fc2ブログ

ペテン師、還らず。① 大川隆法 最期の晩餐

「幸福の科学」教祖の大川隆法の頓死が報じられてから、既に一週間以上過ぎた。しかし、教団は信者に対して、「総裁先生は肉体的には死亡した」としながらも、「必ず復活する」「先生が復活しなければ人類は滅亡する」と煽って、例によって数万円の木戸銭を稼ぎながら復活祈願への勧進を展開し、事実関係を明らかにするつもりは微塵もないらしい。

とりあえず確かなことは、2月28日(火)に実質的に自宅としていた東京都港区の大悟館で倒れて病院に搬送され、3月2日(木)午前に警察が死亡を確認したということだ。

警察の確認ということは、検死が行われたということであって、28日時点で一部のメディア関係者に大川死亡説が流れていた状況も考えると、搬送時には既に死亡していた疑いもある。

教団にとっては、大川自身が予言していた己の天寿を全うせずに頓死したことも、自宅で倒れて2日も後になって検死されたことも、いずれも不都合な事実であるばかりで、八方塞がりの土壇場で、信者の認知的不協和を煙に巻くウルトラCの屁理屈を考案中なのだろうが、どのみち社会一般に通じる合理的な説明にはなりえないだろうから、現段階では数少ない手がかりをもとに、その死の真相についてできる限りの検証を進めるしかない。

ただし、大川は結果的に手がかりを遺している。おそらく大川最後の書として、その辞世を納めた「短詩型・格はいく集4〈不惜身命の姿・特別編〉」だ。

格はいく集シリーズの4冊目は、いみじくも「死」へのカウントダウンを描写することとなった。

いかに薄っぺらな本とはいえ、ネタばれしてしまっては読者の楽しみを奪ってしまうから、大川の俳句気取りの散文を直接披露することは控えつつ、記載内容から事実を抽出して、今回はまず死の約1カ月の大川の動きを推理してみたい。

警察の検死扱いとなるような不可解な最期を迎えたのは大悟館だが、大川の辞世までの流れを遡っていくと、死の床に就く以前に大悟館以外で一定期間を過ごしていたことが分かる。

それは神楽坂だ。理由は判然としないものの、この頃は昨年末の体調不良から引きずっていた若干の疲労感をかかえながらも、散歩を楽しむなど比較的穏やかな日々を過ごしていたようだ。後妻で補佐役の紫央と一緒のカジュアルな食べ歩きの描写が多い。

よほど調子が良かったのか、死の約1カ月前となった1月30日(月)には、散歩中に数句を詠んでいる。「格はいく集4」の言語的事実から、このとき大川らが立ち寄ったところ、またその可能性があるところを抽出してみよう。

(俳句No.4) うぐいす餅関係
「五十鈴」
東京都新宿区神楽坂5-34

「梅花亭」
神楽坂本店
東京都新宿区神楽坂6-15神楽坂梅花亭ビル
ポルタ神楽坂店
東京都新宿区神楽坂2-6PORTA神楽坂1階

(俳句No.5) ジョン・レノン御用達の中華関係
「五十番 神楽坂本店」
東京都新宿区神楽坂6-4 葉月田中ビル1F

(俳句No.6) お濠ばたのカフェ関係
「CANAL CAFÉ」
東京都新宿区神楽坂1-9

(俳句No.7 )阿波踊り出発点の日蓮宗関係
「日蓮宗・善國寺(毘沙門天)」
東京都新宿区神楽坂5-36

俳句の順番が、おそらくその日の大川の足取りそのものと想定すると、R433(大久保通り)「神楽坂上交差点」付近から、R25(早稲田通り)を下って、R405(外堀通り)の「神楽坂下交差点」付近に出るルートを散歩道にしていたようだ。

俳句の内容の変化から、少なくとも2月2日(木)までは神楽坂に逗留し、2月16日(木)に迫った長女・咲也加の誕生日祝いを買ってから、2月3日(金)辺りで「格はいく集3」に関する対談収録のため大悟館に帰ったのではないかと考えられる。

(俳句No.13) ひつまぶし(うなぎ)関係
「玄品 神楽坂」
東京都新宿区神楽坂5-35 第二野本ハイツ 1F~3F 

「神楽坂 富貴貫」
東京都新宿区西五軒町1-14

「神楽坂 たつみや」
東京都新宿区神楽坂4-3

上記の各ポイントのうち、No.5とNo.7は確実。No.6も概ね妥当と思われる。

No.4の「うぐいす餅」については、どれもアクセス可能なので、不定休の「梅花亭」さんがもし30日(月)もご営業されていたら、机上ではこれ以上絞れない。

No.13の「ひつまぶし(うなぎ)」についても同様で、散歩ルートを踏襲すれば「玄品」さん。通常のルートからはやや外れるが、高級店の佇まいの「富貴貫」さんの可能性も高い。また、メニューを見たところ「ひつまぶし」がないが、こちらもジョン・レノン御用達であった老舗の「たつみや」さんも候補として残しておきたい。

(3月11日の幸福の科学総合本部前での騒動中、教団側が「イマジン」を流していたのは、YouTube対策のほか、ひょっとして生前最後の大川のマイブームだったからとか?)

さて、俳句から読み解く状況から、どんな理由で、どこに居たのかを考えると、少なくとも大川が神楽坂周辺の医療機関に入院していた可能性は低いように思われる。

近隣に大きな病院はあるものの、本人の入院がないとすると、次に考えられるのはホテルへの宿泊で、少し範囲を広げると、かつて「西洋銀座」を都心の根城にしていた大川が、いかにも宿泊したそうな高級ホテルがあるにはある。ただし、ホテルだと足がつき、お忍びの逗留には不向きだ。また、俳句集に夜景の描写がないことなど少しひっかかる部分が残る。

では、その他の可能性はというと、あまり人の目に留まらない教団施設を密かに利用しているケースがありうる。実際、昔はマスコミの眼を逃れるため杉並区天沼の教団施設に2週間ほど隠れ住んだり、急遽教団が借り上げた早稲田の高級マンションで仮住まいをしていた時期もある。

果たしてこの地域でそのような物件があるものだろうかと探したところ、一軒マイナーな教団施設がヒットした。

「宗教法人幸福の科学牛込拠点」
東京都新宿区若松町5-2

幸福の科学牛込拠点1

幸福の科学牛込拠点2
Googleマップより

こちらの物件、見たところ礼拝堂のような外観だが、教団のサイト「支部・精舎へのアクセス」には掲載されていない。(2023.3.12時点)

航空写真で見ると袋小路の奥の立地で、人通りが少ない分、幹線道路まで車で移動すれば隠れ家としてなかなか良い条件と思われ、内部の環境によっては利用の可能性もありえなくはないだろう。

ホテルか、上記のようなマイナー施設かの他に、この時期になぜ大悟館から離れていたのかの仮説としては、始めに病気により入院または自主隔離が考えられるところだが、大川らが比較的良好な健康状態にあって入院等でなかったとすると、逆にそれ以外が悪い状態にあって、そのため大悟館から一時避難していたという見方も成り立つ。

