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署名活動への御礼とこの先のカルト対策へ向けて

2022年10月17日よりWeb署名サイト「Change.org」にて始まった「統一教会(世界平和統一家庭連合)」の解散を求めるキャンペーンは、12月8日までに20万4847筆を集め、翌9日に教団の解散命令を裁判所に請求するよう求める永岡桂子文科相宛ての申入書と共に文化庁担当者に提出されました。
署名達成1

私も「MAIKA」を代表し当キャンペーンの呼びかけ人の末席に加えて頂きましたが、20万人を超える成果は望外の喜びであり、有志の一筆一筆に衷心より感謝を申し上げます。

私が幸福の科学を脱会してかれこれ30年、それ以前からも既に統一教会はじめ様々なカルト問題は存在し、問題が生じる度に一時的にはメディアで報道されるものの、しばらくすると波が引くように世間の人々の言の葉に上らなくなる状況を繰り返し見てきて、カルト問題について警鐘を鳴らし続けることの困難さと、その妨げとなっているものの本質が「無関心」であることを痛感してきました。

当時と異なり、現在はSNSが発達したことで当事者が直接に情報発信を行うことができ、メディアがそれを後追いするという変化も、この成果の一因ではあったと思いますが、何より今回このキャンペーンを通じて得た手ごたえは、カルト問題を「他人事」ではなく「我が事」として受け止めて考えて下さる人々が確実に増えたと実感できたことです。

20万人という数は日本の総人口からすれば僅かだとしても、これが今後この日本においてカルト包囲網を形成していくための強固な『核』となる人々の集合だとすれば、この事実には何倍もの意義があると思います。

Change.org Japan(チェンジ・ドット・オーグ)

署名は一応の達成をみましたが、解散請求の是非は年越しされる見込みで、また先の国会でまとまった統一教会の被害者救済法案も、長年に渡ってカルト被害の救済に従事してきた弁護団曰く「ないよりはマシ」程度の評価に過ぎず、実効性に甚だ疑義の残る状況であることを考えると、統一教会のみならずカルト問題はまだ全く解決の入り口に立っていません。

カルト問題について、政治的に30年以上ほったらかしにしてきたばかりでなく、そのカルトと蜜月の関係を促進してきた張本人と、カルト性を指摘されている団体を支持母体としているような現政権では、根本的な解決へ向けた動きのボトルネックになるであろうことは想定内のことでした。

ゆえに戦いは始まったばかりであり、いったん灯った火花を絶やさず二度と時計の針を戻すことのないように、被害当事者や信者ご家族等で予てからこの問題に関わる方々は、ご自身が燃え尽きてしまわないように注意しながら、ここから先も静かに気力を維持し続けていく覚悟が必要でありましょうし、何より先ずメディアにはカルト問題に関する報道で絶対に委縮しないことを求めたいと思います。

署名達成2.

また、社会的な課題として考えたとき、宗教2世の人権というカルト問題の側面に直面するまでカルト対策の必要性への議論が停滞したままでいたのは、過去に何度もカルト問題が表面化しても、そのたび軽薄な自己責任論と信教の自由という盾を前に思考停止して、人権感覚が成熟しなかったのがひとつの原因ではないかと考えています。

カルトの問題は宗教の問題ではなく人権の問題です。

カルト問題には、高額献金や公の福祉を害する言動等による個人の人生の破綻、延いては家族の破壊などの側面がありますが、そうした様々な外形的弊害をもたらすカルト信仰を機序とした被害を煎じ詰めていくと、その害悪の最たるものは、教理を介した心理操作による人格の愚鈍化であると思います。

自己選択権を阻害されてきた2世は勿論のこと、自ら入信した1世であろうと、日常に引き返せなくなるほどに主体性を揺るがされて存在不安に追い込まれ、理性的な判断ができなくなるまで愚鈍化されるということもまた、人の尊厳を歪める深刻な人権侵害なのだという一定の社会的コンセンサスが形成されるようになるには、日常の人権教育の中で、あるいはそれに絡めた部分で、例えば学校教育の現場で予防的なカルト問題の学習を取り入れるなど、様々な機会を通じて人権感覚を底上げしていく必要性を感じます。

カルトによる被害拡大を撲滅し救済を急ぎたいのは皆同様ですが、カルト問題に対する色々なアクションの中にも、およそ人権感覚を土台にしているとは思えない場面も散見され危うさを感じる時もあります。

安直で乱暴な行動はやがて必ず歪みます。だからこそ出発点を間違えずに、忍耐強く堅実なプロセスを愚直に守って、カルト問題の「予防・抑止・取締・救済」といった諸課題に対し優先順位をつけながら、それぞれの対策をより実効性のあるものへと、少しずつでも議論を深めて着実にブラッシュアップしていくべきではないかと思っています。

今日よりもマシな未来を招くには、明日への責任を担った一人一人が、遅々とした歩みでも良い種を地道に蒔いていくほかにないからです。


【関連記事】
「統一教会の解散を求める署名にご支援を」

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統一教会の解散を求める署名にご支援を

Web署名サイト「Change.org」にて、10月17日より統一教会(世界平和統一家庭連合)の解散を求めるキャンペーンが開始されました。
統一教会の解散を求めます.jpg
※ご署名はこちらから↓
統一教会の宗教法人解散を求めます@Change.org

