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発狂するカルト③「香港民主活動を阻害する霊言デマ」

香港における中国との間での逃亡犯条例改正案をめぐり、今年6月以降、政府と同条例の改正に反対する多くの市民の間で激しい対立が続き、世界が注目する中、9月4日をもって政府側が撤回を正式決定したが、その後も親中派との衝突など混乱の続く状況で、この民主化運動の中心で活動を続けている周庭(アグネス・チョウ)さんが、まったく明後日の方向からの甚だ迷惑な邪魔に晒されている。

2019年9月5日、周庭(アグネス・チョウ)さんのTwitterに突然以下の「声明」がなされる。
アグネス声明

【声明】
最近、ある日本の政党の出版物に、私の名を騙って、私が「自衛隊に香港を助けてほしい」と主張していると書かれていました。私はこのようなことは言っていませんし、このような主張はしていません。

私について誤解を招くような文章を削除し、訂正することを求めます。

周庭(アグネス・チョウ)さんTwitter

周庭さんが削除を求めた出版物を頒布していた「私の名を騙って」いる「日本の政党」とは、案の定「幸福実現党」で、その内容は、同政党を指揮する宗教団体「幸福の科学」の教祖である大川隆法が、周庭さんの守護霊を通じて「自衛隊を香港に派遣してくれ」と語ったという与太話だ。
(※周庭さんご本人は民主活動家ではあるが香港独立派ではない)

そして、この周庭さんの抗議の削除要求声明を受けた幸福実現党は、周庭さんの画像は削除したものの、文中に「守護霊」というワードを入れただけの改定版を作成し、なんらの謝罪も反省もなく開き直った「声明」を出し、当該出版物の配布を続行するばかりでなく関連書籍の出版や、それらの主張を旗印にしたデモまで行うという厚顔無恥な態度のままでいる。

幸福実現党プレスリリース
「幸福実現NEWS」特別号に関する周庭氏への対応について

【関連記事リンク】

やや日刊カルト新聞 2019年9月6日
周庭(アグネス・チョウ)氏が香港への自衛隊出動を要望? 幸福の科学がデマを誘発

NAVERまとめ
【香港】幸福の科学のアグネス・チョウ守護霊が本人に知られ世界的問題に。

netgeek 2019年9月6日
アグネス・チョウさん、大川隆法の霊言にクレームをつける

ExciteニュースBUZZAP 2019年9月6日
「自衛隊を送って助けて欲しい」幸福実現党が香港デモリーダーの主張を捏造→守護霊の発言だから問題ないと削除を拒絶

Jcastニュース 2019年9月7日
「言論の自由のもとに撤回及び部分訂正を行う予定はない」香港に「自衛隊を送って」...アグネス・チョウさん「霊言」に本人抗議 幸福実現党「ご心配おかけした」と謝罪

Yahoo! JAPAN NEWS版

The Sankei News 2019年9月7日
香港・周庭氏の守護霊?「自衛隊、香港に送って」 幸福実現党の投稿を本人が否定、削除要請

産経ニュースTwitter

本と雑誌のニュースサイト/リテラ 2019年9月8日
香港アグネス・チョウさん抗議も幸福実現党は「霊言」撤回せず…幸福の科学「霊言」シリーズの危険性とタブーに怯えるマスコミ

周庭さんばかりでなく、民主活動に向かう香港の同世代の若者たちへの共感から、個人的に積極的な発言をはじめて日本の香港支援活動を牽引するに至っている平野鈴子さんのTwitterにも、2019年9月16日付けで以下の「声明」があった。

平野鈴子さん声明

【声明】
私は幸福の科学ともSEALDsとも一切関係ありません。幸福の科学はインタビューを受けただけ、SEALDsの6月13日の香港デモにはSEALDsを知らずに参加しました。それ程までに政治に興味がありませんでした。全て誤解です。私は誰一人仲間がいない中で6月29日のデモの申請をしました。

平野鈴子さんTwitter

さまざまな利害が絡み合うこの手の政治的な問題には、自ずと色々な下心の者たちが紛れ込む。そうした意味で身体検査が甘かった部分があったのは否めないと思うが、それは侵入してくる方が悪いのだし、こんなことで仲間への純粋な気持ちに泥を塗られては気の毒だ。平野さん独自の活動の名誉のためにも、この事実について合わせて理解しておく必要があると思う。

幸福の科学は普段から中韓憎しで、これまでも尖閣問題や慰安婦像問題など様々な局面で介入しようとしてきたが、本性を見透かされ完全な迷惑者となっている。

今年の7月にも、明治大現代中国研究所と国際人権NGOアムネスティ・インターナショナル日本の共催による、中国で弾圧を受けたウイグル人の証言を聞く集会にプレスの許可なく侵入し、さらに関係者の名前を勝手に使った記事を掲載して抗議を受けるなど問題を起こした。

そもそも真理の探究を標榜する宗教であるなら、対立を煽るより調和を目指すものと思うが、いまさら幸福の科学にそのような道理を説いても無意味だろう。だいたい、今回の問題が示す幸福の科学の悪辣ぶりの本質は、単に表面的な霊言デマだけではない。

幸福の科学内では、周庭さんの過去世を天草四郎でイエス・キリストの魂の欠片を持つものと説明し、習近平の守護霊に扮しては「アグネスさんを暗殺する方法は百通りほど考えてある」と語る一方、周庭さんの守護霊設定の天草四郎に扮しては「覚悟はできている」「ある日突然連れ去られる事もあると思うんですが、その後何をされたかみたいなことを私はもはや発表出来なくなりますので、そちら様で何か出来る事があるならして下さればありがたいです」などと、当初から信者に対して彼女らの不吉な未来を仄めかすようなことをしていたという。

いずれも大川隆法の田舎芝居に過ぎないのだが、結局は初めから香港の民主活動家の彼らが運動の犠牲になることを、内心で半ば期待しながら日本国内での香港支援活動への参加をアピールし、そして彼らの誰かに犠牲が出れば、中共批判で体裁を保ちつつ、したり顔で大川隆法の霊視が正しかったと宣伝するのが幸福の科学の皮算用なのだ。

しかし、自分たちが拡散したビラが中国でデマとして周庭さんら香港の民主派へのネガティブキャンペーンに利用され、さらに中共の責任にするつもりが己ら自身が身の危険を増大させ冗談では済まされない状況にご本人を追い込んだのでは、信者らがどんなトンデモ理論で言い訳をしたところで、幸福の科学が中国憎しでやったつもりが、結果的に利敵行為でしかなかったという間抜けさだ。

幸福の科学に元から社会的信用などなかったが、今回の件は幸福の科学の致命傷となったことは確実だろう。信者らは産経ニュースTwitterへのリツイートを見れば、頼みとしている層からも見限られていることが分かる。