いずれにしても、神楽坂での逗留から帰宅したところが、2月5日(日)を境に、死に向かって急激に転がり落ちていくことになるわけだ。

さて、日差しが暖かくなってきて、ついぞ大川が眺めることができなかった桜も間近となってきた。コロナ禍はまだ完全に過ぎ去ったわけではないが、医療従事者の方々の不断の努力とワクチン接種率の上昇に伴って罹患率、重症化率は軽減し、社会は少しずつ日常を取り戻しつつある。

この春は大川隆法の辞世となった「格はいく集」を片手に、在りし日の大川を偲びつつ、その痕跡をトレースしてみるのも一興かも知れない。

【お出かけの際のご注意】

※地元の住民さんや店舗の方々のご迷惑にならないよう配慮しつつ、必ずマナーを守って散策しましょう。

※メディアの方等で周辺の聞き取りを検討される場合は、教団広報局が既に口止めに回っている想定で臨んでください。



スポンサーサイト



大川隆法のモラハラ無間地獄

『モラル・ハラスメント』とは、倫理観や道徳意識(モラル)といった体裁を整えながら行われる嫌がらせ(ハラスメント)のことで、一般に「モラハラ」と略され、遅まきながら近年には日本でもこれに類する法整備が進むなど、悪質な人権侵害としてその概念が社会に浸透しつつあるところです。

この「モラハラ」の概念を最初に定義したのは、フランスの精神科医マリー=フランス・イルゴイエンヌ氏で、言葉や態度によって行われる精神的暴力は、外傷を残す肉体的な暴力と違って見えづらいため、社会的に長く潜在したまま後手にされがちであったものの、精神的な暴力も肉体的な暴力と同様に、或いは時としてそれ以上に人を傷つける犯罪であると厳しく指摘してます。

モラルハラスメント表紙

「モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられない」
マリー=フランス イルゴイエンヌ氏著

さて、幸福の科学の大川隆法の長女で後継指名されていた大川咲也加について、大川は例によって“霊言”というかたちをとりながら、これまで天照大御神と定めていた咲也加の霊的出自を“妖怪おたふく”に改めました。この異変にともなって咲也加の情報が早々に教団ホームページから抹消されるなど、実質的にメインストリームから放逐された様子です。

大川隆法は前妻の恭子との間に、宏洋、咲也加、真輝、裕太、愛理沙(生年順)の5人の子を儲けていますが、まず2010年に、それまで美の女神アフロディーテであり文殊菩薩としていた妻の恭子の霊的出自を“裏切り者のユダ”と改めて追放(離婚)したのち、近年になって子らの霊的出自を次々と改めて(主に妖怪化)、放逐や閑職に追いやるなど粛清を続けてきました。そして、このたびの咲也加への措置により、とうとう誰もいなくなった次第です。

実子を “妖怪おたふく”と映す大川隆法の異次元な認知、小生のような常人の思いつくところではなく、いつものことながらそのセンスには感嘆するばかりです。ただし、個人的にはこの事態について驚くことはありませんでした。

“妖怪おたふく”騒動、血を分けた家族への無慈悲ぶりというお家騒動的な観点にスポットがあたりがちですが、幸福の科学では、実父の善川三朗(中川忠義)や実兄の富山誠(中川力)、また草創期から立宗に関わった多くの職員らが、大川によって次々と石もて追われてきた歴史があります。そうした経緯からして、今回の事態も幸福の科学的には通常営業であって、大川隆法こと中川隆の人生を貫く相変わらずのメンタリティの発露でしかないからです。

大川隆法の中に生じている心理のメカニズムについては、いわゆる「防衛機制」と解釈することで理解はできると思います。

防衛機制とは、現実的なものから潜在的なものに至るまで、心理的に受け入れがたい不安や危険(否認したい欲求や不快な欲求)に直面させられ、欲求不満を起こして適応できない状態に陥った時に発動される自我の再適応メカニズムとされ、程度によっては心の詐術として自他ともに不健全な状況に陥らせ、人を傷つけ苦しめる場合もあるものです。

そして、この防衛機制には様々な分類が研究されていますおり、今回の騒動にも象徴されている大川のワンパターンというのが、防衛機制のうちの極端な「理想化」と「脱価値化」と考えて良いでしょう。

決して防衛機制が直ちにモラハラにつながるということではありませんが、モラハラの加害者というのが、自我の欲求を達成するために外形的には道徳家のような体裁を保った妄想性の強い自己愛的な変質者というパーソナリティの者が多く、被害者との関係において加害者自身が心の安寧を得るために、こうした防衛機制が現に働いているということです。

モラハラの加害者たる自己愛的な変質者にとって、被害者(人間)は自分の自尊心(自己評価)や理想自我を高揚させ満たすため思い通りに使い倒す「道具」に過ぎず、自分の期待や欲求を満たしてくれる間は自分自身のために対象への過剰な理想化を行います。

しかし、いったんその理想像が崩れて、自分が望むものを与えられない孤独感や不安感を感じて耐えられなくなると、極端な二分法的思考パターンによって、今度は自分の自尊心や自己愛を傷つける不良品、危険物として激しい脱価値化(こき下ろし)に転ずるのです。

大川咲也加の霊的出自異動から排除に至る脱価値化の引き金になった事由は今のところ不明です。けれども、もしも仮に咲也加が大川に対して何らかの進言を行ったのがきっかけだとすれば、理想化し過ぎた対象から批判や嫌悪されそうになる(そうされていると思い込む)と、事前に価値下げしておけば自我の傷つきを予防できるという防衛機制が働いたということでしょう。

そのほか脱価値化にもいくつかパターンがあります。甚だ雑駁ではありますが、大川家を破壊していった状況に当てはめてみると、以下のような推察も成り立ちます。

恭子のケース:いくら蓋をしていても、理想化していた対象の嫌な側面からずっと目を背けていることはできない苦痛からの脱価値化。

宏洋のケース:己のコントロールが効かないという受け入れがたい切迫した現実からの脱価値化。

真輝のケース:理想化していた対象の若さや周囲からの人望の高さへの嫉妬を意識する苦痛からの脱価値化。

裕太のケース:素行の悪さから自分の評価が下がる恐怖からの脱価値化。

愛理沙のケース:思い通りに自分の欲求を満たしてくれない対象からの撤収としての脱価値化。


大宇宙の根本仏ともあろうものが、己の心理が生じさせる脱価値化の無限ループの中で、常に不安や恐れに苛まれたまま孤独や空虚感が癒されることがないなど、実に不幸なことです。

また、モラハラの加害者は、自分の方が真の被害者だと心底考えていて、罪悪感から自我を守るために被害者の考えや行動を巧みに支配して、被害者側に罪悪感を与えて「自分が至らないせいだ」「自分が悪かった」と思わせようとしますから、被害者が主体性を取り戻して自立し、それまでのコミュニケーションパターンがモラハラであったと気づくまでは、どんよりとした不幸の感覚の中で苦痛が延々と連鎖していくことになります。

