カルト問題の解明をめざして

洋の東西を問わず、また宗教や自己啓発、あるいは政治的思想などの別なく、カルト的集団には必ず一定のパターンがあります。それは所詮、人間のすることだからですが、事例の蓄積からパターンを分析できても、「なぜそうなるのか?」という根本的なメカニズムの解明には、未だ至っていません。

以下は人民寺院事件について扱われたものですが、ここにはオウム真理教や統一教会、また幸福の科学などの問題について考える手掛かりがあります。

【YouTubeリンク】
Why do people join cults? - Janja Lalich
(なぜ人はカルトにはまるのか? — ヤンヤ・ラリッチ)


【関連記事リンク】
「なぜ人はカルトに取り憑かれてしまうのか?」

オウム真理教による一連の事件から23年の歳月を数え、全ての裁判が結審された今日、元オウム真理教信者の死刑囚らの移送が始められて、にわかに死刑執行に向けた準備が加速してきた感がありますが、先日、法務大臣に対して、JSCPR日本脱カルト協会より、カルト問題の解明と再発防止の観点から、麻原死刑囚以外のオウム真理教元信者12名の死刑執行に反対する要請書が提出され、公益社団法人日本外国特派員協会において、JSCPR理事3名のほか、「オウム真理教家族の会」会長の永岡弘行さんも含めて記者会見が行われました。

JSCPR要請書1
JSCPR要請書2

【JSCPR日本脱カルト協会リンク】
法務大臣への要請書

【記者会見映像YouTubeリンク】
麻原死刑囚以外のオウム12人の死刑執行に反対
滝本弁護士らが会見(2018年3月19日)



こうした動きは、死刑囚の移送が始まったことに対して急遽行われたものという印象が強いと思われますが、教祖の麻原を除く12名の死刑執行反対については、以前より家族会のメンバーを中心に地道な署名活動が続けられていた事実があります。

多大な犠牲者を出し、今なお深刻な後遺症に悩まされている被害者も少なくない中、被害者、被害者家族といった全ての関係者の死刑囚への処罰感情は、当事者の方々の心を焼き焦がし、想像を絶するほど苦しく、全く癒されないままのものであろうと思われますが、そうした方々の中からの、死刑執行反対の訴えであるということの重みを、社会はしっかり受け止める必要があるでしょう。

このことは日本にとってだけでなく、世界にとっても必要なことであり、ゆえに、日本外国特派員協会において訴えられたことは意味があったと思います。

このまま彼らを殺してしまえば、多大な犠牲を出しながら、何ら総括もせぬまま教訓も学ぶことなく、ただ単に「臭いものに蓋」をして終わるだけです。

オウム真理教家族の会(旧-被害者の会)主催の署名のお願いと署名用紙は下記リンクをご覧ください。

滝本太郎弁護士ブログ「12名の死刑執行回避署名-お願い」

オウム真理教家族の会


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「アンチ」の仕事

大川隆法の次男で現在教団トップの大川真輝は、昨年に行われた講演の中で、信者を前にして「この20年、活動信者が増えていない」と述べています。

大川真輝2017年の談話

教団幹部がうっかりと幸福の科学の公称がいかに当てにならないものか暴露したかたちとなりましたが、立宗後20数年、様々な紆余曲折を経ながら、結局のところ90年代の水準を越えられず、そればかりか、現在はそれが高齢化した古参信者と、その二世・三世によって構成されていることによって、もはや教勢が傾斜のスパイラルから逃れられない状況にあることが露呈しました。

そうした事情に耐えかねてか、2017年末には、いよいよ教団内において大規模な拠点の整理縮小と職員の大リストラが始まっています。このことについては、91年に行われたリストラの状況と比較しながら、次回以降に改めてまとめたいと思いますが、教祖の大川は、職員組織の粛清のほか、さらに信者に対しても、これまで以上の布施の勧進を押し進める指示を行っていることから、今年は2009年以来の職員や信者の脱会が相次ぐものと見込まれ、その波を前に、脱会するということについて、今一度まとめておきたいと思います。

ただし、今回扱うのは脱会の手続き的なことではなく、心の問題です。それも脱会してからのことではなく、疑問を抱いてから日常に復帰するまでの心理プロセスについてです。

信者と職員の違い。その信者の中でも、ほとんど教学のみで活動歴のない人とリーダー会員としてあらゆる活動に没頭した人。また職員でも支部の現場にいた人と本部にいた人。さらに自ら入会した者と、二世・三世の違いなど境遇は様々ですが、何らかのきっかけで教祖や教団に疑問を抱き、やがて脱会に至るプロセスには、誰もがおおよそ同じ道筋を歩みます。

