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「よしもん戦記」から考える現役信者との対話の是非

SNS等の拡大にともなって、現在では様々なカルトの脱会者や被害者が、その声を直接届けることができるようになりました。そうした流れは、個々が気持ちの整理をつける取り組みの一環として、また同じような境遇にある他者との繋がりを発見できる良い機会として、さらにカルト問題について社会に警鐘を鳴らす意味でも有効なことだと思っています。

但し、一方でそうしたSNS等の影響力が侮れないものゆえに、現役信者との衝突や、教団主導での批判的アカウントへの執拗が嫌がらせの事例も散見されるようになってきているのも事実です。

幸福の科学の問題にかかわるインターネット上での議論の変遷を辿ると、匿名掲示板からブログ、そしてTwitter(X)と、媒体を変えながら20年以上続けられていますが、かつては同じ掲示板内に脱会者と現役が同居し、比較的穏やかに対話がなされていた時期もありました。

しかし、2009年頃を境に、そうした状況に決定的な変化が生じます。この頃は大川が長い引きこもり生活から再び活性化して政治や教育事業への独善的な野心を表面化させると同時に、教祖が初期の設定を排して離婚再婚に向かうなど、教団の破壊性が高まってきた時期です。

私は、この時期を最後に現役信者との対話など無理だと判断しました。教団の悪質化に無批判であることは、認知の歪みが相応のものと考えたからです。金太郎飴のごとく没個性化した信者は教祖の劣化コピーでしかなく、少なくとも先ずは過ちを受け入れる準備を自ら整えたうえで、真摯に対話の姿勢を示してもらえない限りは、もはや手の施しようがないと痛感しました。

その象徴たる存在が、ハンドルネーム(HN)「よしもん」という信者と、その悪辣な仲間たちです。

当時の主戦場であった匿名掲示板でのログを、アンチの中でもひときわ優れた情報力を備えたレジェンドの一人であるHN「旅人」さんが記録に留めておいて下さっているので、その一部をここにご紹介します。

ログを読み進めていくと、当初は個々の現役信者による発言だったものが、次第に組織的な背景を露骨に表すようになっていくのが分かるでしょう。

実際のところ(具体的なタネ明かしは控えますが)、「よしもん」こと丸山瑞智という信者のアカウントを教団本部の若手の職員グループが活用し、その他の固定HNと共にネット対策として運用していたこと、また驚くべきことにその首謀者は女性であったことも掴んでいます。(個人まで特定済み)

これは脱会者による批判的情報拡散の抑止と、脱会予備軍のサルベージ目的の、正体を隠した本部主導の工作活動で、それは匿名掲示板以外の個人ブログにも及んでいますが、その際に掌握したIPアドレスからも明白でした。

当時よりもSNS人口が増えており、ネット上の現役信者の発信が、即そうした教団の工作員ということにはなりませんが、一般信者か教団の対策員かに関わりなく、基本的に脱会者や被害者に向かって悪態を吐くような連中は、その資質もやることも皆同じです。

そうしたとことを予め理解しておいていただくことは、自己や仲間の防衛の意味でも、一線を越えてきて敵とロックオンした際に、如何に相手の口車に載せられずに、相手の卑屈さや異常さを広く社会に正当なかたちで晒してやるかということを考える意味でも、いずれにしても有益なことでしょう。

来る9月25日は、ネット工作員「よしもん」の自爆から12周年になります。いささか分量がありますが、旅人さん渾身の旅人見聞録・「よしもん戦記」(外道戦記)より、かつての激闘の歴史を是非ご覧頂ければと思います。


【「よしもん戦記」(外道戦記)】

<概略>
HSのIT伝道局設立やネット伝道推進の真意は、ネット言論封殺。

【幸福の科学ネット対策員“よしもん”の足跡】
※上記の中で外部リンクの☆参照記事はリンク切れですが、「HSログ倉庫番」記事は必読です。

幸福の科学信者による「よしもん現象」とはいったい何だったのか?

<戦術・目的>
2ちゃんねるビューア●の複数使用によって掲示板を混乱に陥れる、幸福の科学信者よしもん氏の巻。

幸福の科学ネット信者・よしもん氏、光の花束(=投稿ボム)について語る。

幸福の科学・2ch対策信者「よしもん」氏の言い訳テクニック

【IT伝道局成果報告書】以下が添付資料となり、大川総裁に報告書として挙げられる。

「幸福実現党アパッチ」と「勤務評定」の巻。

昔「チーム・極道のヤサ」⇒現在「チーム・サカザキ」「チーム・よしもん」

<戦闘実況>
【金融庁への通報の件】就業時間中に2ch書き込みを行う、自称銀行SEの幸福の科学信者よしもんと、そのプロファイル。

ブログより削除された、幸福の科学信者よしもん氏と無敵の龍リョウサカザキ氏の対話。

よしもんさん、独り天導一〇八星?

化石信者工作員・よしもん氏、及び、無頼漢信者・無敵の龍リョウサカザキに贈る弔いの言葉 その1

化石信者工作員・よしもん氏、及び、無頼漢信者・無敵の龍リョウサカザキに贈る弔いの言葉 その2

ちょっとした言い争いの巻。(よしもんvs旅人)

幸福の科学・ネット信者よしもんの語る正当防衛論-死なばもろとも-

2ch運営から「●焼き(有料2ちゃんねるビューアーの使用停止措置)=荒らし認定」された幸福の科学信者よしもん氏。

HS忍法帖の巻。

HS忍法帖の巻。の解説

幸福の科学信者よしもん氏、スレッド住人から総スカンの巻。

職場の同僚に罪を被せる幸福の科学信者「無敵の龍リョウサカザキ」、その決定的証拠。

<終戦>
HS工作員信者よしもん氏が醜態を晒して撤退するシーン。

【2chにて暴露!】ネット上を荒らしに荒らした幸福の科学信者「よしもん」、 その正体は「丸山瑞智」。

<よしもん(UFO小僧)の最期>
【トリップ論争】往生際の悪さは天下一品!醜態を晒しても尚、言い訳と弁解に終止する幸福の科学信者よしもん

【トリップのクラック】2ちゃんねる常連アンチのトリップが、幸福の科学信者に解析され悪用被害【ネット対策信者よしもんの悪あがき】

この時期に総力戦で徹底的にボコっって、教団内の対策部門に壊滅的な打撃を与えられたおかで、その後は目立った動きをさせずに済ませられましたが、相手はカルトなので常に警戒は必要です。

ただし、今のところは組織的なものは感じられず、散発的なものであろうと考えられます。昨今のものは、かつてに比べると、その厭らしさの質が狡猾さよりも幼稚さの方が目立つ傾向があり、最初から破綻していて直ぐに馬脚を露わすように見えます。