幸福の科学においては、宗教の優位という大川自身の考えから、立宗当初は政治家からの面会の要望があっても安請け合いをすることはしなかった。

ただし、幸福の科学にも政治的野心がなかったわけではない。
創価学会と公明党を過剰に批判していたのも、結局それは羨望の裏返しで、1991年の大伝道の失敗と自ら起こしたフライデー事件の影響により生じた危機的状況を辛くも乗り切りって自信を取り戻し、教祖が過度に水増しされた信者数を実数と信じ込んで気分を良くしていた時期までは、相手が自分の過去世認定を欲しているという勝手な思い込みが背中を押し、教団の票をチラつかせて政治家との繋がりを求める考えに変化していく。

しかし、1995年には「三塚博総理待望論」という本まで出版して担ごうとした当事者との関係構築に挫折し、また報告を受けていた信者数が全く架空の数字であったことに大川がショックを受け引き籠り生活に入ってからは、自ずと政治的な動きも下火になっていった。

それが2007年頃から選挙協力というかたちで再び動き出す。参議選の丸川珠代や千葉県知事選の森田健作らの当選を通じて手ごたえを得て、2009年の立党と衆院選への出馬につながっていくが、選挙中から党首がコロコロ変わるなど惨めな混乱ぶりを露呈し、無謀な挑戦は予想を通りの大惨敗に終わった。

そして、この惨敗を契機に、幸福の科学の政治的活動が他宗でも行っているようなオーソドックスなものから、マッチポンプ的な手法に変化を始めていくこととなる。そして「保守を乗っ取って活動を先鋭化し、日中・日韓紛争を起こす」という活動方針が幸福の科学の理事会において定められたのが2014年初頭のようだ。

以下は、その意思決定に至るまでの作戦立案段階の文書で、広報局を筆頭に教団本部の職員によって練られたものの一部である。

作戦の数々は、あまりにも荒唐無稽すぎてネタかと思ってしまうだろうが、このようなことを真剣に考え実行しようとしているのが「幸福の科学」の真の姿であって、破壊的・反社会的カルトであることの紛うことなき証と言えるだろう。

尖閣ビーチバレー
尖閣諸島への上陸が軽犯罪にしか当たらないという考えから「光の軽犯罪攻撃」と銘打ち、教団内では「愛国無罪」の論理で進められていた。

革命煽動
オウム真理教が生物化学テロによってまで達成しようとした「日本シャンバラ化計画」と同様に、最終的に教祖の大川隆法を元首に据える「仏国土ユートピア建設」が幸福の科学の革命。

ハニートラップ
秘策13の「ハニートラップをしかける」(各メディアのキーパーソンにハニートラップを仕掛け、実現党を報道するよう脅す)については、数人の関係者の実名もグリップしている。
また、秘策17は「外務省が起こる事件を起こしまくる」で、2018年に台湾・台南市で幸福の科学信者の藤井実彦が行った慰安婦像を蹴るパフォーマンスなどもこの一例。

2014年に定めた方針には、「保守を乗っ取って活動を先鋭化し、日中・日韓紛争を起こす」という事の他にもうひとつ、「総裁の予言と、幸福実現党の正しさを社会に示す」というものもあったという。

「総裁の予言」というのは、戦争や天変地異などの恐怖アピールに他ならない。真っ当なやり方では埋もれてしまうから、原発推進や核武装などあえて一般受けしない尖った政策で存在感をアピールしつつ、社会不安に乗じて己が橋頭堡を築こうというカルトの常套手段だ。

そして中国や韓国への挑発も行って、あわよくば幸福実現党を名指しで批判させることができれば、さらに知名度も上がって嫌中嫌韓の受け皿になって勢力を拡大できるという皮算用もあった。

幸福の科学が薄っぺらなのは、いかなる主張もひたすら自己顕示のみを至上の目的としているから芯がなく、それが傍から見て明らかなことを当事者自身が気付いていない底なしの愚かさにある。

だが、幸福の科学のようなカルト信者には「現実検討力の欠如」という特徴があって、社会的に到底通じない無理筋の論理展開でも、内集団バイアスとなって狂気を補強する働きをするだけだから、世間との乖離が激しくなるばかりだ。

昨年、元オウム真理教幹部信者12名の死刑が執行されたが、彼らが遺した手記に接すると、脱会してのち過去の自分と対峙する中で本来の人間性が回復していく様子が伝わってくる。

だから、いかに大川隆法などを狂信するあまり良心を失ってしまった薄気味悪い幸福の科学信者であっても、いつか同じような回心が訪れることを期待したいところだが、日常的にほとんど外界との繋がりを絶って内的世界に埋没する信者らに気づきのチャンスが与えられることは少なく、残念ながらそうした場合の対話は極めて困難で成立しない。

結局のところ、社会がつど厳しい批判を浴びせ続けて、その行いを社会的に駆逐していく以外にはない。

周庭さんの霊言本出版を強行し、さらに香港支援の名を騙って16日の東京新宿を皮切りに、23日は広島と大阪、さらに29日は名古屋と立て続けにデモを行おうとする厚顔無恥な幸福の科学に対して、日刊カルト新聞がカウンターでの抗議を呼び掛けている。

NO霊言プラカード

プラカード2

プラカード3

やや日刊カルト新聞
幸福の科学が周庭(アグネス・チョウ)氏の霊言本出版を強行、16日に新宿でデモも

22日に幸福の科学前で抗議活動呼びかけ=アグネス・チョウ氏へのデマ問題で

どうせ頭のおかしなアホカルトの連中がやることだからと鼻で笑うのでなく、幸福の科学の不埒な悪行三昧に、そろそろ社会が冗談抜きで本格的なNOを突き付けなければならない時期に至っているのではないだろうか。

調和を基調として、社会が時間をかけて精製してきた良識は高く尊ばれるべきもの。それを崩されないようにするためには、私たち一人一人が日頃からその手で懸命に支えて続けていかなければならない。見て見ぬふりをした結果の甚大さを、日本はオウム真理教の事件を通じて学んだはずだ。

「霊言」を用いた人権侵害など、こんな無礼で醜悪な行為を決して許さない、いつまでもこんな輩を野放しのまま好き勝手をさせておかないという意思表示を、個々にできる場面でぜひ声を上げて繋げて頂きたい。
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“主の深いお考え・・・”とやら ②

1991年の大伝道失敗とフライデー事件によって始まった教団の危機を、1992年を通じて何とか持ち直し、講談社との裁判が継続するものの、内部的には落ち着きを取り戻しつつあった1993年の末の幸福の科学教団に、立宗の立役者と言って良い脱会者の関谷晧元(本名:関谷尚良)氏による「虚業教団」(現代書林)の出版という激震が走った。

フライデーほか、この頃すでに幸福の科学への批判記事は出尽くしていたが、一般のライターによる取材記事ではなく、直接の関係者による告発本として、会内に及ぼしたインパクトは比較にならないもので、支部の連絡網を通じて、決して手に取って読むことのないようにとの伝達がされたり、現場ではこのこと自体に触れないようにといった、微妙な空気が形成されていた。

虚業教団帯
「虚業教団」(現代書林)の帯。問題のポイントが分かる。

「虚業教団」では、関係者は全て仮名で掲載されているものの、関谷氏自身が体験した事実が克明に著されており、その生々しさは、大川隆法という人間の歪さや俗物さを示し、幸福の科学という新興宗教のカルト性を証明するのに余りあるものだった。