それは極端な話、幸福の科学に限ったことでもありません。幸福の科学信者が辿る脱会過程の思考プロセスから幸福の科学的要素を除いてみれば、他宗の脱会者の歩んだ道ともそう大差がないものです。

「生病老死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦」に、「火難・水難・羅刹難・王難・鬼難・枷鎖難・怨賊難」と、まこと人生とはままならぬもので、愛情や依存の対象、そして日頃から慣れ親しんだ環境や所有物、また生き甲斐とした目標や自己イメージなど、様々な事柄の喪失体験から、人には逃れる術はありません。

こうしたことを「対象喪失」と言い、この状況下で起こる怒り、恐れ、不安、絶望感などの感情の過度の高ぶりによって自己の統制を失うことや、場合によっては潰瘍、高血圧、心疾患などの身体症状まで含めて「対象喪失反応」と呼ばれています。

カルトからの脱会といえども、一度は人生をかけて信じたかけがえのないものを手放すということは、当事者にとっては「対象喪失」の体験に他なりません。死別の悲しみへの対処が人間にとって永遠の課題で、そこに信仰の意義があるのであれば、その喪失も同様に軽視しがたいものなのです。

そうしてこれら「対象喪失」した際に直面する精神的危機を克服するためには、嘆きや悲しみを十分に表現できる機会が必要で、それが時間と共に自然と心が整理されていく営みを「喪の作業」とか「悲哀の仕事」といいます。

疑念を抱き、脱会し、その過去を総括する過程では、時として、教祖と教団に裏切られたという怒りや憎しみ、また反対に選択を誤ったという深い後悔と自己嫌悪の間で激しい感情の起伏を経験し、教団との関わり方の度合いに応じて個人差はあるものの、そうした自分を持て余す心穏やかでない辛い時期を踏破せねばなりません。

けれども、それはあくまで正常な悲哀の心理プロセスであり、主体性を取り戻し再び自立するための必須の過程なのです。この心理過程に身も心も焼き尽くし、「悲哀の仕事」耐えかねて中断してしまったりすると、「対象喪失反応」が起こる要因となりえます。

カルトの中にいるうちに、悲しむことを精神生活から排除してしまっていたため、無自覚に染みついてしまった様々な習慣をデトックスするのには、自分で考えているよりも多くの相応の時間が必要ですから、くれぐれも早々に結論を出そうとするような焦りは禁物です。

この「悲哀の仕事」にマニュアルはありません。ただ、現実を真摯に受け止め、きちんと断念を積み重ねて、心静かに悲しむ能力を獲得していく以外にありません。ただし「悲哀の仕事」を妨げるものを知っていれば、いたずらに困惑したり、絶望感にうちひしがれることなく前向きに進んでいくことができるでしょう。

焦りは悲哀の苦痛の働きとして、さまざまな心の術策を用いて「悲哀の仕事」の妨げとなります。たとえば幸福の科学的要素として、まず脱会に至るまでの間には、現状の「否認」や、自己処罰感情も絡めたかたちの、教祖の祟りや教団からの害悪への「恐怖」が足枷となることがあるでしょう。

そして脱会後には、対象への過度の「理想化」や反対に「悪玉化」、またそれに対する強度の「復讐心」、あるいは分派や他のカルトに乗り換える対象の「置き換え」などが、自然な心の歩みを押しとどめ「悲哀の仕事」の達成の妨げとなっているようです。

自分にとって都合の良くない対象のもつ暗黒面を否認し、ひたすら良い面だけを分離させて喪失の苦痛を回避しようとする態度を「ポリアンナイズム」と呼び、教祖無罪論や初期肯定論がそれに当たるものと思いますが、大川を悪魔や大悪党として激しく憎悪することも、一見まったく正反対の態度のようでいて、それらは共に対象喪失から日常に復帰していく心理プロセスの上にある両極端の要素ということになります。

こうした一時的なプロセスの段階に拘り、いつまでも留まったままでいることで、浦島太郎のように全く時間が止まったままの人がたまにおられます。客観的事実を前にしても、失った対象への思慕の情から心の向きを変えられないのは、「悲哀の仕事」には知性以上に人格の成熟度が鍵であることを示していると思います。