【キャンペーン公式Twitterアカウント】
統一教会の宗教法人解散を求めます

多くの呼びかけ人・賛同者を集めてスタートした署名は、わずか数日で16万人を越える勢いとなっており、11月中の署名提出に向けて現在も各所で賛同・拡散の呼びかけが続いています。

統一教会の問題に対しては、連日の報道に加えて、全国霊感商法対策弁護士連絡会による統一教会(現・世界平和統一家庭連合)に対する宗教法人解散(法人格取消)命令請求の「公開申入書」や、今回の署名に先行して行われた高橋みゆきさんによる、宗教虐待防止のための法律整備・体制整備を求めるキャンペーンなどがあって、特に、10月7日に日本外国特派員協会で行われた小川さゆりさんの記者会見でのカルト宗教のリアルが与えたインパクトは大きかったことでしょう。


MBS NEWS
小川さゆりさん記者会見@日本外国特派員協会(2022年10月7日)

こうした流れの中で形成された社会的な認識の高まりが、今回の取り組みに引き継がれています。

このキャンペーンを前に、呼びかけ人の一人で共同通信社のインタビューに答えたジャーナリストの藤倉善郎さんは、反社会的な集団が生み出す人権の問題は、社会にとっての問題であり、当事者・支援者任せにしていてはいけないとして、「当事者だけを最前線に立たせるのではなく、社会全体が被害者の人権を守るために動いてほしい」と訴えました。

このキャンペーンが目指す統一教会の宗教法人解散とは、宗教法人法第81条第1項に定める解散命令のことで、法令違反や公共の福祉への侵害を理由とした宗教法人認可の取消を求めるものです。

その理由はいたって単純明快であり、「徹底検証 日本の右傾化」の著者・編者で宗教社会学者の塚田穂高さんは、「統一教会のやってきたことが、「公益法人」たる宗教法人にふさわしいといえるのか。日本社会における「宗教」のあり方が問われています」として、署名拡散を呼びかけています。

日本では、これまで世論の中でカルト宗教批判が高まると、教団側は決まって名誉棄損だの宗教弾圧だの信教の自由の侵害だのと声高に叫び、また、薄っぺらな人権感覚しか持ち合わせず「宗教」の名に思考停止しただけの知ったかぶり“文化人”なども呼応して、カルト対策への気運を削ぐ企みが繰り返されてきた結果、他国では既に駆逐に成功しているような団体でさえ大手を振って活動できるような、恥ずべきカルト天国になりさらばえてしまいました。

現状でもお約束通りそうした芽は見て取れますが、宗教法人に対する正当な批判は、平成8年12月20日の東京地裁判決の通り、「宗教法人及びその主宰者等は、法による手厚い制度的保護の下に、人の魂の救済を図るという至上かつ崇高な活動に従事しているのであり、このような特別な立場にある団体ないしその責任者は、常に社会一般からその全存在について厳しい批判の対象とされるのは自明のことというべきであろう」とされ、団体側が当然に甘受すべきものです。

そして、批判に値する法令違反や、著しい公共の福祉への侵害行為が判明した際に解散命令が請求されることも、それは「専ら宗教法人の世俗的側面を対象とし、かつ、専ら世俗的目的によるものであって、宗教団体や信者の精神的・宗教的側面に容かいする意図によるものではないから、制度の目的は合理的で憲法20条1項の信教の自由を侵害するものではない」と、平成8年1月30日の最高裁で判事されている通りです。

問われているのは“宗教”ではなくて“カルトの行為”です。宗教運動による“外形的な行為の弊害(世俗的な帰結)”を問うというスタンスは、フランスのセクト規制と同じもので、日本ではそのあと議論が停滞して著しく後れをとったものの、今日では先達に倣って帰納的に検討することによってカルトの定義も可能なのです。これが定義できないとするのは、それは政治家が自らの怠慢や無能さを示しているに過ぎません。

いいかげんこうした周回遅れの議論にこれ以上の時間を割く意味はありません。そもそも人の生存権を脅かすまでカルト宗教を放置して被害を拡大させている現状が異常なのであり、もうこんな状況は終わらせる時です。

フランスのセクト対策は国の法規制と民間団体による被害者救済という官民一体のセクト包囲網によって成立しており、その活動の中心「UNADFI」(全国協会連合「セクトの犠牲者である家族と個人を守る会」は公的支援も受けて活動しています。欧州のセクト対策はサイエントロジー問題を契機としていますが、ADFIは、セクトから家族を取り戻そうとして出会った統一教会の被害者家族が核となって始まった歴史があります。

数多のカルト宗教が乱立する中で、いま日本でも再び統一教会の問題がクローズアップされていることを考えると、奇妙な因縁とともに同団体がいかに悪質な反社会的カルト宗教であるのかが分かります。

戦後に反共のもとで統一教会との関係を深めてきた自由民主党、とりわけ安倍家三代に渡る繋がりという、ひたすら政治的・党派的な打算によって、カルトによる家庭崩壊も二世問題も黙殺され対策が遅れてきた側面があることは、もはや否定しようがない事実です。

安倍晋三氏も、統一教会との関係は政治生命に関わると外部から忠告を受けていたにもかかわらず、傲慢に取り合わずにいたせいで、結果的に肉体生命までも失ってしまう理不尽な事態を招くことになってしまい、政治も大きく信頼を失墜しました。そんな状況にも拘らず、未だに歯切れの悪い議員が少なくないことには呆れるばかりです。