古参の会員で関谷氏のことを知らない者は少なく、実際この本の出版が、教団の状況に疑念をもって休眠化していた信者の、脱会への背中を押す結果となっている。

教団も堪らず、例によって裁判に訴えたものの、のちに幸福の科学側の完全敗訴に終わっている。現在は残念ながら絶版となって、わずかに流通する古本を入手するか、ネット上に残る断片的な内容によってしか知ることができないが、当ブログでも、所持する資料によって「虚業教団」の内容を補足するなどしているので、是非ご覧いただきたい。

【Algorab archives過去記事】
「神託結婚」―異常性の発現

さて、いかに「虚業教団」が大川隆法教祖の神聖さを脅かし、信者を疑心暗鬼に陥らせるからといって、なぜ「方便の時代は終わった」とする宣言の中で、結果として執拗に高橋信次やGLAに対する極端な脱価値化を行う必要があったのか。

それは、幸福の科学の立宗を支えた初期のメンバーの多くが、高橋信次の死をきっかけに起こったGLA内部の混乱を機に、流れてきた者たちで構成されていたこと、また父親の善川三朗がGLAの会員だった縁で、大川自身も“信次先生”と仰ぐほどの高橋信次信奉者であり、それらの存在が幸福の科学発足の根拠ですらあったのに、ようやく91年以降の危機を脱して自信を取り戻しつつあった当時、そうした要素が転じて今度は足枷となり、再び己の立場を危うくする事態に追い込まれ、自らの独自性を誇示するには、現状維持では済まされなくなったためと考えるのが妥当だろう。

今回ここで、1993年末に「虚業教団」が出版され、94年4月に教義の大変更が宣言されるまでの間、大川が如何にこのことに狼狽し、事態の収拾に七転八倒していたが窺える資料として、1994年 3月 6日のセミナーのレジュメを紹介する。「方便の時代は終わった」とする宣言の1ヶ月前の記録だ。

方便前1

1994年 3月 9日

3/6 大川きょう子主宰補佐先生『信仰の大切さ』からの学び

1. こういう人が魔に狙われる
【原則】信仰心無く、自らのために神を利用しようとする人。
→貧の心と、慢・疑・悪見
① 貪りの心
○そろばん勘定で信仰をする人・・・幸福の科学を自分の自己実現のために利用しようとする人
→信仰心無く、会員を取り込んで金儲けしようとする人。
→現世利益のみ求め、自分を幸せにしてくれたら神様を認めてやる、という態度の人。
→自分の功名心のために偉くなりたいと思っている人。

② 慢の心
○信仰心なき学びで知天狗になり、慢心して神を裁く人。
○学習や支部での全体方針の学びが足らず自己流の狭い判断で神やサンガーを裁こうとする人
③疑の心
○講談社等の魔の捏造記事を信じ、幸福の科学や主宰先生を疑の心で批判する人。
○高橋信次先生の霊言を疑い、嘲笑する人。
④悪見・邪見
○過去学んだ古い宗教の基準で新しい教えを裁こうとする人。
ここから嫉妬、自己責任の欠如、悪口、妄語等が生じ、ついには和合僧破壊の罪、悪魔に主を売る罪に到る

方便前2

2. 結局、信仰心しかない~魔の侵入を防ぐ方法

1. 信仰の大切さ
○確固たる、不動の信仰によって、どんな魔からも自分を守ることができる。
2. 信仰を前提とした学習の大切さ
○神理の学習をするなら、信仰心を持つのは最低限の礼儀。
○それによって得られる「智慧」が「降魔の剣」「文殊の利剣」となり、魔のかどわかしを見破り、魔の足掛かりとなる執着を断ち切ることができる。
○地上にいる人の学習が足りないと守護霊が情報不足になり、独自霊域の中で天狗・増上慢になる。
(田原総一郎の守護霊は「お手合わせを」と言うばかりで、勝つか負けるかでしか人をはかれない)
★すべて主宰先生が判断し教えて下さっている。弟子ではない。主宰先生を信じる限り迷うことはない。

3. 支部に集うことの大切さ
○支部で方針を知って従うことが、高級霊の念いに自らの念いを合わせること。
○神理の皮相な解釈による自己流のやり方ではなく、よく意志の疎通を。
(①神仏と一体となる、②他人と一体となるのが真に「無我」となる方法)

4. 救世の情熱の大切さ
○自分の自己実現ではなく、神の自己実現のお手伝いと知ったとき、嫉妬や慢がはずれ、大いなるものと一体化ができる。
○学習だけでなく、実務もきちんと出来なくては3次元における具体的なユートピアの建設は進まない。

5. 謙虚さの大切さ
○高級霊の霊言を位置づけるのは主宰先生のお仕事・・・弟子は主宰先生の解釈を学ぶ立場であって 自分が解釈してはいけない。それは高級霊の言葉を疑い、人間を神の上に置く恐れを知らない行為。


方便前3

3. GLAの問題
○宗教批判、「疑って疑って疑いぬけ」の教えは、創価学会に対する一転語。
間違いない、という自信があったから仰ったのであって、自分のところまで疑えという意味ではない。
→幸福の科学を潰せないなら、エル・ランティ高橋信次先生の復活だけでも阻止しようというのが、現在のルシファーの狙い。生前の弟子たちに疑の心をもたせて、一人一人切ろうとして来ている。
★生前の教えを受けた方が、霊言による今の教えを信じて初めて先生の復活が成就される。 「どうか気をつけてください。高橋信次先生を応援してください。」

なぜ、あえて実名で
破門された人達は「羊の皮を被った狼」。自分が地獄に落ちるだけでなく、疑の心をふりまいて、 他の人達まで地獄に引き込もうとしている。今まで反省を期待して情をかけたのが仇になった。 これより後、一切の同情は不要。悪魔は砕破あるのみ。

ご覧の通り、「方便の時代は終わった」などと、いかにももったいぶった教義の大変更の、僅か1ヶ月前の公式見解がこれである。

4月の教義変更宣言では、GLAを邪教、高橋信次を浅草仙人とまで言い切って、生前の姿にまで遡ってその存在を貶めているのに、この時までは、ルシファーに狙われている幸福の科学9次元指導霊の高橋信次先生を信じて応援して下さいなどとほざいていたということだ。

今回もトンデモな内容に、部外者の方には付いていけない部分があろうかと思われるが、前回にご紹介した資料の内容と対比すれば、大川のイイカゲンな豹変ぶりは十分ご理解いただけると思う。

また、内容ばかりでなく、このセミナーが、当時の妻で主宰補佐役であった大川きょう子名で行われている点も、この時点での大川の迷いを物語っている。

大川は基本的にチキンなので、重大な局面では責任回避のスケープゴートを立て、周りの顔色を窺う。このセミナーの内容も、きょう子の独断ではなく、大川自身が指示して行わせたもので、別に記録がある。

