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大川隆法の変死体と幸福の科学の終末

2023年2月28日に東京都港区の大悟館内で倒れて搬送されたのち、蘇生することのないまま3月2日に死亡確認された宗教法人「幸福の科学」総裁の大川隆法の変死体は、いまだに荼毘に付されることなく、教団施設の一角で職員の24時間監視下のもと「チルド」保存されている状態とのことだ。

大川隆法御死体
信濃川画伯作

宗教法人化して以降、独自の喪儀法を打ち出し、信者へ多額の植福を勧進して生前のうちに自身の墓まで建立させておきながら、死後数ヶ月を経てもなお、遺体も教団運営もフリーズ状態であるのには、死の直前の混濁した状況下で語った大川の二つの言葉が、大川自身と教団双方を呪縛していることによる。

その一つは、後継指名していた長女を死の直前になって排斥したこと。
もう一つは、別の後継を示すでもなく、自らの復活を仄めかしたこと。

幸福の科学内においては、いかに些細な(馬鹿げた)事柄であっても大川隆法の言葉であるからには「仏言」である。それは信者にとって神聖不可侵の絶対的なものであり、文字通り受け止め、弟子の分際で恣意的な解釈は許されない。

従って、いったん排斥された系譜の復権はありえないし、また、自ら復活すると言い残されたからには是が非でも遺体を保存し続け、いつとも分からぬその日を黙々と待たなければならない。

これによって、教団はどこへも向かえなくなった。実のところ誰よりも現世への執着が強く、死してなお自らの宗教妄想を満たす道具である信者を逃すまいという辺り、いかにも自己愛的変質者の大川隆法らしい呪いと言えるだろう。

すこぶる気味の悪い話で、常識的に考えて全く理解に苦しむことと思われるが、幸福の科学は本気でこれをやっている。「チルド」保存を選択している点がその証だ。

死後の人体には、自然的に先ず「自家融解」と「腐敗」が起こる。組織や細胞が自身の酵素により分解される一方で、主に消化管からバクテリアによる組織の分解が進んでいく。

こうした中で遺体を保存するということは、端的に言えば腐敗を抑えるということだ。しかしながら、いわゆる「エンバーミング」の場合、遺体の一部を切開して体内の血液や体液、消化器官の残存物等を吸引し、かわって防腐剤を注入して細部まで満たすので、遺体保存法としては丁寧な処理ではあるものの、蘇る前提としては使い物にならない。

腐敗を促進させるバクテリアは10度以下で増殖が遅くなり、マイナス15度以下でほぼ繁殖しなくなることから、本来的には凍結貯蔵(凍蔵)が最適だが、凍結させるにも急速冷凍でなければ体内に氷の塊ができて組織が破壊されてしまうし、解凍時にも注意しなければ大量の水分が流れ出て、一気にカサカサになってしまう恐れがある。

こうした都合から、蘇る前提で生の鮮度をとどめるべく、冷蔵以上に長持ちさせたいものの、冷凍はさせたくないものに対する保存法として、個体が凍り始める寸前の冷却管理「チルド」が選択されたものと考えられる。

人為的な加工または自然条件による乾燥によって長期間原型を留めるミイラ化した遺体や、自然環境下での湿潤状態かつバクテリアが繁殖しない条件が揃った際に、体内の脂肪が蝋状に変質して永久死体となる死蝋化した遺体を、宗教上の動機から即身仏や不朽体として保存し、崇敬の対象とすることは現代でも行われている。

特に死蝋化については、その奇跡的な状態が「聖人の遺体は腐らない」という迷信を強化し、不朽体の概念を捻じ曲げてきた側面もあるように思う。

だが、「現象には必ず理由がある」と考えられるようになった近代においては、先人への敬意を払いながらも、あくまで理性的に自然法則を度外視することはまずないだろう。

けれども、幸福の科学が目指しているのは、そうした崇敬の理由からではなく、あくまで急病のため頓死した大川隆法の変死体の完全な復活を想定しての対応なのだ。

90年代、今世と来世を貫く幸福の理法探究を目的として、「偉大なる常識人」の育成を掲げていた穏健な学習コミュニティは、今や人の死という真理探究の“イの一番”というべき現実とさえ向き合えないほど常軌を逸したカルト宗教に変質しきった。

ロシアの文豪フョードル・ドストエフスキーが記した「カラマーゾフの兄弟」の終盤では、物語の中で主人公らの規範となっていたゾシマ長老という宗教者の死によって生じた混乱の描写がある。