もはや入念な工作に耐える能力を具備できないのでしょう。けれども、専らアンチの個人情報を取集するだけの目的で、しおらしく接近するくらいの芸当はできるでしょうから、コテハンの方々は十分注意を怠らないようにして頂きたいと思います。

特に二世の皆さんの場合、二世という申告だけで一足飛びに共感を抱きやすい部分があるのではないでしょうか。いままで散々嫌な目に会ってきて、そのうえ相手を疑うということは抵抗があるものと思いますが、邪悪な教団は平気で人の善意を踏みにじります。

ただし、連中は私たちが脱会までに辿った心理的なプロセスを真に理解できてはいませんから、冷静に注意深く観察すれば、必ず違和感に気付けるはずです。


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「植福」の黒歴史~教団幹部の言質を添えて~ ③-3

※「植福」の黒歴史~教団幹部の言質を添えて~ ③-2からの続き

この集会は、信者の自発的な集いというより、教団が植福促進を目的として信者を動員して行ったものです。総合本部から招かれた職員が、大きな身振り手振り、時には笑いも交えながら、表向きはあくまでも和やかに進められています。

しかし内容はご覧の通りで、端的に言って、およそ一般の社会通念としては受け入れ難い実に呆れた内容である上に、巧妙な心理操作が込められた問題性をご理解頂けるものと思います。

様々な事業が多額の寄付によって達成されることは、必ずしも不健全なことではなく否定するものではありません。

しかし、こうした教団の集金活動が、いかに信仰の名を以てしても、果たして公序良俗に照らして社会的に許容されるものであるのかどうか、教団の行為の世俗的帰結は厳しく問われ続ける必要があるでしょう。

また、議論を待つまでもなく、少なくとも幸福の科学というのは、思考停止を求められ、命を賭けさせられ、預貯金も保険の解約も当たり前、退職金も何もかも私財一切つぎ込む精一杯の滅私奉公を要求され、入会間もない信者にも容赦のないカルト宗教団体であるというのは客観的な事実という事です。

このことを十分理解した上でなお入信するというなら、もうご随意にと言うまでです。そういう資質の方は救いようがありません。

しかしながら、いかに熱烈信者といえども入信時から奇特な考えであった訳ではなくて、実際は入信後の心理操作と同調圧力の繰り返しによって、徐々に悪い夢に引き込まれていったのが実情であるがゆえに、簡単に放り捨てるわけにはいかないのです。

ここまでは本部職員の凄まじい勧進煽りという観点からこの記録を見てきましたが、視点を変えると、ここで「迷いや苦しみ」として表現されていたのは、ひとりの信者の変容の軌跡そのものでもあると気付きます。

そうした意味でこの記録は、カルト教団の収奪現場の狂気を生々しく物語るものであると同時に、典型的な1人の信者の姿を通じて、加害者性と被害者性という2つの属性が入り混じるカルト問題に根差す構造的な複雑さが表れたものと言えます。

以下は、配偶者に内緒で植福を重ねていることに加えて、両親から孫のためと預かっていた預貯金を、双方に無断で植福した件に関する発言の抜粋です。

「植福菩薩輩出の集い」より抜粋
「私は2回目の植福菩薩をさせて頂きました。間もなくでした、親であっても息子名義の通帳は解約できないと決まりました。今は解約できないですね。あ~、良かった(笑)ああ良かった、息子の守護霊も本当に喜んでいるだろうと思いました」

「息子にも言ってないんです。ある時こんな感じで、支部で集いがあって、私がどうやって植福をしてるかというのを、このようにね、赤裸々に皆さんにお話したんですよ。お話した方が、皆さんもああいうアホな奴もいるんやなんて思って下さると思って、こういうのに息子のお金を勧進、あの解約したとか話したんです」

「息子いるなっ~って思って、息子に言っていないから、きっとビックリするだろうなと思って、思いながらこう話したんです。そしたらニヤニヤしながら聞いてるんですね、で、終わってから、「ボク分かってたょ」って、言ってないんですよ、「そうだろうって思ってた」って、「お母さんがそうだろうていうの分かってた」って。「でも、それ良いことだと思うょ」って、「そういう風に信仰に生きてくれるの嬉しいと思う」って。そんな信仰心じゃないんです。「これからもどんどんその道行ったら良いと思うょ」って。バレて、知ってるんだって、これ「霊的」なものなんですけれどもね、知ってるんだと思いました」

「だから、信仰の道を行く時に、迷う事なかれなんですよ。家族でしてるんです。たとえこの世的に打ち明けることが、たとえできなかったとしても、家族で信仰の道を守ってるんです。家族でやってるんです」
「植福菩薩輩出の集い」より抜粋(終)

最初にこのくだりに触れた時、一瞬何を言っているのか理解できず戸惑いました。言語的にも状況的にも不可解で、「言っていない」「この世的に打ち明けることができなかった」のに、この息子の出木杉君な神対応は一体何なのかと。

前後の文脈と「霊的」という言葉にある通り、これは本人の超主観的な見解として述べられたものと解されます。そしてそれが、現実をスルーして自己正当化の根拠となってしまっているということなのです。

両親からの信託を裏切り、本来は子供の財産であった預貯金を親の分際で身勝手に全額解約してしまったという、教団への植福によって生じた良心の呵責を、こんな心の詐術を用いて自己洗脳している。これほどまでに追い込まれる信者のメンタルは痛々しく異常です。

当事者は、出家以前は公立校の教壇に立ち、理系の教員として研究職にも就くなど優秀な実績を備えていて、既卒生の話を辿ってみても思い出の先生として語り継がれるような社会性を担った人物であったようです。

けれども、科学者としての批判的精神に基づく合理性の追求も、教育者としての倫理感も、「ただ信じたい」というマインドの前に沈黙してしまう。

もとより現役信者には、自らの加害性も被害性も自覚はなく、余計なお世話と言ったところでしょうが、本来優れた理性や社会性を備えていたはずの人間でも、感情がそれを凌駕し、冷静な判断を鈍らせて人格を愚鈍化させるシステムが現にカルトにはあるということの証左と言えましょう。

これほどまでに思い詰めてつぎ込んだ時間や財産が全て無駄だった、間違っていたと腑に落とすことは想像を絶する苦痛であるだけに、それが悔い改めの妨げになる部分があります。