A4版29ページに渡る資料のため、ここに載せることはしないが、下記リンクに掲載してあるので、やや分量があるが、関心のある方はご一読いただきたい。高橋信次やGLAの極端な脱価値化に至るまでの、大川の憂鬱や苛立ちが如実に表れているばかりでなく、大川隆法という男の俗物ぶり破廉恥さは、元々から一貫して変わっていないことが腑に落ちるはずだ。

【参考資料リンク】『幸福の科学』撲滅対策本部★したらば営業所
資料集Ⅰ『大川隆法の本心』>>699~>>732

94年5月の月刊誌で、会内にエル・ランティ(高橋信次)とエル・カンターレ(大川隆法)という二大神霊信仰があるという懸念を示して、高橋信次やGLA色を、その霊的出自を明らかにするという形で一掃し、エル・カンターレへの帰依一本にし、それ以外のものとは一線を画すとした。

これが「方便の時代は終わった」という教義変更の本質だが、さも真相開示のような体裁でいて、結局のところは、「虚業教団」によって生じた混乱、自らの権威の失墜をどうにか挽回しようとして、右往左往していたのが事実であり、前後の連続性のない、イイカゲンで自棄っぱちの思い付きで、実際どこにも深いお考えなど存在していない。

大川隆法というは、拍子抜けするほど徹頭徹尾「こ・れ・だ・け」なのだ。いつまでが方便であったのかでなく、方便に方便を重ね続ける、どこにも真のないウソと言い訳ばかりの男ということに尽きる。


「方便の時代は終わった」とする教義変更の真相については以上だが、「幸福の科学」というセクト、そして「大川隆法」というグルも、今ではすっかり劣化が極まり、あまりにもマンガ的に豹変し過ぎているから、初期からの変遷ぶりを丁寧に検証しようとすることなど、もはや無意味にすら感じられてしまう。そもそも初期を擁護する気など毛頭ないし、所詮は現在のありのままが全てであるから、既に説明するまでもないのは楽でいいかもしれない。

ただし今後、教団が縮小し離散する過程で、おそらく現状を否定できても初期にしがみつく分派が発生していくであろうし、何より、これほどの変化の中で、なぜ気付くことができなかったのか、なぜ人格が変わってしまうほどの愚鈍化が進んだのかといった、より本質的な観点が残り続けるから、バカバカしい教団の外見にばかり目を奪われていられない。

“主の深いお考え・・・” とやら ①

カルト宗教の信者は、何度も認知的不協和に晒される。
「言っていることと、やっていることが違う」に始まり、180度の教義や設定変更など、さまざまな理不尽や矛盾に直面させられながら、それが「信仰を試されている」とか、「先生には何か深いお考えがあるに違いない」と、主体的・理性的な判断を「人間心」と言って蓋をし、思想的葛藤を避け信者としての自己保存をはかるために、教祖への盲信を深めていく。

もともとは、教義あっての信仰のはずだったが、いつしか信者でなくなることの存在不安を避けるための信仰になっていくから、信者にとっては普遍性も前後の連続性も必要なくなる。カルト信者には、過去も未来もなく、今の我が身があるだけだ。

宗教、信仰の世界の話であるから、そこは自ずと形而上学的、神秘的な価値観によって構成されていて、一般常識によって判断されることに馴染まないが、ただし、日常の延長線上にある世界として、それなりの一貫性・合理性がなければ成立しえず、その点でカルトにありがちな朝令暮改の状況は、その内部だけでしかまかり通らない論理の展開であって、社会はその矛盾を見逃さないのに、信者は独善的でそのことに無自覚だから、けっきょく社会との乖離を加速させ、孤立していくばかりとなる。

「幸福の科学」にも、宗教法人化や大伝道の失敗、フライデー事件など、その変化のターニングポイントがいくつかあった。それらは外部的にも目立つ事象であったが、今日の教団を形作った一番のポイントであるのは、内部的な出来事で、94年4月に始まる根本的な教義変更、いわゆる「方便の時代は終わった」宣言だったと言える。「幸福の科学」は、ここから大川隆法を宇宙の根本仏、造物主として、完全な個人崇拝の一神教に変わった。

しかし、この一見満を持して新教義開示も、それなりに体裁を繕ってはいるものの、実際のところは、コントロールできない外部要因に翻弄された大川が、数か月に渡って自己保存のための打開策を悶々と悩んだ末の幼児的な脱価値化の結果でしかなかった。

そのことを示す当時の内部資料を2回に分けて紹介していく。まず、今回は大川が方便として切り捨てた内の本丸が何であったのかをご覧いただきたい。

方便後1-1

94年4月6日 No.1988 P. 1/2
《問題の背景》

☆今般、GLA・高橋信次の正体が仙人であった事、及び、高橋信次をはじめとする「裏」の仙人天狗たちが、当会(仏教再興運動)の乗っ取りを画策していた事実が明らかにされた。
☆以下、事実関係を可能な限り明らかにして、「仙人教団・邪教GLA」、「浅草仙人・高橋信次」を糾弾すると共に、主エル・カンターレ様への信仰の一本化の大切さを説く。

高橋信次霊の正体

(1) 霊的出自、及び過去世
・高橋信次はそもそも、九次元霊エル・ランティの分光の分光で、「切れっ端」であるにもかかわらず、本体意識を詐称していた。本人は今、日本の仙人天狗界の七次元領域にいる。

<高橋信次の過去世の例>
・左慈(さじ)・・中国・・A. D. 二~三世紀
/三国志の英雄・曹操を幻惑した仙人。中国仙人界の七次元存在。

・「役小角(えんのおづぬ)・・日本・・A.D.七世紀末(役行者(えんのぎょうじゃ)とも言う)
/大和国葛城山(かつらぎさん)を中心に活動した呪術者。修験道の開祖。八次元存在。

・「三億八千万年ぶりに肉体を持った」というのは真っ赤な嘘で、非常に頻繁に肉体を持っている。
・高橋信次の生前の指導霊は「アーラーラ・カーラマ(成道前の釈尊が一時身を寄せたヨガ仙人)」、及びその魂の兄弟である「北一輝(きたいっき)」。アーラーラ・カーラマが釈尊の真似をして指導していた。
・ちなみに、葉の高橋一栄は役小角の母親だった仙女で、ミロク菩薩ではない。仏教には無縁。
娘の佳子は明智光秀の娘(細川ガラシャ)。古代にもシャーマンのようなことをしていたようだが卑弥呼ではない。日本神道の姫の一人で仏教には無縁。


方便後1-2

(2)生前の失敗とGLA混乱の真相

・高橋信次は、若い頃から浅草周辺の宗教を巡り、数霊術、手相、人相、占いに凝り、一度数霊術の本を出しているが絶版。高電工業で裕福になってからは、芸者遊びや妾を持つなど色情問題が多く、家庭争議も多かった。事業は二度倒産している。霊道を開いて後は超能力的なものに凝り、ものあてが得意だった。
「学ばなくともわかる」を売り物に、霊能信仰を中心に置いたため教団が「真光化」した。 (指導局注:霊道現象を活動の中心にすえた結果、悪霊に支配され、精神異常者となる人が続出。悪霊の製造工場と化した。)