甚だ雑駁で恐縮であるが、その部分を簡単に表現すると、ゾシマ長老が物語の中で病気のために死亡したとき、聖人は死んでも遺体は腐敗することなく、芳しい香りすら漂うものという観念から、ゾシマ長老ほど立派で聖人に列せられうるような人物であれば奇跡が起こるかもという期待が人々の間に拡がるが、実際はたちまち酷い腐敗臭を放ち、ある者は絶望し、ある者は蔑みと、様々な感情や打算が入り乱れて、ゾシマ長老の遺徳も危ぶまれる状況に陥るという展開だ。

本作については、高校時代に現代文の先生から名著のひとつとして習った覚えがあるが、文学に関心の薄い私は殆ど聞き流していた。「カラマーゾフの兄弟」の中で、このゾシマ長老の話は解釈困難な部分があって、文学ファンの間でも通称「ゾシマ越え」と言われる難所であるらしい。

難解な文学的議論はさておき、今回、死蝋化や不朽体について考えている最中に、改めてこのゾシマ長老のエピソードに触れるきっかけを得たとき、ゾシマ長老と大川隆法との質含めシチュエーションには雲泥の差があるものの、権威者の死から始まる認知的不協和の構図が幸福の科学の現況と重なって感じられる部分があった。

教団は信者に、「総裁先生の御神体は腐敗することなく、生前のお姿のまま安置されています」などと呑気なことを言っているようだが、電源に依存し冷却機械の管理によって腐敗を免れているに過ぎず、遺体の破壊は刻一刻と進み、病死して司法解剖を経た変死体の保存期限を延ばす決定的な効果はないのだ。

「大川隆法は死んだ」という客観的な状況で判断できないのだろうか。腐敗臭を嗅ぐか、変質した遺体を目の当たりにしないと悪い夢から目が覚めないか。

もうこの辺りが本当に最後だと思う。果たして、ここで「タカシ越え」をして日常に戻れる信者がどれくらい残っているだろうか。

この期に及んで現実検討力のない現役信者には、さすがにもう手の施しようがない。

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ペテン師、還らず。③大川隆法「死亡届」客観情報

数日前より複数のルートから徐々に漏れ始めていた大川隆法(中川隆)の「死亡届」について、確度の高い情報が開示された。いかに教団がひた隠しにしたところで、ここまで来れば堰を切ったように次々と事実が明らかになってくるだろう。

死亡届第一報
第一報となったツイート(死亡日時の“平成”表記は“令和”の誤り)

大川隆法の「死亡届」にかかる一部客観情報

死亡日時:令和5年3月2日午前8時23分

届出日:令和5年4月8日

届出人:大川直樹 


「死亡届」の手続きについて基本的な事項から再確認をしておきたい。

【死亡届の届出義務者】(順位の序列)
No.1:同居の親族
No.2:同居の親族以外の同居者
No.3:家主、地主、家屋管理人または土地管理人

届出義務はないが届出が認められている届出資格者は以下の通り。
・同居の親族以外の親族
・後見人、保佐人、補助人、または任意後見人
・任意後見受任者
(届出に際しては、先順位者がある場合でも後順位者による届出も可能)

【届出期日】(国内の場合)
届出人が死亡の事実を知った日から事実を知った日を含め7日以内。
(役所の休日の場合は以降の最初の開庁日)

【届出場所】
・故人の本籍地
・死亡地
・届出人の所在地

令和5年3月2日は警察発表のあった日。大川隆法は変死扱いで検死が行われており、検死では死亡原因と同時に死亡推定時刻の究明が行われるはずだが、2月28日の搬送からの流れと検死に要する時間等を考えると、検死にあたった医師による死亡宣告が最終的に大川隆法の命日にされたのかと思われる。

また、届出人が配偶者の紫央でも長女の咲也加でもなく、娘婿の直樹となっており、親族であるから届出自体に問題はないが、この時点で既に教団内で半ば追放状態に追い込まれていた咲也加でないのは分かるとしても、その亭主の直樹に行わせておいて、後妻の紫央ができなかったことは全く不可解だ。

死亡届様式
法務省「死亡届」記載例

法務省の死亡届の様式を見れば分かる通り、届出書類は死亡診断書(死体検案書)と一式であり、検死完了時に発行されている。あとはただ提出するだけのもので、3月9日までには届出を済ませるべきところを、一カ月以上も放置していたことには弁明の余地はないだろう。