こうしたことから私は、単に脱会に至りさえすればそれで良いとは思っていません。脱会そのものが至上の目的なのではなく、心理的過程を踏んでこの「悲哀の仕事」をやり遂げて頂くことを願っています。そうでなければ、多大な犠牲を払いながら、結果的に教訓を学び尽くしたことにならないと考えるからです。これを達成したときこそ、カルトの呪縛から解放されて心は自由を取り戻し、いよいよ真の脱会として「アンチ」卒業となるのだと思います。

心の整理のためのブログやTwitterなどを活用した表現や、共感の繋がりが広がることは大変良いことで、かつ有難いことです。ただし「アンチ」の仕事は、あくまで「悲哀の仕事」の達成であることを、心の片隅に置いておいて頂ければと思います。

ところで、よく「アンチは一枚岩ではない」と、内外から批判があります。けれども、上記の通り、いわゆるアンチ化した状況には、このようにさまざまな心理の段階の方がいるわけですから、一枚岩でないのは当然のことです。ゆえにアンチを組織化することなど不可能ですし、その必要もなく、すべきでもないと思っています。

まずは自分と折り合いをつけて「アンチ」を卒業した後に、なおカルトによる社会規範の冒涜や個人の尊厳への侵害等に対して抵抗する意志が湧き出すようなら、その時こそ「アンチ」から「レジスタンス」へと生まれるのに、まったく遅くはないのですから。

脱会者を蝕む霊感カウンセリングに注意

カルト宗教は、信者に極端な善悪二元論を植え付け、脳裏によぎる教祖や教団に対する疑念や批判は、地獄へ誘う悪魔の囁きとして、恐怖によって信者の思考をコントロールしますが、それでも、内なる良心の声によって燻ぶった理性が働きを取り戻し、自らの選択の誤りを受け止めた時、いつの間にか迷い込んでしまっていたカルト信仰という暗闇の迷路から、陽の当たる日常への帰還を果たすことになります。

そして、カルト宗教の残滓をデトックスして、本来の自分に立ち返るなり、或いは新たなアイデンティティを確立する作業が始まりますが、これにはカルトに関わっていたのと同等の時間や質的な注力を要するので、焦らずに進めなければなりません。

めでたく教団から脱出したと言っても、脱会者の心理や思考力は、カルト信仰によって歪められ混乱した状態で、そうした習慣は当事者が自覚する以上に深く浸潤しているので、脱会直後というのは、誰もが、自己を取り戻したと謂えども主体性の動揺しやすい、たいへん不安定な時期を踏破しなければならないのです。

そしてこれは、とても危険な時期です。
脱会によって心に生じた空白をどうにかしたいと、焦って代償を求めに走り、結果的に別の迷路に迷い込んで“元の木阿弥”になってしまうケースが散見されます。

カルト教団によって、さんざん時間や財産を収奪されてきて、ようやくそこから逃れたのに、今度はその心の整理をしたいと頼った先で、いつの間にか同じような状況に陥ってしまい、またもや貴重な時間と財産を浪費させられてしまうのです。

近頃もそうした事例の申告をお受けしました。
当事者の方は、たいへん深く傷つき、もう自分のような思いをする人を決して出して欲しくないという動機から、関係者の仲介を経てお知らせを頂いたものです。

申告は数々の客観的資料を添えて、具体的な内容の信頼に値するものでしたが、ご本人とご家族が、もうこれを区切りとして、そうした過去を裁断して生き直したいというお気持ちでおられるので、このケースの詳細を公開することはあえて致しませんが、この事例に内在する様々な側面から、私の部分で問題となる要素を抽出し、整理をして、教団の別なくカルト脱会後の注意喚起とさせて頂くことで、申告を下さった方々のご意志に報いたいと思います。


以下、脱会者の皆様にご案内をさせて頂きます。

脱会カウンセリングを行う者の中には、「心理カウンセラー」と称して、業として請け負う者がいます。さらに、こうした者は自らも脱会経験者で、そのカウンセリングには、霊的な要素が含まれたものがあります。