仮にもし、事ここに至ってもなおカルト問題を放置するのならば、野放しにしてきた不作為の過去も含めて、その時は単にカルト宗教による人権侵害と言うばかりでなく、官製の人権侵害、或いは自由民主党による人権侵害と見做さざるをえなくなるでしょう。

政治家の皆さんには、国民の政治への信頼を取り戻すべく、襟を正して取り組んで頂きたいと願います。そして私たちもまた、カルトと政治の両方を厳しく監視しながら協力を惜しまず、この灯を絶やさないように支えていく必要があります。

呼びかけ人の一人として、私は今回のキャンペーンを単に一宗一派へのアクションではなく、これから始まる官民一体となったカルト包囲網を形成するための第一歩だと考えています。

そうした歴史的な転換点に、ぜひ一緒にお立ち合いください。
署名提出に向けて、どうか一人でも多くの方のご支援を心よりお願い申し上げます。


【関連図書ほか】
鈴木エイトさん
「自民党の統一教会汚染 追跡3000日」

菊池真理子さん
「「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~」

冠木結心さん
「カルトの花嫁: 宗教二世 洗脳から抜け出すまでの20年」

井田雫さんまとめ
「統一教会解散署名/呼びかけ人・賛同者のコメント」

郷路征記さん
統一協会の何が問題か:人を隷属させる伝道手法の実態

山口広さん他
統一教会との闘い―35年、そしてこれから

佐野眞一氏が迫った「幸福の科学」大川隆法の実像

9月26日、ノンフィクション作家の佐野眞一さんの訃報が流れました。享年75歳でした。大宅賞の受賞実績もある一方で、後年には橋下徹に関する記事の責任をとって第一線から退くかたちとなり、そのままひっそりと去ってしまわれた印象で残念に思っています。

そんな佐野さんですが、幸福の科学の大川隆法について書いた記事があります。記事は全9ページにわたるボリュームで「月刊Asahi」1991年4月号に掲載されました。

月刊Asahi

当時はというと、1990年12月8日に読売新聞朝刊の一面広告で大川が初めて顔出ししたのをきっかけに、少しづつマスコミにその名が広まりつつあったものの、幸福の科学はオウム真理教の奇行の影に隠れながら静かに拡張を続ける新興宗教のひとつという程度の扱いにすぎず、それが良くも悪くも注目を集めるようになるには、7月の東京ドームの御生誕祭や9月の講談社フライデー事件を待たねばなりませんでした。

しかし、そうしたカルトの胎動が衆目に触れる以前に、既に幸福の科学の諸問題の核心に迫るレポートがなされていたわけです。丁寧に取材され充実した内容で、以降の様々な記事も佐野さんのルポを参考に肉付けしたものであろうと想像できます。

昨今の大川隆法や幸福の科学の乱痴気ぶりからすれば、最早その俗物性やカルト性の理解の妨げになるものはないと思いますが、ただしカルト問題として考察する時には、いかにも分かりやすい異常さにだけ着目するのではなく、そのカルトの萌芽から変遷を理解するように努めなければ、決して問題の本質に辿り着けないだろうと考えています。

また、数年前のことになりますが、大川がある本部職員に命じて、徳島の郷土史を買いあさらせているといった情報提供を受けたことがあります。大川の長男である宏洋の離反によって最終的にお蔵入りとなってしまった映画「さらば青春、されど青春。」、そこでの自分史改竄の企画を控えていた大川が、その障害になり得るような事実を消し去ろうとする目論見と考えられ、自己の神格化のために出自について掘り返されることを恐れている様子が窺えました。

そうした観点からも、この記事は大川隆法や幸福の科学というカルトを理解しようとするとき、その前提となる必須の基本情報を豊富に含んだ大変重要な記録だと考えています。全文掲載は控えますが、その一部分をここに抜粋してご紹介し、生前の佐野さんのお仕事を偲びたいと思います。

佐野眞一さん記事

佐野眞一氏
「幸福の科学主宰 大川隆法 挫折だらけの生いたち」


大川隆法こと中川隆は、昭和31年(1956年)7月7日、父・中川忠義(幸福の科学内部での通称は善川三朗)母・君子の次男として、徳島県麻植郡川島町大字桑村に生まれた。

徳島からJRで40分ほどいった川島駅前の敷地20坪足らず、モルタル2階建ての小さな生家はいま空き家となっており、両親は現在、徳島市八万千鳥の敷地約120坪という、かなり大きな会員宅を無料提供されて住んでいる。

中川隆のこれまでの軌跡をたどるには、その父の中川忠義について触れなければなるまい。

中川忠義は大正10年(1921年)11月、父・源佐エ門、母・テルノの次男として麻植郡樋山地(現・鴨島町)に生まれた。地元の古老によれば、父の源佐エ門は小作のかたわら大工仕事もしていたが、その生活は村でも最底辺であったという。

その父も死に、昭和のはじめ、中川一家は川島町に新天地を求めたものの、生活は いっかな好転せず、昭和9年(1934年)、母と幼い子供ら4人は、東京の書店で働く異腹の兄を頼って上京することを余儀なくされた。麻布台のボロ家に身を寄せた一家は思い思いの働きで、貧しい家計を支えた。