ペテン師、還らず。② 教団が隠蔽する死の事情

週刊実話2023年3月23日号「創始者・大川隆法総裁が逝去の「幸福の科学」後継者決まらず存亡の危機…」の記事中で、ジャーナリストの山田直樹氏は、知己の公安関係者の証言として、大川隆法は令和5年2月28日、自宅としていた幸福の科学大悟館(東京都港区白金4-6-2)で脳梗塞を発症し、救急搬送されたが蘇生できずに死亡したという状況を明らかにした。
2023.3.23週刊実話誌面

「蘇生できずに死亡」ということは、28日の大悟館(宗務本部第一聖務局)搬出時、大川は既に死亡していたものと考えられる。

結果的に正式な発表が3月2日まで遅れたのは、この頓死が、病院外かつ主治医(かかりつけ医)による診察を24時間以内に受けていない状況による、いわゆる「検死」の必要性のある変死扱いとなったためだろう。

教団の職員にも医師免許を所持している者はいるが、そのような者では医療従事者と見做されないのは当然だ。

大悟館での死から初めての月命日となる節目に、一カ月前に実際に起こっていたこと、さらにその経過までに起こっていたであろうことを改めて整理しておきたい。

さて、一般的に言う「検死」には、「検視」と「検案」、そして「解剖」の3つプロセスがある。

まず、ご遺体や周囲の状況を調べて、身元確認や犯罪性の嫌疑の有無を判断する刑事手続で、検察官や認定された警察官(司法警察員)が行う「検視」。

また、検視に関与してご遺体の外表面を検査し、既往歴や死亡時の状況などから、監察医や法医学者が死因や死亡時刻を医学的に判定する「検案」。

ここまでの段階で、ご遺体の表面的な調査及び撮影や指紋採取に加えて、発見者や家族、その他関係者からの事情聴取などが行われる。

検視を経ないで変死体を葬ると「変死者密葬罪」に問われる可能性があるから、大川隆法の遺体調査は無論のこと、大悟館に居た親族・職員らは全てこれに応じているはずだ。

そして、検視・検案で死因や犯罪性を判定できないとき、さらに「解剖」(法医解剖)が行われることになる。

ここでも自殺や事故も含め犯罪性・事件性が疑われる場合に死因などを究明する「司法解剖」のほか、それらが認められなくても死因究明の必要性から行われる「行政解剖」や「新法解剖」等がある。

この司法解剖の実施は、裁判所の許可が出れば遺族であっても拒否することができず、その他の場合でも、監察医制度非施行地域を除き、警察署長等の判断により遺族の同意がなくても実施できるとされている。

現時点で大川隆法の死因究明が遺体解剖にまで至ったのかは不明だが、警察発表まで要した時間を考慮すると、こうした手続きに費やされたものと想定される。

いかに教団がひた隠しにしたところで、これが2月28日から3月2日までの間に後妻の紫央や宗務職員らが直面していた『現実』であり、そこには寝言の介在する余地などない。

検視の結果は「死体検案書」として、いかに幸福の科学内での地位を失い排斥されていようともお構いなく、配偶者もしくは三親等以内の親族であれば個々に交付請求することも可能(配偶者もしくは三親等以外の請求の場合は委任状が必要)なので、教団の公式発表を待つまでもなく、いずれ明らかにされることだろう。

そもそもカルト宗教であるし、予言を外してばかりで仕方のないことだが、教団は初手から大川がJesus Christの如き復活を遂げるなどと大風呂敷を拡げてしまったため、自ら八方塞がりの状況を生じさせてしまった。

幸福の科学としては、『大川総裁は「応身」から「法身」にご転生された』とでも言うのが正解だったろう。大川隆法が火葬されていようがいまいが、いくら信者を煽って“復活の祈り”を捧げさせたところで、大川隆法の変死体が息を吹き返すことなど絶対にないから、じきに宗旨替えせずにいられなくなる。

こうした混乱は理事長の石川悦男を筆頭に宗務の完全な失着と言えるが、その不手際はそもそも教祖の死後に始まったことではない。おそらく大川の遺作となるであろう「格はいく集4」の最期の数日に、その状況が克明に記録されている。

大川の異変は、まず2月5日に表れている。
連日に渡り天狗と妖怪の研究に明け暮れて、日を跨いで床に就くような生活をしていた大川は、5日の日中は朝風呂に入ったり、ロシア語のラジオ講座を聞くなどして過ごしていたものの、その後に39.1度の高熱で寝込むことになる。そして以後も38.2度から37.6度の熱にうなされ、2月8日になってようやく解熱した。