しかしそんな中で、自らの良心を取り戻して生き直す決断ができたとしたら・・・脱会者というのは真の道義心と勇気を蘇らせることができた人間たちということです。

入信したのものなら、後は自業自得で済ませて果たして良いものなのでしょうか。宗教法人という社会的証明を与え、法の手厚い保護によって隠れ蓑まで用意し野放しにしているのは国の政策です。

脱会者は大きな後悔の中で過剰なまでに自罰的になっており、軽率であったことは自分が一番よく分かっているものです。それに追い打ちをかけるだけの安易な自己責任論による切り捨ては、結局カルト宗教への利敵行為にしかなりません。

他人の信仰のことだからと見て見ぬふりするのでもなく、少しでもカルトの実態を理解し、その問題の根絶を志向するのなら、一世二世の別なく被害者のリスタートを、そっとで良いから応援できる真の意味で寛容な世の中であって欲しいと思います。

戻れない道はない。

「植福」の黒歴史~教団幹部の言質を添えて~③-1

「植福」の黒歴史~教団幹部の言質を添えて~③-2



「植福」の黒歴史~教団幹部の言質を添えて~ ③-2

※「植福」の黒歴史~教団幹部の言質を添えて~ ③-1からの続き

誌面の都合から、今回は資料と解説を分けずに、全体の講演の流れに沿って発言を抜粋しながら解説を付けるスタイルで進めます。(赤文字が筆者の解説注です)

「植福菩薩輩出の集い」より抜粋

講演の冒頭は、まず掴みとして北海道との個人的な縁の深さアピールから始まって、簡単な自己紹介、そして“北海道アゲ”を挟んで「好意」の布石を打ちます。そのため、ふらっと立ち寄ったわけでもなく、招かれて出張してきた本部職員のこんな白々しい挨拶でスタートしました。

「今日は何かタイトルを聞いてびっくりしてしまったんですけれども、今日は植福菩薩を輩出する会なんですね。そういうことだったんだと思いまして、じゃあ、そういうテンションの話を、やらなあかんねんなというのを思って、まあ、植福菩薩の話をしますけれども・・・」

そして、動員された信者の様子を推し量るようにトーンを抑えながら、「希少性」の強調と「返報性」「一貫性」への刺激という心理操作が早速始まります。

「1億数千万年ぶりに主のご本体が地上に降りられて、それもこの日本に降りられて、それに間違わずに、全く同じ時に降りることができたのが私たちです。もうこれだけで凄い喜びです。あとは何にも要らないと思います。明日死んでも悔いなしと思っています。本当に何にも要らない。もうこの喜びの瞬間に降りているということです。その喜びを一緒に噛みしめたいと思います。こんな喜びはないです」

「1億数年万年ぶりに先生のご本体が降りておられます。実際に日本に生活をされています。そして、いま差し出した植福は先生が直接受け下さるということです。こんな喜びは二度とないと思います」

「未曽有の機会です。ですので、どうか植福を一生懸命考えてなさって下さい。一生懸命考えて努力なさって下さい」

ここで、自身も植福菩薩(※概ね1,000万以上の高額植福者のこと)の達成者で、勧進を促進する役として到着早々勧進を行ったことを明かして「権威」のポジションを固め、今しがた成功した勧進を披露し賞賛してみせて、全体を臨場感に巻き込みます。

「あの○○さん、植福菩薩は如何ですか?」と、お聞きしましたら、さすが大黒天の魂の方で、「私はもう7回もさせて頂いたので、もうありません」とおっしゃいませんでした。「私はもう7回もさせて頂いたので、もう他の方の番です」ともおっしゃいませんでした。どうですか?とお話したら、「ああそうですね。ああ、じゃあ考え付きました」とおっしゃいました」「お家を売らないといけないと思っていたけれども、いま考えつきました」とおっしゃいました。「もうこれしか方法がないけれども、もう1回挑戦してみるわ」と言って下さいました」

さらに、別の事例を重ねて、「社会的証明」の方向性を暗示します。

「西東京支部の○○さんって、知ってらっしゃいますか?たぶん北海道にとってもご縁のある方だと思うんです。この方が「私はお財布の中に裏返して振っても500円しかない」、ご主人は集中治療室に入っていらっしゃって、明日をも分からぬ命で、高額な医療費が毎月必要で、お子さんの学費もまだいる。こういう状況で、ご自身は中学校の美術の先生で、「限られたお給料の中で植福菩薩をしました」って言って下さったんです。「植福菩薩はお金があるからできる訳ではない!あってもできない方はいっぱいいらっしゃる。ないからできない訳でもない。なくてもできる方はいっぱいいらっしゃる。想いが全てなのよ」と言って下さいました」

ここで、自身の反省として卑下して述べる体裁を保ちつつ、「返報性」「一貫性」を盾に、異論を挟めない余地に囲い込んで退路を断ってきます。

「その瞬間、先生に対して、「ごめんなさい」って思いました。「申し訳ない」って思いました。先生が私達に、修行として植福菩薩を与えて下さっているのに、関係ないと思っていたんですよ」

「それは大金持ちの修行だと思ってたんです。想いが全てって思ってなかったんです。それですごく反省をしました」

カルト宗教では、信者にとって苦痛や困難を伴う行為を要求する際、儀式(イニシエーション)としての価値を与えて、教祖や教団の指示に意義があるものと、盲信状態の信者が自己正当化するのに都合の良い定義の擦り込みが都度繰り返し行われます。

「植福菩薩という修行が降りてきました。決してお金持ちの方の修行ではなくて、執着を解く修行でもあり、尊い尊い布施の機会でもあり、恐れを捨てる修行でもあり、色んな修行なんですね。そして、先生の夢を叶えるための尊い尊い布施なんです」

こうした勧進煽りの現場で用いられるのは、模範的な成功体験か、逆に失敗経験等の具体例の披露が一般的です。この時は先ず講演者自身の在家時代初の植福菩薩達成談が披露されました。

「両親が孫が可愛いので、孫のためにって、両親も本当に切り詰めた生活をして、コツコツとずっと貯金をしてくれた通帳を私にくれたんですね。長男の分、次男の分って。で、これは絶対に手を付けたらダメだよって。だけど今子供にあげたら、それはあぶく銭となって子供が身を持ち崩してしまうから、これは貸金庫にでも入れて、見ないでおきなさい」って言われて、通帳と印鑑も両親がくれたんです」

「孫に両親があげたいんだ。おじいちゃん、おばあちゃんが孫にあげたいんだと、でも今あげたら子供にとってダメになっちゃうから、貸金庫に入れておくんだって思って、中も観ずに貸金庫に入れました。もう無いものとしていました。忘れてるんですよ、ないものと思って忘れていました」