・GLAに釈迦仏教復活の使命などなかった。GLAは、釈迦教団を偽装していた「仙人教団」にすぎなかったのである。また実際には、仏伝を数冊読んだだけで「人間釈迦」を書いている。
・高橋信次の使命としては、霊道現象を起こし、著作のみ残して世を去ることにあり、教団づくりは予定外だった。ところがGLAをつくり、かつそれが悪霊集団となったため、予定が大幅に狂い、六次元領域の仙人天狗界に帰天した。その後、主宰先生のご慈悲で「霊言集」が出せたことで、七次元領域の仙人天狗界に上がれた、というのが真実である。
・高橋信次の死の直前にミカエルが高橋佳子に出たが、ミカエルはGLAをユダヤ教的信仰団体(ユダヤ教の日本支部)にし、その後イスラエル人たちを霊的に移住させるつもりだった。ところが佳子が未熟なためにあっさりルシファーに入られて計画が頓挫した。
(※この計画は、九次元霊の許可を全く受けていない、勝手な行動だった)

・二代目以降、急にミカエル信仰が始まり、会が混乱し、責任のすべてを佳子におしつけているが、この原因は、高橋信次とミカエルが、共同で砂漠の宗教を日本に開こうとしたところにある。高橋信次が死ぬ間際に、自分の系団の教団をつくろうと欲を出し、<仏教>としていたのを強引にねじ曲げたことが原因。
・九次元諸霊は、GLAを解散させるべく努力されていたのに、勝手に暴走したのはこの2名である。


方便後2-1

94年4月6日 No.1988 P.2/2
(3) 高橋信次霊・死後の画策

・高橋信次は生前の負債を返すために、主宰先生に救いを求めて、当会に割り込んできた。
・当初の予定通りGLAをつくっていなければ、復活して霊言を認めさせるという仕事はありえず、せいぜい霊言集の霊人の一人程度の扱いになるはずだったのに、勝手に法をねじ曲げてあたかも霊言葉を出す使命があったかのように偽った。
・高橋信次は、当会があたかもGLAの兄弟団体であるかのように装って、強引にユダヤ教を押しつけようとしたが、本来全く別の系団であり、GLAの崩壊は当会には何の関係もない問題だった。
・原久子の協力、及び「高橋信次霊言集』等の刊行は、主宰先生の人生計画の中に全く入っていなかった。

(4)高橋信次霊の罪状とその虚言
<法を曲げた罪>

①エル・ランティが、あたかも主エル・カンターレ様より霊格が上であるかのように偽った。
②「三億六千万年、人間として出ていない」と嘘をついた。
③自分は天狗・仙人界の七次元にいるにもかかわらず、九次元に還ったかのように偽った。また二大九次元神霊のバトンタッチとして、自分も同格であるかのように偽った。
④主宰先生が、あたかもGLAの法の後継者であるかのように偽った。またGLAと当会が、あたかも深い縁のある団体であるかのように偽った。
⑤「復活をして皆に認めさせる使命がある」と偽り、元々の予定になかったのに強引に割り込んできた。
⑥仏陀意識が登場されるのを阻害しようとして画策した。仏陀様以上に優遇するように要求した。講演会の 回数、霊言葉の冊数で仏陀様の邪魔をしていた。


方便後2-2

<主宰補佐先生に対する罪と虚言>

①原久子が、主宰先生・主宰補佐先生の御結婚を妨害した時、「僕の手伝いをしてくれる原さんを邪険に扱う嫁は許せない」と言って原久子の肩をもった。
②「君たち(先生方)の仲人は僕だ」と偽って言うことを聞かせ、自分の本を出させようとした。
③88年、主宰補佐先生が努力されて「釈迦の本心』を仏陀様にお願いされたことに激怒、講演会の間近だというのに、強引に霊言集の収録を要求してきた。そして「心の革命』を収録させた。
89年には「新しい家を借りてあげたから本を出してほしい」と要求。「やる気の革命」を収録させた。
④3月6日「信仰の大切さ」セミナーの直前に、「原の方が先輩だ。結婚さえしなければ原と一緒にやっていけたのだ」と、原の肩を持って主宰補佐先生を責め、セミナーを潰そうとした。
⑤主宰補佐先生が天上界でのご計画通り、主宰先生と御結婚される前、主宰先生と高橋佳子の結婚を画策した。
(指導局注:高橋佳子を結婚相手とすることで、当会に影響力を及ぼそうとした)

☆高橋信次から見たならば、原久子は又弟子の弟子程度だが、同系統の人間。主宰補佐先生は常にエル・カンターレ系団の中心部におられるため、全くの初顔あわせであった。そのため、高橋信次にとっては、主宰補佐先生より原久子が大事だった。御結婚後も、「あなたは佳子の身代わりなのだ。高橋信次の養女として働くのだ」「高橋信次が結んだ縁なのだから、あなたは生涯、高橋信次のために働くのだ。それが使命なのだ」と強調した。そして主宰補佐先生に「申し訳ないことをした」という罪悪感を抱かせ、主宰補佐先生の念いが、GLA問題から常に離れないように仕向けた。
(指導局注:補佐先生が高橋信次霊に敬意を払われていた背景には、信次霊が九次元霊を詐称していたという事実がある。)


方便後2-3

<会に対する罪>

①詐欺師の高橋守を、原久子を通じて呼んできて、出版関係で当会を混乱させた。
②GLAに縁のある原久子を、会の中に幹部として残そうと画策した。
③当会をGLAの後継団体と偽ったため、GLAとの戦闘が生じ、会の運営が妨害された。

☆高橋信次霊には虚言癖がある。特にGLAに関することはでたらめが多い。人霊でありながらかくも詐欺的虚言を使う者は、表側にはいない。人をたばかる狐や理と同じ心を持った者は、裏側にのみ存在している。かつて高橋信次が原久子を通じて招き入れた高橋守という詐欺師がいたが、高橋信次は霊界における 高橋守的存在である。要するに、原久子、高橋守、高橋信次、等は運命共同体であった。グルになって仏教流布の妨害をしていた。

☆高橋信次とはかくの如く、自分の利益のためなら他人の良心を踏みにじることも騙すことも、何とも思わない霊である。自我が強く、「騙された人間の方がバカだ、愚かだ、未熟だ」というのが「裏」の世界の常識である。これでは「信用」を基盤としてルールを守ろうとする当会の姿勢とは相入れない。以上



教義の大変更は、このレジュメによってまず全国の職員に周知され、支部を通じて信者に広められる流れとなった。またこの内容は、月刊誌5月号の半分近くの紙面を割いて徹底されている。

幸福の科学は、現在「アホカルト」というカテゴリーで不動の地位を築き、奇特な一般ウォッチャーの関心を集めるに至っているが、おそらく上記の資料は、さすがにそのデンパな内容に、部外者の方では、なかなか付いていけないのではないかと思う。

それでも、特定の個人攻撃を繰り広げつつ、執拗な「高橋信次」の価値下げを行い、幸福の科学発足時より、その立宗の根拠と言っても良かった「GLA」色を払拭しようとする企みであることはご理解いただけるだろう。