このあと一旦平熱に戻って、しゃがれ声で2曲の歌作りを行い、さらに長女の咲也加の排斥につながる「妖怪お多福」がらみの執筆と説法の収録に臨んでいるが、2月21日には既に一日に何度も呼吸困難に襲われるほど再び状況が悪化する。

そして2月24日、己の体調不良が生霊の所以か心臓不調が原因か区別がつかなくなったという句を最後に絶筆、これが辞世となって4日後に脳梗塞で死に至ることになる。

こうして経過を整理したとき、この状況が果たして突然死だったと言えるだろうか。

辞世に添えられた大川の人生最後の悟りが、「ポッコリお腹は「O2」(酸素)の取り過ぎのせい」というのは、バカっぽくていかにも大川隆法らしいのだが、個人的には、この句から意識の混濁が進んでいるように見受けられる。

“酸素の取り過ぎ”とあるから、当初これは入院して院内配管で液酸の供給でも受けている状態かと考えていたが、大川は大悟館で死亡した。

だいたい医療下であったら、酸素の流量も医師の処方のうえで管理されるから、個人が取り過ぎるということにはならない。また、大悟館には核シェルターがあるそうだから、酸素カプセルも備えている可能性はあるが、それはそもそも医療機器ではない。では、自宅に酸素濃縮機でも設置していたのかと言えば、それもまた違うだろう。

実は私が脱会してから就いた業種のひとつに在宅医療の仕事がある。呼吸器や循環器に疾患を抱える患者さんが自宅療養で使用する医療機器の管理業務に従事した。

その際に酸素の機械関係一式も扱っていたから、酸素濃縮機の設置が処方されるには相応の要件が必要で、たとえ21日に呼吸困難を訴えていても、これでは設置の要件に該当しないと分かる。コロナ禍では酸素ステーション等で特例的に運用されたことはあったが、そもそもこんな状況であれば、ピーク時でない限り設置より入院を求められるはずだ。

仮に酸素濃縮機を使っていたとしても、それは医療用の出力には遠く及ばない、せいぜい小動物対象で人間相手には気休め程度の製品を使っていたか、おそらくはスポーツ用の酸素カートリッジを大量に買い込んで吸引していたものと推察される。

呼吸器症状に酸素投与すれば、確かに楽になって回復したように感じるものだ。しかし、長く寝込んで体力も筋力も低下している状況では、総合的なケアを行わなければ却って危険が増す。

ひょっとしたらパルスオキシメーターで酸素飽和度くらいは診ていたかも知れない。だが、連続して呼吸器症状を繰り返すような状況なら、血中の二酸化炭素濃度も検査して経過観察をする必要がある。

たとえ酸素飽和度が90%以上で低酸素状態でなくても、肺内でのガス交換が悪化すれば意識が朦朧としてくる。血液ガス分析は採血して検査するしかなく、仮に信者医師が立ち会っていたとしても、血ガスの検査機が大悟館にあるわけがない。

大川の2月5日の高熱が新型コロナウイルス感染症によるものかどうか、反ワク陰謀論者の大川らがPCRや抗原検査を行っているはずもないから、今となっては定かではない。

ただし「格はいく集3」には、大悟館内の大川周辺でも罹患者が出ていて、自らはウイルスを体内に取り込んで痰で出しているという認識を示しているから、いつオミクロン株に感染してもおかしくない環境にあったことは間違いない。

それがコロナであったかどうかなのではなく、本来であれば、そうした事を考慮して真っ当な対応をすべき状況にあったということだ。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は血栓症を高頻度に合併する事が報告されており、呼吸器症状、そして脳卒中へのリスクは、コロナ関連死として既に指摘されている通りだ。

そして、呼吸器症状出現から脳卒中発症までの期間は平均8.8日で、多くが21日以内。うち病型は脳梗塞が87.4%を占めるとされている。

これは大川の経過や病型と一致している。高熱から一時は回復するも呼吸器症状を発症し、その一方で血栓症も進行、呼吸器機能が低下すると初期段階では血圧が上昇するから、ここで血栓が飛ぶ危険は想定の範囲内だった。

【参考文献】血栓止血誌
「新型コロナウイルス感染症と脳卒中」

最期の一カ月間の推移を見るに、明らかに兆候は出ている。外形的には突然死だが、状況からすれば死に追いやられたと言っても過言ではないだろう。

大川隆法が自らは根本仏であり病に無敵という根拠なき幼児的万能感に満たされていたとしても、周囲の者たちが成すべきことをせず、ほとんど見殺しに近いような惨めな最期を迎えさせたということだ。

大川は「格はいく集2」の35番で、後妻の紫央はクシャミなど些細な異変でも直ぐに飛んでくると記していた。普段ならクシャミ程度でも駆けつけるのに、大川が呼吸困難を続発し努力呼吸となって正に生命の危機を迎えんとしている重大局面にありながら、一体なぜ何ら必要な措置を講じず放置したのか?