かつて地上天国の実現を標榜した幸福の科学が生み出したのは、モラル・ハラスメントによる不幸のスパイラルという地獄絵図でした。

私はかねてから、極端な個人崇拝を求めるカルトの場合、教祖のパーソナリティは自己愛的な変質者であると想定され、モラハラの加害者と被害者の関係性が、教祖と信者の関係性に置き換えられていくものと考えてきました。

前述の精神科医イルゴイエンヌ氏は、自己愛的な変質者は人を惹きつけ支配下に置き価値観の基準をひっくり返すことができると語っています。カルト宗教とモラハラは親和性が強く、カルト宗教の内的世界で倫理観が破壊されやすい所以も、こうした点にあると言えるかも知れません。

大川隆法の実子最後の生き残りであった咲也加の粛清について、これが大川隆法のメンタリティであり、幸福の科学のカルト気質という観点から述べてきましたが、当然の帰結とするのには、そもそも根本的な理由があります。

なぜならそれは、理想化と脱価値化は常にセットであり、理想化の後には必ず脱価値化が訪れるものだからです。

したがって、たとえこの先に誰が大川の傍に立とうと、遅かれ早かれ必ず同じ道を辿ることになります。

それを回避する道はただひとつ。自分が脱価値化されるより前に大川に死んで居なくなってもらうしかありません。これから教団No.2に抜擢される方は、せいぜいそれを家族一丸となって毎日必死に祈りながら暮らすと良いでしょう。

最後に、咲也加も人の親になったのなら、お腹を痛めて生んだ我が子らに同じ思いを絶対にさせてはいけない。長年そこしか知らない暮らしを離れることは決して容易な道ではないだろうけれども、これを本当の意味で好機と自覚して、夫婦力を合わせて娑婆で静かに生き直して欲しいと願っています。

カルト問題学習会「幸福の科学と2世問題」備忘録

2021年11月23日(火)、「幸福の科学と2世問題」というテーマで「カルト問題学習会(仮)」が行われ、第3回目にして初めて個別の団体の問題がメインテーマとされました。

登壇者の一人として参加させて頂いたので、当方のコメント部分のうち差し支えない範囲を、雑駁ではありますが備忘録的に一部整理し直して残しておきたいと思います。

カルト問題学習会
カルト問題学習会(仮)

「2世問題が注目される中、幸福の科学2世に関するエピソードが一般メディアで紹介されるケースはほとんどありません。しかし2世自身によるSNS等での発信は、他団体と同様に活発になっています。幸福の科学は、教団独自の中学高校のほか、無認可の大学のようなものも開設していることで、2世にとって他団体とは少々違った事情も発生しています。12年にわたり幸福の科学を取材してきた藤倉善郎の発表と、元信者Aさんのコメントを足がかりに、この団体固有の2世問題について考えます」

やや日刊カルト新聞.jpg
第3回カルト問題学習会は「幸福の科学」

「2世問題が注目を浴びる中、手記の出版やNHKを中心とする大手メディアによる特集では、ものみの塔聖書冊子協会(エホバの証人)や統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の2世の体験等が紹介されるケースが大半で、幸福の科学について語られる場面が少ない。しかし幸福の科学には他教団と違う構造の2世問題があり、当事者によるSNS等での発信もある。今回は、この幸福の科学の実情を知り考えることで、団体ごとの違いと共通点を再確認したい。また今回は、コメンテーターとして幸福の科学の元信者の方にも登壇していただく。これを足がかりに、今後、特定の団体について当事者を交えた議論の場という側面を強化していきたい」
やや日刊カルト新聞 藤倉善郎氏

【今回の学習会の趣旨】

上記の「カルト問題学習会」や「やや日刊カルト新聞」のコメントにもある通り、特に本年はカルト宗教2世問題への関心が高まった年であったと思います。但し、「幸福の科学」の二世問題については、清水冨美加さんや大川宏洋さんなどの件で一時的にスポットが当たっても、そこから先の社会的な議論が深まる状況にはなかなか至らない部分があります。

その所以を、「エホバの証人」や「統一教会」などとの団体ごとと比較して整理しながら、「幸福の科学」特有の他とは構造の異なる教団とその2世問題について検討しようとするものです。

【幸福の科学の二世問題の認識を広げる難しさ】

「この20年、活動信者が増えていない」
教団幹部であった大川真輝(大川家次男)の言葉ですが、現在の教団内部の信者構成は、初期に入会し高齢化した親の世代と、その子供ら(二世)という構造で、その中間にポッカリ空白がある状況です。

これはひとえに、世間の教団への評価が既に定まって揺るぎないものとなっているからでしょう。その理由としては、先ずは主として90年代に起こしたフライデー事件やスラップ訴訟など反社会的な問題行動などがインパクトを与え、またこれらの記憶が風化した後でも、次々と繰り返される有名人霊言やマンガ的で奇妙な言動の数々が、感覚にストレートに訴えるかたちで、「近寄ってはいけない人たち」というシグナルになっているからだと思います。

これは教祖を筆頭に教団の自業自得であり、社会的にそうした眼が養われているのは結構なことではありますが、外形的なハチャメチャぶりからくるカルトとしての分かりやすさと裏腹に、その被害、本質的な問題点への理解が促進されず、また可視化されにくいと言うのが幸福の科学問題の特殊性と考えています。

当事者の二世の方の場合は別として、幸福の科学の問題に取り組む支援者の立場からすると、幸福の科学の二世を取り巻く問題を論ずるには、先ずそもそもの元凶である幸福の科学の問題性についての説明をどうしても避けて通れません。

比較的温和で人畜無害に見えた最初期から、教祖である大川隆法による神託結婚の強要や、離反者や反対者への激しい排斥、吊るし上げなどといった、様々な人権侵害に象徴されるカルト性の芽が存在していたこと、また元々は協調や友和を志向して、自己研鑽の目的で入会した者たちが、いかにして排他性や攻撃性を発揮する、良識の通じない愚鈍化した人格に変容していったのかということ。

特に人格変容の部分には、幸福の科学的な心理操作の実際、カルト性の問題が潜んでいて、ある意味で凄いサンプルだと思われ、個人的には入念な考察に値するものと考えていますが、大体が表面的な分かりやすい事象だけで事足れりとされ、なかなか深い理解の機会に恵まれません。

一般社会にそこまで望むのは酷かと思いますが、メディアや研究者の方には、この先少しずつでも同じ視座に立って下さる方を求めていくことが自身の課題のひとつだと思っています。

【他教団の二世問題との共通点と差異】

私自身が幸福の科学の二世問題を漠然と意識したのは、91年から92年の職員時代で、親に手を引かれて集会にやってくる子供たちに、親が大川の絵本を読んだりして、信仰の対象としての擦り込みが始まっていたのを、将来どうなるのかと案じていたところからです。

幸福の科学学園の問題が表面化した頃、実際の二世の方々とご縁が生じたのをきっかけに、いよいよ過去の危惧に直面して予想をはるかに超えて深刻な被害になるという実感を得ました。