現在、国家資格として「公認心理師」が準備されているところですが、現状は「心理カウンセラー」と言っても、その質は広く様々な民間資格で、大学院での専門教育を要し公的資格として通用する臨床心理士から、数時間の講義や通信教育で取得可能なものまであり、また「心理カウンセラー」は職業名として、臨床心理士や産業カウンセラー等の資格を詐称しない限りは、仮に無資格で業を営んでいても直ちに法に抵触はしません。

また、カウンセリングに霊的な要素を含めていても、宗教的活動は信教の自由の一形態として保障されているため、カウンセリングの際の心霊的サービスも、社会通念上認められている範囲から公序良俗に照らして逸脱しない限り、必ずしも無効とはなりません。

こうした手法は、少なくとも私が知るところの脱会カウンセリングの有るべき姿ではありませんが、無資格または独自で設定した資格を根拠とする心理カウンセラーが、業として行う上記のような脱会カウンセリングでも、民間療法の類として成立はします。

このような状況ですから、明確な判断基準がない民間療法の類の脱会カウンセリングでは自ずとトラブルが多くなります。通常医療の世界でも、時には被害が発生し争いになる場合があるくらいですから尚更でしょう。

しかし、決して野放ではありません。越えてはならない一線があり、今回の事例を含め、トラブルを起こす脱会カウンセリングには、共通した問題点があります。

民間療法的な脱会カウンセリングの質を判別するのには、それが臨床の蓄積などエビデンスに基づくものなのか、また業として行われるカウンセリングの対価が、臨床心理士の場合や精神科医のそれと比較して適正なものかどうかといった判断もありますが、そうしたこと以前の本質的な問題として、煎じ詰めると以下に尽きると思います。

カウンセリング依頼の脱会者に、「穢れ、祟り、呪い、霊障」といったネガティブな要素を強く印象づけて意識させたうえで、それに対する「清め、祈願、祈祷、除霊」に誘導したり、自己否定感を増長させて、そこから「生まれ変わり」のためのセミナーを受講させたりする構図の存在です。

これは「霊感商法」そのものです。
カウンセリング手法の是非を論ずる以前の、違法性のある行為となります。

脱会者に寄り添うようでいて、その実は教祖や教団を悪魔だとか、大蛇だとか、悪質宇宙人などとして、清め自己変革して、教祖との悪しき因縁を解かねば、教団の宗教地獄に堕ちるなどという恐怖説得を行うのであれば、そうしたアプローチは、恐怖の対象を変えただけの、結局のところ教祖や教団が信者をコントロールしていたのと同じことをしているのであって、善意か悪意かに関わりなく、教祖がしていた根拠のない不安で煽る宗教依存のビジネスモデルを踏襲しているだけです。

騙すつもりがなかろうと、結果的に脱会者が脱会者を食い物にし、自己実現の道具としている状況は看過できません。しかしながら、こうした事は手を変え品を変え繰り返されて、終わりが見えません。

やる側よりやられる側が悪いなどと言うことは断じてなく、本来であればカウンセラーを称する側が、あくまで道義的責任を自覚すべきところでしょうが、宗教被害者に更なる心理的社会的ダメージを与える、人間の屑のごとき所業を行う者にそれを求めても無駄なようで、脱会者が知識を備えて自己防衛できるようになるしか、被害を食い止める策はないでしょう。

ですので、少々耳障りなことも指摘しなければなりません。

いかに教祖や教団を、脱会者に害を為す側に置いたところで、教祖の世界観の延長線上にあるからには、所詮は分派の域を出るものではなく、カウンセラーという名を借りたミニ教祖に過ぎない者に、貴方は脱会後の新たな門出を委ねたいでしょうか?

私自身の自戒を込め、カルトに嵌まった経験を率直に自覚したところで、同様の脱会者である甚だ宗教的センスの疑わしい者の霊能などを、なぜ無批判に採用するのでしょうか?

信仰や宗教を否定はしません。
ただし、過度に霊的なことに原因や回答を求めるのを止めるべきです。
霊言か超越自我かの違いに関わらず、そもそも自己が解決すべき現実的課題を、いちいち霊的なものに仰ぐようでいて、なんで生まれてきた意味があるのでしょうか?

非科学的なカルト信仰の総括を、非科学的な手法に求めて一体なにが得られるというのでしょうか?

増してや根拠のない不安で貴方を煽るような者は、問答無用で絶交すべきです。

また、貴方ご自身の中に、祈祷や祈願にお金を供することによって、手っ取り早く苦しい心境から逃れたいと思っている部分はありませんか?