その一方で、死後すぐに「格はいく集4」を発表する手際の良さには薄気味悪さしかない。緊急出版が意味するのは、教団に仇なす正体が妖怪の頭目である咲也加だと信者に印象付けることによって、自分たちが必要な処置を怠って大川をむざむざと死に至らしめた責任から逃れようとする企み以外になかろう。

大川自身も咲也加を物理的に追い出せば体調不良が改善すると刷り込まれていたフシがある。しかしむしろ、大川隆法の命運が尽きたのは、咲也加を追い出してしまった時が分水嶺であったと考える。

「格はいく集」をつぶさに読んでいくと、近頃では時に大川が前妻の恭子の影を重ねるほどに、大川も咲也加に言い負かされることがあったようで、紫央にはそうした咲也加の態度がさぞ尊大に映っていたのだろうが、そのような咲也加だからこそ、息も絶え絶えの父親を目の前にしたなら、肉親として無理矢理にでも説き伏せて、もっと早く医療に繋げることができたのではないだろうか。

もしも、せめて呼吸器症状が出始めた時点で入院させてさえいれば、多少の後遺症は残ったとしても、みすみす死なせずに済んだかも知れない。

以上はあくまでも私の仮説である。しかし、「大川隆法は妖怪お多福の呪いで死んだ」という教団の主張よりは、はるかに合理的で真実性があるだろう。

大川隆法自身が始めに説いていた通りだ。

『 原 因 あ れ ば 結 果 あ り 』 と。


【関連記事】
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「幸福の科学」教祖の大川隆法の頓死が報じられてから、既に一週間以上過ぎた。しかし、教団は信者に対して、「総裁先生は肉体的には死亡した」としながらも、「必ず復活する」「先生が復活しなければ人類は滅亡する」と煽って、例によって数万円の木戸銭を稼ぎながら復活祈願への勧進を展開し、事実関係を明らかにするつもりは微塵もないらしい。

とりあえず確かなことは、2月28日(火)に実質的に自宅としていた東京都港区の大悟館で倒れて病院に搬送され、3月2日(木)午前に警察が死亡を確認したということだ。

警察の確認ということは、検死が行われたということであって、28日時点で一部のメディア関係者に大川死亡説が流れていた状況も考えると、搬送時には既に死亡していた疑いもある。

教団にとっては、大川自身が予言していた己の天寿を全うせずに頓死したことも、自宅で倒れて2日も後になって検死されたことも、いずれも不都合な事実であるばかりで、八方塞がりの土壇場で、信者の認知的不協和を煙に巻くウルトラCの屁理屈を考案中なのだろうが、どのみち社会一般に通じる合理的な説明にはなりえないだろうから、現段階では数少ない手がかりをもとに、その死の真相についてできる限りの検証を進めるしかない。

ただし、大川は結果的に手がかりを遺している。おそらく大川最後の書として、その辞世を納めた「短詩型・格はいく集4〈不惜身命の姿・特別編〉」だ。

格はいく集シリーズの4冊目は、いみじくも「死」へのカウントダウンを描写することとなった。

いかに薄っぺらな本とはいえ、ネタばれしてしまっては読者の楽しみを奪ってしまうから、大川の俳句気取りの散文を直接披露することは控えつつ、記載内容から事実を抽出して、今回はまず死の約1カ月の大川の動きを推理してみたい。

警察の検死扱いとなるような不可解な最期を迎えたのは大悟館だが、大川の辞世までの流れを遡っていくと、死の床に就く以前に大悟館以外で一定期間を過ごしていたことが分かる。

それは神楽坂だ。理由は判然としないものの、この頃は昨年末の体調不良から引きずっていた若干の疲労感をかかえながらも、散歩を楽しむなど比較的穏やかな日々を過ごしていたようだ。後妻で補佐役の紫央と一緒のカジュアルな食べ歩きの描写が多い。

よほど調子が良かったのか、死の約1カ月前となった1月30日(月)には、散歩中に数句を詠んでいる。「格はいく集4」の言語的事実から、このとき大川らが立ち寄ったところ、またその可能性があるところを抽出してみよう。