幸福の科学の二世問題を考える手掛かりのひとつとして、他教団の二世との差異を私なりに考察してみるとすると、教義上の二世信者への根本的なスタンスの違いがあるように思います。

自らの信仰以外の外的世界を見下したり否定して内集団に囲い込む部分は同じですが、二世の問題を考える時、対照的と思われるのは、エホバや統一教会など、生まれながらに原罪を背負わせて罪悪感を植え付け、その浄化や解放のために洗礼に導いたり、活動に専念させるというかたちではなく、基本的に子供や若者は専ら教祖の理想実現のために教団や世界を牽引していく存在(ゴールデンエイジ)という考え方であったことです。

統一教会における「祝福二世」の概念と一見似た感じですが、幸福の科学には、そこそも「信仰二世」と「祝福二世」のような差別化はなく、それぞれの二世の婚姻にかかわる差のような“しがらみ”もないので、これは初期からの幸福の科学のカルチャーと言えるものかと思います。

その背景とは、私は教団初期の伝道期に会員の間で共有された想いに根源があるように考えています。

元々幸福の科学は、表向き穏健な単なる学習団体で、「内から外へ、土台から柱へ」という理念で、安易な対外伝道などむしろ戒める姿勢で、そもそも宗教でもありませんでした。

それが90年5月に豹変して大伝道を命じる状況になりました。ここで伝道の煽動に用いられたのが、世紀末の危機認識。またオウムや創価学会を敵として、その覇業から世の中を守らなければならないという恐怖アピールテクニックなどです。

そして、霊的世界では既に実現していることでも、この世的に実現させる、しかもスピードをアップするには、とりあえず一時的な方便、「この世的」方法論を駆使してでも救世運動を拡げ、内容は後から高めれば良いなどといった理屈で、会員を様々な活動に駆り立てていきました。

当時の教団は、地域ごとに基本組織・壮年部、婦人部、青年部、学生部といった部門が縦糸と横糸になったかたちで組織化されていて、日常の活動の主体は婦人部と青年部が占めていました。

元々は学習団体であったものが、いきなり保険会社の営業や新聞勧誘ばりに昼夜も分かたぬ活動に駆り立てられることになり、ここで離れて行った者も少なくない反面、中には学習は苦手だけど、そうした活動は好きというお祭り闘争好きの者も現れましたが、多くは、いったん自己選択したものへの一貫性と、主体性が動揺した状態で認知的不協和に晒された状況から、「先生には深いお考えがあるに違いない」という思考停止に繋がって、迷いつつも活動していた状況であったと思います。

伝道目標という実質的なノルマが課され、講演会チケットや献本用の大量の書籍の買い取り、プレゼント伝道からやがて無承諾伝道など、キチガイじみたノルマ達成の様々な取り組みに投入されていたのです。

だから婦人部や青年部の会員には、本来の理想的姿ではないという後ろめたさ、アコギなことをやっているという気持ちが芽生えていて、せめて学生部は巻き込まないという空気が造成されていきました。これは当時の活動現場で実際に交わされていた言葉で、「学生は純粋だから傷つけないように」と言い合っていたものです。

幸福の科学には、「光の天使」と「光の戦士」という言い方があります。
多次元の霊的世界の構造という教義上の区分で、一定次元以上の霊格を備え、それぞれ「使命」を有するとされている者を「光の天使」といい、一方それ以下でも今世努力して昇進もありえる現地徴用兵のような者を「光の戦士」としていました。

この辺は幸福の科学がGLAのパクリであるのを物語る部分でもありますが、「光の天使にはなれないが、戦士にはなれる」、天使の露払いに戦士が汚れ仕事を引き受ける的な意識で学生部をかばっていた状況が実際にありました。

こうした環境ゆえ、例えば信者の親に顕著な愚鈍化が進行するとか、親と子ほどの若い職員に手を付けて再婚するといった教祖自身の醜聞に接して生理的な反発心が育まれるなどといった個別的な事情が生じたりせず、外的な評価にも晒されないでいると、無批判に教団への帰属意識で満たされたままで、幸福の科学の二世に気付きのきっかけはなかなか恵まれないと思います。

他集団の中でもあることと思いますが、特に幸福の科学の場合は、内集団という箱庭から外的世界に接して初めて急激に煩悶が生じるわけです。

その際の葛藤は大きいです。生来の身に付けてきたものが何ものでもなかった空虚感は計り知れない苦しみだと思います。戻る自己がなく、五里霧中のなか自らの育て直しを手探りで行わなければなりません。

そして自立しようにも幸福の科学が具体的に足枷となり、孤立して社会的に生存権を脅かされる状況に追い込まれてしまうことさえあります。

幸福の科学の二世問題は今まさに萌芽期であって、事例として表面化しているものは今のところ限られていても、当事者の人生に落とす影の深さ、ダメージの大きさは現実的な問題として甘い見積では通用しません。今後これに数量的な側面が加わった時、社会はその波を受け止めるのに相応のコストを払わねばならなくなるでしょう。

【その他】

以前にある弁護士さんと、幸福の科学の事例を示しながらカルトの定義について話した時、「とりあえず人を殺していなければ良いのではないか」といったことを言われたことがあります。

幸福の科学について「議論のある団体」と明確に認識しながらも、カルトという定義をためらう。カルトの定義について極力慎重でありたいという文脈での発言でありましたが、霊感商法対策等に関係する人にさえ、中にはまだこんな程度の現状把握の方もいるのかと、正直その際は少々落胆しました。一体この先まだどれだけ言葉を尽くさねばならないのかと。

幸福の科学へのカルト性の評価を殺人の有無によって躊躇する態度の妥当性も不同意ですが、そもそも信者を社会と乖離させ、絶望感によって結果的に自殺に追い込むような教祖は人殺し同様だと考えられないものでしょうか。

カトリーヌ・ピカールさん
カトリーヌ・ピカールさん

フランスの反セクト法(無知脆弱性不法利用罪)の制定に尽力されたカトリーヌ・ピカールさんは、2015年に「日本脱カルト協会」の招きに応じて来日され、「フランスのカルト対策:発展と課題」と題された講演において、「セクトの問題は宗教の問題ではなく人権の問題」であると言われ、人に害を与え、人を幸せにしないセクトの、基本的人権と自由への侵害から個人と公共の利益を守るという、アメリカ型の個人の自由を尊重するものと対照的な積極的な福祉の概念を披露して下さいました。

こうした積極的な態度にも、もちろんバランスが重要なのは言うまでもないことですが、私も本人が幸せなら他人が口出しすることじゃないという一見物分かりの良さは、実は物分かりが悪いんじゃないかという考え方です。

首根っこ掴んで辞めさせるとか、ディプログラミングのようなことは良くないし効果もないものとして厳に慎むべきことと考える一方、個人の選択、自由意思の尊重を隠れ蓑にした沈黙は卑屈な責任の放棄でしかないと、私自身は考えています。

