前から親子は音信不通になっており、父はフライデー事件後の10月に東京を訪れるものの、息子は父を避け、親子は一瞬たりとも顔を合わすことなく(孫たちにも会うことなく)、父は無念に徳島へ帰っていったのです。

父として顧問として、息子のコントロールを喪失したわけですが、ただし、教団内でこの親子間の確執を知る者はごく限られており、表向きこの冷え切った関係が露呈することなく、フライデー事件の余波と、さらに無承諾伝道やベストセラー工作のための大量の出版在庫のツケが教団の財務を危機的状況に陥らせていた状況から、この対立はくすぶったまま後回しになったのでした。


その後、職員のリストラや高額のグッツ販売、教団への資金貸付制度の展開によって財務が改善傾向に入った翌92年になって、この件は両者の対話のないまま、息子からいきなりトドメが刺されて決着します。

善川への、いわゆる名誉職への異動です。
人事発表

1992年(平成4年)6月16日 事務局よりの発信で全地方本部長宛てに、A4版1枚のFAXが流れました。
理事、本部長人事に関する文書ですが、両相談役のコメントが載せられている半面で、名誉顧問については一切の説明もコメントもなく、その一行目のみです。

このような唐突な発表のため、現場では善川の重病説さえ噂されるほどで、私もその回答に苦慮したものです。

この伏線としては、まずは準備していた新刊本の発行中止や、月刊誌の連載打ち切りという形で始まりました。

出版の顧問担当者の配置転換まで行う周到ぶりで、突然活動の機会を奪われたことに釈明を求めると、その理由を財務の問題からの活動縮小の措置といった側面から伝えられたことで、いつかはまた再開できるかもと考えたのでしょう、ここまでは渋々受け入れたのでした。

このとき財務の問題を出されたので、企画されていた沖縄やハワイでの講演会も、同時に無期で中止とされましたが、地元の鳴門道場で行われるイベントにゲストで出席するのなら構わないだろうと、このあと西日本青年部の研修会への出席が、この一行の異動に繋がったのです。

そしてさらに半月後に、この文書が善川に届けられることとなります。

息子から父への最後通牒です。
絶縁状

恭啓

名誉顧問先生におかれましては益々ご清祥の御事とお慶び申し上げます。
過日、主宰先生のご生誕のご祝賀、お祝いの品を頂戴いたし、主宰先生にお届けいたしましたことを改めてご報告申し上げます。

さて、お届けした際、以下の如くご指示を承りましたので、謹んでご連絡申し上げます。

一、名誉顧問先生からのご贈答は、お気持ちだけで充分いただきましたので、先般の鮎を最後に、今後のご贈答はご遠慮したい旨、承っております。
理由は、お返しをお届けしなければならないのですが、なかなかお買い物にもいけない状態だからとのことでございます。
また、八月にも鮎をお送り下さるとのお気持ちの由、承っておりますが、その期間は東京不在のご予定でございます。
名誉顧問先生のお気持ちは、もう充分に頂きましたので、今後のご贈答はご遠慮したいとの由、承りました。

二、名誉顧問先生には、この度、名誉職にご就任になられました。
名誉顧問先生には、いろいろな会合等からのご出席の要請があろうかと存じますが、名誉職は、一般的には、実際の運営には携わらないものと言われておりますので、どうかご負担にならないよう、ご自愛くださいますようにとのことでございます。

また、胸像の設置、除幕式等につきまして、名誉顧問先生には何かとご心痛されておられることを伺い、総合本部では、先生のお気持ちを忖度させて頂き、除幕式および胸像の設置を当面の間延期し、時期をみてお願い申し上げることといたしました。併せてご報告申し上げます。

右、書中をもちまして、ご指示事項ならびにご報告申し上げます。
何卒、ご真意をご斟酌賜りますようお願い申し上げます。
また、文中、甚だ不躾かつ失礼の段、平にご容赦下さいますよう重ねてお願い申し上げます。
時節柄おすこやかにお暮らしのほどはるかにお祈り申し上げます。

頓首再拝

平成四年七月四日

秘書部長  印

名誉顧問 善川三朗先生 玉案下


この文書は実は2通作成されています。
1通は善川自身に届けられるものですが、もう1通は善川担当の秘書の私が事前に内容を把握しておくために用意されたもので、ここに至るまでには、文章表現から手渡すタイミングまで、東京と徳島サイドで入念な打ち合わせがなされた末のものです。

また上京するなどといった善川の反応を抑制し、父と子、顧問と主宰の争いを表面化させてはならないという苦しい配慮がありました。

内容について少し補足しておきましょう。

まず、徳島の吉野川は鮎の漁場として有名ですが、善川は鮎漁が解禁になると、なじみの店に連絡を入れまくり、毎年よい物を大量に買い込んでは東京に送っていました。

この前年に送った際に、関町の自宅の石畳の庭にあったパーゴラの下でバーベキューして、孫の宏ちゃんが喜んだという話が、自宅の女性秘書を通じて届けられたらしく、それで送る量が増えた経緯があったのですが、しかし東京では、結局ほとんど食べずに捨てていたと秘書部上司と自宅秘書の双方から聞いています。

自宅には料理担当の女性職員もいましたし、魚が嫌いになったわけではなく、徳島赴任前からこの親子の不和は聞かされていましたから、これも送り主への感情が所以なのだと、このとき実感しました。

それから胸像というのは、善川の知らないうちに企画が進められて、研修道場に設置されようとしていたものです。
善川はこれに対して、「生きているうちに銅像を建てられるなど、墓標を建てられているようだ」と述べて反発しました。

それで設置や除幕式はなくなりましたが、実のところ胸像はこのあと間もなく完成し、鳴門道場の階段下の物入れに終われていたことまでは伏せられています。

直接の対話も説得もなく、銅像まで準備して一方的に過去のものとして封じ込めた態度は、自らを持て余して親に散々依存してきた劣等感から、反撃的自己を活性化させただけの、教祖という地位に立脚し、霊言という手段を通じて始めて漸く達成しえた、未熟なままの遅すぎる親離れであって、もはや用済みで耳障りとなった父親を遠ざけるばかりでなく、本質的には、今日でも「創始者兼総裁」と主張せずにいられない姿に象徴されるような、小さな箱庭の中での強固な自己顕示の発露であったのだろうと思います。

善川三朗、中川君子、富山誠、大川隆法
この宗教のカルト性の芽を理解するには、この家族について知ることが不可欠です。

このことについては、いずれじっくり取り組みたいと考えていますが、そのためには、収集した資料を整理して再び分析すると同時に、いくつか不明な点について、正確な調査を行わなければならない部分も残っており、今年はその手がかりを掴む一年にできればと思います。
プロフィール

アルゴラブ

Author:アルゴラブ
当ブログへようこそ。
私もペンとネットの力を信じ、「幸福の科学」を手掛かりに、カルトの問題について考えていきます。
脱会を迷われる方は、下記の記事カテゴリSuggestion の「脱会に必要なもの」をご覧ください。

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