(俳句No.4) うぐいす餅関係
「五十鈴」
東京都新宿区神楽坂5-34

「梅花亭」
神楽坂本店
東京都新宿区神楽坂6-15神楽坂梅花亭ビル
ポルタ神楽坂店
東京都新宿区神楽坂2-6PORTA神楽坂1階

(俳句No.5) ジョン・レノン御用達の中華関係
「五十番 神楽坂本店」
東京都新宿区神楽坂6-4 葉月田中ビル1F

(俳句No.6) お濠ばたのカフェ関係
「CANAL CAFÉ」
東京都新宿区神楽坂1-9

(俳句No.7 )阿波踊り出発点の日蓮宗関係
「日蓮宗・善國寺(毘沙門天)」
東京都新宿区神楽坂5-36

俳句の順番が、おそらくその日の大川の足取りそのものと想定すると、R433(大久保通り)「神楽坂上交差点」付近から、R25(早稲田通り)を下って、R405(外堀通り)の「神楽坂下交差点」付近に出るルートを散歩道にしていたようだ。

俳句の内容の変化から、少なくとも2月2日(木)までは神楽坂に逗留し、2月16日(木)に迫った長女・咲也加の誕生日祝いを買ってから、2月3日(金)辺りで「格はいく集3」に関する対談収録のため大悟館に帰ったのではないかと考えられる。

(俳句No.13) ひつまぶし(うなぎ)関係
「玄品 神楽坂」
東京都新宿区神楽坂5-35 第二野本ハイツ 1F~3F 

「神楽坂 富貴貫」
東京都新宿区西五軒町1-14

「神楽坂 たつみや」
東京都新宿区神楽坂4-3

上記の各ポイントのうち、No.5とNo.7は確実。No.6も概ね妥当と思われる。

No.4の「うぐいす餅」については、どれもアクセス可能なので、不定休の「梅花亭」さんがもし30日(月)もご営業されていたら、机上ではこれ以上絞れない。

No.13の「ひつまぶし(うなぎ)」についても同様で、散歩ルートを踏襲すれば「玄品」さん。通常のルートからはやや外れるが、高級店の佇まいの「富貴貫」さんの可能性も高い。また、メニューを見たところ「ひつまぶし」がないが、こちらもジョン・レノン御用達であった老舗の「たつみや」さんも候補として残しておきたい。

(3月11日の幸福の科学総合本部前での騒動中、教団側が「イマジン」を流していたのは、YouTube対策のほか、ひょっとして生前最後の大川のマイブームだったからとか?)

さて、俳句から読み解く状況から、どんな理由で、どこに居たのかを考えると、少なくとも大川が神楽坂周辺の医療機関に入院していた可能性は低いように思われる。

近隣に大きな病院はあるものの、本人の入院がないとすると、次に考えられるのはホテルへの宿泊で、少し範囲を広げると、かつて「西洋銀座」を都心の根城にしていた大川が、いかにも宿泊したそうな高級ホテルがあるにはある。ただし、ホテルだと足がつき、お忍びの逗留には不向きだ。また、俳句集に夜景の描写がないことなど少しひっかかる部分が残る。

では、その他の可能性はというと、あまり人の目に留まらない教団施設を密かに利用しているケースがありうる。実際、昔はマスコミの眼を逃れるため杉並区天沼の教団施設に2週間ほど隠れ住んだり、急遽教団が借り上げた早稲田の高級マンションで仮住まいをしていた時期もある。

果たしてこの地域でそのような物件があるものだろうかと探したところ、一軒マイナーな教団施設がヒットした。

「宗教法人幸福の科学牛込拠点」
東京都新宿区若松町5-2

幸福の科学牛込拠点1

幸福の科学牛込拠点2
Googleマップより

こちらの物件、見たところ礼拝堂のような外観だが、教団のサイト「支部・精舎へのアクセス」には掲載されていない。(2023.3.12時点)

航空写真で見ると袋小路の奥の立地で、人通りが少ない分、幹線道路まで車で移動すれば隠れ家としてなかなか良い条件と思われ、内部の環境によっては利用の可能性もありえなくはないだろう。

ホテルか、上記のようなマイナー施設かの他に、この時期になぜ大悟館から離れていたのかの仮説としては、始めに病気により入院または自主隔離が考えられるところだが、大川らが比較的良好な健康状態にあって入院等でなかったとすると、逆にそれ以外が悪い状態にあって、そのため大悟館から一時避難していたという見方も成り立つ。