カトリーヌ・ピカールさんは、その講演の最後で、来場者から遅々とした日本のカルト対策を促進するためのアドバイスを求められた際に、フランスもセクト規制法に至るまでにはモンテスキューの時代から数百年を要していることを引き合いに、やんわりとした口調で性急さを戒められました。

幸福の科学の二世問題も、まだ始まったばかりで、当事者の方々にとって焦りや苛立ちが募る部分が少なからずあること察するに余りありますが、急いては事を仕損じるものです。だからどうか、「モンテスキューの時代から」の気持ちを共有して頂ければと願っています。

「過去」はBANできない

脱会者と教祖という真逆の立場でも、「記憶に苦しめられる」というのは両者に共通したものなのだと思います。

脱会被害者の方の様々なお話に触れると、もしも魔法のようにその記憶を消してあげることができたら良いのにと、時折そんな気持ちにさせられることがあります。しかしながら、そんなことはできる訳もなく、また、たぶんそれは正しいことじゃないと分かっていているから、皆がそれを黙って背負って今を生きているのだと思います。

私としては、どんなに苦い記憶も既に自分の一部。逃げたり蓋をしたりせず、静かにありのまま受け入れて流していく。自分の覚悟ひとつで、それもまた自分が他者や社会と向き合っていくための力に変えられると励ますのみですが、少なくとも、自分史の修正をしようとしてジタバタしている脱会者など殆ど知りません。

一方の大川は、終わりなき誇大妄想を重ねて、いつまで経っても本当の自己を受け入れることができないまま、無謀な過去の書き換えに追われる日々を続けています。

今の境遇が外形的にいかに辛くとも、脱会を決断できたという時点で精神的には確実に教祖を凌駕していると、私が脱会者を称える理由がここにあります。

徳島新町川橋詰 井上ビル (元聖地四国本部)
元聖地四国本部/徳島県徳島市新町橋1丁目5 井上ビル

こちらは、宗教法人格認可のためだけに取得した「聖務統括本部」ができるまでの間、かつての教団内における拠点順位第2位の位置づけであった「元聖地四国本部(元徳島支部)」が入っていた物件です。この井上ビルの3階が教団事務所でしたが、現在はテナントが変わり、教団事務所が入居していた頃の痕跡は全く残っていません。

聖地四国本部(91年)

当時この3階の窓ガラスには、「郷土徳島が生んだベストセラー作家 大川隆法著作シリーズ」「太陽の法」と、カッティングシートが貼り付けられていました。徳島に居た頃この建物の外観を撮影しておいたのですが、どこに仕舞ったか、なかなかその写真が出てこないので、その代わりに、とりあえず内部の様子をご覧に入れます。

元徳島支部(元聖地四国本部)1

徳島支部(元聖地四国本部)2

L字型のフロアーで、ガラスの引き戸を入って直ぐに事務所スペースで、奥に小さな水場があり、カーテンで仕切られたL字の奥が礼拝スペースです。

ちなみに、写真奥は徳島赴任当時の私。デスクトップPCは、幸福の科学の信者台帳である「ELIS」(エルカンターレインフォメーションシステム)の初期型で、月刊誌の郵送を業務委託のままにしていると、そこからマスコミに架空のバブル信者数が露呈してしまうからという動機で始められた「月刊誌ふれあい配布」に向けた準備中のひとコマです。

教団事務所になる以前このスペースには、大川の兄である中川力が運営していた学習塾がありました。「太陽塾」という名前で、中川家の家内制霊言は、当初は父の忠義(善川三朗)、長男の力(富山誠)、次男の隆(大川隆法)の3人で行われていましたが、家計が厳しいことと、何より長男の力が霊言事業に嫌気がさして離脱し、この「太陽塾」を始めた辺りから、忠義と隆の2人体制になっていった経緯があります。

しかしその「太陽塾」も、授業中の力が脳卒中のため、まさにここで倒れて半身不随の身になってしまったことで突然廃業に追い込まれてしまいます。そしてそれから暫くの時間を経て、ここが幸福の科学の四国の最初の拠点として利用されることとなったのです。

昭和60年頃の新町橋風景
とくしまデジタルアーカイブプロジェクト 徳島市の昔の写真

こちらはネット上で見つけた昭和60年頃の井上ビルの画像で、ちょうど「太陽塾」があった時期になります。写真の左に見える「第一勧業銀行」(現:みずほ銀行)は、1929(昭和4)年に竣工した、コリント式柱頭と半円アーチ窓を特徴とする古風な外観の店舗ですが、善川は毎月一度ここに訪れては、自身の口座から資金を引き出し、その足で近くの阿波銀行に向かって賃料の支払い手続きを行うのをルーティンとしていて、善川が脳梗塞で入院した際には、善川の指示で私が送金したこともありました。

この物件、「太陽塾」から幸福の科学の事務所として利用されるようになってもなお、賃貸契約者は中川忠義の名義のままだったのです。「太陽塾」開校中なら、父親が出資していたことから忠義名義であって当然でも、幸福の科学の事務所になってもなお名義が変わらなかった理由は、これはあくまで貸主と善川との個人的な信頼関係を前提としたもので、教団としての契約が拒まれていたためであることを、私は善川本人から説明を受けています。

しかしながら、大川はある法話の中で、この物件にまつわることについて以下のように語っていたようです。

「最後の名古屋支社時代の85年頃のこと、一年後に東京本社に戻った時点で、アメリカかドイツの駐在員になって、数年間日本に戻れなくなることは、ほぼ確実だったので、その時点では、退社して、独立できるだけの経済的基盤を、つくっておかなければならなかった」

「しかし、年初に御尊父と実兄がスタートした“失敗確実”の塾は、坂道を転げ落ちるがごとく、倒産への道をまっしぐらに進んでおり、御尊父からは、「銀行融資を受けたいので、商社の財務マンとして、連帯保証してくれ」と頼まれたが、それは、今後二十年間は会社を辞められなくなることを意味していた」

「しかし、実家の方では収入はなく、借金が着々と進行している状況でした。毎日毎日、累積赤字が、五、六十万円から百万円ぐらいずつ、どんどん積み重なっている状況だったので、もう“真っ青”でした」

「そして、「親子兄弟の縁を切るぞ」と脅されたので、しかたが無いと思い、「連帯保証人にはならないけれども、独立資金としてためていたお金の三分の一を出す」ということにしました」

「父や兄は、「そのお金は必ず返すから」と言いましたが、私のほうは、全然信じていなくて、「絶対に返ってくるはずのないお金であることは分かっているから、借用書などは要らない」と言いました」

「父や兄は、「そんなことはない。私達を信用しろ」と言っていましたが、私は、「絶対に返ってこないだろうから、寄付する。ただ、独立資金の全額を寄付したら、私はもはや独立できなくなるので、申し訳ないけれども、三分の一しか寄付できない」と言ったのです」

「独立して一年ぐらいは、所持金で食いつながなければいけないので、ためたお金の三分の二は、独立資金として残しておく必要があったのです。実際、1986年7月に会社を辞めてから、一年間は無収入でした。無職ではありませんが、浪人の様な状態です」