そうした態度は、相手に付け入る隙を与えるものです。

脱会したからと言って、全ての問題が解消されたりはしません。
むしろ、盲目的なカルト信仰によって、ただ見えないところに蓋をして保留していた問題と再び向き合うこととなるでしょう。

こうしたとき、かりそめのものでも安易なものに人は飛びつきやすいものです。でも、真の解決には、お金ではなく自らの時間と質をかける以外にないことを覚悟して、どうか踏みとどまって下さい。

カルト宗教に埋没して自我を喪失していた苦しさを知るからには、自らの人生途上に起こる喜びも悲しみも、静かに受け入れていく自由の有難さが分かるはずです。

くれぐれも短気を起こして来た道をまた戻るようなことがないように、どうか同胞の苦い教訓を必ず活かしてください。

【「霊感商法」の理解を深める参考サイト】

害悪を告知し、祈とう等を受けさせ祈とう料等を支払わせることが不法行為に当たるとした事例
独立行政法人国民生活センター

霊感商法の手口と対策 霊や祟りに怯え騙されないための知識
弁護士の総合検索サイト『あなたの弁護士』

「霊感商法」の法律相談
弁護士ドットコム

幸福の科学のデート勧誘に注意

すでに教団の反社会的カルト性に目覚めつつも、内部の観測のためにあえて会内に留まる選択をされている方のブログに、教団学生部が推進する勧誘手法の情報発信がなされていましたので、こちらでも注意喚起に紹介をしたいと思います。

ブログ・サンポール記事
【ブログ・サンポール新記事リンク】
「大川隆法、ついに『デート商法』に手を染める!」
(再編集)【幸福の科学の迷走が始まった1】

問題の勧誘手法は、YouTubeにアップされた下記の動画で、幸福の科学学生部の余りに無邪気な愚かさに唖然とします。

anjewel 幸福の科学学生部 2017/07/14 に公開
教団学生部が推進するデート勧誘手法
【YouTubeリンク】
【anjewel】 ♡まななんと、学校で秘密デート♡

ところで、この“まななん”という女の子。
きっと二世か三世の子なのではないかと思います。
信者の親を持つ環境下、自己選択権が阻害された状況に無自覚なまま育ったであろう背景を考えると、惻然とせずにいられない部分は多々ありますが、さりとてこうして公に矢面に出てくるからには覚悟もあるのでしょうし、ゆえに批判の手を緩める必要を認めません。

このデート勧誘に潜むマインドコントロール手法を解析します。

デート勧誘1
デート勧誘2
本当の要求は隠して、「休み時間に一緒に昼食」という受け入れられやすい要求を通す段階的要請法(フット・イン・ザ・ドア・テクニック)
(但し、冒頭の「デートして♡」の部分は編集ミスで、正しくは「手貸して」と言っており、2017/07/18 に公開の第二版で修正されている)

デート勧誘3
「皆には内緒」という、他と隔絶した秘密の体験の共有と団結感を印象付け

デート勧誘4
内心で相手に好意を持っていた場合は無論のこと、特別に好意は持っていなくても、拒否すると相手を傷付けるという不安から誘いに応じているという前提で、この時点で相手に対して受け身のマインドが形成されている

デート勧誘5
「奪う前にはまず与えろ」無償の愛のアピールで“おもてなし”