いずれにしても、神楽坂での逗留から帰宅したところが、2月5日(日)を境に、死に向かって急激に転がり落ちていくことになるわけだ。

さて、日差しが暖かくなってきて、ついぞ大川が眺めることができなかった桜も間近となってきた。コロナ禍はまだ完全に過ぎ去ったわけではないが、医療従事者の方々の不断の努力とワクチン接種率の上昇に伴って罹患率、重症化率は軽減し、社会は少しずつ日常を取り戻しつつある。

この春は大川隆法の辞世となった「格はいく集」を片手に、在りし日の大川を偲びつつ、その痕跡をトレースしてみるのも一興かも知れない。

【お出かけの際のご注意】

※地元の住民さんや店舗の方々のご迷惑にならないよう配慮しつつ、必ずマナーを守って散策しましょう。

※メディアの方等で周辺の聞き取りを検討される場合は、教団広報局が既に口止めに回っている想定で臨んでください。



大川隆法のモラハラ無間地獄

『モラル・ハラスメント』とは、倫理観や道徳意識(モラル)といった体裁を整えながら行われる嫌がらせ(ハラスメント)のことで、一般に「モラハラ」と略され、遅まきながら近年には日本でもこれに類する法整備が進むなど、悪質な人権侵害としてその概念が社会に浸透しつつあるところです。

この「モラハラ」の概念を最初に定義したのは、フランスの精神科医マリー=フランス・イルゴイエンヌ氏で、言葉や態度によって行われる精神的暴力は、外傷を残す肉体的な暴力と違って見えづらいため、社会的に長く潜在したまま後手にされがちであったものの、精神的な暴力も肉体的な暴力と同様に、或いは時としてそれ以上に人を傷つける犯罪であると厳しく指摘してます。

モラルハラスメント表紙

「モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない」
マリー=フランス イルゴイエンヌ氏著

さて、幸福の科学の大川隆法の長女で後継指名されていた大川咲也加について、大川は例によって“霊言”というかたちをとりながら、これまで天照大御神と定めていた咲也加の霊的出自を“妖怪おたふく”に改めました。この異変にともなって咲也加の情報が早々に教団ホームページから抹消されるなど、実質的にメインストリームから放逐された様子です。

大川隆法は前妻の恭子との間に、宏洋、咲也加、真輝、裕太、愛理沙(生年順)の5人の子を儲けていますが、まず2010年に、それまで美の女神アフロディーテであり文殊菩薩としていた妻の恭子の霊的出自を“裏切り者のユダ”と改めて追放(離婚)したのち、近年になって子らの霊的出自を次々と改めて(主に妖怪化)、放逐や閑職に追いやるなど粛清を続けてきました。そして、このたびの咲也加への措置により、とうとう誰もいなくなった次第です。

実子を “妖怪おたふく”と映す大川隆法の異次元な認知、小生のような常人の思いつくところではなく、いつものことながらそのセンスには感嘆するばかりです。ただし、個人的にはこの事態について驚くことはありませんでした。

“妖怪おたふく”騒動、血を分けた家族への無慈悲ぶりというお家騒動的な観点にスポットがあたりがちですが、幸福の科学では、実父の善川三朗(中川忠義)や実兄の富山誠(中川力)、また草創期から立宗に関わった多くの職員らが、大川によって次々と石もて追われてきた歴史があります。そうした経緯からして、今回の事態も幸福の科学的には通常営業であって、大川隆法こと中川隆の人生を貫く相変わらずのメンタリティの発露でしかないからです。

大川隆法の中に生じている心理のメカニズムについては、いわゆる「防衛機制」と解釈することで理解はできると思います。

防衛機制とは、現実的なものから潜在的なものに至るまで、心理的に受け入れがたい不安や危険(否認したい欲求や不快な欲求)に直面させられ、欲求不満を起こして適応できない状態に陥った時に発動される自我の再適応メカニズムとされ、程度によっては心の詐術として自他ともに不健全な状況に陥らせ、人を傷つけ苦しめる場合もあるものです。

そして、この防衛機制には様々な分類が研究されていますおり、今回の騒動にも象徴されている大川のワンパターンというのが、防衛機制のうちの極端な「理想化」と「脱価値化」と考えて良いでしょう。

決して防衛機制が直ちにモラハラにつながるということではありませんが、モラハラの加害者というのが、自我の欲求を達成するために外形的には道徳家のような体裁を保った妄想性の強い自己愛的な変質者というパーソナリティの者が多く、被害者との関係において加害者自身が心の安寧を得るために、こうした防衛機制が現に働いているということです。