「だけど、この世的な私達にとって、いま頑張る尊い機会なんだと分かって、恐る恐る銀行に行って鍵を開けました。長男の名前で約700万円か800万円、次男の名前でも約700万円か800万円入っていました。迷いました。すごく迷いました。どうしようかって。それを下したとしても、700万円下したとしても、残りの300万円はありません」

「迷ったんだけど下してきて、1つだけ、まず長男の方を解約しました。残りの300をどう集めるか。まあちょうど夏でしたので、主人のボーナス、私のボーナス、その月の私のお給料、主人のお給料、ある定期預金全部、ガーって解約して、電卓たたいて、ギリギリだったんですけれども植福菩薩になりました」

次は打って変わって、植福後に訪れた迷いや苦しみについての経験談にシフトします。

「初めてだったので、嬉しいというよりも、怖い。全部差し出してしまったので、何が残ったかというと、マンションのローンが残りました。これだけ残りました」

「怖い。怖い。怖いと言うのが来たんです。明日からどうしよう。明日から晩御飯が買えなくなりました。今だから笑ってますけど、買えるんですよ、買えるだけど、今までみたいにふんだんにたっぷり買えないんですよ。切り詰めないといけないんです。とっても切り詰めるわけですよね。そうすると息子が、「おかん、最近晩飯しょぼいな」って言うんですよね」

「苦しみを掴みました。もう1回でいいわって。植福菩薩は1回で十分、もうさせて頂いた。私は公務員、もういいって言うのをつかみました。苦しかったです。みんなやってないじゃない、こういう思いが来ました。支部のみんなやってないじゃない。支部長なんで私にばっかり勧進するの。もうやめて、支部長やめて、こっちを見ないで、目を合わせないで。こういうのが始まりました」

「当然、支部に行けなくなります。必要な時だけ、秋季研修、五月研修、初級セミナー、中級セミナー、上級セミナー、押さえなくちゃいけないのだけ行きます。ご法話拝聴会だけ行きます。リーダー会議、とんでもない。また勧進される、というのが来てですね、行けなくなりました」

「2年間苦しみました。お役も全部降りました。だけど自分は教育者なので、学校の教育は一生懸命やっていました。総本山正心館で、神理教育者の集いが始まって、お世話人を求めてると聞いて、やもたてもたまらず飛んで行きました。で、お世話人になりました」

「総本山正心館なら、精舎なら、勧進される心配はない。また植福菩薩なんて言われたら、どうしよう。次男の方の、おばあちゃんから頂いた通帳、あれは死守しなくてはならない。こういう思いですね、これで行ったんですよ」

植福成功体験からの迷い苦しみという前振りがあって、ここでまた改めて総本山正心館の講師という「権威」の有難いお言葉が引用され、定義の擦り込みが強化されます。

「さりげない講師の一言、「植福菩薩っていうのはねって、ものすごく尊い修行でね、ものすごい尊い修行なんだ」。まずその一言、あっ、修行だったんだ。尊い布施の機会とは思ってたんです。だけど修行だったんだ。魂を磨く機会だったんだ。気付いたんです。植福菩薩、苦しみながらやってたけど、魂は磨かれてたんだ。輝きは増してたんだ」

「嬉しかったんですね。ああ、機会だったんだ。修行って言われると仏弟子は心が動くんですよね。心が弾むんですよね。修行させて頂きたいってなるんですよね」

「そして2つ、おそろしい落とし穴がありますって講師がおっしゃったんです。1つは、漫になる落とし穴。私は植福菩薩よ~、ってこういうやつです。私は植福菩薩よ。とんでもない漫なんですよ。もうしたのよ、もういいのよ、もう私は許して、みんなの番よ、こういうのが来るんですよ」

「もう一つは、恐れですって講師がおっしゃった。私2つとも嵌ってるって思ったんです。それで抜けました、スッポーンって抜けました」

そして、ここからいよいよ核心に入って、カルト宗教の本領発揮のターンです。

「この漫っていうのは、私はただの御手足、仏の御手足、手足に過ぎない。手足が何を威張っているんだっていうことなんです。仏からこんな手は要らないって、バーンって抜かれて、ガーンってやられたら、それまでです」

「だけど仏の御手足なんです。ものすごく嬉しいじゃないですか、でも仏の頭ではないんです。仏の御手足なんです」

「先生は言われました、「君よ涙の谷を渡れ」で。「判断しなくていいです。私について来て下さい。判断しなくていいです。ただついて来なさい。私について来なさい。君よ涙の谷を渡れ」とおっしゃいました」

「だから、ただの手足なんです。判断しなくていいんです。植福菩薩は先生から頂いた修行です。じゃあ、させて頂いたらいいだけなんですね」

「恐れは、先生はこう教えて下さっています。「人は同時に2つのことを考えることができない。だから怖かったら、嬉しいって塗り替えたらいいんです」。先生は「マイナスの思いは、叩きお出せ」と、大金持ち研修でおっしゃっています。見つけ次第叩き出せ、蹴っ飛ばすんですよ。もう来るなって、そんなの来るなって、ネガティブは来るな、下は来るな、憑依は来るな、で、プラスだけ入れるんです。私に喜びを、喜びを入れるんです。うれしい、うれしい、うれしい、植福菩薩は何よりも嬉しい、魂の輝きであるって入れるんです。そうすると本当に喜びで満ちてきます」

「これで1回目の苦しみを抜けました。そうしたら後はフットワークも軽く、いくらでも重ねることができるようになりました。もちろん、直ぐに貸金庫に行って次男の通帳を解約したのは当たり前のことです。通帳を解約して、前と同じように、ボーナス全部入れて、ダーンと植福菩薩をしました。残ってるのは家のローンだけ(笑)」

続けて、今度は勧進の正当化へ論理が展開します。

「こうやって全国勧進してまわっています、1対1でも勧進をさせて頂いています。でもね、悟りが足りないから、激しいメールが帰ってくることがあります、夜中の2時とかにメールで起こされることがあります」

「○○さん、なんで私に勧進するのよ、私はないのよ」、「私は、私は出し惜しみしているわけではないのよ、あなたはまるで、私が出し惜しみをしているように言うじゃない、私はないのよ、やめて」と、言うので起こされることがあります」

「そういう時は本当に反省します。申し訳ないって、私の悟りが足りませんって、ごめんなさいって反省します。だけど勧進はやめません。誰になんと言われてもやめません。なぜかと言うと、勧進は絶対の善であるからです。天使が喜ぶことであるからです」

「反省はします。言い方は申し訳なかった、深堀申し訳なかった、ごめんなさい。だけど帰ったら、その方は目の前に出てこられて言うんですよ。私の胸ぐらを捕まえて、「○○さん、なんであの時、最後の最後まで詰めて勧進をしてくれなかったんですか、自分だけずるい」