忠義によれば、この東京生活の間、矢内原忠雄門下の無教会派で学んだ後、乃木坂にあった「生長の家」の門をたたき、谷口雅春から じきじきの教えを受けるなど、いくつかの宗教遍歴をつんだという。

戦後、故郷に戻った忠義は麻植郡美郷村の中枝小学校の代用教員をつとめた。だが多感な性格から教職を投げだし、戦後の一時期は共産党運動に走った。

当時、一緒に運動にかかわった仲間によれば、忠義は只芳の偽名で、県委員会機関紙「徳島新報」の編集兼発行人をつとめていたという。

「只芳という名前から、ロハさんと呼ばれていた。入党はしていなかったが、機関紙の編集兼発行人だったから、みんなからは「アカ」と思われていた」

日本共産党中央委員会の理論政治誌『前衛』1984年11月号は「わが地方の日本共産党史(V)」として、徳島県を特集している。そこにも古い活動家として中川只芳の名前が紹介されている。

共産党を離れてからの忠義は、当時めずらしかったマロングラッセの製造販売を手がけたり、毛糸の編み針の製造会社を興すなどしたが、いずれもうまくいかず、さらには結核に倒れ、1年間の療養生活を送らねばならなかった。

その間の生活は、理容学校出身の母・君子が、家の階下を床屋にして支えた。

忠義にようやく経済的安定の道がひらけるのは、かつて日共の運動仲間だった県畜産課職員を頼って、昭和39年(1964年)4月、社団法人・徳島県畜産会に就職してからのことである。

この間、忠義はたまたま徳島を訪れた生長の家系統の新興宗教、GLAを主宰していた高橋信次の講演を聞き、深い宗教的感銘も受けている。

多感な性格から政治的活動や宗教的遍歴を重ね、常に経済的不安につきまとわれてきたその忠義は、毎晩のように子供に向かって宗教に関する話をし、その一方で、強烈な一流志向と上昇志向を植えつけた。

「どんな田舎の学校であっても、どんな小さな学校であっても、一番だけは違うよ。どんな狭い地域社会においても、一番だけは値打ちがあるかもしれないよ」

片田舎での英才教育。中川一家の近所での評判があまり芳しくないのは、ある意味で仕方のないことなのかもしれない。

「人柄は悪くはないんだが、忠義さんは ちょっと人を見くだしたところがある。君子さんは君子さんで、あんまり息子自慢をするものだから、誰もあの床屋には行かなくなってしまった」

四歳年上の兄・力の存在も、隆の向学心に拍車をかけた。

県下の進学校、城南高校から京大文学部哲学科にストレートで入学した力は、生まれたときから頭脳明晰で、弟の隆としては「兄に負けまい」との圧迫感が常につきまとい、小学校時代から夜中の12時まで勉学に励まなければならなかった。

川島小学校を一番で卒業した隆は川島中学に進み、ここでも一番を通した。担任教師によれば、隆は生徒会長もつとめ、卒業色紙には「人生は短き夏にして、人は花なり」などと、中学生とも思えぬませた詩を書き、卒業写真の撮影では、担任教師を手招きで呼び寄せ、二人して真ん中におさまるなどのソツない芸当を平然とやってのける生徒だったという。

しかし、十で神童、十五で才子、二十歳すぎればタダの人という俚言を地でいくように、県下から俊英の集まる城南高校に入学してからの隆は、なにひとつ目立たない存在となってしまった。高校時代のクラスメイト、剣道部時代の仲間など十数人に たずねても、はっきりとした記憶さえよみがえってこない。

返ってくるのは、「そんなヤツおったかなという程度。エッ、東大に入ったんですか。勉強も全然できるほうじゃなかったのになあ・・・・」という そっけない答えや、「覚えているのは、通学列車のなかでも参考書を一心不乱にのぞきこんでいたことくらいかな。みんなとも遊ばなかったし、小太りで運動神経もニブく、女生徒にはまったくモテなかった」という証言だけだった。仏陀の生まれ変わりとして女性会員から熱烈にあがめたてまつられる現在の大川とは、まるっきり別人のような人物像ばかりなのである。

高校時代の担任教師によれば、隆の進路指導の父兄面接には必ず父親が現れ、一貫して東大進学を希望していたという。

だが、東大受験にはあえなく失敗。隆は京大生の兄を頼って、京都の駿台予備校に入った。

一浪後の昭和51年(1976年)、東大文Iに入学した隆は、学者をめざして猛勉に励んだ。やはり城南高校から東大文Iに進んだある同期生は、「学者になるには最低三か国語をマスターしなければいけない。ぼくはリンガフォンを買って勉強しているんだ」という隆のキャンパスでの言葉を妙に生々しく覚えている。だが、法学部政治コースに進み、篠原一教授のゼミに入ったものの成績は上がらず、東大に助手として残るとの夢は砕かれた。

全国から集まった秀才たちのなかで劣等感の虜となり、やがて対人恐怖症にも陥った。都会育ちの女性に恋をして、山のようなラブレターを送ったあげく、失恋に終わったことも、なおいっそう失意をつのらせた。