モラハラの加害者たる自己愛的な変質者にとって、被害者(人間)は自分の自尊心(自己評価)や理想自我を高揚させ満たすため思い通りに使い倒す「道具」に過ぎず、自分の期待や欲求を満たしてくれる間は自分自身のために対象への過剰な理想化を行います。

しかし、いったんその理想像が崩れて、自分が望むものを与えられない孤独感や不安感を感じて耐えられなくなると、極端な二分法的思考パターンによって、今度は自分の自尊心や自己愛を傷つける不良品、危険物として激しい脱価値化(こき下ろし)に転ずるのです。

大川咲也加の霊的出自異動から排除に至る脱価値化の引き金になった事由は今のところ不明です。けれども、もしも仮に咲也加が大川に対して何らかの進言を行ったのがきっかけだとすれば、理想化し過ぎた対象から批判や嫌悪されそうになる(そうされていると思い込む)と、事前に価値下げしておけば自我の傷つきを予防できるという防衛機制が働いたということでしょう。

そのほか脱価値化にもいくつかパターンがあります。甚だ雑駁ではありますが、大川家を破壊していった状況に当てはめてみると、以下のような推察も成り立ちます。

恭子のケース:いくら蓋をしていても、理想化していた対象の嫌な側面からずっと目を背けていることはできない苦痛からの脱価値化。

宏洋のケース:己のコントロールが効かないという受け入れがたい切迫した現実からの脱価値化。

真輝のケース:理想化していた対象の若さや周囲からの人望の高さへの嫉妬を意識する苦痛からの脱価値化。

裕太のケース:素行の悪さから自分の評価が下がる恐怖からの脱価値化。

愛理沙のケース:思い通りに自分の欲求を満たしてくれない対象からの撤収としての脱価値化。


大宇宙の根本仏ともあろうものが、己の心理が生じさせる脱価値化の無限ループの中で、常に不安や恐れに苛まれたまま孤独や空虚感が癒されることがないなど、実に不幸なことです。

また、モラハラの加害者は、自分の方が真の被害者だと心底考えていて、罪悪感から自我を守るために被害者の考えや行動を巧みに支配して、被害者側に罪悪感を与えて「自分が至らないせいだ」「自分が悪かった」と思わせようとしますから、被害者が主体性を取り戻して自立し、それまでのコミュニケーションパターンがモラハラであったと気づくまでは、どんよりとした不幸の感覚の中で苦痛が延々と連鎖していくことになります。

かつて地上天国の実現を標榜した幸福の科学が生み出したのは、モラル・ハラスメントによる不幸のスパイラルという地獄絵図でした。

私はかねてから、極端な個人崇拝を求めるカルトの場合、教祖のパーソナリティは自己愛的な変質者であると想定され、モラハラの加害者と被害者の関係性が、教祖と信者の関係性に置き換えられていくものと考えてきました。

前述の精神科医イルゴイエンヌ氏は、自己愛的な変質者は人を惹きつけ支配下に置き価値観の基準をひっくり返すことができると語っています。カルト宗教とモラハラは親和性が強く、カルト宗教の内的世界で倫理観が破壊されやすい所以も、こうした点にあると言えるかも知れません。

大川隆法の実子最後の生き残りであった咲也加の粛清について、これが大川隆法のメンタリティであり、幸福の科学のカルト気質という観点から述べてきましたが、当然の帰結とするのには、そもそも根本的な理由があります。

なぜならそれは、理想化と脱価値化は常にセットであり、理想化の後には必ず脱価値化が訪れるものだからです。

したがって、たとえこの先に誰が大川の傍に立とうと、遅かれ早かれ必ず同じ道を辿ることになります。

それを回避する道はただひとつ。自分が脱価値化されるより前に大川に死んで居なくなってもらうしかありません。これから教団No.2に抜擢される方は、せいぜいそれを家族一丸となって毎日必死に祈りながら暮らすと良いでしょう。

最後に、咲也加も人の親になったのなら、お腹を痛めて生んだ我が子らに同じ思いを絶対にさせてはいけない。長年そこしか知らない暮らしを離れることは決して容易な道ではないだろうけれども、これを本当の意味で好機と自覚して、夫婦力を合わせて娑婆で静かに生き直して欲しいと願っています。
プロフィール

土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)

Author:土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)
セクトの犠牲者である家族と個人を支えるネットワーク
「RSFI MAIKA」代表

日本脱カルト協会
「JSCPR」会員

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「幸福の科学」の問題を中心に、セクトについて考えていきます。

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