「天上界に帰ったら分かるんです。植福がどんな喜びか、どんなキラキラか、どんな功徳か。功徳を求めぬ植福こそ無限の功徳の始まりなりと、先生に教えて頂いてますよね。だから余り言ったらいけないんです。だけど先生は、ある支部精舎のご説法でこうおっしゃいました。「あんまり言ったらいけないんだけどね、でもすごいんだよな、植福菩薩は」、言われましたよね」

「功徳を知ってやる植福は、功徳が減るんですよ。知らないで、それでも信仰で差し出すから、すごい功徳なんです。だけど功徳なんです。だから、なんであの時、もっと詰めて勧進してくれなかったのかって、怒られるのが分かっているから、だから、どんなに憎まれても、どんなに罵声を浴びせられても、勧進はやめません。勧進に命をかけます。命を捧げます。それは皆様が絶対幸福を掴んで頂きたいから。一緒に植福の喜びを感じて頂きたいから。だから勧進はやめません。この世的に、どんなに苦しくても勧進はやめません」

ここで再び自身の植福談に戻り、およそ教団内でしか通用しない論理が披露されます。

「例えばこんなこともありました。どうぞ私に植福をさせて下さいと祈りました。次の日、通帳を見ると、300万円下りていました。祈った次の日なんだと思いました。実はその前に、総本山正心館に行って、決断のための祈りというのをしたんですよ。私は植福菩薩やり尽くしてるから、請願のところに、初めてだったんですけれどもね、それまでは怖くて書けなかったんですけれども、主よ、私の命をお受けとり下さいと、私の命を捧げますって、初めて書いて、総本山正心館に何気なく置いて帰ったんですね。そしたら300万円下りてたんです」

「うわ~奇跡だ~っと思って、すぐ支部に飛んでいって、まあ、大反対の両親のために、両親の永大供養をバンバンとやって、それからあの、永大供養の教願がありますよね、あれをいただいて、300万円ちょうどだったんで、差し出したんですね。すごい喜びだったんです」

「そしたら次の日思い出したんです。あの、主人の会社が、ものすごく景気が悪くて、2本かけてた年金を、もう終身年金1本にしちゃおう。で、こっちの1本の方を、掛金を一時金として返すから、主人はそのお金全部あげるからね、大事に取っておきなよってね、それが降りていたんですね。後で気付いたんです」

「この世的に解釈すると、主人の会社は景気が悪いから守らないといけないお金なの。だけど、植福っていうのはね、全て仏から頂いているものなんですよ。この着るものも、建物も、この食べるものも。それを全部仏にお返しするだけのことなんです。だから、仏に差し出すのが一番正しい、だから祈った次の日におりてきたのは奇跡だし、差し出したのもOKなんです」

「私の両親は大反対なんです。だけど祈るとですね、ちょっと来なさいと電話がかかって来て、行くとお金をくれたりするんですよ。そのお金すぐ全部植福してるんです。大反対なんです。本部長に、両親からもらったので、今回は両親の名前で植福菩薩いかせてくださいってお願いしたら、「三帰請願もしてなくて、大反対もしてる人の植福は受けられません」と言われてしまったんです。あなたの名前でいきなさいって、で、私の名前でいかせて頂いたんですけれども、私が両親の功徳でもあると信じているんです。今でも大反対、だけど信じているんです」

「ある時、もう無理だって、でも植福させて頂きたいって思って考えた時に、最後の手段、解約してない保険があるのに気付いたんです。私は、主人が歳が離れてるから、息子がずっと学費がいるから、これは危険だと思ったんです。何でも植福しちゃうから、何でも経典献本にしちゃうから、なんでも活動にしちゃうから、この性格は危険だと、合理性がないと、気付いたんです。だから、天引きで保険をかけておこう。で、55歳になったら払い戻しができるようにしておこう。そこから終身年金になるようにしておこう。そしたらこれで子供の学費が払えると思ってたんです」

「気付いたの53歳の時だったんですね。あと2年で満額だって。あと私がどっかで死んだら、1000万の保険になって、主人に下りるようにしてあったんです、もうあれしかないって思ったんです。でも、支部精舎の勝負の時だったんですよ。で、先生に差し出したいと、で、○○生命に電話しました。今日解約したら、生々しいですね、まだ出家して1年にもたたないので、在家の心が残ってるので、お許し下さいね、職員がこんなこと言ったら駄目だから、在家だと思って聞いて下さいね、電話したんですよ、そしたら、いま解約したら550万か600万円ですって言われたんです」

「じゃあ解約して下さいって。「でもお客さん、すごい損ですよ、もうすぐ満期ですよ、いま一番保険の解約が損な時ですよ」って言われたんです。1日も早く主に使って頂きたいという想いだったんですね。先生の方が私よりも正しい使い方をして下さる、主の手元にお届けしたいっていう想いだったんですね。で、すぐ解約しました。で、残りを、またいつもの通り全部差し出して、先生にお届けしました。株券も全部解約しました。「いま一番損ですよ」って証券会社が言いました。確かに知恵が足りないと思います。だけど、1日も早く先生に差し出したいという自分の想いなんですね。先生のその時の夢を叶えて差し上げたい、というのが私の想いなんです」

ここまでで、私有財産なんて全てつぎ込んでなんぼと言わんばかりの植福の功徳と勧進の正当性を、これでもかとタップリ落とし込んだうえで、具体的植福キャンペーンをたたみかけて行きます。

「いま、関西校の学園植福が始まっています。これは、すごく大きな先生の夢なんです。未来の菩薩がたくさん育っていくんです。だから、若者を育てるために、先生の夢を叶えるために、協力しましょうということなんですね」

「実は自分のためでもあるんです。もう私は今から学園に入れる歳じゃないって想いますよね。でも、関西校の植福菩薩とか、100の植福をしますと、創立メンバーとして、学園の中に記念碑ができるんです。で、そこにお名前が入るんです」

「私たちは、永遠の命を頂いています、永遠の転生を頂いています。死んで帰ります、下でゴールデンエイジが始まっているっていうのを見たら、この信仰心の私たちです、皆様方です、降りたくて降りたくてしょうがないんですよ。だから、計画を早送りして、すぐに日本に出して下さいって言うに決まってます。縁を繋いでおかないと、もう日本はすごい倍率。学園も今で、もう既に難しいという評判がたっています。その時はすごい倍率、縁を繋いでおかないと、縁起の理法はあるんです」