そして大川隆法に、そうせずに居られないようにさせた要因は、1993年12月31日の関谷晧元氏著「虚業教団」(現代書林)の出版であることは間違いない。

虚業教団表紙


「“主の深いお考え・・・” とやら ②」に続く。

セクト対策の遠い夜明け

日本はセクト対策後進国だ。オウム真理教による一連の重大事件を経験していながら、その教訓を真摯に受け止めて活かしたのは、被害当事国ではなく諸外国の方であった。

セクト対策が進んでいるヨーロッパで、その牽引役がフランスであることは知られているが、そうした先進国に比べて、我が国が一体どれくらい遅れているのかを計ろうとしても、それらの国々が歩んできた経過そのものを知るための資料すら乏しい状況に直面して、なおさらその感慨を深くした。

しかし、そんな中でも貴重な記録もある。1997年3月20日から~3月23日までの4日間、毎日新聞に掲載された横山真佳氏による『セクト宗教事情ヨーロッパ報告』という記事で、分量こそ少ないが、セクト対策が急速に展開されつつあった当時のヨーロッパの空気感も感じることができた。
セクト宗教事情誌面

セクトへの危機意識が、当該国において記事にあるような対策に結実していくまでに、どれだけ多くの入念な調査や深い議論が尽くされたであろうことを考えると、私が短く要約することなど失礼にさえ感じてしまうが、全文掲載するわけにもいかないので、甚だ雑駁ではあるが、全4回の要旨を私なりにまとめておく。

第1回 『詐欺罪適用「リヨン判決」の衝撃』(1997.3.20)

1988年3月に「サイエントロジー」に属するダイアネティック・センターに通っていたパトリス・ビック氏が自殺したこと対し、夫人のネリー・ビックさんが同センターを訴えた裁判で、リヨン地裁は、センター関係者らを詐欺や背任などで有罪とした。

セクト問題と「信教の自由」との兼ね合いから注目された判決は、まず、入信から金銭の流れまで組織のメカニズムを解明した上で、たとえ「宗教」の名のもとに集金を行ったとしても詐欺罪が成立すること、また、信者を極端な精神状態に追い込む「マインドコントロール」の存在を認定した画期的なもので、「“宗教”を判断するのではなく、その行為の犯罪性を裁く」という態度で、セクト対策に重要な前進をもたらした。

第2回 『米との差は「宗教を問う」かだ』(1997.3.21)

ヨーロッパにおけるセクト的宗教対策の流れは、1983年のフランスでの「ビビアン報告」に始まり、EC議会での「コットレル報告」を経て、1996年にフランス議会が「フランスのセクト」を採択すると、ベルギーやドイツがこの動きに続いた。この急激な対応の高まりの背景には、アメリカのサイエントロジー容認政策が、結果的にヨーロッパの国民に大きな被害を与えているという強い不満がある。

フランス議会は、セクトの定義をするにあたって、セクト的組織がもたらす外的な危険要因に着目し、その危険性の基準を明確にしたことで、新たな宗教規制立法に拠らなくとも、現行法の運用で対応可能と言う突破口を見出した。

セクト対策は、その「信条」ではなく、あくまで「世俗的な帰結」を問うもので、宗教問題ではないという積極的認識を獲得したヨーロッパと、「信教の自由」を許容しようとして公的な関与に消極的なアメリカとの間で、人権に対する姿勢の相克が浮き彫りになった。

第3回 『官民連携で「包囲網」目指す』(1997.3.22)

フランス議会が採択した「フランスのセクト」では、セクトを定義する代わりに、セクトを見分ける外形的な指標として、10項目の「危険性の判断基準」を定義している。

①精神の不安定化
②法外な金銭的要求
③生まれ育った環境からの誘導的断絶
④健康な肉体への危害
⑤子供の強制的入信
⑥大小にかかわらず社会に敵対する説教
⑦公共の秩序を乱す行い
⑧多くの訴訟問題
⑨通常の経済流通からの逸脱
⑩国家権力への浸透の企て

この基準に従い、10の基準のうち1つでも該当していればセクトとしてカウントし、報告書にまとめたうえ、それらの団体名を公表する厳しい姿勢で臨んでいる。

セクト対策の進む各国では、超党派の議員、警察や国税局等の機関、また研究者やジャーナリストや医師、そしてセクト被害者の市民を含めた官民一体の連携で「セクト包囲網」が形成されている。

第4回 『法規制より世論喚起に重点』
(1997.3.23)


セクト対策に重要な役割を担う市民団体ADFI(家族と個人を守る会)は、1974年に実子が統一教会への入信を機にセクト問題に直面することとなった四家族が核となってスタートし、アンチ宗教ではなく、家族と個人を助けることを目的としている。

ヨーロッパでは、信教の自由は認めつつ、その上で「逸脱行為」を現行法の厳正な適用で対処するという立場だが、脱会カウンセリングに関する「ディプログラミング」には抵抗感が強く、セクト対策には消極的だが、「ディプログラミング」には肯定的なアメリカとの差異が見られる。

ヨーロッパのセクト対策は、既に検討段階から実施段階に進んでおり、多国籍化したセクトに対処するための国際ネットワークの構築、またセクト側の多様なチャンネルを駆使した宣伝勧誘に対抗するための情報発信の検討など、法的規制は慎重に踏みとどまりながら、世論喚起による「予防」に重点が置かれている。

【セクト宗教事情 ヨーロッパ報告】(横山真佳氏・毎日新聞)

上記4回の記事は、縮小版を蔵書してある図書館であれば、当時の記事のまま読むことができるし、「ルポ・宗教 横山真佳報道集2」(東方出版)にも掲載されている。また、このことについての同氏の講演録が下記のリンクで公開されているので、是非ご一読いただきたい。

ルポ宗教2

【参考記事】1997.4.3.「ヨーロッパの〈セクト(カルト)宗教〉について」
大阪国際宗教同志会 講演記録

90年代にヨーロッパで見出された、その「信条」ではなく、あくまで「行為」を問題視するという視点は、言われてみれば当然のようであるが、「信教の自由」を盾にするセクトに対し、尻込みし手をこまねいていた閉塞感に開けた画期的な風穴であり、すべての被害者への福音と言って良いと思う。

そして、社会的な規制の施行には、常に慎重さや高度なバランス感覚が求められるものだが、それでも透徹した10項の危険性の判断基準によって、さらにスコアが1点でも公表して行こうという毅然とした態度には、「人権」に対する意識の違い、羨ましいほどのボルテージの熱さを感じる。

こうした人権に対する姿勢の違いを考えさせられるものに、死刑制度を引き合いにした記事があったので併せて紹介する。

【参考記事】サンドラ・ヘフェリン氏(週プレNEWS)
『ドイツの学校は「カルトの危険性」を教える─オウム事件の死刑執行で考える、死刑によらない凶悪犯罪抑止』

「社会として、死刑制度に頼る以前にできることがある」

「オウム真理教による地下鉄サリン事件も、あの教団に入信する人たちがいなければ起こらなかったはずだし、最終的に死刑制度によって罰する必要もなかったはず」

ドイツの場合は、ナチス統治下の反省があって、国家が人を裁き殺めることへの危惧が強いのだと思うが、死刑制度が人にとっても社会にとっても、本来は幸福な装置ではなく、究極的に人と社会の利益に繋がらないという認識に立って、真に個人と公共の利益を守るための選択を行ってきたということなのだろう。