それでもなお、父親の息子に寄せる期待の大きさは変わらなかった。下宿先の大家によれば、父親は、洋服から靴までをあつらえて送り、隆に衣服を買うことを許さなかった。

昭和55年(1980年)、隆は国家公務員試験と司法試験を受けたが、いずれも失敗。翌年、東大を留年して再チャレンジしたものの、やはり不合格に終わった。

エリートコースへの道をことごとく閉ざされた隆は、結局、昭和56年(1981年)、総合商社・トーメンに就職する道を選びとる。同年の東大法学部卒業生によれば、東大生にとってトーメンは三流商社でしかなく、もし望んで就職したとすれば、きわめて異例のことという。

大川に最初の「霊感」が現れたのは、そのトーメンに入社する直前の昭和56年(1981年)3月のことだったとされている。そのときのことを、大川は自著『平凡からの出発』のなかで、こう語っている。

「・・・・・内から何とも言えない暖かい感じが込みあげてきて、何かを何者かが自分に伝えようとしている感覚に打たれたのです。・・・・・この時に私の直観どおり、私の手が他人のように動きはじめました。そしてカードのなかに「イイシラセ イイシラセ」とカタカナでいくつかのことを書いていったのです」

父親の忠義によれば、隆から「霊感」が下ったとの連絡があったとき、兄の力ともども、頭がおかしくなったのではないかと語り合ったという。

「すぐに東京にかけつけて、宿舎の市町村会館で「霊能」実験をやってみた。隆が高級霊を呼びだすとたちどころに現れる。はじめは半信半疑だったが、天才的な大霊能者になったことを確信した」

だが、トーメン時代、そうした「神がかり」的な姿を目撃した者は ほとんどいない。かつての同僚たちの間に、「本を読むのがモーレツに速かった。赤ペンで線を引いていくという読み方で、一日に四冊読むこともあるといっていたし、給料の半分は本代でとぶ、ともいっていた」

「仕事熱心で、三菱商事を必ず抜く、というのが口ぐせだった」という声はあっても、宗教的片鱗を見たという証言はなかった。ただ、やはり東大からトーメンに入社した大川の後輩は、上司からこんな話を聞いたことはあるという。

「あるとき大川さんが、同僚に向かって「おまえの背中には狐が憑いている!」といってお祓いを始めたことがあるそうで、それ以来、彼のことを誰も相手にしなくなったとのことでした」

もう一つ気になる証言がある。GLAの元会員によれば、昭和55か56年ごろ、大川はある女性につれられて、その元会員がひらいていた心霊療法の治療にやってきたことがあるという。

「一目みて心身症だとわかりました。苦虫を千匹も かみつぶしたような顔をして、なんでも税理士の試験を2回、すべったということでした」

大川とその女性はヨガ道場で知り合ったとのことで、その後、その女性からは大川が文学賞をめざして小説を書いているとの手紙も もらった。

宗教家・大川が初めて世間に姿を現すのは、昭和60年(1985年)8月。『日蓮聖人の霊言』という処女作を掲げてのデビューだった。ただしこの当時、大川はまだトーメンに在職しており、その著書も本人ではなく、善川三朗の名で出版された。

それから約1年後の昭和61年(1986年)7月、大川はトーメンを退職。本格的に宗教活動にのめりこんでいくことになる。

宗教家・大川の最大の特徴が、霊界の住人をたちどころに呼びだせる「霊示」能力にあることはすでに述べた。だが、その能力については、当初より大きな疑念がもたれていた。

昭和60年(1985年)春、広島県福山市に住む心霊研究家の近藤一雄のところに一通の手紙が舞いこんだ。差出人は善川三朗で、私の息子にはたいへんな霊能力がある、ついてはその問答を録音したテープを送るので聞いてほしいとの内容だった。送られてきた2本の120分テープを聞いて、近藤は まるで話にならないと思った。だが そのことには直接ふれず、善川には、「息子さんは まだお若い。もう少し修行なさってからでも遅くないでしょう」という旨だけを記した手紙を出した。

それから数カ月後、そのテープをもとにした『日蓮聖人の霊言』が出版されたことを知った近藤は驚くと同時に、善川の突然の手紙の真意が初めてわかったような気がした。心霊関係の出版社に顔のきく近藤に口をきいてもらいたかったのではないかと感じたのである。

それにしても、昭和56年(1981年)に「霊示」を受けたとされる大川は、なぜ四年間以上もそれを雌伏させなければならなかったのだろう。霊能力にまだ確信をもってなかったからだろうか。いや、というよりは大川にこの時点から、「霊能力者」としてデビューしなければならない事情があったのではなかろうか。

『日蓮聖人の霊言』につづいて空海、キリスト、ソクラテスなどの霊言が立てつづけに出版されたが、これらはいずれも善川三朗の著となっており、大川と兄の力(筆名・富山誠)は、その著作を補佐する役割に回っている。ところが昭和61年7月、すなわち大川がトーメン退社を決意した時点で出版された坂本龍馬の霊言以降、「富山誠」の名前は ひっこめられ、さらにその五カ月後に出版された高橋信次の霊言から大川ひとりの著作となるのである。

この間に何があったのか。京大卒業後、郷里の徳島に戻った兄の力は、徳島駅前で「太陽学園」という進学塾を開いたものの、思うように生徒が集まらず不振をかこっていた。父の忠義は昭和59年(1984年)、二十年間つとめた徳島県畜産会を退職しており、当時は「太陽学園」の事務長という身分だった。君子が経営する床屋のほうは開店休業の状態で、中川一家の家計は、もっぱら この進学塾によって支えられるほかはなかった。