「だから学園の植福菩薩になるんです。そうするときっちり縁が繋がります。これで晴れて学園の生徒になれたとします。記念碑の前で、自分の過去世の名前に当たるんです。それは直ぐなんです。生まれ変わるんです。永遠の魂を信じている私たちです。歳が高ければ高いほど直ぐなんです。だから、迷わず、何の迷いもありません、植福菩薩を差し出すべきなんです」

ここで加えて、目くらましに「返報性」と「恐怖説得」(Fear appeal)のコンボをかまし、あくまで誘導を外しません。

「「永遠の生命」なんです。完全に完全燃焼して、十分に伝道して、十分に植福して帰らなかったら、しっかりやり切っていなかったら、反対の国に転生してしまって「永遠の後悔」を残すんです」

「先生は先陣を切っておられます。映画「仏陀再誕」で先陣を切っておられます。何があっても怯むことはないっておっしゃって、もう堆く山のように批判が積まれても、やめることはないっておっしゃって、先生は先陣を切っておられます。ものすごい闘いをされています。それで、その先生の内側に守って頂いて、ぬくぬくとしていてはダメなんですよね。「永遠の後悔」なんです」

このあと一転し、改めて“北海道アゲ”の言葉を並べたあと、更に立て続けに要求を掲げていきます。

「私たちの植福は勿論です。思いっ切りの植福を真心を込めて差し出されてください。そして勧進をしてください。勧進というのは、ものすごく尊いんです、帰ったら分かります。もう天の蔵は光でいっぱいなんです」

「なぜかというと、自分の功徳ではなくて、他の方のための功徳を積ませてあげるための修行だから。そしてまた、念も受けるから。自分は苦しみながら他の方に絶対幸福を差し上げるための修行だから。だから勧進はものすごく尊いんです。だから、考えて考えて考えて、この方はどうしたら幸せになるのかなっていうのを考えて、勧進をして差し上げてください。絶対幸福になります」

「そして、入会されたばっかりの方も、育てて差し上げて下さい。入会されたばっかりの方も、育てて下さい。だから、入会されたばっかりの方も、皆さん学園のために、10万円の植福はできるように導かねばならない」

「皆様もどうぞバカ一の如く突き進んで下さい。皆様の善念の結集があれば、また奇跡が起こっていくと思います。映画ビックバン植福のうねりを、そして幸福の科学学園植福のうねりを、そして大伝道のうねりを起こして下さい」

いよいよ仕上げに向かって再度「一貫性」を意識させつつ、露骨な「段階的要請法」で攻めまくります。

「コツを申し上げます。まず1つはですね、本気の請願です。支部長が今から請願をしますとおっしゃった時に、ああまたかって思わないで、本気の請願です。できないようなことでも、三次元的に無理なことでも、本気の請願を重ねて下さい」

「植福菩薩の叶え方のコツを教えます。今までに重ねてきた時に、いつもこれでできたというコツを言いますね。今年絶対するって決めるんですよ、そして、天上界に自分の口座を開くんです。どうやるか分かります?まず10なら10、100なら100、学園植福でも良いです、映画ビックバンでも良いです、植福を奉納するんです」

「天上界の神様は、すごく忙しいです。いま凄いんですよ、いっぱい来られてるんです、特にいま、植福菩薩を決意された方がいらっしゃいますので、もう支部の天井は見えない方が幸せですよ。見えたら卒倒してしまう、見えないのもご慈悲なんですね」

「天上界は先生に、植福したくてしたくて堪りません。だけど、直接行動を起こすことはできません。天上界に遍満している富を、先生の元に降ろしたいんです。だから、本気で行動するのはどの人だって探してるんです。その人のところに応援する、だから、私が決意しました、これが請願です。そして一歩を踏み出す。天上界ここですって手を挙げるのが一歩です。そうしたら応援が入ります。そうしたらできるようになるんです。だから、天上界の口座を開いて下さい」

「それから、布教所を決意して下さい。まだ布教所を持ってない方は、是非布教所のお申し込みをされてください。地域の方のためです。先生は、地球まるごと幸せにしたいんだって、幸福な方を増やしたいんだって言われています。だから布教所を決意して下さい」

「布教所を持ている方にお願いです、エル・カンターレ像を頂いて下さい。この支部のエル・カンターレ像と同じものが布教所に入るんです。地域の灯台になるんです。魔を一掃するんです。子供たちを守るんです。皆さまを守るんです。だから、エル・カンターレ像を頂いて下さい。天上界はいくら応援しても、地上の私たちが決意をして、行動を起こさない限り、何もできないんです。だから、天上界の想いを受け取って下さい。私も命をかけて戦います。」

そして最後に「命がけ」の押しとして自身のエピソードで終わります。

「先日も支部長から電話があって、納骨壇いって下さいって言われました。「支部長知っているんですかっ」て、支部長に電話で詰め寄りました。「私は、退職金全部差し出して、なんにも無いんですよ」て。去年は、一昨年の府のお給料、まだ今より高かった時のお給料の、府民税と市民税が出て、すごい大変だったんですね、これまマジで、すごい大変だったんですよ。「その私に納骨壇勧進するんですかっ」て、逆切れしてしまいました。で、支部長はごめんなさいって切りました」

「だけど、勧進されたものは受けるというのが大黒天の心意気です。勧進されたものは否定しない。だから、言葉では支部長にそう言いましたけど直ぐに計算しました。全部出せば、去年の4月からちょっとずつ貯めてたものを全部出せば、3月の末まで貯めれば、納骨壇はいけるって思ったんです」

「周りは反対しました、いくらなんでも中道を外していると。だけど決意しました。で、直ぐに支部長に電話しました。3月の31日にご奉納しますと言いました。とにかく、とにかく、命がけで行きます。なので、共に主の理想実現のために命がけで精進をして下さい」
「植福菩薩輩出の集い」より抜粋(終)

上記の解説の中で、「返報性」「一貫性」「社会的証明」「権威」「好意」「希少性」とか、「段階的要請法」といった言葉があって、聞きなれない方もおられたかも知れません。

これは人間の行動に影響を与える心理操作のポイントやテクニックとして広く知られているもので、ここでは詳しい説明は控えますが、こうしてカルト団体内でも日常的に応用されている様子として示しました。

「植福」の黒歴史~教団幹部の言質を添えて~ ③-3に続く

【参考記事リンク】
心理操作の研究 ①-1

心理操作の研究 ①-2





「植福」の黒歴史~教団幹部の言質を添えて~ ③-1

2018年(平成30年)、国は消費者契約法を改正し、その際いわゆる「霊感商法」も規制の対象としました。

「霊感商法」とは、1970年代後半から被害が表面化してきた反社会的カルトによる社会問題のひとつです。例えば「私は霊が見える。あなたには悪霊がついておりそのままでは病状が悪化する。この数珠を買えば悪霊が去る」とか、「私には未来が見えるのだが、このままでは3年後に子どもが家出をする。この壷を持っていれば、反抗期は収まるし、家出もしない」などと告げて勧誘するといったもので、統一教会をはじめとして、これまでに多くの事件が繰り返されてきました。