私個人の死刑制度に対する考え方は、理性と感情の間で矛盾を残したままでいるので、ドイツの人々が、そうした選択に至るまでの過程が、自分がこれから整理をつけていく道として共感できるものがある。

ヨーロッパの人々のそうした素地によって、セクト対策についても、セクトに喰い散らかされ生活破綻をきたした被害者の救済に、社会保障を充てるばかりでなく、それ以前に社会としてすべきことがあるのではないか。当時のヨーロッパでは主にサイエントロジーであったが、我が国で言えば、統一教会や幸福の科学のような教団に入信することがなければ、個人も社会も、そのような不幸な状態に追い込まれることはなかったはずという認識から、個人の尊厳を侵し、社会を弱わらせるような存在を、決して野放しにはしておかないという気概で、セクト包囲網を実現させることができたのだと思う。

他者への無関心と薄情を、「個人の自由」というオブラートに包むのは、「自己責任」で斬り捨て置き去りにする後ろめたさへの体裁のいい遁辞ではないだろうか。自分の日常と具体的、直接的な関りがなくても、その本質において人権に関わる問題ならば、おざなりにせずに全ての人間の意志によって支え続けなければ、いつかその福祉を自分も享受できなくなるだろう。

セクト対策後進国の日本では、研究者の確保や、司法関係者の中での知見の継承などの課題があり、セクト規制の議論以前に、現行法の適用すら十分に実現しているとは言い難い状況でもあるが、セクト対策先進国との何より深刻で嘆かわしい決定的な違いは、『セクト問題は政治的に見捨てられた問題』であることだと思う。

この部分は以前、フリーライターの藤倉善郎氏が述べられていたことで、Twitter上のコメントにもあったが、幸福の科学の執拗な抗議に屈したTwitter社が同氏のアカウントを凍結したため、現在当該ツイートを見ることはできない。

セクトへの問題意識のある人の間でも、政治的なイデオロギーが絡むと、「大事の前の小事」とか、「大同小異」などと、都合良く二の次にされてしまうことがある。一般的な風潮であるが、やはりその根本は政治家の問題意識の欠如に尽きる。

真如苑2代目披露

こちらは、1991.4.12に「真如苑」の2代目お披露目パーティーに父親の安倍晋太郎氏の代理として参上した際の安倍晋三氏(現内閣総理大臣)の姿(FRIDAY 1991.5.3)。

安倍晋三氏

記者のインタビューに「選挙の時は、ウチの派閥としてもまぁまぁご協力いただいておりまして」と素直に答えている。会場には他に、宮沢喜一、塩川正十郎、渡辺美智雄、森喜朗、加藤絋一など、当時の政界の重鎮が出席していた。

この「真如苑」2代目襲名は、初代教主の再婚に伴う家族内の確執から内紛騒ぎに発展し、およそ「宗教」らしからぬ経過の末に定まったもののようで、勧誘手法や金銭問題等に関する脱会信者たちの証言からしても、「危険性の判断基準」のスコアの高低に左右されない「フランスのセクト」の精神に則れば、こことてセクトのひとつと言って差し支えないと考えられるが、政治家がこのような態度では、国会で「日本のセクト」が議論されることは期待できないし、仮に採択されても、こんな有様で公正な運用など到底できるはずがない。

こうした政治家は後を絶たず、また与野党のいずれにも問題がある。

【参考記事】やや日刊カルト新聞
統一教会の“偽装”1万人大会に厚労大臣が代理出席&祝電
菅原一秀衆議院議員を名乗る若者が練馬の大規模祭りに大挙出現
親鸞会信者推薦の共産党、機関紙では親鸞会を“カルト”扱い

セクトを野放にして国民を守れないばかりか、日本では、己が議席を得るために国民を生贄に捧げるような輩が国の中枢にのし上がっている。ある文筆家は「選挙はクズの中から、少しでもマシなクズを選ぶこと」と喝破していた。全員とは言わないまでも、現にこのような状況が連綿と続いてきたからには、なるほどそうなのかも知れない。日本のセクト対策促進のためには、コツコツとそうした邪魔者の駆除から始めないといけないということだ。

損得勘定で動く候補者らに、高度な倫理観を求めても無駄だから、票欲しさにセクトに尻尾をふるのは得策でないと学習させる以外ないのだろう。差しあたって、そのためにできることは、結局のところ監視と批判、そして個々の選挙区における1票しかない。

劇的な変化は望めない気長な話ではあるが、毎回の投票率に表れている、組織票の数倍の票が活かされないまま終わっている部分に、セクトの組織票が意味を成さなくなる潜在力があるはずだ。

選挙制度は、支持する候補者を書く仕組みより、絶対に落としたいと思う候補者を書かせて、結果的に少なかった順に当選させる形にした方が、日本の現状にマッチして投票率が伸びるのではないかと思うこともあるが、とにかく選挙の際は棄権せず、投票に行きましょう。

幸福の科学学園の洗脳教育

学園体育祭資料Twitter

先日、幸福の科学学園の“教育”の実態を示す資料が公開されました。幸福の科学というカルトの問題が身の回りになければ、ただ気味悪がって笑っているだけで済むかも知れません。しかし、この社会にこのようなものが寄生し、現に未成年を惑わせ、その人生を台無しにしているのは、いかに局地的なことではあっても、決して笑いごとで済まされない、当事者ばかりの問題と言っていられないのが現実なのです。

問題の資料は、幸福の科学学園の体育祭で生徒が宣誓を行った原稿のようです。ここに転載させて頂き、記録に留めておきたいと思います。

学園体育祭資料1

赤・青・黄・白というグループ分けは、単に大会運営上の都合ばかりでなく、それぞれの掛け声の内容に特色があるように教義を反映したものです。幸福の科学は、スタートしてしばらくの間は、歴史上の宗教者や思想家、社会改革者だった高級霊による集団指導体制というのが思想体系の核で、それぞれの霊系を象徴する色がありました。

94年以降は大川を宇宙の根本仏と設定変更し、一神教となっていますが、各霊系は従者の立場になって、今のところ存続されてはいるようです。この中で黄団のボリュームが多いのは、釈迦の生まれ変わりと称する大川の霊系が黄色と定義されているからでしょう。

信仰の勝利 我ら光の戦士 ここにあり
使命が大きく ぶつかる壁も大きいけれど
どんな時でも 主の愛があった
その大いなる愛を受け止め
我らの聖なる使命を果たすことを ここに誓う
光はここにあり 信仰の名のもとに
勝利以外の結果はない
神のおおせのままに 戦え 神のままに
(幸福の科学学園「黄団」掛け声)