そこへ病魔が襲った。一家の大黒柱ともいうべき力が、若年性高血圧による脳溢血で突然、授業中に倒れたのだ。幸い一命はとりとめたものの、「太陽学園」は閉鎖され、力の入院費用も重なって、中川一家は新たな生計の道を探らなければならなくなった。

「霊能力者」大川のデビューは、まさにこの時点から始まるのである。

「月刊Asahi」1991年4月号より抜粋

最後に、今まで誰にも話したことはありませんでしたが、私のこの佐野さんの記事との出会いについて残しておきたいと思います。

私が佐野さんの記事に触れたのは、91年の9月下旬、当時練馬区関町にあった教祖邸宅に隣接した秘書詰め所で、秘書部の同僚であった須呂崇司さん(故人)が仕事の一環として収集していた黒いファイルに綴られていたコピーを通じてのことです。

記事が掲載された4月頃の私はまだ一般会員で、幸福の科学の運営に若干の疑問を抱きながらも、ある意味でそれを打ち消すかのように地区の青年部長とチーム長を兼務しながら昼夜を分かたず活動にのめり込んでいた時期でしたので、外部の情報に意識を割く余裕などない状況でした。

そして、そうした日頃の活動や、また幸か不幸か講師登用試験に通ったものの待機扱いになるといった珍事が誰かの目にとまり、推薦を受けて8月には発足したての秘書部警護課の職員になってしまっていました。

そして、秘書部警護課に入って1ヶ月目のことです。大川隆法が講談社フライデー事件を起こしました。このとき漠然と抱きながら自ら蓋をしようとしていた煩悶の答えを手に入れると同時に、自らの決定的な失敗を自覚しました。

「やはり言ってる事と、やってる事がまるで違う。その元凶は誰でもない大川自身だった。ここから先は聖域だからと、今までメスを入れることを躊躇っていた領域こそが実は魔界だった。自分は選択を誤った」と。

そんな時期に、私はこの記事に出会いました。大げさに聞こえるかも知れませんが、思慮に欠けていたことで人生に大きく躓き、道を見失って糸の切れた凧のようになりかけていた青二才に、佐野さんの記事が生きなおすヒントを与えてくれたと感じています。

そもそも「真理の探究」を目的として入会したのだから、一度しくじったくらいで挫けずに、それが過ちと分かったからこそ尚更に、後に迷いを残さぬよう間違いをトコトン突き詰めてやろうという考え方になれたことで、自分を腐らせずに済みました。

いかにしてこの状況から穏便に抜けるかを思案しつつ、それまでの間は、せいぜいカルトの内部を徹底的に見聞してやろうと、予期せず徳島の善川顧問付き秘書役の打診があった際も、まったく正気の沙汰ではないと思いますが、このカルトの根源たる大川家全員に直接会える千載一遇のチャンスと臆せずいられたのも、まさしく佐野さんの記事が自身の眼を開かせ、燻っていたヘソ曲がり根性に再点火して頂いたお陰であり、結果的にそれなくして今の私はありえませんでした。

佐野眞一さん

この記事を評するとき、私自身にはそれくらいのボルテージがあります。
敬意を込めて、ノンフィクションライター佐野眞一さんのご冥福を祈ります。
本当にお世話になりありがとうございました。

「神様」のいる家で育ちました 宗教2世な私たち 刊行決定

カルト宗教「幸福の科学」による不当な圧力に屈した集英社が、十分な説明も果たさぬまま突然公開を終了させてしまってから約半年、このたび公開終了に追い込まれていたエピソードに新たに未発表作と描き下ろしの45ページが加えられるなど、アップグレードされたかたちで文藝春秋社から刊行されることとなりました。

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菊池真理子さんtwitter

【関連記事】ねとらぼ(2022.8.17)
「集英社で打ち切られた宗教2世漫画、文藝春秋から出版へ「宗教団体からの抗議で消えかけた作品」無事出版へ

【作者について】
「家という密室でまかり通る「おかしなルール」14歳で母が自死した菊池さんの場合」
東京経済オンライン2018.10.7

「家族の絆を美化する「毒親ポルノ」の怖いワナ「まだ親を許せないの?」は言葉の暴力だ」
東京経済オンライン2018.10.14


集英社と異なり文藝春秋社では万全のサポート体制で臨んでいるとのこと。カルトのみならず様々な反社と向き合ってきた練度の違いが頼もしい限りです。

集英社にも最後まで作者と作品を守ろうとした編集者たちがいたことを知っています。今回のことで集英社の社会的信用を失墜させた責任は、あくまでもそうした現場の意志を尊重することなく、カルトと安易な手打ちを行って事態の収拾を図ろうとした、メディアとしてのセンスも矜持もない集英社の管理部門の者たちにあります。

また、2022年7月8日に発生した安倍晋三元首相の銃撃事件で、逮捕された山上徹也容疑者が統一教会(世界平和統一家庭連合)の熱烈な信者である母親をもち、その異常な信仰によってもたらされた家庭崩壊の実情に長年苦しんでいたいたことが犯行の動機にあることが明るみになったことで、予期せぬかたちで宗教二世の問題にスポットが当たるという半年前とは全く異なる社会環境下であるが故に、作品の刊行に事件が後押しになったとみる向きもあるようですが、一連の経過を悉に見てきた者からすれば、集英社との間で掲載再開についての交渉が破談に終わってから、そう時間を置かずに文藝春秋社との間にご縁が生じていたであろうことに疑問の余地はありません。事件発生の前から堅実に準備されてきていたものが、たまたまこのタイミングで結実したものであることを作者ご自身も別に述べておられます。