デート勧誘6
先ずは直接の接触は控えて相手の反応を確かめつつ、食べ物を介した接触で特別の関係を深める

デート勧誘7
未来への期待感をもたせ、「一貫性の原理」への布石をうつ

デート勧誘8
満腹に与えられ、「要求吊り上げ」の準備完了

デート勧誘9
唐突に、躊躇なく本題を切り出す

デート勧誘10
切り札のボディタッチで期待感を増幅させ、かつ不安感を鈍らせて拒否の退路を断つ

デート勧誘11
デート勧誘12
デート勧誘13
デート勧誘14
予期せぬ誘いに混乱するも、すでに与えられ相手に対して受け身の貴方は「返報性の原理」から断れない

デート勧誘15
昼食の誘いに応じ、また二人の未来の約束にも応じたという、コミットメントの「一貫性の原理」が貴方の中で優先し、不安要素への疑念は抑圧される

デート勧誘16
デート勧誘17
伝道カウント1
ためらいが意志を弱め、カルト宗教地獄への第一歩を踏み入れる



分水嶺は、相手の搦め手に流されずに、ここできっぱりと格好良くこう言い切れるかどうかです。

だが断る

荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険」
「ダイヤモンドは砕けない」の岸辺露伴のセリフ

「 だ が 断 る 」

カルトの甘い勧誘には、無慈悲に情け容赦なく、冷徹にNOを。

大切な想い人が、カルト宗教なんぞに心を汚染されているのを知ったのなら、信教の自由などと言って目を背けずに、全力でハッキリと厳しい意思表示をしてあげて下さい。

それは瞬間の勝負です。貴方が発する拒否と批判が相手の心に傷を残すことになっても、いつかそれが相手を目覚めさせる命綱になることを、私は実体験を通じて断言することができます。



【記事中の用語等について補足】

「返報性の原理」
他人から施しや好意を受けた場合に、相手にお返しをしなければならないという感情を抱く心理

「一貫性の原理」
自分自身の行動・発言・態度・信念・価値観等に対し、一貫したものでありたという心理

「フット・イン・ザ・ドア・テクニック」の特徴
・最初の要求は承諾を得やすい簡単なものである。
・最初の要求と目的の要求に関連性がある。
・深く考えさせないよう感情に訴える。

※仮に「要求吊り上げ」でなく、始めいきなり「三帰誓願(入信)して」という要求で来て、断ると「なら、せめて一度だけで良いから講演会来て」といった場合は、譲歩的要請法(ドア・イン・ザ・フェイス・テクニック)というパターンになります。どちらにせよ蟻地獄に嵌まることに違いはありません。

「ドア・イン・ザ・フェイス・テクニック」の特徴
・最初の要求は拒否前提の大きな要求である。
・最初の要求と目的の要求に関連性がある。
・同じ相手から過去に依頼ごとを受けた実績がある。
・この手法は多用できないため、相手にとっての最終策である。


脱会に必要なもの

教団は、続出する退会者の締め付けに、退会にあたっては事前に所属支部長との面談のうえ、その許可を必要とし、退会後の口封じまで行おうとしていることが明らかとなっています。

このことで脱会を尻込みしている方もおられるようですが、このような教団の措置に従う必要は全くなく、何ら心配いりません。

「法的には退会届なしでも退会できる」

「宗教をやめる際、そもそも信者は書面で退会届を出す必要すらありません。口頭でも何でも意思表示さえすれば、法的にも脱会したと言えます。日本国憲法は自由を原則としており、口頭で意思表明するのか書面でするのかも自由。個別の法律で契約時の書面のやりとりを義務付けているケースはありますが、それは飽くまでも例外です。宗教団体からの退会は自由ですから、教団側が定めたルールに従う必要はありません。退会のために文書の提出や面談を要求すること自体が人権侵害であり憲法違反とも言えますが、信者としては、それに従わなければいいだけの話です」
紀藤正樹弁護士

違法な退会届

【参考記事リンク】
やや日刊カルト新聞
幸福の科学が信者の自由な退会を禁止に」

そもそも退会届など必要ないわけですが、気持ちの区切りをつけるために何か形にしたいというのであれば、それはそれで良いと思います。
自由な様式で意思表示して一向に構わないのですが、この「退会届」を逆手にとって送ってやるのも一興かと思います。

ひとつの提案として、例えば私なら、とりあえずこんな感じでしょうか。
アルゴラブ案

支部などスルーし、これを直接、下部に記載の教団サービスセンターに送って終了です。気に入ったらテンプレートとしてどうぞご活用ください。

そのほか、事前に植福の会の自動振替をしている銀行支店に出掛けて、当該取引の停止をお忘れなく。植福は会費でなく布施なのですから、教団に通告なく任意で解約可能です。


成り行きでなく、自分の足で一歩を踏み出す。
これから先の人生にとって、自分の足で出ていくということは意味のあることです。

脱会にハードルなどありません。
必要なのは「意志」だけです。

プロフィール

アルゴラブ

Author:アルゴラブ
日本脱カルト協会
「JSCPR」会員

当ブログへようこそ。
私もペンとネットの力を信じ、「幸福の科学」を手掛かりに、カルトの問題について考えていきます。
脱会を迷われる方は、下記の記事カテゴリSuggestion の「脱会に必要なもの」をご覧ください。

コメント欄は非公開設定を選択することができます。悪質な荒らし行為等でない限りは決して公開されませんのでご安心ください。

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