「とにかく、一年分の“兵糧”だけは何とか確保しておかなければなりませんでした。私は、「一年あれば、何とか歯車を回せる」という自信はあったので、「一年だけ、何とか持ちこたえなければいけない」という考えで、まさしく「背水の陣」を敷いたのです」

「したがって、「もし私が失敗したら、全滅になる」という状況でした。そうなった場合には、霊言集があるけれども、もしかしたら、悪魔が総がかりで攻撃してきていたのではないかと思ったかもしれません。それほどの破滅的な結果が来る可能性があったのです。そのような非常に苦しい時期でした」

教祖の自伝的映画という位置付けで2018年に公開された「さらば青春、されど青春。」は、上記の法話を踏襲した内容で、大川の自分史修正の自己愛全開な映画でした。それは「死人に口なし」の典型で、大川隆法というのは、たとえ肉親であろうがお構いなく、どうしても他者を辱めることなしには自分を高めることができない人間なのでしょう。

けれども、自分の黒歴史修正のつもりで満を持して制作した映画も、若き日の自分を演じた長男の宏洋が間もなく幸福の科学と絶縁したことで、結果的にさらなる黒歴史の上塗りになってしまいました。

大川が自ら、中川家という自身の黒歴史にスポットを当てれば、たまたま関係者の全てを見聞した私などは、これまで封印してきたことにスポットを当てる機会の到来を意味し、更にそれすらも黒歴史となったというオチで二度おいしく、大川隆法という男の愚かさを、つくづく実感させられるエピソードに仕上がったと思います。


ただ、中川家の黒歴史という部分では、上記の大川法話の他にも、当初は大川でなく長男の富山を中心に教団を興す予定だったというような説も流布されていて、時に見解を求められることがあるのですが、そのことについて私は基本的に否定的な立場です。

例えばその説の内容については、父や兄を辱めるという意味で、上記の大川法話との一貫性のあるものとして、出所が大川自身であろうことは否定するつもりはなく、従って、このことについて直接または間接的に聞いた者には、それが事実と信じる真実相当性は生じるだろうと思います。

ただし、誇大妄想の自己愛的な変質者が、己の利害のために語っている背景を度外視して無批判に採用して済む話ではなく、大川が“寝物語”としてそのように語ったという「事実」と、中川家の真実としての客観的「事実」とは、冷静に分けて考えるべきではないかと、私は思っています。

関係者の殆どが他界し、残る当事者が変質者とあっては、突き詰めたところで、どのみち最後は選択の問題になってしまうことは否めませんが、脱会者個々人が、自力で過去を総括するにあたって、できるだけ正確で客観的な判断材料を基にして頂きたいという動機から、今後も可能な限り私なりの根拠をご提供したいと思っています。

さて、話を元聖地四国本部の物件に戻して、初期の物件の少なからずが、記念として取得されたり維持されているのに対し、善川や富山ゆかりのこの物件が手放され、今や見向きもされないでいるのはやや不自然ですが、大川にとっては、クドクドと煙たい父親と、自分に劣等感を植え付けた目障りな兄を思い出させる因縁の物件として、記憶から消してしまいたいのは無理からぬことで、教団としても、自前の精舎を建立したから賃貸契約を解約したというところでしょうか。

けれども、この物件が、あくまで貸主と善川との個人的信頼関係を担保とした賃貸契約で、息子の大川や教団の社会的信用では借りられなかった経緯を考えると、BANされたのはこの物件なのではなく、むしろ幸福の科学と大川隆法の側と考える方が妥当でしょう。

初期の物件にまつわる話ひとつからも、過去を否認し都合の悪い事実を修正しようとして、新たな黒歴史を重ねて醜態を晒すという、大川隆法の短絡的なパターンがよく表れていると思います。

幸福の科学の歴史とは、結局この繰り返しです。しかし、どんなに覆い隠そうとしたところで、小さな事実の積み重ねをBANすることは決してできません。

ある意味で、脱会者と大川隆法との差は、「過去は変えられない。変えられるのは己が未来だけ。」と、自分で歩み始めたか、立ち止まったままかということかも知れません。

「植福」の黒歴史~教団幹部の言質を添えて~ ②

「植福」(布施)という信仰上の概念を隠れ蓑にして高圧的に繰り返される幸福の科学の苛烈でえげつない収奪の実態を、教団職員らの言質をもとに明らかにする企画の第二弾として、今回は「幸福の科学事件」と言われる裁判の記録から迫っていきます。

「幸福の科学事件」とは、96年12月に教団職員歴のある元信者が、教団と教団幹部を相手に「献金を強要された」として損害賠償を訴え、これに対し教団側が97年1月に「信用と名誉を傷つけられた」と元信者と弁護士に対して異常な高額の損害賠償で訴え返し、このことについて元信者の弁護士が、「正当な弁護士業務の妨害を意図したもの」として反訴を行って争われた一連の民事裁判事例を指します。

1996.12.26朝日新聞
献金訴訟を報じた記事(1996.12.26 朝日新聞)

1997.1.8朝日新聞
幸福の科学側の逆提訴を報じた記事(1997.1.8 朝日新聞)

元信者が訴えた献金訴訟については、99年5月に「教団側が自由意思を抑圧して違法に献金を強要したとまでは言えない」として棄却され終了。

一方で教団側の訴えについては、2001年6月に「批判的言論を威嚇する目的で違法なもの」として教団側の請求を退け、教団側に対して賠償命令が下されましたが、教団側が上告したため争いは高等裁判所の判断に委ねられました。

しかし、2002年5月に高裁は地裁判決を支持し教団側の訴えを棄却。ここに幸福の科学の敗訴が決定し、日本におけるスラップ訴訟の事例に幸福の科学の名が刻印されたのが、この「幸福の科学事件」の概要です。

今回のテーマは、この裁判の中で元信者から主張された教団幹部らの発言内容でありますが、その前にそれぞれの訴えに対する裁判所の判断について、ざっと押さえておきたいと思います。

以下の引用は、地裁判決に追記するかたちで総括的にまとめられた一連の争いを締めくくる2002年5月27日の東京高等判決によります。

但し、献金訴訟における原告の元信者と被告の教団側の関係が、これに対抗して出された教団側の訴えの中で入れ替わり、さらにその反訴の中で入れ替わりとやや複雑なので、判決文中の控訴人と被控訴人などの記載は削除してイニシャル表示とし、また判決文書の句読点のカンマ表記も変更しています。

まず、元信者(F)の訴えを棄却した理由について。

「献金訴訟につき、平成11年5月25日東京地方裁判所により判決の言渡しがされ、同判決は、Fの請求を棄却したこと、その理由は、Fが大学卒業し、神道の修行経験などを有する成人男子であり、各金員交付の平成2年12月から平成3年6月まで、大川の教えにのめり込み、養父や○○神社の関係者に対し普及のため会員を勧誘したり、幸福の科学の職員にまでなったほか、多額の貸付金をするなど、Yとも個人的に友好関係を維持していたことが認められるから、Yの地獄に堕ちるなどの言動に接することがあったとしても、金員交付につき自由意思を抑圧されて強いられた違法なものであったとは認めるに足りず、400万円については交付事実も認められない、というにあり、更に、控訴審判決では、むしろ積極的にFの自由意思による献金事実が認定されているところでもある。」