文藝春秋「本の話」(2022.8.17)
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文藝春秋BOOKS

以前に掲載されていた頃のタイトルのイラストは、主人公が過去を背にして扉から新しい世界に踏み出そうとする姿で、けれどもどこか孤独感も漂っている印象でした。でも、書籍化された今回は主人公と真正面に出会う描写になって、作品中にも似た構図があったように記憶していますが、表紙のものは対象との距離を縮めてより身近にし、見る者の側の心に強く前向きな理解を呼び覚まさせる感じがします。

カルト被害者は殆どが心身共にボロボロの状態で教団から離れます。けれども、一世の場合は自分を取り戻す過程で、二世の場合は自分で自分の育て直しという大変な難題に挑む過程で、それぞれ忘れたい過去と向き合わねばなりません。それは極めて過酷な作業であるだけに、カルト被害者が自分自身について言語化するのは、実は想像以上に困難なことだったりします。

このノンフィクション作品の価値は、そうした激しい葛藤の末にご自身を客観化する作業をやり遂げた方や、いまだ深い葛藤の最中にありながらも身を削るような思いで発した静かな叫びを、ご自身も二世問題の当事者という素地をもった作者が受け止めて表現したところにあると思います。

宗教二世といっても当然のことながら千差万別で、当事者の数だけ様々な境遇があります。表紙の絵のように、それぞれのライフヒストリーを携えて一歩を踏み出し始めた宗教二世たちに対して、私達はまず傾聴し、それぞれの場面でそっと手を差し伸べられる社会でありたい。

作者の菊池さん風に表現すれば「寄ってたかって助ける」社会。カルト問題の中の宗教二世対策の根本は、これに尽きるでしょう。

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【相談を求める宗教二世の方は】
「宗教二世ホットライン」

【参考記事】
「集英社が“宗教2世”の体験談マンガ連載を全削除 きっかけは幸福の科学2世の体験談」
日刊カルト新聞

「NHKの特集連発で揺れる「カルト2世問題」の行方 団体側の構造を無視し「親子問題」に矮小化してはならない」
藤倉善郎氏

「カルトの“お気持ち”に屈せず言論表現を守れ」

「コミック連載『「神様」のいる家で育ちました』のご紹介」

カルトの“お気持ち”に屈せず言論表現を守れ

『「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~』第5話を、幸福の科学の圧力に屈した集英社が公開終了にした問題について、集英社は当初「諸般の事情」とだけ説明していたものの、その後「第5話に関するお詫びとお知らせ」なる文書を掲載するとともに、更にあろうことかその他のシリーズ全てのエピソードまでも公開停止としてしまった。

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『「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~』第5話(2022.1.26 公開)に関するお詫びとお知らせ

そもそも宗教二世の問題は単なる毒親問題ではなく、親の信仰態度が子の“信じない自由”を含めた様々な人権侵害の機序となっていることが明白な社会問題なのであって、集英社の謝罪文はそうした前提となる構造を理解できていない全くの見当違いであり、出版社としての不見識を晒したみっともない態度に終始したままでいる。

また、このことについて他の媒体による後追いの記事もあったが、公式には作品の全てが閲覧できない状況にあったとはいえ、独自に可能な限りの丁寧な取材を行ったとは感じられないもので、問題の本質を考察しようともせず、ただ集英社の謝罪文に見られる様な“あたかも作者や主人公に帰責するような体裁”をオウムのように踏襲したものでしかなかった。

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よみタイの連載「宗教2世」、公開終了 集英社「信仰心傷つけた」
毎日新聞社

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ウェブ漫画1話の公開終了、特定の宗教や団体の信者傷つける表現「検討十分でなかった」集英社
日刊スポーツ


だいたい「信仰心傷つけた」のではなく、正確には「信仰心を傷つけられた」という“お気持ち”に動揺したというのが事実だろうが。

「信者の心が傷つけられた」というお題目は、幸福の科学が91年に講談社へ組織的な威力業務妨害を仕掛けた頃からのバカ一の主張で、「宗教上の人格権(宗教的人格権)」が侵害されたとする形で同社を相手取って争った裁判を「精神的公害訴訟」と銘打っている。

宗教的人格権という概念は幸福の科学が打ち出したものではなく、「自衛隊合祀訴訟」(1988年6月1日最高裁判決)の過程で提示され、一審においては「静謐な宗教的環境の中で信仰生活を送る権利」と捉え、プライバシー権に属するものとしたものの、最終的には法的利益としては認められずに同訴訟は結審した。

しかし、幸福の科学法務は、最高裁で否定された宗教的人格権を講談社への訴訟の大義名分に掲げた。実はこれには教団内でも異論が沸き起こり、当時私は総合本部にいたので、判例が出ている無理筋の主張を掲げることの愚を進言する複数の職員の姿と、その声に耳を傾けようとしないマヌケな管理職の様子を鮮明に記憶している。

結局のところ、幸福の科学の宗教的人格権の訴えについては悉く棄却された。戦犯はそのマヌケな管理職らなのだが、当事者が今なお法務の責任者であり続けているあたりが、この教団の主張がバカ一で全くアップデートできない所以であると言えるだろう。