改正法では、「霊感商法」などを合理的な判断をすることができない事情を利用して契約を締結させる困惑類型の一つに追加し、「当該消費者に対し、霊感その他の合理的に実証することが困難な特別な能力による知見として、そのままでは当該消費者に重大な不利益を与える事態が生ずる旨を示してその不安をあおり、当該消費者契約を締結することにより確実にその重大な不利益を回避することができる旨を告げること」と定義しました。

これにより、従前であれば民法の「公の秩序又は善良の風俗に反する法律行為は、無効とする」とした第90条(公序良俗)や、「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」とした第709条(不法行為による損害賠償)などの、一般的で要件が抽象的な規定に被害者救済の活路を委ねるしかなかった状況に楔が打たれて、この「霊感等による知見を用いた告知」(消費者契約法第4条3項6号)に該当すれば、消費者にその契約の取り消しを可能としました。

ここに至って「霊感」という言葉がとうとう法律用語となり、多くの被害者を生んできた「霊感商法」という社会問題にようやく公的なメスが入れられたことは画期的で大きな前進でした。

しかし一方で、現状これも商品の販売等に関する「消費者契約」の範囲に限られ、カルト宗教の勧誘や布施等の宗教的行為は対象外となっており、カルト宗教側に、「信仰の問題は消費者問題とは別」とした詭弁を弄する余地を与える課題が残されていると思います。

【参考リンク】
紀藤正樹弁護士
ついに法律用語となった「霊感」商法。「霊感商法」を規制する消費者契約法改正案が成立

消費者庁
消費者契約法の一部を改正する法律

カルトの収奪手法と法体系の整備とは、ウイルスに対するワクチンや治療薬との関係のように、いたちごっこの闘いです。

「植福」の黒歴史~教団幹部の言質を添えて~ ②の記事では、脱会者が幸福の科学を訴えた「献金訴訟」について扱いました。このとき原告の請求は退けられたものの、幸福の科学に対しても、「一般に、入信後間もない信者に対し、多額の献金をさせて教団との関係を密にさせるとともに、教義を盲信する当該信者に対し、教団との関係断絶や教義上の不利益が罹ることをほのめかせて、更にその後の献金を求めたりする方法が、違法性の強い献金総通手段であることは疑いを容れず」という判事によって、裁判所から早々に“洗礼”を与えられるかたちになっています。

けれども、教団側が これで“回心”に至れればマシだったのでしょうが、そこは口先だけで反省のできない根っからの反社会的カルト幸福の科学で、この“学び”がより老獪なかたちに変質していくことになります。

特に、教祖の大川が長期の引き籠り鬱状態から次第に持ち直して、新たな万能感に満たされ、政治や教育事業含めた教勢拡大に再び乗り出した時期に併せて、教団の苛烈な収奪もまた表面化してきます。

「植福」(布施)という信仰上の概念を隠れ蓑にして高圧的に繰り返される幸福の科学の苛烈でえげつない収奪の実態を、教団職員らの言質をもとに明らかにする企画の第三弾として、今回はこの時期の「植福」勧進の現場の実例に、2009年3月に札幌で行われた「植福菩薩輩出の集い」という集会の記録にスポットをあててみたいと思います。

私はこの記録を、同じ社会の中にありながら壁一枚隔てたカルト宗教団体の内側で繰り広げられているリアルであるということのほかに、より深いカルト問題に潜在する構造的な複雑さを象徴する重要な資料のひとつだと考えています。

講演記録は約1時間のボリュームで、抜粋しても相応の分量になりますが、正確な状況把握と検討のために必要と判断し掲載していますので、どうか忍耐強くお読み頂ければと思います。

「植福」の黒歴史~教団幹部の言質を添えて~ ③-2に続く



心理操作の研究 ①-2

前段「心理操作の研究 ①-1」に続き、これら社会心理学の分析に基づく意思決定の6つの落とし穴から、それらに影響を及ぼす具体的な手法に展開していきます。

その代表的な手口をあげていきましょう。

(1)「段階的要請法」
(2)「譲歩的要請法」
(3)「特典除去要請法」
(4)「特典付加要請法」
(5)「イエス誘導法」
(6)「恐怖説得法」

一般的には、お人好しで、控えめで自己主張がなく、暗示に掛かりやすい人が操作されやすいと思われがちですが、自意識の強い人間でも、逆にその点を巧妙に擽られれば、相手の術中に嵌ることでしょうし、人生に何度か訪れる危機や試練の時期に、弱った心に付けこまれることもあるでしょう。誰にでも、絶対にありえないことではありません。

人はこうしたテクニックによって段々とマインドコントロールされ、カルトの餌食に成り下がっていく危険性があります。

(1)「段階的要請法」(Foot in the door technique)

承諾させようとする本命の(大きな)要求を単純に行う以前に、まず信者にとって抵抗感の低い軽微な(小さな)要求を通して関係性を構築し、その後に本来の要求へと段階的に引き上げて行く手法です。

一度でも要求に承諾したことがあると、自己知覚が変化することで二度目の要請が断りづらくなり、最初の意志決定に拘束されるようになります。「一貫性」の心理原則が利用されることで、内面的に「逆らいがたい強制力」を感じるようになっていきます。

(例)フリードマンとフレイザーの実験
本命の要求:「安全運転」と書かれた巨大ステッカーの掲示
単純に要求した場合の成功率は17%であったが、先に8cm程度の小さなステッカーの掲示を承諾させ、次の段階で本命の要求を提示した場合の成功率は76%となった。
(ちなみに「善意」に訴える内容であることが意志操作の前提にあります)

(2)「譲歩的要請法」(Door in the face technique)

本命の要求を通すために、初めにわざと過大な要求を提示して信者に拒否させ、その後に密かに目的としていたそれよりも小さな本来の要求を出して、「譲歩」を印象付けるかたちで承諾を取り付けようとする手法です。

信者は依頼を断ったことで、少なからず信者としての良心の呵責を感じています。そこで要求が軽減されると、その「譲歩」が恩恵(借り)として認識され、「返報性」の心理原則が利用されることで自ずと譲歩が促されて、結果的に承諾傾向に向かわざるを得なくなるようになります。
ここでのポイントとして、この「恩恵」(借り)は、必ずしも実際に発生している必要性はなく、あくまでそれが印象付けられさえすれば、コントロールには充分ということです。