1999年5月26日朝日新聞
元信者の請求棄却を報じた記事(1999.5.26 朝日新聞)

次に、幸福の科学側(Yら)の訴えを棄却した理由について。

「前記認定の事実経過のとおり、平成2年12月から平成5年5月まで、相当回数に亘り、本件金員1ないし3以外にも多額の金員が貸し付けられたのは、幸福の科学からの相応の働きかけの結果と推認されるし、その貸付金が一度は返還されたものの、幸福の科学の職員から、再度献金すべき旨総通されたり、それを前提とする確認がされている事実が認められるのであり、Fとすれば、いわれのない他の宗教団体のスパイ嫌疑をかけられ、幸福の科学によるものとしか考えられない嫌がらせ電話や監視などが引き続いたため、Yや大川の教義に対する疑念を抱き、幸福の科学との関わりを冷静に見つめるうちに、信仰心の証明として、「与える愛の実践」という口実で貸金や献金を強制し、「天の倉に富を積む」とか「仏陀への報恩」などの美名のもとに献金を強要され、あるいは「執着すれば地獄に堕ちる」、「和合僧破壊」など、教義又は教団を除名することへの恐怖心を煽って巧みに献金を強要されたに過ぎないと思い至り、献金訴訟の提起を決意したものと認められる。」

「献金訴訟判決の判断は前記のとおりであるが、一般に、入信後間もない信者に対し、多額の献金をさせて教団との関係を密にさせるとともに、教義を盲信する当該信者に対し、教団との関係断絶や教義上の不利益が罹ることをほのめかせて、更にその後の献金を求めたりする方法が、違法性の強い献金総通手段であることは疑いを容れず、事後的に冷静な判断をしてみれば、Fの献金がこのような類のものであったとするFの認識も、一方当事者の評価、主張として全く成り立ち得ないではないのであるから、献金訴訟においてその主張が容れられなかったというのみで、Fが虚偽の事実をねつ造するなどし、献金訴訟の提起によりYらの名誉が毀損されることを認識しながらその訴え提起をしたものとは認められない。」

そして最後に、幸福の科学の提訴の違法性について。

「同教団に敵対する者に対する攻撃ないしは威嚇の手段として訴訟を用いるとの意図を有していたこと、本訴の請求額が従来のこの種の訴訟における請求額の実情を考慮したとしても不相当に高額であることが認められ」、「主に批判的言論を威嚇する目的をもって、7億円の請求額が到底認容されないことを認識した上で、あえて本訴を提起したものであって、このような訴え提起の目的及び態様は裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠き、違法なものといわざるをえない。」
(2001年6月29日地裁判決)

「本訴提起の経過、その背後に推認される目的、その意思決定過程における大川の関与程度、同人の本件訴訟に対する認識と意図した利用目的などは前示認定のとおりであり、仮に、幸福の科学の主張する上記防衛的目的があったとしても、主たる目的が前記のものであると判断されることも前示のとおりである。裁判制度の利用は国民の権利行使の側面から、その不当性を認定するについては極めて慎重であることを要するが、この点を考慮しても、本訴提起には優に不当性を認めることができる。」
(2002年5月27日高裁判決)

2001年6月29日朝日新聞
幸福の科学の敗訴を報じた記事(2001.6.29 朝日新聞)

【関連動画】
「幸福の科学による批判的言論を威嚇する訴訟について」
山口広弁護士


教団側の訴えの棄却とスラップ認定については、社会通念に照らして全く妥当な判断であると思いますが、一方の献金訴訟の判断については、「いわゆる常識的な考え方」で片付けようとしていて、十分に審議を尽くしたものとは言えないと思います。けれども、この上告は棄却されて結審しているので、これが当時の裁判官の限界だったということでしょう。

さて、上記の通り請求自体は認められなかったものの、判決の通り教団側からの虚偽捏造の主張などは退けられ、元信者側弁護士に信じるに足る相応の理由や根拠があったものと認められた被害者が主張する教団幹部らの発言について、それが具体的にはいかなるものだったか、判決文や裁判資料から紐解いていきましょう。

なお、各項目は私の部分で整理したもので、判決文等に表記されているものではありません。また、真実性は否定されていないとはいえ、一方当事者の主張であることも確かなので、ここでもイニシャル表示にしています。

①一般会員のころ

「ブロック長を引き受けて欲しい。この役職は、普通の人はやりたくてもやれない役職なのだ。私がやってくれと言っているのだから、ブッダが任命していることと同義である。引き受ければどれだけブッダのお役に立ち、悟りが上がるか、あの世に行ってみれば分かるが、ものすごい功徳を積むことになるのだ。」

「山梨地区を支部にするのでその事務所賃借料として1000万円程度が必要である。君に用立てて欲しい。」

「お前の財産は仏が救世活動の為に預けたものである。本来はお前のものではない、仏のものである。私の言うことはブッダの代理としての言葉だ。ブッダも救世活動の為にそれを用いることを望んでいる。」

「お金を出さないと、亡くなったお父さんは天国に帰れない。お金を出せば、幽界に彷徨っているお父さんも徳を積むことができて、より高い世界に帰ることができる。お父さんもそれを望んでいる。」

「お金に執着していると、お前もお前のお父さんも地獄に墜ちるがそれでもいいのか。今世に執着を残すと、次の転生ではその反動でみじめな一生を送ることになる。」

②山梨支部の開設後

「Fは光の天使であるYを支える義務がある。」

「Fは、大黒天として、法を広げる使命を持った天使であるYを財政面で支え続ける義務があり、この義務を果たさない場合にはFもその親族も地獄に墜ちるしかなくなる。」

「Fが地区長になれたのはYのおかげだ。だから、Yの言うことは絶対服従しなければならず、Yに逆らうことはYを任命したブッダに逆らうこととなり、和合僧破壊の罪で阿鼻叫喚地獄に墜ちることになる。」

「自分(Y)に逆らった奴は除名してやる。」

「現世の財産は単にブッダからの預かりものに過ぎず、それを私する者は執着心が強い者として、地獄に堕ち、次の転生ではその反動で極貧にしか生まれることはできない。」

③教団職員に採用され支部主任となってから

「上司の指示に従わない者は魔がついている。そんな奴はすぐに還俗だ。」

(※他の脱会者を指して)
「あいつはおかしくなった。悪魔の手先になった。狂った。死んだら地獄に堕ちることが決まった。」

(※意見をする者に対しては)
「お前には魔が入っている。和合僧破壊の罪だぞ。」

「山梨支部が全国の牽引車になるのだ。」

月刊ミラクル0号
ポスティング用の小冊子「月刊ミラクル」

(※月間15万部以上の伝道用小冊子「ミラクル」の仕入れと頒布計画に異論を挟むと)
「うるさい、思いがあればできるのだ。ブッダの代理である私に逆らうと、和合僧破壊の罪で阿鼻叫喚地獄に堕ちるぞ。」