言論表現に対して幸福の科学が仕掛けたスラップが退けられた際の判事のいくつかを整理すると、平穏な信仰生活を営む社会生活上・私生活上の人格的利益(宗教的人格権)があるとしても、記事や表現によって「心が傷つけられた」というのは、単に宗教的感情が侵害されたというのに過ぎず、宗教的行為や信仰生活まで侵害されたとは言えないということ。

さらに、そもそも教団や教祖への批判について、信者は直接の当事者ではなく、信者の精神的苦痛はあくまで間接的なものであって、そうした間接的に自己の信仰生活の平穏が害されたという宗教上の感情自体は法的利益として認められず、法的救済の対象にはなり得ないということ。

また、宗教批判の自由も保障されるべきものであり、事実に基づく正当な批判であることは言うまでもないことだが、宗教法人及びその主宰者等は、法による手厚い制度的保護の下に、人の魂の救済を図るという至上かつ崇高な活動に従事しているのであり、このような特別な立場にある団体ないしその責任者は、常に社会一般からその全存在について厳しい批判の対象とされるのは自明のことというべきであろうということ。

要は、とどのつまり単なる“お気持ち”ということだ。にも拘わらず、今回の集英社はカルト宗教相手にビビッて思考停止し、軽率に過剰な振舞いを行って、自社の社会的信用を損なうに留まらず、カルトと対峙する他社が今日まで毅然として守ってきた在り方まで毀損してしまっている。この責任は重い。

幸福の科学など、自分たちが標的にされれば被害者面して宗教的人格権を盾に無理筋な強弁で圧力をかけるくせに、己らの他宗排撃や他者批判の際にはその行為を「愛」と主張して自己正当化することを旨とする真性のカルトだ。

教団の論理に従えば、脱会者や世間が大川隆法や幸福の科学に批判を浴びせることなど、正しく「愛他行」以外の何ものでもないではないか。このように幸福の科学の主張など徹頭徹尾イイカゲンなものであり、そんな連中に真っ当な企業が振り回されてどうする。毅然とした態度であしらうだけで、まともに相手してやる必要すらないくらいだ。

今回のようにカルトの圧力に屈してしまう出版社が今なおあるような日本だから、カルトと対峙するにあたって”お気持ち“に妥協しないことがいかに重要であるのかということを、カルト対策先進国の取り組みからも改めて学ぶ必要があると思う。

カルト(セクト)対策の先進国である欧州の中にあって、フランスがその魁であることは広く知られているところだが、その制度設計のポイントは、信教の自由との狭間でカルトを定義することが根本的に困難であるという認識に立って、「“宗教”を問うのでなく、その宗教運動による“外形的な行為の弊害(世俗的な帰結)”を問う」という考え方を突破口とし、「外形的な行為の弊害」として10項目の危険性の判断基準を示した部分にある。

そして、その基準にそって宗教団体の諸状況を査定し国民に情報公開している。更に、それは10項目のうち1項目でも合致すれば粛々と公開を躊躇わない徹底ぶりで、“お気持ち”など入り込む隙は微塵も無い。

カルト対策の先進国では、カルトの問題は宗教の問題ではなく人権の問題という理念のもと、人に害を与え人を幸せにしないカルトによる基本的人権と自由への侵害から、個人と公共の利益を守るという熱く明確な目的があるから、カルト対策を実現するにあたって最も重要であることが、広く国民への情報提供であることに尽きるという一点でブレることがない。全く腰抜け出版社の態度とは雲泥の差がある。


菊池真理子さんの『「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~』のシリーズは、そもそもカルト批判そのものとして構成されておらず、当事者たちのありのままの現実や対象喪失の主観的体験を淡々と表現したものに過ぎない。

さらに、宗教二世の経験は、現実として親の信仰と別にはありえないという問題の本質に立ち返れば、それが正しく「外形的な行為の弊害(世俗的な帰結)」そのものなのであって、そこに批判的要素があったとしても、それが社会的に許容された受忍限度を越えるものとは到底考えられないだろう。カルトの”お気持ち”など忖度する必要はなく、作品は何ら問題なく再掲されるべきだ。

作者や制作現場の真摯な思いは実際伝わっているし、何より各主人公それぞれのことを慮って、これでも辛うじて抑えてはいるつもりだが、本心はもっと腹立たしく思っている。

臆病な事なかれ主義の企業原理であんな不誠実で薄情な謝罪文を掲載させた集英社や、お粗末なコタツ記事で後追いした志の低い毎日新聞社は、先行取材者や大先輩の仕事に謙虚に学んで、今一度言論表現に携わる者としての矜持を示し直せ。


【参考記事】

日刊カルト新聞
集英社が“宗教2世”の体験談マンガ連載を全削除 きっかけは幸福の科学2世の体験談

横山真佳氏(元毎日新聞社特別編集委員)講演録
「ヨーロッパの〈セクト(カルト)宗教〉について」


※当ブログで横山真佳氏の著作について記したもの
「セクト対策の遠い夜明け」

プロフィール

土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)

Author:土矢浩士(ハンドルネーム:アルゴラブ)
セクトの犠牲者である家族と個人を支えるネットワーク
「RSFI MAIKA」代表

日本脱カルト協会
「JSCPR」会員

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「幸福の科学」の問題を中心に、セクトについて考えていきます。

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