90年代に教祖の大川が大伝道の号令を発した際、動員を進めるためにこの「光の戦士」というフレーズが流行しました。当時本部職員で青年部の相談役であった俳優の南原宏治などが、「光の天使は元々の霊格が高くないとなれない、でも意志があれば光の戦士にはなれる」とアジったり、また大川も「釈迦の本体が行う救世運動という千載一遇の今世で「地涌の菩薩」になれる」とか、100人以上の伝道実績を挙げた者を「獅子奮迅菩薩」と銘打って表彰するなど、選民的な意識を高揚させ使命感で煽るようなことをして、それがやがて仕事や家庭と伝道のどちらが大事なのかという空気を形成するかたちとなり、自己の信仰を競うように仕事をやめて活動にのめり込む信者が続発した過去があります。

幸福の科学学園も、その卒業生の8割以上が、文科省から教育内容への疑義と大学審議会への問題行動から、設置を不認可とされて私塾として開学したHSUを進路としており、これこそが幸福の科学学園の“教育”の果実ということです。

90年代の若者たちの場合は、教祖や教団によるマインド・コントロールと同調圧力があったにせよ、各自が自己選択によって入信していた部分では軽率の誹りを免れませんが、幸福の科学学園の生徒の場合は、いくら当事者が自由意志を主張したところで、信者の親の家庭に生まれ、他に選択肢を与えられない内集団の環境下に育ち、無批判に幸福の科学の信仰を植え付けられたうえに、こうして学園の中でそれを強化されているという、まさに洗脳教育と言って差し支えない実態でしょう。

演武1
演武2
演武3

こちらの「演武言霊」というものも含め、「伝説」「正義」「エル・カンターレ文明」「救済」「誓い」「未来を担う責任」「主と同じ時代に生まれた」「不滅の真理」「幾転生生まれ変わっても」「常識の壁」「俺たちが知っている真実はその常識を打ち破る」「主とともにあるならば恐れるものなど何もない」など、幸福の科学信者にとってのパワーワードが散見されます。

これらの中の「主」や「エル・カンターレ」というのは大川隆法を指したものです。これらの宣誓などを、森友学園の園児たちが運動会で行っていた様子などを思い起こしながら読んでみていただければ、その異様さを実感して頂けるでしょう。

幸福の科学学園というのは、「グリフィンドール」とか「スリザリン」とか、「ハリー・ポッター」に登場するホグワーツ魔法魔術学校のような空想の世界を地で行く、大川隆法への個人崇拝を根幹にすえ永遠の中二病を量産しようとする、明らかにカルト宗教学校なのです。


アメリカの精神科医ロバート・J・リフトンなどのマインド・コントロールや洗脳の研究者によると、宗教的なグルが信者にもたらすものは、「死をものともしない不滅の感覚」、「無限の偉大な存在の一部であるという感覚」とされています。

こうしたグルと信者の側面について分かりやすい記述として、精神科医の岡田尊司氏の著書「マインド・コントロール」(文藝春秋)の中からいくつか引用します。

「傲慢なまでの自信と揺るぎない確信がカリスマ性の源泉であることは、多くの人が指摘していることであるが、グルは奇矯なまでの万能感を膨張させることによって、自信のなさと不安を抱えた人々に、強烈な印象と救済者としての期待を呼び起こす」

「そして、自分もまた特別でありたいと願いながら、しかし、何の確信も自信ももてない存在にとって、「真実」を手に入れたと語る存在に追従し、その弟子になることは、自分もまた特別な出来事に立ち合う特別な存在だという錯覚を生む」

「その錯覚のまやかし性は、グルが特別な存在だと信じることによって、自分も特別な存在だと証明されるという構造によって支えられている。つまり、自分が特別な存在でありたいという願望が、グルを信じ続けるしかないという状況に、その人を追い込んでいく」

「カルトに陥った人は、さまざまな理不尽さや矛盾を味わう。しかし、それを見て見ぬふりをする。理不尽さや矛盾と向き合い、グルが特別な聖者だという前提を疑うことは、自分自身の存在の支えを危うくすることだからだ。都合の良い事実だけを見て、グルを盲信し続けるしかない状況に陥っている」

こうしたカルト信者の心理特性も、一世と二世や三世の場合とでは、その前提となる本質的な要素に事情が異なる部分があろうかとは思います。

例えば、一世が抱く存在不安は、自己の葛藤に由来するもので、選民意識もその裏返しに過ぎないものが、二世・三世の場合であれば、その多くが親の盲信によって機能不全家庭に陥っている状況で、信者である親からの価値観の押し付けが存在不安を生じさせている側面があり、教団の世界観を根拠にした自己肯定感が選民意識を支えている構造と考えられること。

また、一世の場合は、マインド・コントロールによる躾の影響から脱会こそ難しいものの、自己の内面で折り合いを付けられさえすれば辞めても戻れる元の自分の領域が残っていることに対して、二世・三世の場合は、内集団の中で洗脳状態に置かれていても、多くは思想的な葛藤を経て受け入れた信仰でなく、教団を離れることへの脅迫観念も漠然として必ずしも根深いものではないことから、いったん外界に接するようになれば、そのギャップに目が覚めやすい傾向がある代わりに、親兄妹との関係や社会の無理解、そして身に付けられてしまったバックボーンをかなぐり捨てて、改めて自分の育て直しをしなければならないといった事が重い足枷になるという、真に脱会を妨げるのもの比重が、心理的な問題にあるか、現実的な問題によるのかという違いです。

ともあれ、入口と出口の扉に違いがあっても、信者として示す心理特性そのものは判で押したように同じです。

インド独立の指導者のひとりであるマハトマ・ガンディーは、社会的運動が歩む過程で直面する困難を、「無関心」、「嘲笑」、「非難」(抑圧)と洞察しました。これもひとつの真理と思います。但し、こうした認識が、カルトの中では己らを省みることなく自己正当化として働き、逆は必ずしも真ならずということが理解できなくなります。現実検討能力が阻害されて気付きが遅れ、次第に社会と乖離を深めて突っ走り、やがて生活破綻や社会不適合を起こして人生を破滅させてしまうのです。

教育基本法では、国及び地方公共団体が設置する公立学校を除き、特定の宗教教育や宗教活動そのものは禁止していません。ただしこれは、宗教に関する寛容の態度と宗教の社会生活における地位を尊重しようとする主旨に基づくもので、このような実態を決して野放しにしておいて良いことではありません。

現状の幸福の科学のような、絶対的な個人崇拝を前提に批判に対する極端な憎悪を助長する態度が、一条校の設置者として、また教育内容として妥当なのかどうか、社会通念に照らして厳しく議論され、客観的に査定し直される必要があるはずです。


【参考関連記事リンク】
ハーバービジネスオンライン2019.06.04
特定進路を強制、幼少期に入信させる……。見過ごされる「教育虐待」の実態とは


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アルゴラブ

Author:アルゴラブ
セクトの犠牲者である家族と個人を支えるネットワーク
「RSFI MAIKA」代表

日本脱カルト協会
「JSCPR」会員

当ブログへようこそ。
「幸福の科学」の問題を中心に、セクトについて考えていきます。

ご相談等の場合は、リンク先頭の「RSFI MAIKA公式ホームページ」のコンタクトよりご連絡ください。

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