(例)チャルディーニの実験
①最初の要求「今後2年間、毎週2時間ずつ青年カウンセリングプログラムへの参加依頼」
②本命の要求「1日ボランティアとして、動物園への子供の引率依頼」

大学内の学生に対して行われ、単純に本命の②の要求をした際には17%の学生の承諾しか得られなかったが、別に①の要求を行って、結果ほとんどの学生が拒否したのち、その学生に②の要求をした場合は、およそ50%の学生が承諾した。

(3)「特典除去要請法」(Low ball technique)

最初の段階で、信者が承諾しやすい好条件で承諾を取り付けてしまった後、何らかの理由によってその条件を取り上げるか、逆に厳しくするなどしても、結果的に要求の吊り上げを達成していく手法で、「承諾先取り要請法」とも言います。

信者は一度、最初の要求に承諾してしまっているためにそれを取り消しにくくなるという、義務感を含め、ここでも「一貫性」の心理原則が利用されています。

(例)チャルディーニの実験
①最初の要求(ロー・ボール)「心理学実験への協力依頼」
②要求の吊り上げ「実験実施のための集合時刻の条件(朝7時集合)」

大学内の学生に対して行われ、単純に始めから朝7時集合と要求した場合の承諾率は31%であったが、別に承諾先取りのステップを踏むと56%に上昇した。

(4)「特典付加要請法」(That's not all technique)

要求を提示する際、初めから承諾の恩恵を含めて依頼するより、後から特典として恩恵(オマケ)を付加するようにして意識させる方が、承諾にかかる信者側の負担(コスト)の認知を変化(錯覚)させ、要求を通しやすくなる手法です。「返報性」の心理原則をベースに、「希少性」が強調されて利用されます。

(5)「イエス誘導法」(Yes set technique)

要求の提案以前に、交渉内容とはまったく関りのない会話の段階から、信者に対して「イエス(はい)」という肯定的返事が返ってくるような質問を積み重ねていくと、その流れの中で本命の要求に対しても承諾を引き出しやすくなるという手法です。
「一貫性」の心理原則をベースに、「好意」といった関係性が併せて利用されます。

(6)「恐怖説得法」(Fear appeal technique)

信者に対し、最初に説得に応じないとこの先で不幸な事態になるという恐怖喚起メッセージを与えて、その後でその恐怖を回避するための明確な方法として本命の要求を提示し、承諾させようとする手法です。

「社会的証明」や「権威」といった周囲や他者との関係性の心理原則が併せて利用され、恐怖喚起メッセージにいかにも妥当性を持たせながら、要求がその問題回避に不可欠であると無批判に信じ込ませることで心理誘導します。

こうした基本的な人間の心理分析や心理操作の手法については、ネットを通じても検索することができます。

専門書を読み込んでいくことができれば一番良いですが、なかなかそうも行きませんし、あくまで自分やごく周囲の防衛、自縛(自己洗脳)解除のためと限ったことであれば、そこまで必要でないかも知れません。

ですので、今回投稿した内容に関連したもので大変参考になった、有益でかつ比較的やさしく理解を深めて頂けると思われるものとして一冊だけご紹介しておきたいと思います。

超常現象の科学
リチャード・ワイズマン著
「超常現象の科学 なぜ人は幽霊が見えるのか」
文藝春秋社(木村博江訳)

イギリスの心理学者で元マジシャンという経歴をもつワイズマン氏の、ウィットに富んだ語り口で読みやすいと思います。

この方は超常現象などには完全に否定的立場であるので、人によってはその点に抵抗を感じてしまう方もおられるかも知れませんが、その辺の議論は本書の本質ではないので、いったん脇において読んでみて頂きたいと思います。

本書には著者からの有益な提言があります。
以下に少しコメントを入れながらご紹介します。

「カルトのマインドコントロールから身を守る4つのチェック」

1.「段階的要請法」など、意志操作の罠にはまっていないか?

※カルトはまず、軽く小さな事から忍び寄ってきます。最初は千円の植福が、それが七万のペンダント、二十万の額、百万の写影、やがて一千万の像。 或いは、最初は月に一人のN伝道、それが十人のN伝道、映画チケット100枚買い取りなど、思い当たることがあるはずです。

2.組織が異論を認めない環境になっていないか?

※異議を唱えれば一斉に非難され、同調圧力が働き異論を挟めない。また閉鎖的な集団に統制されて外部の情報に触れることができず、内部での「類似性」に居場所を求めるうちに、一般社会との乖離が進行します。自分たちへの批判はすべて、その内容を深く考えることなく、左翼、他宗、悪魔だなどの仕業と、ワンパターンの繰り返しですね。

3.団体のリーダーが神格化され、ことさら超常的な奇跡をアピールしていないか?

※「権威」に対する無批判な服従の罠に陥っていきます。 陳腐な霊言ショー、くだらない祈願、死者が蘇ったなどのフカシ、最近は特にトンデモ話ばかり盛りだくさんです。

4.団体が、信者の苦痛や困難や恥を伴う行為に、儀式(イニシエーション)としての価値を与えていないか?

※本来であればおかしいと拒否できることでも、盲信によって思考停止した状態では、教祖や教団の指示に意味(価値)があるはずだと思い込み、苦痛や困難や恥の感覚を自己正当化して、良心と理性の働きが鈍らされます。

「説明する気はありません。ただ付いて来なさい」と、盲信も疑を挟まずただ従う信仰修行と意味付けしていますね。そして過去世の妻と言い寄り、関係すれば光が入ると言った鬼畜の性の儀式などは狂信の産物以外の何ものでもありません。こうした環境では、やがて犯罪的行為ですら儀式として擦り込みが行われてしまうのです。

最後に、前段で記載した「服従の心理」の中で著者が引用した英国の政治学者ハロルド・ジョセフ・ラスキの言葉を紹介します。

『権威の命令を考えなしに受け入れる人は、いまだ文明人と名乗ることはできない』


※こちらは2012年8月10日「『幸福の科学』撲滅対策本部★したらば営業所」の「資料集Part2」に投稿したものを加筆、修正して転載したものです。
プロフィール

土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)

Author:土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)
セクトの犠牲者である家族と個人を支えるネットワーク
「RSFI MAIKA」代表

日本脱カルト協会
「JSCPR」会員

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「幸福の科学」の問題を中心に、セクトについて考えていきます。

ご相談等の場合は、リンク先頭の「RSFI MAIKA公式ホームページ」のコンタクトよりご連絡ください。

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