「全生命を伝道にかけろ、献金しろ。」

「死ぬ気になって伝道せよ。」

「お前がミラクルの金は全て出せ。いいな。出さなかったらただじゃおかないからな。おまえら家族は皆全員地獄行きだからな。分かったな。大体お前の財産は誰のものだと思っているのだ。それはみんな我々のものなのだ。ブッダがお前に預けただけなのだ。だから、その財産は、お前を指導する自分が自由に使えるものなのだ。」

「全国で一番になるんだ。山梨支部には全国を牽引する義務があるのだ。」

「4月から6月までの間に山梨支部で6000人の会員を作るのだ。」

「私の言うことを聞かない者は和合僧破壊の罪で人間として生まれ変わることができなくなるんだぞ。」

(※アンケート伝道と称した無承諾伝道の処理について)
「いいか、分かっているだろうな。会費の支払い等は全部お前が出せ。いいな。もし、出さなかったらただじゃおかないからな。お金に執着する奴は地獄行きだからな。」

④ミラクル献金について

「君には土地を売ったお金が10億円位あっただろう。それを教団に対する貸付金にしてみないか。」

「貸付金とはな。お前のように金に執着していて布施ができない奴の為に、布施ではないが、銀行の預金を一時的にブッダにお預けするんだ。必要なときには、それをブッダの為に総合本部で使うんだ。」

「とりあえず、3億円を貸付金にしろ。そうすればお前の死んだ父親もまた上の世界に帰れるのだから、いい親孝行をすることになるのだ。なんだったら、年3パーセントの利息を付けてやってもいいぞ。」

「お前は、今、教団がどういう状況か知っているのか、今、教団は一番大事な時なんだ。支部も増やさなくてはならないし、ブッダの法が広がるか、広がらないかの瀬戸際なんだ。だから、お前だけがいい生活をするんじゃねえぞ。」

「今しかブッダの為に金を使う時はないんだ。お前が金を出すことによって、山梨支部は全国の牽引車になれるんだ。そうすれば全国から布施が集まるんだ。そうすることがお前の役目なのだ。おまえの持っている金は全部ブッダのものなんだぞ。お前の父もあの世から布施をしろと言っているぞ。」

「迷っている場合じゃないんだよ。今しかないんだよ。今、金を出さなかったら、来世は貧乏人にしか生まれられなくなるからな。これが最後のチャンスと思え。こうやって、布施の機会を提供してやっているのだから、言うことを聞け。お前が教団に貸し付けている3億円のうち2億円を布施しろ。わかっているだろうな。逆らったら、和合僧破壊の罪で除名してやるぞ。和合僧破壊は阿鼻叫喚地獄行きだからな。今しか、布施する時はないんだぞ。」

ミラクル献金
ミラクル献金を勧進する当時の教団広告

私は、会員時代は東京西部統括に所属して関東本部には毎週出入りしていたので、山梨の事情はちょくちょく聞いていましたし、本部職員としてYらの事もよーく知っているので、F氏の主張は実感をもって理解することができ、多大な犠牲を強いられたのだなと気の毒に思うばかりです。

90年代には、こうした事実を虚偽だの名誉棄損だのと主張して隠そうとした教団であったわけですが、近頃は悪魔認定や地獄行きといった脅し晒し陰口などが、幸福の科学内の日常会話にすっかり定着しており、そればかりか教祖自ら自分を信仰しない日本人には死あるのみといった趣旨の発言をしているくらいですから、結局のところ立宗当時からの幸福の科学のカルチャーとして、Yらの発言をイニシャルにしてやる意味もないかも知れません。

また、献金訴訟において訴訟対象とされたものを整理すると、以上のような総額2億3,400万円になります。

1990年12月の山梨支部開設資金名下の1,000万円
1991年2月から7月、小冊子「ミラクル」等の代金名下の2,000万円
1991年2月の山梨支部の活動資金名下の400万円
1991年6月のミラクル献金名下の2億円

この内400万円については交付の立証に至らず、また全体としても損害として認められなかったとはいえ、個人と教団の間にこれだけの金銭の取引が生じていたことは客観的な事実です。信者に対して短期間に何の遠慮もなくこれだけの金銭をせびる実態。このことひとつとってみても、幸福の科学がカルトであると断定して何ら憚りないところでしょう。

立証責任は原告側にあり、その立証の部分での不足や問題点を指摘されるならともかく、大卒のいい大人なのだからといった趣旨の裁判所の諭し方には、やはり大きな違和感が残ります。

大学教育を受けた大人なら熱心に信仰活動などしないものというのが、裁判所が描く国民の仕上がり像なのでしょうか?人生の途上で様々な苦悩に見舞われるのは学歴に関わりありません。全てが理屈で片付くものではないし、不安や強迫観念は必ずしも自らへのものばかりでなく、他者への思慕の情に起因するケースも少なくありません。

また、個人的な人間関係が一定期間維持されていたからと言っても、例えばDVのようなモラルハラスメントの場面では常に虐待だけが続くわけではなくて、存在不安に晒される環境下で飴と鞭を使い分けられ、それが気付きの妨げになっている構図があるものです。

とは言うものの、裁判所ばかりを責めるのも不適切であって、当時の状況を考えれば、現実として仕方がなかったと諦めるしかありませんが、原判決はカルト宗教問題への社会的な意識や対策の欠如そのものを象徴しているように思います。

ただし、こうした悔し涙がそれで終わっているわけではなくて、ひとつひとつは関連がなくても、事例研究から知見が蓄積され、次第に実を結ぶケースも表れてきています。

【参考記事】
弁護士紀藤正樹のLINC TOP NEWS-BLOG版2012.04.13
速報!!下ヨシ子事件判決 被害者側勝訴!! 事実上、マインドコントロールの違法性が認められる!!

人々のために宗教があり、そのために宗教を手厚く保護するというのであれば、一方でその宗教が人を苦しめるという現実にも立脚して、人々の側に寄り添いしっかりと保護する基準を明確に定めて運用して頂かなければフェアじゃありません。



【当ブログ関連記事】
感謝状改竄が示す「幸福の科学」反社会性の証明
カルト幸福の科学の『恫喝訴訟』
ゴロマキカルト
愛の押し売り。神理の安売り。



プロフィール

土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)

Author:土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)
セクトの犠牲者である家族と個人を支えるネットワーク
「RSFI MAIKA」代表

日本脱カルト協会
「JSCPR」会員

当ブログへようこそ。
「幸福の科学」の問題を中心に、セクトについて考えていきます。

ご相談等の場合は、リンク先頭の「RSFI MAIKA公式ホームページ」のコンタクトよりご連絡ください。

また、当ブログのコメント欄は非公開設定を選択することができます。悪質な荒らし行為等でない限りは決して公開されませんのでご安心ください。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR